女性たちは雑誌に何を求め、何を得ていたのか|鈴木涼美『JJとその時代』
綺麗なおねえさんの必読書?
「私なんて全然ちゃんとしてなくて、真似しちゃダメなんですよ。大学生のとき、ホントにJJしか読んでなかったんで」
そう言ったのは、附属の女子高から慶應の文学部を出て、大手出版社に勤める20代の編集者だった。グッチのバッグを持ってそのハンドルにいかにもエルメスって柄のスカーフを結んで、アンナ・モリナーリのワンピはそんなに私の好みじゃなかったけど、お財布はシャネル、髪は背中に垂らしたロング、耳にはパールのピアスをつけていた。
中学生の私は、両親がしょっちゅう開いていたホームパーティーに来るおじさんたちから結構人気で、夜遅くまで大人たちのおしゃべりに交ざっていることがよくあった。小学生時代に愛読した「りぼん」の漫画と、音楽番組に出てくる安室奈美恵や華原朋美をごちゃ混ぜに参考にして、ヘソ出しTシャツなんて着て、でも中学生にできる真似はものすごく限られているので、ファッションは常にちぐはぐだった。どうにかイメージの中にいるイケてる女のコに近づこうと、眉毛を細くしたり、脚の毛を剃ってみたり、頭の中は常にそんなことでいっぱいだったので、母親がもう少し中身のある青春を送りなさいという顔をしていたのは覚えている。
慶女卒の編集者が来ていたのはそんな我が家のホームパーティーで、その日はその綺麗で若くて優秀と評判の女性が、普段は私にも集まるおじさんたちの人気を独占していた。母は、「ほら、どうしたらこういうちゃんとした綺麗なおねえさんになれるか教えてもらったらいいわ」と彼女の前に私を突き出したが、そんな場面で彼女から返ってきた答えは母としてはやや期待とずれた、しかし私を妙に納得させるものだった。
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図らずも私はそうやって、どうやらこういう魅力的な女性は若いとき、JJを小脇に抱えているものらしいということを学んだのであった。時は1997年、500ページ近くある分厚いJJの表紙はテレビでも見かける梅宮アンナが飾っていた。私にとって女性ファッション誌が駅前の本屋でちらちら見るものから、服や化粧品を買うお金を削ってでも買うものに変わる直前のことである。
アンナ・モリナーリの服を着る予定はなかったが、母が言ったように私もぜひパーティーに来ていたような、女としての価値が高そうで、一人で街に立っていても男の車の助手席に座っていてもサマになりそうで、自分でも色々と好きなものは買えるし男にも買ってもらえそうな、そんなおねえさんになりたいと思った。そのような女性への道のりにJJという雑誌があることと、女には大学で人文書や科学書ではなく、JJを読んでこそ得られるべき賢さがあるのだということを学び、そうして私は、雑誌が示す価値がどういった形で世界に表出するのか、というのを漠然と知った。
翌年私は中学3年に上がり、いよいよあと一年で時代がもてはやす女子高生というアイコンになろうと、その下準備をする季節がやってきた。109、クラブ、援助交際、ラブホ、メッシュヘアにルーズソックス、そういった象徴的な記号が出揃って、90年代の終わりをギャルたちが潔く飾ろうとしていた頃である。
その頃になるとそれまでなんとなく漫画雑誌や「プチセブン」くらいしか読まなかった友人同士の溜まり場で、私自身やクラスメイトもそれぞれ、女性ファッション誌による棲み分けを始めていた。私が最初に買っていたのは創刊後間もなかった「Cawaii!」と、「egg」。同じルーズソックスを履き始めたけど、髪型が短め前髪のボブだった友人は「Zipper」と「Junie」を読んでいて、ジル・スチュアートが好きな友人は「CUTiE」から「SPRiNG」に移行した。違うクラスのよく知らない女のコが急に髪を染めてきて目立っていたりすると、「あの子ギャルなの?」「いや、たぶんキューティ系だよ、ヒスとか持ってる」と、雑誌の名前で人をカテゴリー分けして、仲間意識を持ったり、自分のいる囲いから除外したりしていた。
今思えば失礼な態度のように聞こえるが、それくらい当時の雑誌が示していた価値観というのは強烈で、個別の人間がそれぞれどんな人間かというようなことを棚上げにしてしまうほどの力を持っていた。私たちは何に重きを置き、何を可愛いと思うかによって雑誌を選んでいるようで、いつしか選んだ雑誌にそれらを規定してもらっていたような気がする。どの雑誌を小脇に抱えているかは、その人がどんな価値観で人生を泳ごうとしているのかを示唆していた。ファッションに興味が芽生える思春期、私たちは自分が小脇に抱える雑誌を選ぶことで、その雑誌の示す生き方に勇んで入っていく。同じクラスにいる他の女のコたちと自分を心地よくアイデンティファイするのもまた雑誌だった。
自分が「Cawaii!」を読み、「egg」と「東京ストリートニュース!」(以下、ストニュー)を読み、「Popteen」を買い出して、そのうち「ViVi」も手にとっているうちに、14歳の頃に聞いた、綺麗なおねえさんの「JJしか読んでなかった」という言葉はより鮮やかに腑に落ちた。あれはとても親切で情報量が多く、自分が何を信じて何に抵抗して生きてきたかを示す、堂々と誇らしげな自己紹介だった。
雑誌を身に纏った女のコたち
ネットメディアやSNS、スマホ文化の台頭による紙メディアの衰退が指摘されて久しい。実際に、かつてほぼ全ての女性がファッション・美容雑誌を膝に乗せていた美容院などに行ってみても半数以上がスマホを覗き込んでいるし、ネイルやヘアスタイルを注文するときに参考として見せられるのも、雑誌の切り抜きなどではなくスマホに保存した画像である場合がほとんどになった。ニュースや漫画や小説もスマホで読む人が爆発的に増え、通販サイトやオークションアプリが台頭し、電車の中でも紙に印字された文字を読んでいる人は少ない。
かつて女性ファッション誌の担っていた役割の一つである「流行や新商品を紹介し、着こなしや使い方を例示する」「おしゃれな人をロールモデルとして紹介する」といったカタログ的な要素は、もう雑誌の手には戻らないだろう。インスタグラムなどで人気のモデル風美女たちは毎日手軽にワードローブや愛用コスメを紹介するし、通販サイトは直接着こなし例を載せて商品を見せるし、それらの情報が国や地域に一切限定されることなく、無料で日々手のひらに舞い込む。その便利さとスピード感には、多くのスタッフを動員してロケやスタジオで撮影し、広告を集め、書店で販売される紙メディアは太刀打ちできない。
90年代、雑誌を発売日に書店や駅のコンビニで購入し、キャンパス内や自宅でパラパラめくって、気になったものの載ったページを折って、どれを買おうか迷いながら何度もなぞるように読み、週末に友人と待ち合わせて百貨店やファッションビルで実物を試着して、思ったより気に入らなかったり、モデルと自分の顔が違いすぎてイメージしていたより全然似合わなかったり、迷っていたけど手に持ってみたら両方どうしても欲しくなってカードを限度額まで使い切ったり――そうやって1週間や1ヵ月かけて過ごしていた時間は、現在では誇張なしに15分もあれば一歩も動かず椅子に座ったまま完了できるのだ。それもワールドワイドに。これは当然、女性ファッション誌に限った現象ではなく、電車の荷物棚に置き去られた漫画雑誌やスポーツ新聞を見る機会はほとんどなくなり、満員電車で新聞を折りたたんで読むおじさんは減り、ゲームやパチンコなどの情報を雑誌で収集する人も今では珍しい。
さてしかし、これにてお役御免となるほど女性ファッション誌が担っていた役割はシンプルだったのだろうか、という思いは、かつて雑誌の発売日を把握して、教科書の代わりにバッグに忍ばせ、昼食代を浮かせて何冊も買っていた私たちの中にある。現在では私自身も雑誌のページをめくる時間よりスマホの画面に指を滑らせる時間の方が長くなり、その指先で、インスタグラムや海外通販サイトやニュースアプリのあらゆる情報にアクセスしているのだとしても。
シロガネーゼ、ガングロ、めちゃモテ、森ガールなど、雑誌が生み出した後に一般名詞として定着した言葉は多い。アンノン族、キューティ系、オリーブガール、エビちゃんOLなど、雑誌や雑誌の専属モデルの名前を冠し、文脈を共有する者同士ならパッと聞いただけでどんな女のコを指すのかイメージの湧く呼称もたくさんある。これらは女のコたちが、雑誌が提示した価値や生き方に、I agreeと賛同し、自分のアイデンティティとして取り込み、そうすることで自分の生き方やライフスタイルを形成してきた証に他ならない。
こういうファッションに価値を感じる女のコはAという雑誌を読む、という側面は少なからずあるにせよ、それ以上に、Aという雑誌を読む女のコはこういう価値を信じる、という構造と力がそこにある。まさに消費社会で雑誌ブランドの持つ記号的価値を自分の身に纏い、他の記号を纏う他人と差異を形成することで、「自分がどんな女であるか╱どんな女になるか」を把握する。そのプロセスはまさに女のコたちが自分たち自身の価値を作り出し、自ら感じ取るために利用されてきた。
さらに俯瞰してみると、女性像そのもののイメージの変遷を語るにも、雑誌は欠くことのできない役割を持つ。戦後、外で働く夫に対し、現実的な家事や家計を担いながら家庭を切り盛りし、家族をサポートするというサラリーマン家庭の主婦像は長らく日本の象徴的な女性の生き方をイメージづけていた。そのイメージを具現化して提案し続けていたのが、「主婦の友」(旧・主婦之友)」「婦人倶楽部」などの雑誌だった。高度経済成長期に急増した、会社で働く若い独身の女性を呼ぶOLという言葉は、女性週刊誌「女性自身」が生み出し、定義した。それぞれ時代を代表する女性の生き方を捉え、その言葉で括られる対象だけでなく、女と聞いて思い浮かぶイメージそのものを作り上げたと言える。
女子大生、女子高生という、単なる学生としての身分を示す言葉もまた、雑誌によってカラフルに色着けされてきた。一般の学生をモデルとして起用することで、時代のライブ感と読者の具体的な代表となる生き様を内にも外にもわかりやすく示したファッション誌の登場により、単なる「大学で学ぶ女性」「高校に通う女子」という以上の、時代のアイコンとしての女子大生や女子高生のイメージが作り上げられた。それらは長らく当事者以外の者が「女子大生」と聞いた時に頭の中にぼんやりと浮かび上がる女性の印象そのものであったし、当事者の女性たちにとっては、自分がまさにそのイメージの中にいる、あるいは自分は一般的にイメージされるそれらと一線を画す、といった形でアイデンティティの指標となっていた。
(『JJとその時代』序章より抜粋)
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著者プロフィール
鈴木涼美(すずきすずみ)
1983年東京都生まれ、のちに鎌倉に育つ。清泉小学校、清泉女学院中学校を経て、明治学院高等学校に入学。放課後は渋谷でギャルとして楽しく遊ぶ毎日を送る。自宅の近所だったため、大学は慶應義塾大学環境情報学部に入学。卒業後は東京大学大学院学際情報学府修士課程を修了し、日本経済新聞社に入社。JJ的な経歴をなぞったり外れたりして現在は作家に。著書に、『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)、『ニッポンのおじさん』(KADOKAWA)、『すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない』(マガジンハウス)ほか、上野千鶴子氏との共著に『往復書簡 限界から始まる』(幻冬舎)。
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