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思い出の名高座④ 柳亭市馬・立川談春・柳家三三の『ちきり伊勢屋』―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

2007年9月23日、新宿・紀伊國屋ホールで柳亭市馬・立川談春・柳家三三が出演する「紀伊國屋RAKUGO LIVE 三人集」という昼夜公演が行なわれた。プログラムを見ると、「市馬・談春・三三が『三人集』を結成して、その第1回目の公演でございます」とある。昼の部では三三と談春が『お冨与三郎』をリレー、市馬が『子別れ(通し)』を演じ、夜の部では市馬と三三が『国定忠治』をリレー、談春が『子別れ(上・中)』『子別れ(下)』を演じた。昼の部には立川志の輔、夜の部には笑福亭鶴瓶がゲスト出演している。
二度目の「三人集」開催は2008年12月27日、有楽町・よみうりホール。昼夜公演で、演目は昼の部が立川談春『明烏』/柳亭市馬『三十石』/柳家三三『双蝶々(上)』/立川談春『権助魚』/柳家三三『双蝶々(下)』、夜の部は立川談春『除夜の雪』/柳亭市馬『掛取り2008』/柳家三三『鼠小僧 蜆売り(上)』立川談春『棒鱈』/柳家三三『鼠小僧 蜆売り(下)』 。
そして三回目が2009年3月23日・24日に紀伊國屋ホールで行なわれた「ちきり伊勢屋通し口演」昼夜興行。23日が「Aプログラム」、24日が「Bプログラム」で、結果的に最後の「三人集」公演となった、この「ちきり伊勢屋通し口演」を振り返ってみる。僕は両日とも夜公演に足を運んだ。

2009年3月23日(月)、新宿・紀伊國屋ホールにて「三人集(Aプログラム)」、19時開演。

立川談春『ちきり伊勢屋(上)』
柳家三三『ちきり伊勢屋(中)』
柳亭市馬『ちきり伊勢屋(下)』
~仲入り~
柳亭市馬『二人旅』
柳家三三『万金丹』
立川談春『桑名舟』
市馬・談春・三三(トーク)

今回の「三人集」は長編『ちきり伊勢屋』を三人でリレーする、というのが目玉企画。「プログラムA」と「プログラムB」ではリレーの順番が違うという趣向である。

まずは談春が「上」。江戸で質屋と両替商を営む大店ちきり伊勢屋の主人・伝次郎は二十五歳とまだ若い。ある夏の盛り、この伝次郎を父親亡き後親代わりのように育てた番頭に、伝次郎が「私は来年二月二十五日に命を落とすと言われた」と深刻な顔をして打ち明ける。聞けば、「そろそろ嫁を」と常日頃番頭に言われている伝次郎、それもそうだなと、必ず当たると評判の白井左近という易者に縁を見てもらいに行ったところ、「あなたはこれ以上ないほどくっきりと死相が出ていて間違いなく二月二十五日に死ぬ。嫁などもらってはいけない」と言われた、というのだ。

亡くなった父・伝右衛門は人に恨まれることを重ねて身代を築き「乞食伊勢屋」と陰口を叩かれる始末、その因縁で伝次郎は死ぬのだと白井左近は説明し、「死ぬまでにせいぜい人々に施しをしなければいけない。施しをしながら道楽もして財産をすべて使い果たせば、来世で長生きして幸せになれる」と告げた、というのである。ここまでの場面、通常の演りかただと実際に伝次郎が白井左近に見てもらう場面を描写するのだが、談春はそれを伝次郎が番頭に伝える形で表現し、冗長さを無くしたと言える。

伝次郎は番頭に千両渡し、奉公人にも金を渡して暇をやり、店を畳むと、人々に施しをする日々を過ごすが、それにつけ込んで「困ったフリ」をする連中にたかられることが多くなった。「いったい人の誠とは何だろう」と虚しくなった伝次郎は「道楽をしろ」と言われたことを思い出し、いとこの遠州屋正太郎に「死ぬまで遊びに付き合ってほしい」と誘う。正太郎は「徹底的に遊ぶのは大変だ。本物の遊び人になるには覚悟が要る。その覚悟はあるのか?」と言って、伝次郎の財産使い果たしに付き合うことになる。 正太郎の「本物の遊び人には覚悟が要る」という説教は、いかにも談春らしい台詞だ。

吉原通いに精を出し、散財し続ける伝次郎と正太郎。伝次郎は死期も迫った節分の時期、一家心中の相談をする四人連れに出くわす。伝次郎がわけを聞くと、男は洗い張り屋を営む山城屋徳兵衛、火事を出して迷惑を掛けた分を弁償するために娘二人を吉原に売ろうとしたものの、それよりいっそ四人で死んで詫びをしようと思っていたと言う。

伝次郎はこの親子に三百両を与え、「私は死期が決まっていて、それまでに施しをしなければいけないと言われて色々と困っている人を助けようとしたものの、誰を助けて誰を助けないなどと神ならぬ人の身で決めることなど出来ないと虚しくなって道楽三昧の日々を過ごすこととなりました。今、ここでようやく私の金が人の役に立つ。私の金が生きることが嬉しいのです」と話す。山城屋はその金を基に人々に弁償すると、前にも増して繁盛するようになり、二人の娘の妹の方が婿を取る。徳兵衛は二月二十五日、安心したように息を引き取る。死ぬまでちきり伊勢屋に感謝し続ける山城屋徳兵衛であった。

ここまでで30分。続いて三三が登場して「中」を。

吉原通いをしていた伝次郎だが、二月二十日になると「いよいよ死ぬ」ということで、麹町の自宅に芸者や幇間を呼んで「通夜」と称してドンチャン騒ぎ。二十四日には白装束で棺桶の中に座り込んだ伝次郎。二十五日になり、伊勢屋に忌中の札が貼られたので向かいの高田屋から遣いが来ると、「まだ生きてるよ。おたくの旦那は色々意見してくれた、宜しく伝えておくれ」と棺桶の中から伝次郎自ら返事をする。

「上」の伝次郎が、思いつめる性格の、真面目で純朴そうだがどこか神経質な青年だったのが、「中」では軽薄な遊び人に早変わり。三三は軽薄でどことなくスケベな若者を演ると意外によく似合う。その辺に三三独特なフラのようなものがある。

棺桶ごと墓に埋められた伝次郎だが、死ねないまま暮れ六つの鐘を聞く。「まだ生きているじゃねぇか! あの占い師め!」と棺桶から抜け出した伝次郎、「店は人手に渡ったし、金は使い果たした。一文無しだ……」と途方に暮れる。

それから半年後、正太郎の許に現れた伝次郎。乞食同様の暮らしで何とか生き延びてきたと言う。「今はただ、あの白井左近が恨めしい。あの野郎どうしてる?」と伝次郎が訊くと、伝次郎の一件が公になり「生き死にを占って人心を惑わした罪」によって江戸ところ払いとなり財産は没収され、今は大道で占いをやっているという。白井左近が居る赤羽橋へ行く伝次郎、「見つけたぞ、この野郎!」 驚いて白井左近、「万が一にも見間違いではなかったが……」と伝次郎の顔を見ると「死相が消えておる!」

この白井左近がまた、もっともらしいことを言っているのにどこかいかがわしい。この白井左近のいかがわしさも、何とも三三らしい。この左近のいかがわしさが、シリアスな場面なのにどことなく可笑しいという独特の雰囲気を醸し出している。

「人助けをしましたな」と白井左近。「四人を助け、その中の一人があなたの死相を引き受けてあの世へと旅立った。あなたは長生きをする! 八十過ぎまで生きる! 万に一つの見間違えのないこの白井左近が申すのじゃ!」と偉そうな白井左近の物言いが実に可笑しい。こういう軽さが三三の持ち味だ。「この野郎、一文無しで長生きしても仕方ねぇだろ!」と怒る伝次郎の軽さもいい。

「落ち着け。人は運命に従うもの。あなたは自分の運命を変えた。辰巳の方角へ行け。自分で運を開くのだ」と左近は進言する。「勉強させてもらった。この一両をどうかお納めください」と伝次郎に一両渡した白井左近、「わしは上方へ行く。伝次郎さん、心を強く持って! 辰巳の方角です、そうすれば運が開ける!」と言い残して去る。

三三が19時55分に高座を降りると、市馬が入れ替わりに登場して「下」へ。

左近に会いに行った伝次郎を茶店で待っていた正太郎が「どうだった?」と訊くと、「ああ、前に比べて随分力が入って大げさなヤツに変わっていたよ!」(笑) もちろん、談春と三三の演じ方の違いを指している。こういう楽しさが市馬のいいところだ。

辰巳の方角というと正太郎が今いる品川のいろは長屋がまさに辰巳。そこに伝次郎が転がり込む。正太郎の遠州屋も人手に渡ってしまったのだった。ぶらぶらしている二人に大家が「地道に駕籠かきでもやって稼げ」と忠告し、そのとおり駕籠かきを始めた。ある晩、派手ななりをした客が寝込んでるのをいいことに、一休みしておでん屋で一杯……のつもりが結局夜明けまで飲んでしまい、慌てて客を起こす。すると客は昔なじみの幇間だった。

「ちきり伊勢屋の旦那! あっ、あちらは遠州屋さん!」「半平か」「聞きましたよ、水臭いじゃありませんか、あっしが女房を持てたのも旦那のおかげ、感謝してます。どうしてうちを訪ねてくださらなかったんですか!」「なぁに、痩せても枯れてもこの俺は、ちきり伊勢屋の、あ、伝次郎だぁ~」と芝居がかった物言い、これを市馬が演ると何とも可笑しい。

半平は手持ちの三両を伝次郎に与えると、「これを金に換えてください」と着ている着物を脱ぎ、羽織も、着物も、帯もすべて渡した。「おいおい、そんなことされると俺達が雲助に見えるよ!」と言いつつ受け取って長屋に戻った二人。「この三両は、長屋の皆と楽しく使おうじゃねえか」と長屋の連中に振舞って使い切ってしまう。

と、あるとき長屋の子供が病に倒れ、治療には人参という高価な薬草が必要だという。そこで伝次郎は半平からもらった着物や帯、羽織などを持って亀屋という質屋に行く。だが、番頭は伝次郎の身なりと着物の高価さとのギャップに「盗んだ品だ」と判断し、「うちでは扱いかねます」と断った。「痩せても枯れても、俺はちきり伊勢屋の、伝次郎だぁ~!」と見得を切るようにして去って行く伝次郎、その後姿を見てハッとする若い娘。

伝次郎の後を追ってきた番頭、先ほどの無礼を詫びながら「当家の主がお詫びをしたいと」と鰻屋の二階へ案内する。待っていたのは亀屋の主人と、「水もしたたるような」若くて美しい娘。「お願いがございます」と切り出した亀屋の主人、「この娘は私の養い娘のお鶴といいまして、その親は山城屋徳兵衛、私の兄でございます」 何と、亀屋はあの山城屋徳兵衛の弟で、長女お鶴を養女にしていたのだった。山城屋を次女が婿を取って継いだのも、長女は一家を救ってくれた伝次郎に嫁ぎたいと夢見ていたからなのだという。

「どうかこの娘を嫁にして、私の店を継いでください」 お鶴と添わせてもらった伝次郎は亀屋を継ぎ、義父の勧めで暖簾をちきり伊勢屋と改めたという……。「積善の家に余慶あり、ちきり伊勢屋でございます」 20時12分、『ちきり伊勢屋』リレーは幕を閉じた。

大団円に相応しい堂々たる市馬の「下」。駕籠かきで客を乗せたまま明け方まで飲んでしまう二人の呑気な態度も市馬が演じると当然のように受け止められるから不思議だ。三三が演っていた伝次郎は軽くてセコくて恨みがましい小物だったのが、いきなり鷹揚で器の大きい、いかにも大店の主になるべき人物に早変わり。(笑) 半平にもらった三両は長屋の連中と使ってしまう、なんてところも市馬が演ると似合っている。何より、亀屋で酷い扱いを受けてから鰻屋の二階でのやり取り、そして一気に大団円と進んでいくところの説得力が抜群だ。

市馬の「下」が見事に締めた『ちきり伊勢屋』リレー、この長い噺をあまり端折ることなく充分に演じながら、飽きさせず見応えある噺として聞かせてくれた三人はさすがだった。仲入り後は市馬が『二人旅』、三三が『万金丹』、談春が『桑名船』の二人旅リレー。これまた粋な趣向だった。

2009年3月24日(火)、新宿・紀伊國屋ホールにて「三人集(Bプログラム)」、19時開演。

前日の「Aプログラム」に続き、24日の「三人集(Bプログラム)」の演目は次のとおり。

柳家三三『ちきり伊勢屋(上)』
立川談春『ちきり伊勢屋(中)』
柳亭市馬『ちきり伊勢屋(下)』
~仲入り~
柳家三三『びっこ馬』
立川談春『おしっくら』
柳亭市馬『宿屋の仇討』
市馬・談春・三三(トーク)

前日は「中」を受け持った三三が今日は「上」を語った。前日の談春の「上」はちきり伊勢屋の若き主人・伝次郎が番頭に「私は白井左近に見てもらったところ来年二月二十五日には死ぬそうだ」と語る場面から始まったが、三三はオーソドックスに、伝次郎が白井左近を訪ねて実際に占ってもらうところを描写した。

左近の「あなたの額に黒気(こっき)が表われている」という言葉を聞いて「コッキ? 日の丸?」などとダジャレを口走って「地味な噺だがここは我慢をしなさい」と柳家喬太郎風に自分でツッコミを入れたり、いとこの正太郎が「私は遊びの総てを知っている。いわば遊びの家元だ。家元が伝授するのだから上納金を取るぞ。オマエはBコースだ! 五百両納めれば業の肯定とイリュージョンを教えよう」なんて台詞を入れたりしながらも、全体的には淡々としたペースで物語を進行させていく。地味な噺を淡々と語っているのに飽きさせない、というのは三三の持っている得難い才能だ。

伝次郎から三百両をもらった山城屋徳兵衛が二月二十五日に伝次郎に感謝しながら亡くなっていく、というところで昨日の談春は終わったが、今日の三三はその先へ続いていく。

「吉原通いをしていた伝次郎だが、二月二十日になると遂に死期が迫ったということで麹町の自宅に芸者や幇間を呼んで、通夜と称してドンチャン騒ぎ……」と、ここは昨日も三三が演ったところなのでほぼ同じ。二十四日には白装束で棺桶の中に座り込んだ伝次郎、中で暇をもてあまし酒を飲んだりして時間を潰す。

二十五日、伊勢屋に忌中の札が貼られたので向かいの高田屋は「派手に騒いでいたかと思ったらいきなり葬儀とは一体誰が?」と驚き、使いをよこすと棺桶の中から伝次郎、「まだ生きてるよ。おたくの旦那に宜しく伝えておくれ」と自ら返事。「この後、にぎやかな弔いが出るというところからは、談春が語ります」と三三が高座を降りたのは19時37分だった。

二月二十五日に派手に葬儀を行ない棺桶ごと墓に埋められたものの死ねなかった伝次郎が墓から出てくる「中」。墓を掘る描写から、埋められた伝次郎が棺桶の中で暮れ六つの鐘を聞いて「あれ? まだ生きてるぞ」と不審に思い、そうか死ねないのかと悟ることになる。このあたりの描写に談春の力量が光る。伝次郎という人物の内面に観客を同調させる上手さが談春にはあるのだ。

財産をなくした伝次郎は乞食同然の暮らしで何とか生き延び、正太郎の許に現れると「あの白井左近の野郎が許せねぇ!」と、今は江戸ところ払いとなって赤羽橋で大道占い師となっている白井左近に会いに行く。「テメェ、よくもあんなことを!」と怒る伝次郎を前にしても動じない左近、「いや、決して見間違いではない。確かに死相がはっきりと浮かんでいたが、今は消えている。人助けをしましたな。あなたが助けたかたが、あなたの死相を引き受けてあの世へ旅立った。あなたは長生きをします。八十二歳まで生きますぞ」 そのあまりの堂々とした悪びれない態度に、伝次郎は乾いた笑いを放ち、「バカバカしくて、殴る気も起きねぇな」

「オメェの言うとおりにして、今じゃ箸の一本も持てねえ乞食同様の身となった、これで八十二まで生きてどうするってんだ」と愚痴る伝次郎に左近は「それがあなたの運命だったんです。運命とはままならないもの、だがあなたは運を開くことができた。これから辰巳の方角へ行きなさい。運が開けますぞ。なけなしの一両だが、これをあなたに授けます。さあ、辰巳へ向かって、ご自分の運を切り開いてください!」と一両授けて励ます。伝次郎は待っている正太郎の許に戻ると「アイツ、絶対悪いと思ってねぇだろ!」(笑) この言い方が談春らしい。

辰巳の方角に当たる、正太郎の住むいろは長屋に転がり込んだ伝次郎。「何だかバカバカしくなっちまって」と、二人して大家の忠告に従い駕籠かきになることにする……と、ここまでで談春が高座を降りる。19時56分だ。ここから先は昨日と同じく市馬。そう、やはり大団円は市馬だろう。

慣れない駕籠かきを始めた二人、前と後ろで左右違う肩に担いで駕籠が大揺れ、中の客が「おいおい、大丈夫か、グルグル廻るよ! こんなグルグル廻る駕籠もらったってしょうがねぇ、ってのがあるよ」(笑) 「疲れた、ちょいと一休みしよう」と伝次郎と正太郎の二人は寝込んだ客を駕籠に乗せたまま、屋台のおでんで酒を飲む。「いい心持ちだね、そうだ客を起こして一緒に飲もう。喜ぶぜ」「そうだな、こういう関係だよ、駕籠屋と客は」 ニコニコしながらこんなことを言う二人を市馬が演ると実に楽しい。

起こしてみると、客は昔なじみの幇間だった。「久しぶりだな半平」「あっ、ちきり伊勢屋の旦那じゃありませんか! するとあちらは遠州屋さん? 駕籠かきなんかされて……聞きましたよ、水臭いじゃありませんか、どうしてうちを訪ねてくださらなかったんですか! ウチのカカァを世話してくれたのは伊勢屋の旦那じゃありませんか。あんないいカカァはいませんよ。きれいだしねぇ、料理やなんかも上手くて……またアタシに惚れてますからねえ……」と泣きながらノロケを言う半平。この可笑しさも市馬ならではだ。

半平は三両の金とともに、高価な着物・羽織・帯を全部脱いで伝次郎に与えて「これを金に換えてください」と渡す。三両は長屋の皆と楽しく使った伝次郎、長屋の子供の病を治す人参を手に入れるための金をこしらえようと質屋へ……あとは前日と同じ。その質屋は山城屋徳兵衛の弟の亀屋で、徳兵衛の長女お鶴を養女にしていた。お鶴と添わせてもらった伝次郎は亀屋を継ぎ、暖簾をちきり伊勢屋と改めたという……「積善の家に余慶あり、ちきり伊勢屋でございます」

ここまでで8時20分。談春と三三の「上」「中」の組み合わせは前日の方が持ち味を活かしていたような気もするが、流れという点では今日の方が自然かもしれない。いずれにせよ、どちらも充分に聴き応えがあった。仲入り後は三人旅リレー。二日間にわたる今回の「三人集」は企画としてしっかり練られていて、演者もそれぞれの持ち味を発揮。素晴らしいイベントだった。(了)


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