日本の日常も、すでにパンクに侵食されている――『教養としてのパンク・ロック』第1回 by 川崎大助
序章 パンク・ロックが予言した未来に住まう僕たちは:〈1〉日本の日常も、すでにパンクに侵食されている
もしかしたら日本人は、ものすごくパンク・ロックが好き、なのかもしれない。ちょっとばかりユニークな関係性が、両者のあいだにあるみたいに僕には思えるのだ。なにによらずロックの「過剰性」を好む日本人の嗜好性のなかでも、とくに突出して「パンク」が大好物みたいに見える、そんなときがある。歌舞伎や役者絵の伝統のせいかもしれない。「かぶき者」を許容する文化的遺伝子ゆえ、なのかもしれない。
ゆえに僕は、この連載を始めることにした。音楽ジャンルとしてのパンク・ロックの歴史や意義、そこから派生した音楽や、あるいはライフスタイルを総覧的に見てみることができる、読み物のシリーズだ。パンク文化に興味を持ったばかりの人に「役に立つ」のはもちろん、現代の大衆文化のいたるところに偏在する「パンク・ロックの子孫たち」と、あなたがいい出会いをするためのハンドブックとなることを目指したい。
なぜならば、パンク・ロック的発想や哲学は、いまもなお、いやこれからも当分のあいだ、有用なものだと僕は確信するからだ。「パンクさえ知っていれば」日本人だって、その「有用の波」に乗っかることができると思うからだ。
ポップ・パンクの復活
と、そんなことを言っていると、「パンク・ロックなんて、古いよ!」と突っ込みたくなる人もいるかもしれない。だがそれは、完全なる間違いだ。たとえば2022年の現在、英語圏を中心とする大衆音楽界のメインストリームにおいては、「ポップ・パンクの復活」が最新の流行キーワードのひとつとなっている。いくつか例を挙げてみよう。
まずは、オリヴィア・ロドリゴだ。まだ10代にして22年度のグラミー賞で三冠に輝いたアメリカ人シンガー・ソングライターである彼女の大ヒット曲「グッド・フォー・ユー」は、誰見まごうことなきポップ・パンク・ナンバーだ。彼女が敬愛するというカナダ人アーティスト、アヴリル・ラヴィーンが18歳でデビューした当時の、つまりゼロ年代前半の大暴れをリブートしたかのような一曲だったと言えよう。ロドリゴとほぼ同世代のグラミー・アーティストであるビリー・アイリッシュにもパンクからの影響は強く見られる。こっちはゴス経由の、もっとダークな精神性なのだが。男性ならば、ラッパーから転身してポップ・パンク・ヒットを連発するマシン・ガン・ケリーが代表選手だろうか。
もちろん、こうした「メジャー」アーティストではなく、インディーで、アンダーグラウンドで活動しているアーティストたちには、元来そもそも、パンク・ロックな音楽性やスピリットが色濃い。世界中に無数の実例があるなかで、現代においてひとつ代表的な存在を選ぶとするならば、ロシアのプッシー・ライオットだろうか。彼女たちは覆面フェミニスト・パンク・ロック・バンドとして、プーチン政権下の同国にて、2010年代初頭より「過激な」体制批判を繰り広げている。バンド関係者による、18年のFIFAワールドカップ・ロシア大会決勝戦ピッチへの乱入事件をご記憶の人も多いだろう。これまでの幾多の逮捕・拘束や弾圧にも屈することなく、戦い続けている。
のちに詳述するが、各々のフィールドにて「自分のペースで」活動していくメソッドを伝授し、模範あるいは反面教師として指針となったのもやはり、パンク黎明期のロッカーたちだった。だからもちろん、今日もなお、どこの国にも在野のパンク・ロッカーは、数多くいる。当たり前だが、現役そのものの状態で。
このようにパンク・ロックとは、ある意味「古くならない」のだ。だから当然、いつのどんな時代だろうが、パンク文化への正しき理解から得られる視座は、そのときどきの現実社会を生き抜いていく上で、きわめて有益なものとなり得る。もちろんこれは、音楽ファン以外にも大いに有効だ。物事を見る目、発想や考えかた、それらの足場となる態度(Attitude)などのすべてに関わるものこそが「パンクという人生哲学」なのだから。
たとえばパンク・ロックとは、さまざまな社会運動、とくに抵抗運動をあなたがおこなうような場合には、いつも足並みを揃えて行進してくれる、またとない心強い友となってくれるだろう。あるいは一方で、ビジネス分野において、高い競争力をそなえたニュー・アイデアへとつながる発想の元ともなり得る。コンテンツ産業全般のみならず、メタバース、VR関連だって相性がいいはずだ。じつはパンクの中にこそ、未来の鉱脈がある。学ぶべき知見が、山ほどある。
そして僕には、こんな目論みもある。パンク・ロックとその文化についてのハンドブックを日本語世界のなかに置いてみることによって起こるかもしれない、効果への期待だ。オランダ東インド会社の商館長が本国に持ち帰った北斎の巻子みたいな――そんな効果とでも言おうか。つまり遠くない未来において「じつは教養としてのパンク・ロックにいちばん詳しいのは、日本人だよ」なんてことになったら、面白いじゃないかと思うのだ。そんなとっかかりのひとつに、当連載がなれれば光栄だ。
パンクは「教養の産物」
とはいえ、この「教養」という言葉がそもそも気になる人も、きっといることと推察する。教養とパンクとは、一見ひどく相性が悪い取り合わせのように映る、かもしれない。現役パンクスのなかには、当連載のタイトルを一瞥するやいなや気分を害し「なにおう?」なんて気色ばんでしまう人だって、いるかもしれない。
しかし、早まってはいけない。パンク・ロックとは元来「教養の産物」なのだから。僕が決めたことではない。歴史的事実だから、しょうがない。ちんぴらっぽい外見だったとしても(また実際問題、ちんぴらな内面の人も多かったのだが)、だとしても、だからといって、それが「教養」と相容れないわけではない。
大量生産・消費型の大衆芸術商品の一典型であるロック音楽のなかには、「教養なくしては解けない」知恵の輪みたいな構造を持つ一群がある。じつはパンク・ロックこそが、史上最初にこうした構造を「大量に」その身中に有するサブジャンルとして、大きな注目を集めたものなのだ。そしてその構造ゆえに、天下を獲った。
パンク・ロックのどこに「教養」があるのか?というと、まず第一に、いわゆる「元ネタ」ありきで始まった創作物が多い、という点が挙げられる。またパンク・アーティスト側が、つまり「ネタの使用者」側が、それを使う意味および意義について、往々にして意識的であったことも大きい。つまり「理由があってのパクり」だという自覚と、その「効果」への関心が、表現の根本にあったわけだ。
だからこの「構造」を読み解くためには、どうあっても最低限度の教養がないといけない。作り手側と同程度ぐらいの、教養は。つまりパンク・ロックの内実とは、外見からくる大雑把なパブリック・イメージとはかなり違うということを、まず僕は言いたいのだ。
日本のパンク受容
じつは日本におけるパンク受容のありかたも、かなり「教養」的だった。パンクという抽象概念、テイストそのものを噛み砕き、各人が「ああ、あれね」と普通に理解できているからこそ到達し得た、とてつもなく広範な「パンク土着化」に成功しているという点が、証拠のひとつだ。「海外由来の教養として」頭で理解して、そして、日本語世界にパンクは移植され続けてきたのだ。
たとえば、あなたは幾度も耳にしたことがあるはずだ。形容詞としての「パンク」を。ごくごく普通の、日本語の日常会話のなかに、すでにして「パンク」は明確な居場所を得ている。元来は英語の「Punk」だったものが、カタカナ表記の外来語として。
だれもが馴染みあるだろう例としては、人物を指して「あいつはパンクだ」とか。「あの発言は、パンクだなあ」とか。ヴィジュアル面の「パンクな感じ」のほうが、わかりやすいかもしれない。髪型や服装、グラフィック・デザインなどにおける「パンク調」というやつだ。「パンクな絵柄のTシャツ」なんて言葉があるだけで、そこからすぐに、「なるほどね。ああいった感じね」と、なにかしらのイメージを思い浮かべてみることができる人は多い(でしょう?)。
そんな日本で「パンク好き」として知られる著名人を列記してみよう(以下、すべて敬称略)。脚本家そのほかで活躍の宮藤官九郎、俳優の阿部サダヲ、コメディアンの小峠英二、千原せいじ、女優の黒木華、成海璃子、タレントの千秋、福田萌……などをまず挙げることができる。
映画界や出版界にも「パンク好き」は多い。本職(直接的にパンク・ロックに関わっていた)人も多い。前者は石井岳龍(旧名・石井聰亙)監督、山本政志監督など。後者は作家の町田康(歌手時代は町田町蔵)が筆頭だ。ライターのブレイディみかこはパンク好きが高じて渡英したという。
漫画界は、もっとすごい。パンクを愛する漫画家や、パンク・スタイルが反映された漫画作品は、数えきれないほどある。最近のわかりやすい「パンクっぽい」例は、藤本タツキ『チェンソーマン』あたりだろうか。
ここらへん、そもそもは80年代に雑誌〈宝島〉などが内外のパンク・ロックをコンスタントに紹介していたせいで、日本では裾野がとてつもなく広がったことからの反映だ、との見立てもある(漫画以外では、劇団系やコメディアン系の「パンク好き」への影響も、この筋からのものだとの分析だ)。
原宿も強い。いや、原宿のストリート・ファッション界こそが、日本の洋楽パンク・ロックの聖地なのかもしれない。たとえば世界のモード・シーンを結果的にリードしてしまった、いわゆる「裏原」ファッションの関係者は「熱心なパンク・ロック信者ばかり」と言い切ってもいいほどだ。今日の原宿の基礎教養・音楽編は、ビートルズでもストーンズでもなく「まずはパンク」と言っていい(次点がヒップホップだ)。同様の意味で、ニューヨーク発のストリート・ブランド、シュプリーム(Supreme)も、もちろんパンク・ロックなしには成り立たない。だから米日ともに、スケートボード、スノーボードなどエクストリーム・スポーツの界隈で、パンク・ロックが鳴り響かない日はない。
肝心の音楽界、日本のロック界も、パンク・ロック抜きには一切語れない。往年のスターリン、アナーキーといったど真ん中の大物から、泣く子も黙るハードコア勢、また逆に極大の大衆人気を得たブルーハーツから、忌野清志郎が「商業的にブレイクしたときの髪型」まで……日本人は本当に、パンクが「大好き」だという実例が、果てしなくある。
だから僕は、これはすごくユニークなことだと思う。なぜならば、数あるロックのサブジャンル名称のなかで、たとえば日常語としてここまで日本で広まったものなど、ほかにないからだ(「スワンプな奴」「ガレージな発言」なんて、まず言わない)。
音楽シーン、音楽ファンの専門領域を軽々と越えて、「パンク」という語と「パンクなイメージ」は、いつの間にかここ日本でもほぼ市民権を得ていると言っていい。「出どころ」である英語の世界と比べても、日本におけるこの定着ぶりは、ほとんど見劣りしないんじゃないかとすら正直思う。
かく言う僕も、パンク・ロックによって「ロック音楽の聴きかたに目覚めた」者だ。だからもし自分が、「このくされパンクスが」なんてだれかに罵倒されたならば、まあしょうがないよね、本当にそうなんだから――というぐらいの自己認識は、つねにある(決してそれが誇らしいわけではないのだが、しかし事実として)。
そんなパンク・ロックの「スタイル」や「概念」の起源はただひとつ、1970年代の英米のポップ音楽シーン、その片隅だった。ロック音楽のサブジャンルに端を発するものこそが、「パンク」の源流だった。(続く)
【今週の3曲】
Sex Pistols - God Save The Queen Revisited
Machine Gun Kelly ft. Halsey - forget me too (Official Music Video)
Olivia Rodrigo - good 4 u (Official Video)