最新研究で「奈良時代と平安時代」の解像度を上げる!――注目の研究者たちが執筆『日本の古代とは何か』「はじめに」を全文公開|有富純也
はじめに――日本古代史研究への招待 有富純也
この本を手に取っていただいた方の中で、大河ドラマを観たことがないという方が、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、まったく知らないという方はいらっしゃらないと思います。大河ドラマは、NHK総合の日曜日の夜に放送されるもので、ほとんどは歴史ドラマです。
そこでは、ある人物の一生を描くことが大半で、その人物は、戦国時代あるいは幕末を生きた人物であることが多いようです。一般的にわれわれは、戦乱のある時代の人物の生き方、特に戦時中にどのような行動を取って成功を成し遂げたのかを知りたいのだと思います。
ひるがえって、歴史分野の新書や選書について考えてみましょう。20世紀後半には、網野善彦『日本中世の民衆像』(岩波新書)、黒田俊雄『寺社勢力』(岩波新書)などの重厚な新書が多かった印象がありますが、近年では、大河ドラマと同じように、主に戦乱や騒乱、著名な人物などをトピックとするものも多いように思います。
古代史でいえば、吉村武彦『蘇我氏の古代』(岩波新書)は、蘇我氏という悪名高い(?)人々をテーマにしていますし、倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)は、平安時代の有名人である2人をテーマにして執筆されています。
また、岩波新書の日本古代史シリーズや、シリーズではないようですが、中公新書も中国史の通史を古い時代から刊行しています(会田大輔『南北朝時代』など)。
このように、ある時期からある時期までの、いわば通史を描き切るという新書も最近では増えてきました。
そのような中で、本書の姉妹編である『鎌倉幕府と室町幕府』(光文社新書)は、異色の新書といえるでしょう。1980年代に生まれた若手中世史研究者4人が、幕府と公家寺社との関係、中央と地方の関係、それぞれの幕府の滅亡について書いたものです。私の知る限り、先に紹介したような近年の歴史系新書とは一線を画し、内容が高度に専門的であるにもかかわらず、非常に読みやすく分かりやすいものでした。
本書『日本の古代とは何か』は、その『鎌倉幕府と室町幕府』の後継書として企画立案されたものです。
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さてここで、第一章からの導入という意味を込めて、簡単に日本古代史、古代史研究についておさらいをしておこうと思います。
日本古代史とは、飛鳥時代から平安時代を指すことが多く、いわゆる古代史研究者はこの時代の研究をしています。一般の方は、それ以前(たとえば卑弥呼の時代など)も古代史に含まれるとお考えの人も多いと思いますが、基本的に古墳時代以前は、考古学者にお任せしています(もちろん例外もあります)。
ただ、飛鳥時代は文献史料が少なく、特に最近ではオリジナリティーのある研究をするのが難しいため、手を出しにくい時代となっています。つまり現在の古代史研究者の主戦場は、奈良時代と平安時代となります。
奈良時代に入る少し前、当時のヤマト政権は、東アジア情勢の変化にともない、それまでとは異なる新しい国家支配体制を模索することとなります。一言でいえば、当時の中国の政治システムである律令制を参考にして、国家を形づくっていきます。具体的には、天皇・太政官を中心とした官僚制をつくり上げ、それまで口頭で済ませていた政治のあり方に、文書行政を取り入れ始めます。
それまでヤマト政権に参加していた豪族たちは、官僚として政治に参加し、天皇を中心とした秩序の中に組み込まれます。また地方では、民衆支配のため、6年ごとに戸籍を作成して、彼ら一人ひとりを把握した上で、田を班(わか)ち(班田収授法)、そして彼らから租庸調などの税金を収取すると規定します。このような民衆支配を潤滑に行なうため、国郡里制といった、いわば縦割りの行政組織を形成します。
このような行政のあり方は、律令法で規定されていましたが、その律令法は中国のものを参照して立法されました。現在でも、養老律令の内容の大半を把握することができます。日本古代史研究者は、その注釈書である『令義解(りょうのぎげ)』や『令集解(りょうのしゅうげ)』を詳細に解読し、あるいは母法である中国律令と比較することで、法解釈を行ない、さらには当時の国家・社会がどのようなものであったか、研究しています。このような律令法をもとに運営された国家のことを「律令国家」と呼ぶ研究者が大半です。
法はあくまでも制度を規定しているものであり、実際と乖離(かいり)していることもあります。そのために、主に奈良時代の正史である『続日本紀(しょくにほんぎ)』の検討は欠かせませんし、最近では出土文字資料、特に木簡を利用して貴族のくらしや地方社会のあり方も解明されています。
8世紀後半から9世紀になると、「律令国家」が時代の流れにそって変化していきます。太政官のもとに設置された官僚制度の中でも、無駄な組織などが統合・廃止される一方で、蔵人所(くろうどどころ)や検非違使(けびいし)といった律令に規定のない官司(令外官〔りょうげのかん〕)が設置されるなどの変化を遂げます。天皇の外戚である藤原氏が摂政・関白に就任し始めるのも9世紀半ばです。
地方では、院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)や富豪層といった、それまでの政治や経済を動かしてきた人々ではない勢力が活動を本格化させます(第三章を参照)。また、少なくとも9世紀にも班田や戸籍作成が行なわれていたものの、6年に1回行なうという律令法の規定が完全に遵守(じゅんしゅ)されていたわけではないようです。このような変化が、律令国家の衰退なのか発展なのかは非常に難しい問題なのですが、少しずつ、かつ、着実に変化していったのは確かです。
9世紀末から10世紀初頭にかけて、中国の唐帝国の衰退・滅亡を目の当たりにした日本の朝廷は、社会の変化にも対峙(たいじ)しながら、大きな改革を行ないました(寛平〔かんぴょう〕の改革・延喜〔えんぎ〕の改革)。9世紀も建前の上では律令法にのっとり人間一人ひとりに税金をかけていたのですが、この時期になると土地に税金をかけるようになります。そのため、戸籍作成や班田も必要がなくなり、行なわなくなりました。それまで存在していた集落も、消滅ないし極端に縮小していきます[有富2023]。国司や郡司が共同で地方を支配していたものの、受領(ずりょう)と呼ばれる国司長官のもとに責任が集中するようになったとされます。
中央の官僚制も一応は維持されますが、天皇の側近ともいえる殿上人(てんじょうびと)が現れるようになり(第二章参照)、それまでの官僚の秩序から外れた人たちが政治に参加するようになります。摂政・関白も基本的には常置されるようになります。
また、この頃はすでに律令法はあまり参考にされなくなっているため、この時期以降を「王朝国家」と呼ぶ研究者もいましたが[坂本1972]、最近ではこの言葉に違和感を覚える研究者も少なくありません。とはいえ、この時期の政治体制をどのように呼び表してよいのかは、定見がない状況です(第二章参照)。
このようなあり方は、いわゆる院政期になるとまた新たな社会に変貌します。それまでにも荘園はたしかに存在しましたが、設置することもなかなか難しく、簡単に停廃(ていはい)されてしまうものでした。しかし1100年代になると、大規模荘園が立荘されるようになり[川端2000]、天皇を退位した上皇も積極的に荘園を集積していきます。もちろん、受領が管理する土地(公領)もかなり残存しているのですが、いわば荘園領有がなし崩し的に認められるようになります。荘園は中世社会に栄えるものですから、この段階にいたり、日本の古代は終わったと一応考えてよいでしょう。
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以上、奈良時代と平安時代を教科書的に概観してみました。しかし、古代史学界では、以上の見解の中でも、細かな点で見解が分かれていたり、異論が唱えられていたりする場合があります。本書は、そのような最新の「学説」について、日本古代史学界の中堅・若手研究者が、詳細に論じるものです。
第一章の十川陽一(そがわよういち)「奈良時代の国家権力は誰の手にあったのか――天皇・皇族・貴族」は、奈良時代の中央政権で、本当の権力者は誰だったのかについて論じます。一般的には、天皇が政治的権力を保持していたと考えられがちでしょうが、じつは古くからの「畿内(きない)豪族」の力も強く、彼らが太政官の中枢部に存在し、天皇権力を掣肘(せいちゅう)していたという伝統的な学説もあります。この点について解説するとともに、十川氏独自の見解も分かりやすく解説します。
第二章の黒須友里江(くろすゆりえ)「藤原氏は権力者だったのか?」は、10世紀以降の権力者について論じます。高校の教科書では、藤原氏が他氏族を排斥して摂関の地位に上り詰め、天皇に代わって藤原道長のような摂関家が権力者・支配者として君臨して、いわば私的な「政所(まんどころ)政治」を行なっていた、と記されていることが多かったと思います。しかし黒須氏は、戦後すぐから天皇の地位はさほど低下していないとされていたことを述べ、また最近の政治史研究も踏まえて、天皇および天皇と摂関との関係性や、母后(ぼこう)・女院(にょいん)の存在の重要性なども論じています。
第三章の磐下徹(いわしたとおる)「地方支配と郡司――なぜ郡司は重要なのか?」は、奈良時代の地方支配についての学説を丁寧に論じます。律令国家成立の時期には、実質的な地方支配者は国司ではなく、伝統的豪族が就任した郡司の方が強かったとされています。これは「在地首長制」と呼ばれ、石母田正(いしもだしょう)が1971年に提唱した学説なのですが、一般的には知られていないものです。この在地首長制を中心として、郡司制度や社会の実態を論じるとともに、この時期およびそれ以降の地方支配のあり方を紹介します。
第四章の手嶋大侑(てしまだいすけ)「変貌する国司――受領は悪吏だったのか?」は、10世紀以降の平安時代の地方社会について、主に国司に着目して論じます。先述のように、一般的には地方支配は受領に権力が集中すると考えられていました。しかし近年では、丁寧に史料を分析すると、受領以外の国司(任用国司)も活動していることが明らかにされています。その点について詳細に述べつつ、地方社会の様相について概観していきます。
ここまで中央・地方の支配者や支配のあり方に注目してきましたが、ごく近年の古代史学界で大きな学説の対立や論争が巻き起こったのは、文化です。特に10世紀の国風文化については、かな文学である『源氏物語』や『枕草子』に代表されるように、中国文化とは切り離された、日本風の文化と考えられてきましたが、近年では紫式部も漢文学から多大な影響を受けており、一概に国風とはいえない、という議論もあります。当該期の外交を含めて、非常にホットに議論が沸き起こっている分野なのですが、その点を含めて、第五章の小塩慶(おしおけい)「〝「唐風文化」から「国風文化」へ〟は成り立つのか」は、古代日本における中国文化と土着文化とのせめぎ合いについて、丁寧に解説しています。
第一章から第五章まで独立しているものですから、最初から読み始めるのももちろんよいですが、読者それぞれの興味ある分野や地域から読み進めていただいても、まったく構いません。
以上を踏まえて、私も司会として参加して討論を行ないました。本論では、律令国家の成立過程や9世紀に関しては詳述している箇所がないので、その点について、それぞれに論じてもらったり、国家と文化の関係について議論してもらったりしています。さらに私は、第五章まで読み通した読者に代わり、疑問に思うであろうことを著者5人にぶつけています。最後に、「日本の古代とは何か」という難題について、みんなで模索しました。
このように本書は、既存の新書の体裁とは少し異なっているため、「院宮王臣家」「畿内政権論」「政所政治否定論」「初期権門体制論」などといった、専門家しか知らないような学術用語が飛び交います。違和感を持たれる読者も少なからずいらっしゃると思いますが、できるだけ分かりやすく説明しているつもりですので、お付き合いくだされば幸いです。
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本書は、『鎌倉幕府と室町幕府』のような新書を、日本古代史で企画したいと考えた編集者の田頭晃さんが私にメールをお送りくださったことから始まりました。先述したように、『鎌倉幕府と室町幕府』は、学界では注目されていたものの、一般的には知られていない若手研究者が執筆したところに特徴がありました。そこで本書も、私のような50歳のおじさんはまとめ役としてあまり出しゃばらないこととしました。
まずは磐下徹さんにご協力を仰ぎ、主に2人で人選をしたのち、オンラインでの3回にわたる準備会を経て、最後に対面で座談会を行ないました。5人の方々は若手研究者としておそらくさまざまな依頼を受けており、とてもお忙しい中、ほぼスケジュール通り原稿を出していただきました。また、田頭さんの退職にともない編集を引き継いだ草薙麻友子さんから、読者目線でさまざまなアドバイスを頂戴し、座談会の原稿圧縮にご尽力いただきました。記して感謝の意を表したいと思います。
本書は、老若男女問わず、さまざまな人たちに読んでほしいのですが、日本古代史に関心があるけれど、どんな本を読んでいいか分からないという高校生や大学生に、特に手に取ってほしいと思っています。そして彼ら/彼女らが、何十年後かに、私たちが本書で述べた「学説」を打ち倒すような、立派な日本古代史研究者になることを夢想しながら、本書を世に送り出したいと思います。
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編者・著者プロフィール
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光文社新書『日本の古代とは何か――最新研究でわかった奈良時代と平安時代の実像』(有富純也編/磐下徹、十川陽一、黒須友里江、手嶋大侑、小塩慶著)は、全国の書店、オンライン書店にて好評発売中です。電子版もあります。