7人に1人が貧困という現実……前日銀副総裁が考える「日本型格差」への処方箋|岩田規久男
1990年代以降、広がり続けている日本の格差。例えば、非正規社員の増加は賃金格差を招き、ひいてはその子供世代の「貧困の罠」の原因になっています。また、世代ごとに受給額が下がる年金制度は最大6000万円超の世代間格差のみならず、相続する子供・孫世代の世代内格差の原因に。所得再分配政策は高齢者の社会保障に偏っており、現役世代の格差縮小にはほとんど寄与していません。そして、これらの格差は、戦後に他国は経験したことのない長期デフレを原因とすることから、日本特有の「日本型格差」と言えます。
それでは、30年以上日本を蝕んできたデフレを脱却し、「日本型格差」を縮小していくにはどうすればよいのでしょうか。光文社新書7月刊『「日本型格差社会」からの脱却』では、日銀副総裁を務めた岩田規久男先生が、そんな格差縮小のための方法を丁寧にまとめてくださいました。本記事ではその中から本書のエッセンスがつまった「はじめに」を特別公開いたします。
格差の尺度・ジニ係数に現れない格差
日本の格差は拡大しているであろうか。また、格差を国際的に比較すると日本の格差はどの程度であろうか。このような格差を考えるときに問題になるのは、「格差」を測る尺度を何に求めるのが適当か、ということである。
よく使われる格差の尺度はジニ係数である。ジニ係数は0から1の値をとり、大きくなるほど不平等であることを示す。日本の所得再分配前の等価当初所得(世帯の所得を世帯員数の平方根で割った所得)のジニ係数は、1996年は0.3764であったが、2017年には0.4795と、27%上昇した。これはこの期間に、所得再分配前の等価所得格差がかなり拡大していることを示している。一方、所得再分配後の等価再分配所得のジニ係数は、96年は0.3096であったが、17年は0.3119で、わずかな上昇(0.7%)にとどまっており、所得再分配後の格差はほとんど拡大していない。
しかし、1990年代以降の格差は右のジニ係数だけでは捉えきれない問題を含んでいる。
第一に、1993年から2005年頃(就職氷河期と呼ばれる)までに高校や大学を卒業した人(21年時点で30歳半ばから51歳くらいまでの人)の中に、賃金が正規社員の約半分程度で、雇用の不安定な非正規社員が多い(非正規社員比率は90年20.2%、20年37.2%)。正規社員と非正規社員の生涯所得の差は、退職後の働き方により異なるが、大卒の場合は億円単位になる。
このような雇用の二極化による格差拡大は、1990年代以降に急速に進んだ。本書で詳しく述べるように、この格差拡大の原因は90年代以降の日本銀行の失策により、ディスインフレ(インフレ率の低下)をへてデフレになり、そのデフレが長期化したことにある。
規制緩和は非正規社員を増加させたのか
ところが、日本の自称リベラル派(2021年時点では立憲民主党や国民民主党、社民党など)と共産党および自称リベラル・マスメディア、さらには自称リベラル評論家・ジャーナリスト(ここで自称リベラルと言うのは、本物のリベラルではないからである)は、小泉純一郎政権時代(01年4月~06年9月)の新自由主義による労働者派遣の規制緩和が非正規社員を増加させたと主張してやまない。
しかし、非正規社員比率が20%台に上昇したのは1990年であり、それ以降も上昇し続け、とくに大きく上昇した期間は97年から2002年である。この期間は、消費者物価の上昇率が低下し、97年の消費増税の影響もあって、98年半ばからデフレになった時期である。
他方、小泉政権時代の労働の規制緩和は、非正規社員比率が急上昇した後の2004年3月施行の改正「労働者派遣法」(派遣期間を1年から最長3年に延長。それまで派遣が禁止されていた製造業務の派遣が可能になった)である。以降、04年から08年まで派遣労働者の非正規社員に占める割合は年当たり0.04~1.45ポイントのペースで上昇したが、パート・アルバイトの非正規社員に占める割合は、派遣労働者比率の上昇を相殺するように低下している。つまり、改正労働者派遣法のおかげで、それまで契約期間が1年未満で雇用の安定しなかったパート・アルバイトが、より長く働ける派遣労働者として働けるようになったのである。
その後、2008年9月にリーマン・ショックで派遣切りが起きると、08年は140万人だった派遣労働者は09年から減少し始め、12年には91万人に落ち込んだ。失業率も07年の3.9%から10年には5.1%まで上昇した。
この期間、失業率が上昇するとともに派遣労働者が大幅に減少したのは、白川方明総裁率いる日本銀行が、アメリカの中央銀行FRB(連邦準備制度理事会)やイギリスの中央銀行BOE(イングランド銀行)のような、大々的な量的緩和を実施せず、むしろデフレを容認する、さらにいえばデフレを促進する金融政策を運営したからである。
そこからアベノミクスが2013年から始まると、失業率は12年の4.3%から低下し始め、19年には2.4%とほぼ完全雇用に近い状態になった(20年は新型コロナショックのため2.8%)。12年に91万人まで減少していた派遣労働者も、アベノミクス以降に100万人台へと回復し、その後も上昇し続けた。これは、アベノミクスが始まるまで派遣労働者にもなれなかった失業者が派遣労働者になれるようになったことを意味する。逆に言えば、デフレが深刻になると、正規社員どころか派遣労働者にもなれず、失業してしまうということである。
原因を取り除くために、まずはデフレ脱却政策を
正規社員の減少と非正規社員の増加は病気の症状であり、病気の原因はデフレである。病気の原因を正確に診断できずに、病気を治そうとしても、治らないどころか悪化する。例えば、デフレを放置したまま、労働者派遣法の規制緩和を実施しなければ、製造業は生産拠点を海外に移してしまい、失業者が増加するだけである。
実際に、2012年の正規社員は02年よりも144万人減少したが、20年の正規社員はアベノミクスが始まる前年の12年よりも、184万人増えている。これは、アベノミクスの期間、日銀の2%物価安定目標は達成できなかったが、物価が持続的に下落するデフレではなくなったからである。つまり、病気の原因を取り除く政策を実施したからである。
以上のことは、自称リベラルが本物のリベラル(完全雇用を目指し、格差を縮小することを重視する人)になるためには、労働派遣の規制緩和に反対するのではなく、デフレからの早期脱却政策を提案すべきであることを示している。
FRBとBOEはリーマン・ショック直後から、ユーロ圏の欧州中央銀行(ECB)は2015年から、量的緩和によりデフレに陥ることを回避し、景気回復を達成した。これから分かるように、日本では「量的・質的金融緩和政策」に反対ないし、その効果を疑問視する政治家、マクロ経済学者、マスメディアが多数派であるが、「量的緩和」は1930年代の大不況期やリーマン・ショックのような金融危機に際しては、世界標準の当たり前の政策なのである。日本では、「量的・質的金融緩和政策」に賛成する人はリフレ派と呼ばれ、珍しい存在であるかのように扱われているが、世界的に見れば当たり前の政策であるから、「リフレ派」などという呼称は日本以外の国では存在しない。
ほぼ7人に1人が相対的貧困者
ジニ係数では把握できない第二の格差問題は、正規社員と非正規社員の二極化が固定化していることである。これは、卒業時の景気が悪化していた学生は、正規社員になれない可能性が高いだけでなく、生涯において正規社員になれるチャンスがほとんどないことを意味する。つまり、非正規社員から正規社員になれる人も極めて少なくなる。そのため、格差は固定化され、貧困家庭の子供や孫は相続財産もなく、十分な教育も受けられないため、「貧困の罠」から抜け出せない。
このジニ係数では捉えきれない貧困の尺度として相対的貧困がある。これは、所得を少ない順に並べたときの真ん中の所得(これを中央値の所得という)の半分以下の所得しかない人または世帯を指す。相対的貧困である人は、食べるものもないといった命に関わるほどの貧困(絶対的貧困)ではないが、本人が属する社会の大多数の人と同じような生活を送れない。例えば、みんなでランチに行こうとか、映画を見に行こうとかいうときに、参加することができない。これはかなり屈辱的であり、「ひとりぼっち」の生活である。
日本では、いま述べた貧困者あるいは貧困家庭は少ないと思われてきたが、2006年のOECD(経済協力開発機構)の『対日審査報告書』で「それまでOECDの平均以下であったジニ係数は1980年代半ば以降上昇し、OECDの平均を若干上回るまでになった。相対的貧困の比率についても、日本はOECDの中で最も高い国(アメリカに次いで2位)のひとつとなっている」と指摘され、日本に「貧困ショック」が走った。
日本の相対的貧困率は2012年には16.1%まで上昇したが、18年には15.4%まで低下している(厚生労働省『被保護者調査』による)。しかし、それでも、ほぼ7人に1人が相対的貧困者である。
相対的貧困者は高齢者に多いが、高齢者の中には多くの金融資産を保有している人が少なくないため、所得で見て相対的貧困であっても、金融資産を含めると必ずしも貧困といえない人も少なくないと思われる。それに対して、稼ぎ手が1人で子供(0~17歳)のいる世帯(ほとんどが母子家庭であろう)のうち48%(2018年)は相対的貧困であることおよび、18~25歳までをはじめとする現役世代の相対的貧困率が上昇傾向にあることが問題である。
信じられないくらい「貧しい国」になった日本
第三に、年金の世代間格差が拡大している。この格差は相続財産を通じて、将来に世代内格差を拡大させる要因になる。この年金の世代間格差の拡大の根本原因も、デフレによる成長の鈍化と加速した少子化である。
第四に、日本の所得再分配政策は高齢者に対する社会保障に偏っており、税による所得再分配効果が極めて弱い。そのため、若い世代を中心に現役世代間の所得再分配後の格差改善効果が小さい。
世界の先進資本主義国にはさまざまな形態の資本主義があるが、所得再分配後の格差を比較すると、一般的にスカンジナビア諸国やオランダ、ドイツ、フランスなどの北欧諸国の格差が小さく、アメリカとイギリスに代表されるアングロ・サクソン国の格差が大きい。そうした中、日本の格差はどちらかというとアングロ・サクソン国に近い。
しかし、右に述べたような特徴を持つ1990年代以降の日本の格差の原因は、北欧ともアングロ・サクソン国とも異なり、デフレを伴った長期経済停滞にある。日本の1人当たり実質GDP成長率は、80年代(81年から1人当たりGDPがピークに達した92年までの期間をとる)は年率平均3.6%でG7中最大であった。ところが、93年から19年は年率0.8%と約5分の1に低下し、G7中でイタリアに次ぐ低成長の国に転落してしまった。
この1990年代以降の1人当たり成長率の低下がどれほどのものであるかを知るために、1人当たりGDPが2倍になる期間を比べてみよう。80年代のペースで成長すると、日本の1人当たりGDPは20年で倍になる。つまり、子供が生まれて成人する頃には、1人当たりGDPは生まれたときの倍になっている。ところが、90年代以降の成長ペースでは、1人当たりGDPが2倍になるためには93年、つまりほぼ1世紀かかる。ちなみに、アメリカとドイツが90年代のペースで成長すると、それぞれ44年と59年で1人当たりGDPは倍になる。アメリカは半世紀も経たないうちに、ドイツは半世紀と9年で1人当たりGDPは倍になるわけである。以上から分かるように、1990年代以降のほぼ30年弱の間に、日本はかなり貧しくなってしまった。日本は信じられないくらい「貧しい国」になってしまったのである。
この影響は新型コロナウイルス感染症問題への対応にも現れているであろう。
新型コロナウイルス感染症に対する基本的な政策は「休業補償付き休業強制」であり、解決の切り札は「ワクチン接種」である。しかし、日本は今回の感染問題に対して、休業補償をしっかりした上で、休業を強制して感染を押さえ込むべきであるのに、何事も「お願い」ベースで実施してきた。ワクチン接種もイスラエルで59.2%、チリで40.9%、アメリカで39.4%、アラブ首長国連邦で38.8%、イギリスで34.8%、メキシコで9.24%の人が接種を終えているのに対して、日本は2.36%にすぎない(2021年6月上旬時点)。このワクチン接種率の余りの低さと予約のままならない現状には、多くの日本人が「日本がこれほど落ちぶれた、情けない国になったとは知らなかった」と嘆いておられるであろう。
1人当たりGDPが大きければ、ワクチン開発研究費に公的資金を十分に投入でき、いま頃は国産ワクチン接種で前述の国並みの接種率を達成できていたであろう。また、所得再分配のため、より多くの対策を実施する気があれば、いろいろなことが可能になったはずである。
貧しい国がやれることには限りがある。「経済成長などもういらない。重要なのは心の持ち方だ」などと「のんきな」ことをいっている間に、新型コロナウイルス感染症問題の解決では、チリやブラジル、メキシコなどの新興国・発展途上国からさえも大きく後れをとり、その下で「格差」も拡大し続けているのである。
「日本型格差」を縮小するには
繰り返しになるが、日本の格差問題は、ジニ係数だけ見ていては捉えきれない問題であり、どの格差問題も根本原因はデフレによる長期経済停滞である。したがって、格差を縮小し、相対的貧困者を減らすためには、デフレから完全脱却することが不可欠である。この意味で、日本の格差は他の先進国と異なる「日本型格差」と名付けるべき「格差」である。戦後、デフレを経験した国は日本しかないこと、そして、デフレが長期経済停滞をもたらすことを読者は本書を読まれてしっかり認識していただき、選挙に臨んでほしいと願うものである。
さらに、格差の是正にはデフレ脱却に加えて次のような政策も必要である。そこで、ここでは最後に本書で提案する主な政策を要約しておこう。
① 格差の縮小は高所得者・高資産家から低所得者・低資産家への分配を伴うが、それだけでは将来の医療や年金制度などを「国民が安心できる」水準に維持することはできない。この水準を維持するためには、1人当たりの生産性、つまりは1人当たりGDPを引き上げる政策が必要である。その政策は公正な競争政策を導入し、女性の労働参加率を引き上げ、さらに次の②から⑧を実施することである。
② 日本の所得再分配政策は社会保障による高齢者への再分配に偏っており、税による所得再分配が弱い。これを正すために資本所得課税に累進制を導入する。
③ 雇用契約の自由化により、正規社員と非正規社員の区別をなくし、労働市場の流動化を進める。
④ 失業や転職などが不利にならないように、職業訓練制度や就業支援制度を取り入れた積極的労働市場政策に転換する。日本でも、2014年頃から積極的労働市場政策への転換が始まった。今後はこの政策を進化させることが必要である。
⑤ 所得再分配政策を集団的所得再分配(中小企業や農業などの特定の集団を保護することによって所得を再分配すること)から個人単位の所得再分配へ転換する。
⑥ ⑤から派生する問題であるが、公的補助は供給者ではなく、消費者を対象にすべきである。教育や保育などの分野での利用券(バウチャー)制度の導入がその例である。
⑦ 切れ目のないセーフティネットを整備するために、④の積極的労働市場政策を推進するとともに、負の所得税方式の給付付き累進課税制度を導入する。切れ目のないセーフティネットが整備されれば、生活保護の対象者は不稼働者(健康上の理由等により働く能力を欠く人)だけになる。
⑧ 年金純債務(すでに年金保険料を支払った年金支給開始以降の加入者の生存中に、政府が支給しなければいけない年金額から年金積立金を差し引いた政府の純債務)を、新たに創設する「年金清算事業団」に移し、時限的に新型相続税を設けて、それを財源に長期にわたって返済する。今後、年金を受給する世代の年金制度は「修正賦課(ふ か)方式」から「積立方式」に転換する。
デフレ脱却に以上のような改革が伴えば、日本の格差は縮小し、より住みやすい社会になると期待できるであろう。
※以上、光文社新書『「日本型格差社会」からの脱却』よりはじめにを抜粋し、再編集して掲載いたしました。
『「日本型格差社会」からの脱却』目次
はじめに
第1章 デフレ下で進む少子高齢化と格差の拡大
1・1 長期デフレによる日本の経済悪化
1・2 綻び始める社会保障制度と賃金格差の拡大
1・3 規制緩和とグローバリズムは雇用を悪化させたか
第2章 「日本型格差」の特徴
2・1 日本の不均衡な所得の再分配
2・2 深刻化する日本の貧困問題
2・3 年金制度における世代間格差と世代内格差
第3章 成長を取り戻すデフレ脱却と公正な競争政策
3・1 90年代以降、日本の生産性はなぜ低下したのか
3・2 労働生産性を引き上げるための正攻法
3・3 産業・企業保護政策から公正な競争政策へ
第4章 雇用の自由化と女性が働きやすい環境の整備
4・1 労働の効率的配分を可能にする制度改革
4・2 就業率を高めるための戦略
第5章 これからの所得再分配政策
5・1 新しい所得再分配制度で貧困を減らす
5・2 年金制度は世代で閉じる積立方式へ
おわりに
主な参考文献
著者プロフィール
岩田規久男(いわたきくお)
1942年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院単位取得満期退学。学習院大学経済学部教授などを経て、2013年4月から5年間、日銀副総裁を務める。上智大学名誉教授・学習院大学名誉教授。専門は、金融論・都市経済学。著書に『デフレの経済学』(東洋経済新報社)、『日本銀行は信用できるか』(講談社現代新書)、『経済学的思考のすすめ』(筑摩選書)、『日銀日記』(筑摩書房)、『なぜデフレを放置してはいけないか』(PHP新書)など多数。