研究の裏にある、涙、その他いろいろ……宇宙物理学者「世紀の発見」の物語
千葉大学・ハドロン宇宙国際研究センター長の吉田滋さんは、「超高エネルギー宇宙ニュートリノの発見」で日本の物理学分野の最高峰・仁科記念賞を受賞しました(2019年度)。このたび刊行された『深宇宙ニュートリノの発見』では、発見にいたるスリリングな物語をユーモアを交えながら綴ってくださいました。吉田さんが考える「研究」、そして「研究の意義」とは?――。発刊に際して、本書執筆の動機やエピソードを寄稿してくださいました。
知られることのない研究成果の過程
宇宙を探査する僕の研究分野に限った話じゃないんですが、科学研究というのは、結果がすべてというところがあります。どのような道を行ってもいい、途中で道を変えてもいい、でも、設定したいくつかのゴールにたどり着くか否かがすべてであると。
たどり着いたゴールが研究成果として発表され、世に出てきます。その中のいくつかは新聞や雑誌などの媒体を通して、一般社会にも知られることとなります。
でもね、そのゴールにどうやってたどり着いたか、というのはまったく知られていないことが多いんです。同じ分野の研究者でさえ、研究プロジェクトが違えば結構知らないもんなんです。学会なんかで講演を聞いたり、その後で飲みになんか行ったりすれば、そこで多少漏れ聞くことはあるんだけれど、せいぜい道の途中で通り過ぎた道標の場所くらいの情報でしかありません。ましてや、研究者ではない世の中の圧倒的多くの方々にとっては無縁の話、と言い切ってもいいくらいじゃないかと思うんです。
吉田さんらが苦労の末に南極点直下の氷河に建設した素粒子観測観測施設「アイスキューブ(IceCube)」を制御する「IceCubeラボ(通称: ICL)」
それはもったいなんじゃないか
これはもったいないんじゃないかとずっと思っていました。成功した成果がどのような道を経て生み出されたのか、それ自体興味深い物語のはずです。僕自身の限られた経験からいっても、そこにいたる道は一本道じゃなくて、多くの分岐があり、間違った方向に行っちゃったことだって多いはずです。ゴールへの頂が高ければ高いほど、その道程の物語は豊かなはずです。
こうしたことが語られないからこそ、科学、あるいは僕のような宇宙物理や天文学研究と一般社会との間に距離ができてしまったのではないかと。
でも、「言うは易し、行うは難し」とはよく言ったもんで、「じゃあ貴方そんな物語書けますか」て聞かれたら「ハイ」とはなかなか言えないわけです。
まだそんな物語を書くほど、立派なゴールに到達していない、という当然の感情があります。結果がすべて、という世界で生きているのだから、途中のことなんか語るべきじゃないという、上で述べたことと矛盾した美学が顔を出しもします。そして何より、普段の研究活動やら教育やら、つまり自分の本業で忙しい。そんなことにエネルギーとれないよ、というのも事実なわけです。そんな一般向けの本を書くなんて、現役バリバリの実験研究者がすることじゃない、というエゴイスティックな考え方だって否定できません。
で、いくつかのところから、なんか書いてください、というオファーがあっても断ってきた自分がいたわけです。
うまくワナにはめられた?
物事にはタイミングというのもあるのかもなあ、というのが 2017年のことでした。2012年の高エネルギー宇宙ニュートリノの世界初検出、という大仕事を経て、ついにニュートリノ放出天体候補を同定したこの年、まだ真に目指す頂は遥か先だけれども、マイルストーンは作ったかもしれない、と感じていました。
そこに翌年、光文社の小松さんから手紙が来たんです。「書いてみませんか」って。しかもその手紙、手書きだったんです。普段ならその手のメールは一読してポイっていう運命が多いのですが、手書きだったんでね、つい真剣に読んじゃったんですよ。今にして思えば、うまくワナにかけられたわけです。もう今踏ん切りつけて書かなければ、一生書くことはないだろう、という気持ちになってしまったんですね。
僕は手書きの手紙でココロを動かされました(※写真はイメージです)
で、「う〜~ん」とウナりなら書いたのがこの本です。宇宙からの値千金の信号を発見し、その放射元を辿った成果とそこに至るよもやま話です。30年くらいの時間軸ですね。失敗のほうが圧倒的に多いです。
読んでいただければ、少なくとも天才的な仕事じゃないことが分かります。失望があり、興奮があります。エゴがあり、浪花節があります。熾烈な話も多いですが笑いもあります。
「その研究は、いったい何の役に立つんですか?」
この本を読んで、宇宙を探査するという、基礎科学の中の基礎科学とも言える研究それ自体への関心をもっていただければ嬉しいです。僕が一般の方々を相手に講演するときに聞かれる質問ナンバーワンである、「その研究は何の役に立つんでしょうか?」という問いに対する僕の「いやあ、特に役に立たないでしょうねえ」という答えでも満足していただけるかどうかが、この本にかかっているかもしれません(笑)。
一方で、研究者たる僕の側からこの本を読み返すと、道は道であってそれ自体はゴールではない、という思いを新たにします。研究者を長年やっていると、いつのまにか、自分の道を守ることが第一目標になってしまったりします。もうその道は寸どまりで、引き返さないとゴールに行けないのに、なまじここまで来てしまったから、もう立ち止まってこの道を舗装道路にすることに専念しよう、なんてことになりがちです。
一度始まったら止まらないことが多い日本社会では、とくにこうした罠に陥りがちです。それはもはや研究ではない。フロンティア精神を失ったら終わりなんだ、ということを自分に言い聞かせています。
著者プロフィール
吉田滋(よしだしげる)
1966年大阪市生まれ。東京・横浜・札幌育ち。宇宙物理学者。千葉大学大学院理学研究院教授。千葉大学ハドロン宇宙国際研究センター長。専門は高エネルギーニュートリノ天文学、宇宙線物理学。ユタ大学高エネルギー天体物理学研究所研究員、東京大学宇宙線研究所助手を経て、現職。従事した観測プロジェクトの場所は、山梨県北巨摩郡から始まり、ユタ州の砂漠ときて、ついには南極点と、どんどん人里から離れていくが自身は都会型の人間だと思っている。2014年、第5回戸塚洋二賞、2019年、「超高エネルギー宇宙ニュートリノの発見」で第65回仁科記念賞を受賞。
『深宇宙ニュートリノの発見』:目次
まえがき
第1章 ニュートリノ40億年の旅
第2章 宇宙はとてつもないエンジンを持っている
第3章 苦難の始まり――IceCube実験前夜
第4章 IceCube実験との出会い
第5章 超高エネルギー宇宙ニュートリノを捕まえろ
第6章 超高エネルギー放射起源は?
第7章 放射天体を同定せよ
第8章 未来の展望
あとがき ニュートリノの神様