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新刊『在宅緩和ケア医が出会った「最期は自宅で」30の逝き方』――「はじめに」を特別公開|髙橋浩一

「医療と関わりたくない」「好きなものを食べて死にたい」「自分の布団で死にたい」など、さまざまな希望を、叶えたり叶えられなかったりしながら亡くなっていった高齢の方たちと、その家族。
広島で、在宅療養支援診療所として24時間往診・訪問診療に対応し、革新的な取り組みをおこなってきた医師が、「最期は家で死にたい」と在宅緩和ケアを依頼してきた患者との「出会い」から「看取り」までの30のストーリーをまとめた新刊が発売されました。その「はじめに」を公開します。



はじめに――「ヨロヨロ、ドタリ」のそのあとで



私は広島で、2008年9月から、在宅緩和ケアに取り組んでいます。

日々の診療のかたわら、ブログで15年近くにわたって、「心に残る出会い」という記事を書き続けてきました。出会って、最期を看取ってきた、たくさんの方々とのお話です。

書き始めるきっかけとなったのは、ある印象的な出来事があったからでした。

       *       *

奥さんと2人暮らしの、ある80代半ばの男性のケースでした。

数年前に大腸がんの手術を受け、人工肛門となっていましたが、ストーマ(人工肛門)処置も自分でできるほど、しっかりした方でした。

しだいにパーキンソン病が進行し、寝たきりの生活となってきましたが、ときどきは介助で病院に通院していました。ふだんはヘルパーさんがたまに入る程度で、訪問看護や訪問診療はなしで、自宅でおだやかに生活されていました。



ある日、ケアマネジャーさんから電話がありました。

数日前から熱が続き、下がらない。食事もとれなくなってきたので往診してほしい、と。緊急往診しました。私たちの、はじめての出会いでした。

診察したところ、肺炎でした。しかも酸素飽和度がかなり下がっており、重症の肺炎です。

「ただちに入院したほうがよいです。肺炎は、命にかかわります」

とお伝えしました。すると、ご本人が、

「私はもう死ぬ覚悟はできている。病院には行きたくない」

とおっしゃったのです。

それを聞いた奥さん、とたんに涙があふれ始めました。体調が悪くなったらどうするか、死ぬときはどうしたいか、といった話は、これまで夫婦でまったく交わしてこなかった話だったのです。

在宅で診ること、それ自体は可能です。毎日の点滴治療を、自宅で受けることも可能です。その治療で、回復する場合もありますし、残念ながら助からない場合もあります。最期を自宅で看取ることも、できます。

しかし、奥さんにとっては寝耳に水の話で、そんな覚悟はまったくできていないようでした。「急にそんなことを言われても……」

涙は止まりません。

それからしばらくの時間、ご夫婦と私たち、それにヘルパーさん、みんなで相談しました。結局、入院することに本人も同意され、休診日だったかかりつけ病院へ連絡し、救急車で緊急入院となりました。

治療して、肺炎がよくなったら、また家に帰ってくればいいじゃない、と。

しかし数日後、連休明けに、病院で亡くなられました。



あのまま、自宅で診療させていただいていても、結果は同じだったのかもしれません。

でも、本人とご家族にとって、どちらがよかったのか……。ぐるぐると考えはめぐり続けました。

本人が「覚悟を決める」のは、わりと簡単だと思います。1人でじっくり考える時間を持つことは、可能でしょうから。

しかし、ご家族は、そうではありません。ご家族と、ぜひお話しなさってほしいと思いました。

ふだんから、悪くなったらどうしたい、死ぬ時はどうしたい、というお話をしていてほしい。「急にそんなことを言われても……」とならないように、ふだんから、何度でも繰り返し、そういう話をしていてほしいと思いました。

そうすれば、いざという時に、ふだんからのご希望のとおりに対応させていただくことができるからです。

       *       *

このことがあって以来、さまざまな「出会い」をご紹介するようになりました。

みなさんの考えるきっかけ、話をするきっかけにしていただけたらと思ってのことです。

お別れの始まりでもあるのに、「出会い」とするのはなぜですか? と聞かれました。

こう、ご説明しました。

いわゆる病院、たとえば大学病院などで、診察を受けるとなったら、「先生が、偉い人。私、患者さん。なんでも言うこと聞きます」という感じに、どうしてもなりがちだと思います。

ですが、在宅の医療ですと、違います。患者さんが真ん中にいて、その方がいろいろと、「あれがしたい」「こうしたい」と言うのを、周りの人たちが聞いて実現してあげる、という構図になります。

「最期まで、家にいたい。だから家で診てくれる先生に来てほしい」という希望があるところに、私たちが出かけていきます。

そこに至るまでには、ケアマネジャーさんが入っていたり、訪問看護師さんが入っていたりして、私たちにつないでくれることもありますし、病院の方から、「この方、家に帰りたい、家におりたいと言っておられますので、行ってあげてください」と連絡が来ることもあります。

そして最終的には、「その方を中心にしたチームが完成した瞬間」から、その方の在宅の療養が始まるのです。

私が患者さんと出会う時というのは、このチームの華々しいスタートの瞬間なのです。「自分らしく自宅で生きる人」を支えるための、まさに出会いの瞬間なのです。



       *       *


その方たちが、どうやって私たちにつながり、どのように希望をかなえて、(もしくはかなえられずに)亡くなっていったか。この本では、その30のケースを、ご紹介いたします。


どのようなルートで私(在宅緩和ケア医)とつながってくださったのか、のパターンごとに、7つの章に分けています。

社会学者の春日キスヨさんは、「人生100年時代といわれる今日、多くの人が『ピンピンコロリ』を望んでいるが、加齢による脆さと弱さを抱えて、『ピンピン・ヨロヨロ・ドタリ』という形でしかあの世に逝けない時代になっている」とおっしゃっています。

「ヨロヨロ、ドタリ」の、そのあとにも、まだまだ、続く日々がある。

みなさんが、「最期までどのように生きたいか」「それをどのようにかなえるか」を考え、ご家族と話をするきっかけにしていただけたら幸いです。


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著者プロフィール


髙橋浩一(たかはしこういち)
1958年広島県生まれ。医療法人和平会折口医院(広島市中区)院長。東京大学教養学部理科Ⅰ類中退。滋賀医科大学卒業。広島大学大学院内科学第二修了(医学博士)。JA尾道総合病院、JA広島総合病院などで勤務。緩和ケアチームリーダーを務める。聖路加国際病院で緩和ケア研修。がん末期に「自宅に帰りたい」と希望する方に対応(往診・訪問診療)できる開業医が少なかったため、在宅緩和ケアを担う目的で2008年に継承開業。2012年厚生労働省在宅医療連携拠点事業に選出。令和5年度厚生労働省「在宅医療の災害時における医療提供体制強化支援事業 連携型BCP・地域BCP策定に関するモデル地域事業」に選出。日本内科学会総合内科専門医。日本呼吸器学会専門医、指導医。日本尊厳死協会中国地方支部長。




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