【第12回】学校の問題を法律で解決できるのか?
■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、哲学者・高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!
文科省が推進するスクールロイヤー設置
日本の学校において、どれだけ解決困難な問題が生じているのか、本書の目次を追っていくとよくわかる。いじめ、虐待、不登校、校則そして懲戒処分、保護者対応、体罰、部活動、学校事故、教師の過重労働……。このような小・中・高等学校の教育現場における諸問題を、法的に解決できるのだろうか?
本書の著者・神内聡氏は、1978年生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学大学院教育学研究科・筑波大学大学院ビジネス科学研究科修了。現在は、兵庫教育大学准教授、弁護士。著書に『スクールロイヤー』(加除出版)がある。
神内氏は、弁護士として学校の「スクールロイヤー」を担当する一方、中高一貫校の社会科教師としての勤務経験もある。一般に、弁護士は学校現場を知らず、教師は法律に疎い。両方を知る著者だからこそ、本書の価値がある。
さて、読者が高校教師だとしよう。担任のクラスの男子生徒Xが同じクラスの女子生徒Yに好意を抱き、「交際してほしい」と告白した。しかし、YはXに興味がないので、即座に断った。これに傷ついたXは、不登校になってしまった。読者だったら、この問題に、どのように対処されるだろうか?
よくある思春期の失恋であり、プライバシーにも関わる案件なので、時間が解決するまで放っておくだろうか? それでも不登校が長く続くようであれば、Xの家庭に連絡して、家族と共にXを励ますだろうか? あるいは、Yを呼び出して、Xに少しは優しくしてやってほしいとでも諭すだろうか?
2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」によれば、「いじめ」の定義は、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校)に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」となっている。
要するに、被害者が加害者の「心理的又は物理的な影響を与える行為」によって「心身の苦痛を感じている」場合は、法的に「いじめ」に相当する。したがって、上記の事例では、法律上、Xは「いじめ」の被害者であり、Yは加害者とみなされる。担任の教師は、XとYから事情を聴取し、Xには「支援」、Yには「指導」を行わなければならない。さらに、この問題を学校の「いじめ防止対策委員会」に報告して、情報を共有しなければならない。
本書で最も驚かされたのは、その種の法的対応が「常識的にあり得ない」と神内氏が喝破している点である。文部科学省は、「いじめ」対策のためスクールロイヤー設置を推進しているが、肝心の法律が現実から遊離している以上、弁護士が違法か適法かを判断しても、現場では「役に立たない」のである。
そもそも文科省は、「プログラミング教育・外国語教育・道徳教育・理数教育・我が国の伝統や文化に関する教育・主催者教育・消費者教育・特別支援教育」の8つを重点化し、この種の「○○教育」が世間に氾濫している。生徒も教師も疲れ果てている「教育」現場に「法律」を持ち込んで、何ができるのか?
本書のハイライト
百種類以上あるともいわれる○○教育。日本のような大人数学級でのアクティブ・ラーニング。思い付きのように進められる大学入試改革。何のエビデンスもない教育政策が繰り返され、今の学校は子どもも教師も完全に疲弊し、いいようのない閉塞感が漂っている。……新型コロナウイルスの激動の中でわかったことは、「日本の教育政策には子どもたちの目線で考えるスタンスが決定的に欠けている」ということだ。こうしたスタンスである限り、いくら法律を制定したところで子どもたちを救えるはずがない。(pp. 268-269)
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著者プロフィール
高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『ゲーデルの哲学』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。