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【第8回】立ちはだかる氷と絶壁|アマ・ダブラム(中編)

イエロータワー

朝、太陽が昇るのと同時に目が覚めた。二時間以上続けて眠ることは出来なかったが、体調は悪くない。一度、標高の低いベースキャンプまで戻り、休養日を設けて体を回復させた。二日後、再度、ハイキャンプ、キャンプ1、そして今度はキャンプ2まで進んでいく。キャンプ1から上は切り立った稜線を歩き、いくつもの岩壁をロッククライミングしながら登っていかなくてはならない。

キャンプ2の直下までやってくると、イエロータワーと呼ばれる壁が現れる。イエロータワーはアマ・ダブラム登山においていくつかある難所のひとつで、これまでよりさらに厳しい絶壁を標高五八八〇メートルという高さでロッククライミングしなくてはならない。僕の前を行く別チームのシェルパでさえ何度も止まりながら、ゆっくりと登っていた。

イエロータワーを見上げ、比較的登りやすそうなルートを確認し、壁に取り付いた。数センチもないくぼみに足の指先を引っ掛け、右手の登高器を頼りに登っていく。激しい運動ですぐ腕に乳酸が溜まり、息が苦しくなる。足を滑らせて何度も落ちそうにもなった。それでも少しずつ高度を稼ぎ、なんとかイエロータワーの上へ。すると、登り切ったと同時に、立っていられないほどの疲労感に襲われた。いくら深く呼吸を繰り返しても上手く酸素を取り込めない。しばらくしてようやく呼吸ができるようになると、ふらふらとキャンプ2までなんとか歩いて、倒れ込むようにテントに入った。

この日、標高五六〇〇メートルからキャンプ2まで四〇〇メートル近く激しいクライミングを繰り返してきた。重たい頭痛や吐き気など、あきらかに高度障害の初期症状が現れている。夕食に食べたインスタントヌードルやさっき飲んだ水も全部吐いてしまった。少しでも寝ようとしたが、眠りに落ちそうになると、息が苦しくて眠れない。それはまるで溺れるような怖さだった。意識が遠のいていくと、ゆっくり深い海に沈んでいって、呼吸をしようともがいて目が覚める。このまま寝ていたら、もうずっと目覚めないのではないかという錯覚に何度も襲われた。結局、ほとんど眠ることが出来ずに朝を迎え、ボロボロの体を引きずりながらベースキャンプへと戻っていった。

今まで頭が重いといった程度の高度障害は経験したことはあったが、ここまで重度のものは初めてだった。ここからさらに一〇〇〇メートルも登っていく、しかも、さらに厳しい垂直の氷の壁を……。本当に自分にそんな事が出来るのか、不安ばかりが頭の中をぐるぐると回り、ベースキャンプに降りても気持ちが上がってこない。それと同調するように体調も悪くなり、食べたものや飲んだものを吐き続けた。こんな状況でも歩みを止めることは決してしない。逃げるなんてことは自分自身が許さない。この風景をたくさんに人に届けると決めたから。気持ちさえ戻れば、体もついてくるはずだ。アタックに向けてベースキャンプのテントにこもりながら、必死に心を鼓舞し続けた。

安全祈願の儀式

体はまだ万全ではなかったが、天気は待ってくれない。ひどい高山病にかかりながらベースキャンプまで戻った三日後、好天が二、三日続くとの情報が入ってきた。もう少し長ければ嬉しいのだが、このタイミングを逃す理由などなかった。

ヒマラヤの山を登る前には、誰もがプジャという儀式を受けなくてはならない。ベースキャンプには簡易的な祭壇が作られ、コーラやお菓子が供えられる。しばらくすると、僧侶が近くの村からベースキャンプまでやって来て、登山の安全祈願のためにお経を読んでくれた。登山用品を祭壇の前に並べ、僕もアマ・ダブラムに向かって静かに祈りを捧げ、「いい登山といい写真を。」と心の中でそう誓う。鳥たちが嬉しそうに歌い、暖かい日差しが照らすベースキャンプで、清く、澄み渡ったプジャの雰囲気に、高山病に悩まされた心が少しだけ軽くなった気がした。

僧侶がお経を唱え終わると、ベースキャンプにいるシェルパ全員と一緒に小麦粉を空中に投げて、儀式は終了。いよいよその時がやってきた。ベースキャンプをシェルパとふたりで出発する。見慣れた取り付きの丘を登り、ハイキャンプまで長く緩やかな稜線を歩いていく。それにしてもひどく疲れるのが早い。キャンプ2より上で使うサミットブーツをはじめ、これまでより荷物が多いとはいえ、ハイキャンプまでの途中で息切れなどしなかったのに、道のりの半分ほどで足が止まってしまった。

やはり体調は万全ではない。それでも気持ちで体を支え、ゆるい傾斜を黙々と登り、ガレ場を超え、なんとかキャンプ1まで登ることが出来た。前に来た時より1時間以上も時間がかかったが、そんなことを気にしている余裕などなかった。過ぎたことよりも、今、自分にできることを最大限やる。今は少しでも多くの水を飲み、体を休めることが大切だ。明日は前回苦しんだ岩壁、イエロータワーが待ち構えている。

水分を取りすぎたと思うくらい飲み続けたのが功を奏したのか、朝起きると思ったより体調は良かった。アマ・ダブラムの向こうから太陽が昇る中、キャンプ2に向けて出発した。しっかりとした足取りで岩場を登っていく。稜線に出ると、雲の下にベースキャンプがちらっと見えた。随分と上まで来たな、と思ったが目指す頂はまだ遥か上空にそびえている。

風は弱く、快晴。山頂まではっきりと見えている。いまだにあの頂上直下の氷壁をどう登ったらいいのかは分からなかったが、心は前を向いていた。もうここまできたらやるしかないというメンタルなのか、やけっぱちなのか、自分でも妙なほどハイになっており、苦しいクライミングが続いていたが、不思議とその苦しさが気持ち良く感じた。地上の半分しか空気がないなか、喘ぎながら体全身を使って目の前の壁を超えていく。自分の限界に挑戦しているような、生きている! と強く感じながら目一杯、登山を楽しんでいた。

気がつくとあんなに苦労したイエロータワーも順調に乗り越えてキャンプ2に到着した。心配していた高度障害もそれほどひどくない。天気も良い。これなら行ける。夕方、黄金に染まる山頂を見ながら、明日の今頃は登頂してキャンプ2まで戻って来るぞ、とひとり心に誓った。

サミットプッシュへ

キャンプ2からはキャンプ3を飛ばして一気に頂を目指す。体力を考えるとキャンプ3でも一泊したほうが良いのだが、キャンプ3は頂上から続く氷壁の真下にあるため、雪崩が起きたら逃げることが出来ない。その危険を避けるためには一秒でもそこにいる時間を短くするしか方法はなかった。

深夜1時。十分な睡眠を取ることは出来なかったが、シュラフを出た。熱いスープとコーヒーを2杯、チョコレートバーを1本食べ、ダウンスーツを着る。時間をかけて三重靴を履き、日焼け止めをたっぷり塗ってから、バックパックの中をチェックした。カメラ、レンズ、予備のサングラスとヘッドライト、グローブ、行動食のチョコレートバーと乾燥したベリーを少々。テルモスには熱いお湯を入れている。これだけの準備に1時間近くもかかってしまった。

外に出て、ハーネスを履き、登高器やATC(ロープを制御して安全に下降や確保を行うための器具)、ビレイロープをいつもの位置にセットする。チリンと顔を見合わせて「行こう」とだけ言葉をかけた。満天の星々が輝く中、サミットプッシュがはじまる。風が少し強いのが気になったが、登れないほどではない。少し岩場を歩いてアイゼンを装着すると、岩と雪が混じった壁がすぐに始まった。先の見えない壁をヘッドライトの光を頼りに登っていく。しばらくすると岩混じりの壁が次第に氷の壁へと変わっていった。固くしまった氷にアイゼンがしっかりと効き、ゆっくりではあるが着実に上へと進んでいく。

気がつけば、次第に空が明るくなってきた。迷路のような氷の世界でクライミングをすること五時間。反り返った低い壁を越えるとキャンプ3が見えてくる。完璧とは言えないが体調はそれほど悪くないし、何より気持ちは前を向いている。ただ、時間がかかりすぎていた。徐々に強まっていた風は僕がキャンプ3に着いた頃には、立っていられないほど強くなっていた。遮るものがないアマ・ダブラムの頂上直下は強烈な暴風に襲われ、雪煙が激しく舞い、山の上部は全く見えなくなっている。

頂上まであと五〇〇メートル。時間にして四、五時間。行きたい。登ってしまいたい。行けるか? 少しここで待ってみるか? もしかしたら風は弱まるかもしれない。色々な考えがぐるぐると頭を回る。ここでいくら考えていても答えは出てこないので気象情報を得るためにベースキャンプに無線を飛ばす。すると、その返答は想像よりも残酷なものだった。

「降りてください! 今から風はもっと強くなります! 無事に降りられなくなるかもしれません!」

無線の向こうから怒鳴り声が響く。それ以上は暴風でかき消されて、まともに交信ができなかった。もう一度アタックするチャンスがあるかどうか、今はまだ分からない。僕もシェルパもまだ若く、登りたい気持ちの方が強かった。もし、ふたりだけだったら間違いなく上がっていただろう。シェルパのチリンが僕に最終のジャッジを求めてくる。心は頂に向かっていたが、無事に降りられなくなるかもしれない、この言葉で僕は決断した。

この山に挑むと決めた時から、当然ある程度の覚悟はしていた。多少の凍傷やケガでは諦めるつもりはない。でも、僕を応援してくれた多くの人たちには申し訳なくて誰にも話すことはできなかったが、密かにそう決めていた。何があっても命は守らなくてはならない。それは、僕が写真家だからだ。写真家は写真を見てもらって初めて価値を持つ。だから必ず生きる。多くの人たちの心に写真を届けたいから、僕は撤退することを選んだ。
(後編に続く)

著者プロフィール

1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。

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