日本は166位!女性政治家の視点が「社会のタブー」を破る | 野村浩子
戦後初めて女性が選挙に参加してから今年で75年。1946年、婦人参政権が認められて初の選挙で当選した女性は39人で全体の8.4%、そして、現在の衆議院女性比率は9.9%(女性議員数46人)。驚くことに、その割合はほとんど変わらない。世界の女性議員比率の平均は25.5%(2020年、列国議員同盟=IPU調べ)、日本は166位である。国会議員は、二世議員や官僚でない限り、地域リーダー、地方議員、国会議員と進んで国政に出ることが多い。ところが、地方議会でもまた女性の活躍は遅れている。都道府県議会の女性割合の全国平均は11.4%、町村議会でも11.1%にとどまり、女性議員ゼロの市区町村議会は全国で18%に及ぶ(2019年末現在)。なぜ、女性は政治の世界に一歩踏み出せないのか。地方議会で奮戦する女性議員に、なぜ政治家になったのか、その手応えはどうか、本音を語ってもらった。(後編はこちら)
政治に目覚めたきっかけ①――樋口瑞佳さんのケース
「議員になって社会を変えよう。女性が議員になれば、女性が望む政策が実現できる」
樋口瑞佳さん(42)は、娘が通う学童保育の施設で、こう謳うチラシを手にして思わず立ち止まった。女性政治家を輩出するための支援団体パリテ・アカデミーのセミナーの案内だった。
東京都内の広告会社に勤めながら子育てをするなかで、「モヤモヤ」する思いを抱えていた。出産を機に短時間勤務としたところ、時間の不規則なクリエイティブ部門から異動して補助的な職に就くことになった。年上の夫のほうが収入が多く、樋口さんが子育てと両立しやすい働き方を選んだのだ。子どもが小学校に入り、自ら望んで元の部署に戻った。張り切って「働くママたちのロールモデルになりたいです」と上司に宣言したところ、返ってきた言葉は「いやいや(子育て中の)君はお荷物だから」。樋口さんは言葉を失った。
そんな中で出会ったのが、パリテ・アカデミーだった。セミナーでは、高校生から50代まで、いろいろな世代の女性たちとジェンダーにまつわる「モヤモヤ」について話し合った。そのなかで、女性はこうあるべき、男性はこうあるべき、といったジェンダーステレオタイプが社会に深く根差していることが問題だと気づく。そしてついに、故郷・兵庫県稲美町に戻り、町議会議員を目指すことを決意する。小学校一年生の娘は「(転校するのは)絶対嫌だ」と駄々をこねたが、夫は「思い切ってやってみれば」と背中を押してくれた。
夫と別居までして、なぜ故郷で町議という道を選んだのか。
東京都の議員という選択もあったはずだ。樋口さんの父が稲美町議だったことも大きいが、それ以上に「地方は出産したら女性はパートで働くのが当たり前。そんな常識を塗り替えて、女性もフルタイムで働きながら子育てができる、自立できる環境をつくりたい」という思いが強かった。
職場に出馬を告げたところ、人事部長の女性が「それは面白い。万が一、落選したら戻ってくればいいよ。当選しても1期だけなら席を置いて休職扱いにしてもいい」と嬉しい言葉をかけてくれた。
2019年9月、人口3万人の稲美町で初当選。議員14人中、女性は4人、最年少の女性議員の誕生である。覚悟を決めて、職場には当選後に退職届を出した。
兵庫県稲美町で町議会議員になった樋口瑞佳さん
政治に目覚めたきっかけ②――櫻井雅美さんのケース
「政治家といえば、男性、シニア、富裕層――女性が抱く政治家のイメージを覆すべきだ」と、パリテ・アカデミー事務局長の西川有理子さんは言う。政治はどこか自分とは縁遠い世界と思いがちだが、「政治を自分ごと」とすることが、女性候補者を増やす鍵になる。
その大きなきっかけとなるのが、市民運動だ。愛知県武豊町で町議2期7年目を迎える櫻井雅美さん(50)は、地域で市民団体を運営するなかで、政治の世界とつながった。その出発点は、ひとつの痛ましい事件だった。
2000年、武豊町で3歳の女の子が自宅で段ボール箱に入れられたまま、餓死した。櫻井さんは衝撃を受けた。「二度と同じことを繰り返してはいけない」と、ママ友3人と子育て支援団体を立ち上げた。代表として活動するなかで、行政と同じ土俵に立てないもどかしさを感じた。「中から変えていこう」。そして、地方議員として立つことを決意する。
人口4万3000人の町で、初当選のとき議員16人中、女性は2人。小中学生を育てる議員は櫻井さんのほか誰もいなく、「子育て支援担当議員」として、矢次早に政策を打ち出した。町役場の担当課にも、臆せずもの申す。議員になり実感したのは、地方政治と市民活動は地続きだということだ。市民活動は、社会課題を的確にとらえて、いかに解決するか策を立てて実行する。地方議員としてうってつけの人材が揃っている。
ところが、櫻井さんは議員になってから、市民団体の活動対象を他の自治体に移さざるを得なくなった。団体の総事業費の50%以上が議員を務める自治体から拠出される場合「利益相反のおそれあり」とみなされるからだ。こうしたルールを見直すことで、市民団体から地方議会に人材を送りだせるのではないかとみている。
愛知県武豊町で町議2期7年目を迎える櫻井雅美さん
政治に目覚めたきっかけ③――よだかれんさんのケース
東京都の新宿区議会議員、よだかれんさん(49)の場合、政治への目覚めは早かった。1972年、沖縄が日本に返還された年に生まれたよださんは、小学校6年から高校1年まで沖縄で育った。当時はまだ戦争の爪痕が残っており、不発弾の撤去のため学校が休みになったり、制服姿の米軍兵が町を闊歩したりしていた。内地から引っ越してきたよださんは「ナイチャー」として、いじめにもあった。「国家と戦争、そして平和とは」――自然と政治に目が向くようになった。
社会人になってからは、ミュージカル俳優、ショーダンサー、行政書士などの仕事をしてきた。よださんは男性として生まれ育ち、ゲイであることを公言していたものの、36歳のとき自らの性自認は女性だと気づいて、手術を受けて戸籍上の性別を変更し、女性として生きるようになった。
政治家となる可能性を感じたのは、45歳のときのこと。小池百合子氏が開いた政治塾に参加したとき、目をかけてくれた人から衆議院選挙への出馬を打診される。よださん自身は護憲派のため「政治信条が違う」と断ったものの「あれ、政治家となる可能性があるかも」、そんな思いが芽生える。
そこで、先述のパリテ・アカデミーに参加。受講生らと議論するなかで、はじめて「女性の生きづらさ」を知り、驚いたという。組織のトップは男性、女性はサブ、そんな刷り込みの中で生きてきた女性たちの言葉から、社会に埋め込まれている男女不平等の構造を知った。
「35歳まで男性として生きてきたから気が付かなかった。足を踏む側の人間だった」
2019年、新宿区議会議員として当選。人口約34万人の自治体で、議員38人中、女性は10人、約26%を占める。よださんは男性として生きた35年間、そして女性として生きた15年弱、その間ずっとLGBTQとしての困難も経験してきた。今はあらゆる場面でのジェンダー平等の実現、LGBTQが安心して生きられる場所づくりのため、自らの体験を語りつつ問題提起をする。身長180センチ、大柄な体にパワーがみなぎる。「ブルドーザーのように道を拓いていきたい」と笑顔を見せる。
区議会で質問する、新宿区議会議員のよだかれんさん
「女性は自信がない、これが最大の壁となる」
政治家に至る道も動機も三者三様。ただ共通するのは、社会への違和感から目をそらさず、当事者意識をもって自ら変えようと動いたことだ。一歩を踏み出すにあたり、背中を押す人や団体、企業もあった。
「女性は自信がない、これが最大の壁となる」と、パリテ・アカデミーの西川さん。女性政治家の出馬には、男性以上の後押しが必要だろう。 女性政治家を育成する団体は、上智大の三浦まり教授とお茶の水女子大の申きよん教授が米国14カ所を視察して立ち上げたパリテ・アカデミー、男女雇用機会均等法産みの親である赤松良子さん率いるWINWINなどが知られている。このほか、女性政治家が後進を育てる政治塾もあるが、東京に偏りがちだ。
愛知県武豊町の町議、櫻井さんは「ママたちをまずは審議会に送りこむための養成塾を始めた」と言う。こうした草の根の取り組みが全国に広がるといいだろう。
男性中心の政治に風穴を開ける
2021年5月12日、ジャーナリスト田原総一朗氏の呼びかけで、超党派女性議員から成る「クオータ制実現に向けての勉強会」が発足した。クオータ制とは候補者など一定の割合を女性に割り当てる仕組みで、現在世界130超の国・地域で導入されている。
立ち上げの会合で田原氏は「女性の国会議員をまず3分の1にしなければ世界に対して恥ずかしい。日本は何をやっているんだ」と田原節で切り出した。自民党の野田聖子議員も「(政治は)男性の仕事と思われていたけど女性でもできる、クオータ制で見える化することが大事」と語った。
「クオータ制実現に向けての勉強会」で発言する野田聖子衆議院議員
続いて声が上がったのが、女性議員が増えることの意義だ。「かつて、『おんな子ども』の問題だったものが、今は政治的イシューになっている」(立憲民主党の辻元清美議員)、「女性議員が入ると、政策の優先順位がガラッと変わる」(社会民主党の福島みずほ議員)という。
実際に、女性議員が動いたことで、語ることすらタブーとされてきたことが議題の遡上に上がり、社会課題が明るみに出てきた。待機児童の問題が国会で議論され、DV法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)が制定された。またコロナ禍で苦境に立たされる女性が増えるなか、女性議員や市民団体が声を上げたのが「生理の貧困」だ。経済的な理由で生理用品を買えない女性、児童生徒がいるとして、3月には女性議員が国会で質問をした。地方でも女性議員が次々と立ち上がり行政を動かし、学校などで生理用品配布を行う地方公共団体は255団体に広がった(5月19日時点、内閣府調べ)。
女性議員の登場により、男性中心だった政治の世界に、新たな視点が持ち込まれているのだ。
前出の櫻井さんは、保育園に預ける親が子どもの使用済みオムツを持ち帰ることを廃止した。高齢者施設ではオムツ持ち帰りはしないのに、子育て世代の親だけ負担を強いられるのはおかしい、衛生上も問題あるとして、ごみ処理場の新設を機に提案したのだ。また、地域交流センターに授乳室がないのは問題だと開所前の視察で指摘し、急きょ自販機スペースを授乳室に設計変更してもらい、オープンに間に合わせたこともある。
兵庫県稲美町の樋口瑞佳議員も、子育て真っ最中の自身の視点を生かす。幼稚園で夏休み中も子ども預かりをしたほうがいい、ファミリーサポ―トの預かり時間を延長すべきだ、障がいのある子どもも一緒に遊べる公園遊具にしたほうがいい、妊婦への補助金を増額してはどうか……など提案は具体的で、当事者の実感がこもっている。なかには早速実現したものもある。
いずれも、子育ては妻任せだった男性の中高年議員や自治体職員では気づかなかったことばかりだ。誰もが働きやすい、生きやすい社会にするために、女性議員の視点が必要なのは言うまでもないだろう。
「3人の女性議員が告白 『私たちが直面した男性からのハラスメント』」はこちら
著者プロフィール
野村浩子(のむら ひろこ)
ジャーナリスト。1962年生まれ。84年お茶の水女子大学文教育学部卒業。日経ホーム出版社(現・日経BP)発行の「日経WOMAN」編集長、日本経済新聞社・編集委員などを務める。日経WOMAN時代には、その年に最も活躍した女性を表彰するウーマン・オブ・ザ・イヤーを立ち上げた。2014年4月~20年3月、淑徳大学教授。19年9月より東京都公立大学法人監事、20年4月より東京家政学院大学特別招聘教授。著書に、『女性リーダーが生まれるとき』(光文社新書)、『女性に伝えたい 未来が変わる働き方』(KADOKAWA)、『定年が見えてきた女性たちへ』(WAVE出版)などがある。