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押井守+最上和子『身体のリアル』|馬場紀衣の読書の森 vol.1

書物の森は、つねに深いものです。林立する木々のあいだで目移りするうちに、途方に暮れてしまうことも珍しくないでしょう。新刊の若木から、自力では辿り着けない名木まで。日頃この森を渉猟している文筆家・馬場紀衣さんの先導に添いながら、「読書の森」の深遠に分け入ってみませんか。

学生時代を踊ることに費やしてしまったから、アニメを観るようになったのは大人になってから、日本に帰国してからだった。すっかり夢中になって、新作をあらかた観てしまうと、古い作品を漁るのが楽しみになり、そうして出合ってしまった。押井守監督の作品に。新作も旧作も、手に入るものはすべて観たように思う。

といえばオタクか、と思われそうだけれど、グッズとかキャラクターにはさほど興味がなくて、作品の趣旨や演出、入り組んだプロット、アニメならではのイメージの膨らみかたを味わうのが目的だった。押井作品は観賞者を深い迷宮へと誘いこむ。マニアックな問いをこの場で追求するつもりはないけれど、わたしたちはその先で謎を突きつけられ、謎の奥には、人間存在をめぐる問題が潜んでいる。たとえば、誰にとっても身近でありながら、それゆえに語りがたい「身体」の問題が。

押井: そこからどこを根拠にものを考えたらいいんだろう、というか私のほうはものを考えることとイコールだから、映画を作る、表現するということとほぼイコールだもん。だからなにを根拠に映画作ったらいいんだと思ったときに、やっぱり身体になるのかなというさ。ほかになにも思いつかなかった。ネットだろうが義体だろうがサイボーグだろうが、みんなようするに身体のことを言いたいんであってさ。

押井守監督が本書で対話の相手にと選んだのが、最上和子。霊性、アニミズム、生と死などのテーマを身体という物質に落としこんだ舞踏家であり、彼の実姉でもある。舞台を何度か拝見したことがあるが、まちがいなく日本を代表する現代舞踏家のひとりだ。その踊りは、原初の舞踊を想起させる。

両人の「身体」への鑑識眼の鋭さには何度も驚かされた。生と死、人生の変化、身体の社会性、自意識の問題といった、いっけん小難しく感じられる話が姉弟の明るいリズムに乗せられて愉快に展開されていく。内輪ネタからはじまった話題が姉弟のあいだで盛りあがっていくのも読んでいて面白い。

押井:それだけはどうしても言っておかないとまずい。いまほど身体が必要な時代はないのに、誰もそのことに気がついてないというさ。
最上: 身体に関しては西洋と日本の違いっていっぱいあるんだけど、場としての身体って結構大きなテーマがあるんで。西洋人が言う身体って人体なんですよ。解剖学的な閉じた、頭があって腕があって胴体があってという、これが彼らの。(中略)でも日本の身体観ってのはあくまでも場としての身体という考え方だから、そこに表れてきた身体の印象もまったく違うし。

ところで、本書を手にとるまで、この二人が弟姉であることをわたしは知らなかった。べつべつに出会った「推し」が弟姉だったなんて……しかし、妙に納得してしまう。仕事の内容も生きかたも異なるふたりのすれ違いが複数の視点で語られ、やがてひとつの世界が見えてくる。アニメを観ない人も、舞踏を知らない人も、読み終わるころにはきっと二人のファンになっているにちがいない。

押井守+最上和子『身体のリアル』、KADOKAWA、2017年。




紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。


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