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『ゼロ・グラビティ』から考える、宇宙空間に投げ出された時の対処法|高水裕一

宇宙物理学者である高水裕一さんの『物理学者、SF映画にハマる』が刊行となりました。一度は夢見たSF映画の可能性や作品の科学的な背景についてじっくりと考察した本書。刊行を記念して、本記事では映画『ゼロ・グラビティ』を入口にリアルな宇宙空間について解説している第6章をまるっと公開いたします(本文中にはネタバレはありますので、未視聴の方はご注意ください)。
船外ミッション遂行中、突然の事故により無重力空間へと放り出された宇宙飛行士たちが必死に生き延びようとする様子を描いた『ゼロ・グラビティ』。作中では、あるクルーが宇宙に吸い込まれるように、スペースシャトル、そして地球から遠ざかっていくシーンがありますが、もしも、いつの日かこんな状況に陥ることがあるとしたら、私たちに生還する術は残されているのでしょうか――。

国際宇宙ステーションは無重力?

まず宇宙というと、無重力というイメージがすぐに浮かぶのではないでしょうか。国際宇宙ステーション(ISS)にいる宇宙飛行士が空間を漂うようにしているのを、皆さんもテレビなどで一度は見たことがあると思います。『ゼロ・グラビティ』でも、宇宙空間を彷徨い続け、命からがら国際宇宙ステーションにたどり着いた主人公のストーン博士は、空を泳ぐかのように船内を移動していました。

しかしここで、国際宇宙ステーションが”無重力”であるかというと、実はそうとはいえません。もちろん地表とは異なる宇宙空間にあると考えてよいのですが、宇宙のなかでも極めて惑星に近い位置にあるというイメージのほうが近いのです。

国際宇宙ステーションは地上400㎞の上空にありますが、ここでの重力を計算すると、実は地表の88%程度です。つまり、重力だけで見ると、地上のわずか1割ほど軽くなるだけです。地球の半径自体が、約6400㎞もあることを考えてみてください。地球と国際宇宙ステーションの位置を縮尺にしたがって図示すると、極めて近傍にいるということが分かるかと思います。ちなみに、飛行機が移動しているのが、上空10㎞程度のところなので、ISSはその40倍程度のところです。

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では、なぜ国際宇宙ステーションが無重力状態になるのかというと、それは遠心力が強大だからです。

遠心力とは、立ったまま乗車していたバスや電車がカーブを曲がる際に、身体がカーブの外側に引っ張られる力です。回転運動する乗り物に乗っている場合にも必ず遠心力は働き、その外側に引っ張られる力は回転する速度が速いほど強くなっていきます。

そして、国際宇宙ステーションは、重力的にはそれほど地表と変わりませんが、速度が異常に速いのです。それはおよそ秒速8㎞、地球を1日で16周もしてしまうほどの速さです。90分で地球を1周とは、移動手段として使えたらすごいですね。こうした地球のまわりを落下せず回転運動し続けるのに必要な速度は、第一宇宙速度と呼ばれています。国際宇宙ステーションと一緒に動く人は、この地球のまわりでの円運動によって地球から離れる方向に強い遠心力が働いて、無重力状態となっています。

では、どれくらい強い遠心力かというと、地表のおよそ250倍になります。

私たちが普段生活しているときも、地球の自転という回転によって、遠心力をわずかに受けています。これは私たちを地面から離すような上向きの力です。もちろん緯度によっても力の大きさは異なり、もっとも強い遠心力が働くのは赤道上です。しかし、ここでもわずか0.0034Gという、地球の重力(1G)の約290分の1の小ささです。日本での体重に比べて、赤道上での体重はこの分わずかに軽くなるとはいえますが、ほとんど無視してもいい力です。

一方、国際宇宙ステーションでは、この遠心力が0.87Gにもなります。つまり、つねに猛スピードでカーブを曲がっているバスのなかにいる状態なのです。これが外向きなので、0.88Gという内向きの重力と打ち消しあい、地球上のおよそ1万分の1から100万分の1程度というほぼ無重力に近い状態となっているのです。

「宇宙ステーション=無重力」という一言にも、ちゃんと説明すると、このような深い背景があるんですね。ふんわり浮かんでいる宇宙飛行士が和やかに話している宇宙ステーション内の映像だけ見ていると、そこが90分で地球を1周してしまうほど、とんでもないスピードの乗り物だとは、全く想像できませんよね。

もしこの遠心力を赤道上で感じたら、全ての物体は地表から振り放されて大気圏に行ってしまうでしょう。国際宇宙ステーションの速度に対して、地球の重力圏を脱出できる速度、いわゆる第二宇宙速度は秒速11㎞なので、あと秒速3㎞ほど速度をあげると、そもそも国際宇宙ステーション自体が、地球から離れていってしまいます。ちなみに地球の「1日=24時間」という長さを決めているのが自転速度ですが、これが秒速380mなので、いかに国際宇宙ステーションが速い速度で回っているか想像できると思います。

地表の0.00000001%

「無重力空間に浮かんでいる静かな国際宇宙ステーション」というイメージがだいぶ変わったのではないでしょうか。実際は、地表とさほど変わらない重力空間を、猛烈な速度で回転して無重力空間を再現しているのです。

一方で、「宇宙空間=真空」のイメージについては、正しいといえます。飛行機の飛ぶ上空10㎞の大気は、地表の気圧の約4分の1から5分の1程度になり、宇宙ステーションの漂う場所では、すでに10のマイナス10乗倍になります。地表のわずか0.00000001%しかない大気なので、真空といっても正しい場所です。もちろん船内は、酸素や窒素など地表と近い大気レベルを維持しています。宇宙で活動する上で、もっとも重要なことが、この大気問題だといえます。宇宙服なしでは、いかなる宇宙環境でも生きてはいけないと考えたほうがいいのです。

別の惑星に移住することを考えましょう。その惑星に十分な大気が幸運にもあったとします。しかし、その成分が地球と同じになる可能性はほとんどありません。窒素と酸素が4対1の比率になっているからこそ、私たちはマスクなしで生存できますが、少しでも異なればまず生きてはいけません。例えば、私たちは普段、21%濃度の酸素のなかで生活をしていますが、これがわずかに下がって18%以下まで低下すると、頭痛や吐き気などの症状を引き起こします。また、酸素濃度は高すぎてもダメで、医療現場でも50%濃度の酸素を投与するのは、48時間以内が限界だとされています。

宇宙ではコロナ禍の今のように、マスク必須と覚えておかなくてはいけませんね。

助かりたければ、持ち物を捨てよ

『ゼロ・グラビティ』を見ていてもう少し解説したいのは、宇宙での移動手段についてです。

映画の冒頭は、ストーン博士をはじめとした技術者が宇宙服を着てスペースシャトルの外に出て活動を行っています。先ほど、地球近傍の宇宙空間は重力がさほど変わらないと書きましたが、そんな宇宙空間での船外活動といっても、博士らはスペースシャトルとともに地球のまわりを高速で回転運動しているようなので、実質無重力と考えてよいでしょう。

すると、気になるのが無重力空間でどのように移動するかです。地表なら蹴って進むことのできる地面がありますが、全く触れるものがない空間ではそれが難しいのです。

『ゼロ・グラビティ』では宇宙服に内蔵された小さなジェット噴射を利用して移動していました。これは、おそらく一番理にかなった移動手段だといえます。実際、日本の小惑星探査機「はやぶさ」も詳細な機構は違えども、同じジェット噴射を利用して移動していました。初期の宇宙ミッションでもこのような移動噴射装置を実験的に使用していたようです(ただ、どんなに微調整が効いても、これは命綱なしで高層ビルの窓を清掃するのと同じですから、現在は安全上の理由で基本的に宇宙船との命綱をした状態での船外活動に限っています)。

では、映画のようにトラブルによって身一つで宇宙空間に投げ出されたときはどうすればよいでしょうか。ここからはより過酷な状況での移動の仕方を考えてみましょう。

地上で転がしたボールが自然に止まってしまうのは、地面から受ける摩擦や空気抵抗のためです。一方、宇宙では真空のために、空気抵抗のような運動を妨げる力がほとんど働きません。宇宙での運動は基本、一度回転すると永遠に回転し続けるといった状態になります。横に移動する場合もそうで、わずかな力で移動の速度を得たら、何もせずにどんどん進み続けます。

その意味では、最初の初速度さえ稼げれば移動は簡単です。ただその分、目的の位置で止まるのがかなりリスキーになります。宇宙空間で一度離れてしまうと、生死に関わるほどのアクシデントなのです。

さて、ここでは単純に無重力・真空空間で右に移動したいとしましょう。その場合、いくら水泳のように真空をかいても全く無意味です。では、どうすればいいかというと、左方向に何か持ち物を投げ捨てるのです。すると、自分自身は右方向に移動していきます。

物理の用語でいうと、これは運動量保存則という法則に従った運動です。
運動量保存則とは、例えば2つの物体が衝突する場合、その前後での速度変化(正確には速度×質量=運動量)が保存されているという法則です。つまり、AがBに与える力と、BがAから受け取る力が、作用反作用の法則にしたがっているので、お互いの速度変化がきちんと保存されているということです。衝突現象の代わりに1つの物体が分裂することを考えると、もともとの速度がゼロならば、分かれたあとの2つの物体はお互い逆方向に離れていき、移動+逆方向への移動=0ということになります。

このような法則が、地上よりも理想的に成り立っているので、宇宙空間では私たちの日常とは異なった不思議な運動を目にします。宇宙空間では、地面のように蹴って移動することができませんし、大気がないので、水かきのように手を振っても移動できません。

ですが、右移動+逆方向への移動=0を利用して、進みたい方向と逆方向に物を投げると、うまく自分自身が進みたい方向に移動できるのです。この場合、運動量という単位で考えるので、「質量×速度」が大事になります。つまり、より速く移動したいときは、捨てるものはより質量の大きいもので、投げる速度も大きくするといいということです。「宇宙空間において自力で助かりたければ、持ち物を捨てよ」ということを教訓として覚えておいてください。

宇宙でハンドスピナーを回すと

同じように回転運動に対しても、角運動量保存則があります。これに関して、実に面白い宇宙飛行士の実験が動画で公開されているので、「宇宙飛行士 ハンドスピナー」で検索してみてください。地上で何げなく回すハンドスピナーですが、宇宙空間でこれをやると、なんと回している本人も回転をし始めます。実に滑稽で面白い様子なので、動画で見ることをお勧めします。これも回転運動を全体で保存させようとする法則の賜物です。

では、なぜ地球上ではそうならないかを、ここでは逆に考えてみましょう。

もちろん地球上でもこの回転運動の法則は同様に成り立っています。しかし、地球上ではこの運動を邪魔するものがあります。1つは地球の重力、もう1つは地面との摩擦です。

質量の大きい私たちの身体はハンドスピナーに比べて、より強い重力で引っ張られています。さらに、地面と接触している限り、摩擦によっても身体が回転することを止められています。身体のほうに大きなブレーキがつねにかかっている状態なのです。仮に、うまいこと地球上で無重力のように身体を浮かせた状態でハンドスピナーを回すことができたのならば、国際宇宙ステーションの宇宙飛行士と同じように、自分の身体も回り始めます。

さらに、国際宇宙ステーションの外で同様のことを行えば、今度は大気による摩擦もないので、永久に回転し続けるという状態になります。

本来は、このような運動こそが、自然界の常識的な振る舞いであるはずです。しかし、私たちは地球上という特殊な環境での日常に慣れているために、回転し続ける本来の運動の姿のほうがかえって奇妙に感じてしまうのです。

この「宇宙空間で回転運動が止まらない」という事実は、体験したことがない実験段階での宇宙飛行士たちにとってはこの上ない恐怖となったでしょう。これがどういうことなのかは、次の『ファースト・マン』の章で詳しくご紹介したいと思います。

 *  *  *

目次

はじめに

第1部 「時間」を巡る
第1章 タイムトラベルの可能性と限界
―――『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ
第2章 過去に戻った捜査官に自由意志はあるのか
―――『デジャヴ』
第3章 「逆行」という新しいタイムトラベル
―――『TENET』
第4章 殺人マシンは5次元世界を旅してきたか
―――『ターミネーター』シリーズ
第5章 限りなく時が止まった世界を体感するには?
―――『HEROES』

第2部 「宇宙」を巡る
第6章 宇宙に投げ出されたときの最後の移動手段
―――『ゼロ・グラビティ』
第7章 ″ファミコン”で目指した月面着陸
―――『ファースト・マン』
第8章 火星で植物を栽培するもう1つの理由
―――『オデッセイ』
第9章 論文にもなったブラックホールのリアルな姿
―――『インターステラー』
第10章 星間飛行に必須のアプリケーション
―――『スター・ウォーズ』シリーズ
第11章 宇宙人と交流するならマスクを忘れずに
―――『メッセージ』
第12章 「宇宙人の視力」と「恒星」の密接な関係
―――『V』

おわりに

著者プロフィール

高水裕一(たかみずゆういち)
1980年東京生まれ。早稲田大学理工学部物理学科卒業。早稲田大学大学院博士課程修了、理学博士。東京大学大学院理学系研究科ビッグバンセンター特任研究員、京都大学基礎物理学研究所PD学振特別研究員を経て、2013年より英国ケンブリッジ大学応用数学・理論物理学科理論宇宙論センターに所属し、所長を務めるスティーヴン・ホーキング博士に師事。現在、筑波大学計算科学研究センター研究員を務める。専門は宇宙論。近年は機械学習を用いた医学物理学の研究にも取り組んでいる。著書に『知らなきゃよかった宇宙の話』(主婦の友社)、『時間は逆戻りするのか』『宇宙人と出会う前に読む本』(以上、講談社ブルーバックス)。

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