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米副大統領カマラ・ハリス氏の自伝を刊行します。

「この本は、人々に行動を促すきっかけとして、そして闘いは真実を語ることに始まり、真実を語ることに終わらなければならないという私の信念から生まれたものだ」(本書「はじめに」より)

こんにちは。光文社新書編集部の三宅です。

ジョー・バイデン米大統領のもと、副大統領に指名されたカマラ・ハリス氏初の自伝『私たちの真実 アメリカン・ジャーニー』(カマラ・ハリス著、藤田美菜子・安藤貴子訳)を刊行します(6月16日一般発売)。

女性初、黒人初、アジア系初の米副大統領という快挙を成し遂げた彼女は、これまでどのような生き方をしてきたのでしょうか? 「ガラスの天井」をどう打ち破ってきたのでしょうか? そして何を成し遂げようとしているのでしょうか? その詳細が、彼女自身の筆で綴られます。

本記事では『私たちの真実』より「はじめに」と目次を公開します。

カマラ・ハリスはこんな人
ジャマイカ出身の経済学者の父と、インド出身のがん研究者の母の間に生まれる。幼い頃に両親が離婚し、妹とともに母親に育てられる。ハワード大学、カリフォルニア大学ヘイスティングス・ロースクールを経て地方検事補に。その後、サンフランシスコ地方検事、カリフォルニア州司法長官に選出。州司法長官時代には、住宅差し押さえ危機に際して大手銀行と対決し、労働者世帯のために歴史的和解を勝ち取った。2016年11月、黒人女性として史上二人目の上院議員に当選。21年1月、米副大統領に就任。刑事司法制度改革、最低賃金の引き上げ、高等教育の無償化、難民および移民の法的権利保護に取り組む。

はじめに

ほぼ毎朝、夫のダグは私より早く目を覚まし、ベッドで新聞を読む。そのとき聞こえてくる音――ため息、うなり声、息をのむ音――によって、その日がどんな一日になるか想像がつく。

二〇一六年一一月八日、上院議員選挙運動の最終日。スタートは上々だった。私はできるだけ多くの有権者に会い、家の前の通り沿いにある学校で投票をすませた。最高の気分だ。私たちは、投票日の夜に開くパーティーのために大きな会場を借りていた。バルーンドロップ(訳注/大量の風船を天井から降らせる、パーティーなどの演出方法の一つ)の手はずも整っていた。

だがその前に、私は家族や親しい友人との夕食に出かけた。これは初めての選挙キャンペーンのときからの決まりごとだ。叔母やいとこ、義理の親族、妹の義理の親族など、アメリカじゅう、そして海外から来てくれた人たちが顔をそろえる。とびきり特別な夜になると期待して。

この日までのことを思い返しながら、車の窓から外を眺めていると、ダグの独特なうなり声が聞こえた。

「見てごらん」と言って、彼は自分の携帯電話を渡す。画面に映っているのは大統領選挙の速報だ。何かが起きていた。それも悪いことが。レストランに着くころには、両候補の差がかなり縮まっているのを知って、私も心のなかでうめき声をあげた。ニューヨーク・タイムズ紙の勝敗予測メーター(訳注/勝率の予測を一八〇度の分度器で示したもの)は、長く、暗い夜の訪れを告げていた。

私たちは、レストランのメインフロアから離れた小さな部屋に集まって食事をとった。興奮してアドレナリンが湧き出ていたが、その理由は思っていたものとは違っていた。一方、カリフォルニア州の投票はまだ締め切られていなかったものの、みんな、私の当選は間違いないと楽観的だった。ようやく手に入れた勝利をかみしめたいと思っているのに、誰も画面から目が離せなかった。そこに映し出される各州の数字は、こちらの形勢が不利になっていくさまを伝えていた。

すると、私が名付け親になった九歳のアレクサンダーが、目に涙をいっぱいためて近づいてきた。ほかの子に何かからかわれたのだろう。

「ほら、こっちにいらっしゃい。どうしたの?」

アレクサンダーは顔を上げて私の目をじっと見た。そして声を震わせながら、こう言った。「カマラおばちゃん、あの人が勝つわけない。勝つわけないよね?」。不安そうなその姿に、胸が張り裂けそうになった。子どもにこんな思いをさせたくはなかった。八年前、バラク・オバマが大統領に選ばれたとき、私たちの多くは歓喜の涙を流した。それなのに今夜、おびえるアレクサンダーを見ることになろうとは……。

彼の父親のレジーと私は、アレクサンダーを慰めようと店の外に連れ出した。

「アレクサンダー、ときどき悪者がやってきて、とんでもない悪さをすることがあるでしょう?そんなとき、スーパーヒーローならどうする?」
「やっつける」。彼は泣き声で答えた。
「そのとおりよ。スーパーヒーローは怖くたって闘うわ。どんなに強いスーパーヒーローだって、みんな心のなかではすごく怖いの。あなたと同じようにね。でも、いつだって悪者をやっつけるでしょう?私たちもそうするのよ」

ほどなくして、AP通信が私の当選確実を報じた。私たちはまだレストランにいた。

「いつも、どんなときもそばにいてくれてありがとう」。信じられないほど優しく頼もしい家族と友人に、私はそう伝えた。「心から感謝します」。その部屋にいる人たち、そしてすでに亡くなった人たち、とりわけ母への感謝の気持ちでいっぱいになった。ほんの一瞬、喜びを味わうことができた。だが、ほかのみんなと同じように、私はすぐに視線をテレビに戻した。

夕食を終え、パーティー会場に向かった。そこには一〇〇〇人以上が集まっている。私はもう候補者ではない。次期上院議員だ。黒人女性が上院議員になるのは、カリフォルニア州で初、この国では史上二人目のことだった。私は三九〇〇万を超える州の人々――あらゆるバックグラウンド、あらゆる階層の人が暮らすアメリカの人口の約八分の一――の代表に選ばれた。それは、当時もいまも、身の引き締まる、非常に名誉なことだ。

ステージ裏の控え室で、私はチームの拍手と歓声に迎えられた。まだ何もかも現実とは思えなかった。状況をしっかり把握できている人は、誰一人としていなかった。みんなが私を取り囲み、私は彼らのしてくれたすべてのことにお礼を言った。私たちはすばらしい旅をともに歩んできた家族でもあった。初めての地方検事選挙のときからずっと支えてくれた人もいる。しかし、上院議員の選挙キャンペーンが始まって二年近くがたとうとしているいま、目の前には新しい山が立ちふさがっていた。

私はヒラリー・クリントンが女性初の大統領になると想定してスピーチ原稿を書いていたが、支援者への挨拶のためステージに上がるとき、その原稿は置いていった。パーティー会場はバルコニーにまで人がいっぱいだった。みんな大統領選挙の開票速報を見つめ、衝撃を受けていた。

私たちにはやるべきことがある。私はそう訴えかけた。強い気持ちが必要だ、とも言った。私たちは全力を尽くして、この国を一つにし、根本的な価値と理想を守るために必要なことを実行しなければならなかった。私はアレクサンダーを思い、すべての子どもたちのことを思いながら、人々に問うた。

「このまま引き下がりますか、それとも闘いますか。みなさん、闘いましょう。私は闘う覚悟です!」

その夜、私は家族とともに帰宅した。多くが私たちの家に泊まることになっていた。各自に割り当てられた部屋でスウェットに着替えると、再びリビングに集まった。ソファーに座る人、床に座る人。みんなでテレビの前に腰を落ち着けた。

こんなとき、何を言い、何をするのが正解なのか、誰にもわからなかった。それぞれが自分のやり方で現実を受け止めようとしていた。私はダグとソファーに座り、気づいたらファミリーサイズのドリトスを一袋、一人で空にしていた。

だが、一つだけ確かなことがあった。これまでのキャンペーンは終わったが、また新たなキャンペーンが始まろうとしている。それには、私たち全員が参加しなければならない。今度は、私たちの国の魂をかけた闘いだ。

あの日からの数年間、私たちは、政府が国内では白人至上主義者に同調し、国外では独裁者にすり寄り、おぞましくも人権を踏みにじって赤ちゃんを母親の腕から引きはがし、中間層をないがしろにして企業や富裕層に大幅な減税を行い、気候変動との闘いを妨害し、医療を破壊し、女性が自分の身体をコントロールする権利を危険にさらし、同時に、自由で独立した報道の概念も含めて、何に対しても、誰に対しても罵声を浴びせるのを目の当たりにしてきた。

こんなことではいけない。アメリカはもっとすばらしい国だったはずだ。だが、それを証明しなければならない。そのために闘わなければならない。

私の心には、大きな影響を受けたヒーローの一人、サーグッド・マーシャル(訳注/アメリカの公民権活動家、弁護士で、のちにアフリカ系アメリカ人として史上初めて合衆国最高裁判所の判事に任命された)が一九九二年七月四日に行った演説が、いまも深く響いている。「現実から目を背けてはいけない。民主主義は恐怖のなかでは繁栄しない。自由は憎しみのなかでは花開かない。正義は怒りのなかには根を下ろさない。アメリカは力を尽くさねばならない。(中略)われわれは無関心に対し抗議しなければならない。無気力に異議を唱えなければならない。恐怖、憎しみ、不信に反対しなければならないのだ」

この本は、人々に行動を促すきっかけとして、そして闘いは真実を語ることに始まり、真実を語ることに終わらなければならないという私の信念から生まれたものだ。

こうした状況にあるとき、互いの信頼関係ほど重要な対抗策はない。あなたは人を信頼し、人に信頼されなければならない。信頼関係を築くのに最も大切なのは、真実を話すことである。大事なのは何を言うかだ。言葉に込めた思いだ。そして、それによってほかの人々に何が伝わるかだ。

最も困難な問題は、それについて率直に話さないかぎり、そしてまた、難しい対話をいとわずに事実が明らかにすることを進んで受け入れないかぎり、解決できない。

私たちは真実を語らなければならない。人種差別、性差別、ホモフォビア(訳注/同性愛者に対して恐怖や嫌悪といった否定的な感情や偏見をもつこと)、トランスフォビア(訳注/トランスジェンダーの人たちに対して不寛容で否定的な感情や価値観をもつこと)、反ユダヤ主義は、この国の現実であり、私たちはそうした勢力に対抗する必要があるということを。

私たちは真実を語らなければならない。ネイティブアメリカンを除き、私たちアメリカ人は誰もがこの国で生まれていない人々の子孫であることを。それらの人々が、豊かな未来を夢見て自らの意思で、あるいは奴隷船に乗せられ強制的に、あるいはつらい過去から逃げるために必死の思いでアメリカに来たかどうかにかかわらず。

まず真実を語らなければ、アメリカの労働者に威厳と人並みの暮らしを与えられるような経済を構築することはできない。人々はより少ない収入で生活し、暮らしに不安を抱えたまま長生きを迫られている。給与は四〇年間上がっていないのに、医療費、教育費、住居費は高騰している。中間層はぎりぎりの生活を強いられているのだ。

私たちは大量収監が引き起こす危機の真実を語らなければならない。アメリカは世界のどの国よりも、これといった理由もなしに多くの人を刑務所に入れている。私たちは警察の蛮行や人種差別、丸腰の黒人男性の殺害という事実について語らなければならない。中毒性のある麻薬性鎮痛薬を、疑うことを知らないコミュニティに売った製薬会社や、困っている人々を食い物にして借金まみれにする、ペイデイローン(訳注/給料を担保にした短期の小口貸付。利息がきわめて高い)業者や営利目的の大学について、真実を語らなければならない。規制緩和、気候変動否定論を主張して金融投機を推し進め、人々の利益を吸い尽くす強欲な企業について、真実を語らなければならない。私はそうすることに決めたのだ。

この本は政策綱領をうたっているのでも、ましてや五〇か条計画を発表しているわけでもない。ここには私自身の、そしてこれまで私が出会った多くの人々の考えや視点、人生のストーリーが収められている。

本題に入る前に、言っておきたいことがあと二つある。

まず、私の名前の「Kamala」は、句読点の一つである「comma」の発音に近く、「カマラ」と読む。インド文化の重要なシンボルである「ハスの花」を意味する言葉だ。ハスは水中で育ち、水面に花を咲かせ、水の底深くにしっかりと根を張っている。

次に、この本は私のパーソナルな記録である。私の家族の物語であり、私の子ども時代の物語であり、成長した私が築いてきた人生の物語だ。そのなかで、みなさんは私の家族、友人、同僚、チームと出会うだろう。私の言葉を通じて、みなさんも私と同じように彼らを愛し、私一人の力では何一つ成し遂げられなかったことをわかっていただけたら、とてもうれしい。

――カマラ、二〇一八年

私たちの真実 アメリカン・ジャーニー  目次

はじめに 

第一章 人々のために 
第二章 正義のための発言者 
第三章 水面下 
第四章 ウエディングベル 
第五章 さあ、ともに闘おう 
第六章 損なわれた威信 
第七章 みんなの体 
第八章 生きるためのコスト 
第九章 賢明な安全保障 
第一〇章 人生が教えてくれたこと 



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