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『ホークス3軍はなぜ成功したのか?』喜瀬雅則著/目次・序章13276字公開

光文社新書編集部の三宅と申します。開幕の見込みが立たない方、プロ野球ファンの皆さんはいかがお過ごしでしょうか? 私も東京ヤクルトスワローズのファンを自認していますが、今シーズンならではのいくつもの楽しみが先送りになり、物足りない日々を送っています。さて、そんな虚しさを少しでも埋め合わせていただくために、4月に出たばかりの新刊『ホークス3軍はなぜ成功したのか?』の本文を公開いたします。プロ野球ファンの方なら、綺羅星のごとき才能を輩出するホークス3軍とその育成力のすごさをご存知でしょう。本書は、その謎を、多くの選手・関係者の取材を基に解き明かしていくものです。「お金の力でしょ」と陰口を叩く人もいますが、お金があっても、しっかりしたビジョンや仕組みがなければ、上手く機能しないのは、日本の多くの組織を見ていればわかります。ではさっそく、「なぜホークスだけが成功したのか?」――全てのプロ野球ファンが気になるこのテーマを解き明かしていきましょう。

目 次

序 章 「俺を使え」
偉大なる「サーバント・リーダー」/「3軍育ち」/「育成選手」とは/王がいたから実現、発展した/「選手は、安住させちゃダメ」/「俺をうまく使えばいいんだよ」

第1章 3軍を創る 
「3軍制」の原点/球界再編とダイエーの行き詰まり/「編成育成部」/「試合に出ないと、うまくならない」/育成選手が増えると、育成の場が貧弱になる?/「少数精鋭」か「3ユニット」か/「育成の日本ハム」/1年間の1人あたり育成コストは約1000万円/試合を通して選手を評価/「聖域なき構造改革」/「やれない球団に不平等になる」/もう一人のキーマン/「ユニホーム組」と「背広組」をつなぐ〝蝶番〟/3軍制という「新メソッド」の〝肝〟/「サバイバルの思想」

第2章 逸材を探せ 
「埋もれていた金」を見つけ出す/一人三役/根本陸夫との出会い/「スカウトの信条」/「他の球団のスカウトと、迎合するな」/「未来図」を描く/一芸に秀でた選手/人事交流/「ええピッチャーがおるんです」

第3章 名古屋の運動具店 
無名中の無名の存在、千賀滉大/「ベースボールショップ西正」/電話魔/「億を稼ぐ選手になる」/90番目の指名/予想を遥かに超えるスピードで成長/「日本代表になる」/正二の死/〝映像での決断〟

第4章 四国を沸かせた強肩
落としどころとしての「交流戦」/「甲斐キャノン」の原点/「体が小さいんですよ。でも、肩はいいですよ」/雁の巣での2次テスト/94人目の指名/「どっちがドラフト1位なん?」/山下の「穴埋め」/「四国のどよめき」/ノムさんの背番号を受け継ぐ/日々の積み重ね

第5章 たたき上げのプライド
3軍1期生・牧原大成/「おい、そんなんじゃ、通用せんぞ」/「なんで、お前がプロやねん」/バスの通路で寝る/千賀に次ぐ2番目の支配下昇格/「闘争心」

第6章 育成契約はリスクではない
3軍「第2世代」石川柊太/「何をリスクと取るか」/世代間のギャップ/セカンドキャリアのサポート/「3軍」には、夢がある

第7章 野球の街 
「HAWKSベースボールパーク筑後」/筑後の〝礎〟を築いた男/雁の巣、西戸崎の老朽化と手狭さ/「地域に根差した先輩」/「ファイターズ鎌ケ谷スタジアム」/〝逆入札制〟/何もないのが特徴?/本命は福岡市?/20年間の無償貸与/鷹のルーキーたちが「筑後市民」に/筑後市への波及効果

第8章 甲子園を超える
「日本一の球場」/「土」へのこだわり/阪神園芸/福岡PayPayドームと甲子園が並ぶ/「東浜投手の踏んだプレート」/市民参加のイベント

第9章 名門校からホークス3軍へ
「第3世代」大竹耕太郎/「ホークスの育成だったら、行かせてください」/エリートコースのど真ん中/「名門になればなるほど非協力的」/「平成生まれ」の若者の職業観/「育成不可」に〇/「自分で大学を説得しなさい」/「隠し玉になるかもしれない」/〝翻意前の調査書〟/「千賀さんも育成4位。僕も4位」

第10章 イチローよりも速い男
「令和の韋駄天」周東佑京/レフト前ヒットで一塁から三塁へ/「第1世代」と「第3世代」の環境の差/「生かすも殺すも、自分次第」/「足」だけで日本代表に駆け上がる/いよいよ「第4世代」へ

終 章 宮崎の白梅
生目の杜運動公園/根本陸夫の〝宮崎通い〟/ホークスのキャンプ地誘致/経済効果/ブルーオーシャン/根本陸夫から王貞治へ/根本の理想/「根本陸夫さん、感謝しています」

参考文献

序 章 「俺を使え」

偉大なる「サーバント・リーダー」

事を興す。
新たなミッションに挑む。
その思いは共有している。なのに、プロジェクトがスタートした途端、当初の意気込みとは裏腹に、あちらこちらの部門で機能不全に陥り、次第にその動きが止まっていく。
ビジネスの世界で、日常茶飯事の〝あるある〟だろう。
総論賛成、各論反対。
Not In My Back Yard 略してNIMBY(ニンビー)という。
訳せば「私の裏庭では困ります」
具体論のところで、自分の部署に絡んできたり、責任が及んできたりするとなると、できる限り、厄介なことは避けたいという心理が働き出す。しかも、初めてのことともなれば、その先の予測も、なかなか立ちづらいものがある。
人が足りない。カネはどうする? あれはどうなってる? これはどうするんだ?
重箱の隅をつつくというのか。これらの〝消極的賛成〟の状況の中で、メンバーたちが互いにけん制し合うかのようになってくる。
時期尚早。さらに検討、調査を続けるように。
その提言を、計画のストップとイコールと受け取るのも、ビジネス界の常でもある。
そうした組織の停滞、硬直した状態を打破する「頼みの綱」は、どこにいるのか――。
米国の通信会社、AT&Tマネジメント研究センターでセンター長を務めたロバート・K・グリーンリーフ氏が提唱した、世界的に有名な理論がある。
「サーバント・リーダーシップ」
そのコンセプトの肝は、実行部隊の中堅・若手のリーダーたちに対し、リーダーたる人間は、尽くす(サーバントする)ことにあるという。
組織の末端まで、携わる人間の全員が100%、納得できるようなプロジェクトなど、あろうはずもない。
どこかに、ちょっとしたひずみや軋みが出てくる。
そうした異論を、どうやってクリアしていくのか。
つべこべ言わずに、やりゃいいんだ。
そのように、上司から部下へ「やれ」と命令を下ろすだけでは、絶対に人は動かない。
トップダウンの、ワンマン型のマネジメントは、いまや「パワー・ハラスメント」の引き金にもなりかねない。21世紀のビジネス界で、そのスタイルは容認されることはない。
その「支配型リーダー」の対極にいるのが「サーバント・リーダー」だ。
イニシアティブを取る若手、中堅のリーダー格を「支援」する。
つまり「やってみなさい」と、物心両面でバックアップをしながら、全体の足並みを巧みにそろえ、最終的に大きなゴールへと導いていくスタイルだ。
大同小異。その〝小さな異論〟を乗り越え、部署間の対立を緩和していく。
この人に任せておけば、悪いようにはならない。
この人がそう言うのだから、きっと間違いない。
その「信頼」を寄せられるだけの存在が、いるのか、いないのか。
福岡ソフトバンクには、王貞治という、偉大なる「サーバント・リーダー」がいた。

「3軍育ち」

2019年(令和元年)

3年連続日本一を達成したソフトバンクの厚い戦力層に、他球団は完全に圧倒された。
主砲の柳田悠岐をはじめ、故障者が続出したレギュラーシーズンこそ2位に終わったが、ポストシーズンでの戦いぶりには、目を見張るものがあった。
クライマックスシリーズでは、2戦先勝のファーストステージでリーグ3位の東北楽天を相手に、初戦黒星を喫しながら2連勝で突破。さらに、リーグ連覇を果たした埼玉西武とのファイナルステージは、無傷の4連勝で突破した。
日本シリーズでも、セ・リーグの覇者・巨人に無傷の4連勝。ポストシーズン10連勝という快進撃で、3年連続での日本一を達成した。
先発投手を、責任回数といわれる「5回」よりも前で降板させ、「第2先発」と称するロングリリーフの投手を惜しげもなくつぎ込み、相手打線の反撃を封じ込める。
レギュラーシーズンの143試合、すべてに出場した松田宣浩が不調に陥っていると判断すると、監督の工藤公康は、負ければシーズンが終わるというCSファーストステージ第2戦で、松田をスタメンから外した。
その前年の2018年(平成30年)には通算2000安打を達成した内川聖一にも、CSファイナルステージ第1戦、1点差を追う8回2死一、三塁の場面で代打が送られ、日本シリーズでは2度、送りバントを命じてもいる。
誰もが認めるレギュラーであり、実績のあるベテランであろうとも、その立場は決して安泰ではない。松田でも、内川でも、その「代わり」はいるというわけだ。
「負ければ終わり」の短期決戦では、相手に勢いをつけさせず、勝負の流れを渡さないように、先を見越し、次々と、あらゆる手を打っていかないといけない。
そこでは、戦力の出し惜しみ、決断の鈍さが勝利を分けてしまう。
短期決戦ゆえに、次から次へと、新たな戦力を繰り出していく。つまり、ポストシーズンの戦いでは、顕著にその「戦力差」が表れてしまうのだ。
球界の盟主と呼ばれ、かつて、昭和の高度経済成長期には、日本シリーズ9連覇を果たした巨人、1980年代から90年代、世紀末の20年間にリーグ優勝13回、日本一8回の西武という、伝統と強さを誇る両球団ですら、全く歯が立たなかったのだ。

21世紀の新たなる覇者・ソフトバンク。
その「強さの原動力」として注目されたのは「3軍育ち」
育成選手としてプロ入りした、たたき上げのプレーヤーたちだった。
 
千賀滉大は、日本シリーズの開幕を担い、その初球に159キロの剛速球を投げた。
甲斐拓也は、徹底したインコース攻めのリードで、巨人打線のリズムを狂わせた。
周東佑京が「代走」で登場すると、盗塁への期待でスタンド中が沸いた。
牧原大成は、シリーズ初戦で2安打2得点。1番打者としての重要な役割を果たした。
石川柊太は、シリーズ3戦目に「第2先発」として5回からの2イニングを無失点。
 
彼らに共通しているのは「育成出身」であることだった。
育成ドラフトで指名され、育成選手としてプロ入りを果たした。
3桁の背番号を背負い、3軍で鍛えられた。その努力の末に支配下選手の座をつかみ、日本一を支える主力選手としての地位を築いた。
底辺から這い上がってきた男たちが、球界の盟主・巨人を打ちのめす。そのカタルシスとサクセスストーリーは、日本人の琴線に響くのだ。
球団会長の王貞治は、育成出身選手の活躍ぶりを「大きな夢」と評した。
 
育成から出てきた選手には、みんなが拍手喝采ですよ。ファンの皆さんも、ましてや(選手の出身地の)地元の人たちには、彼らが頑張って、ここへ来たことが分かっているからね。
周東でも、足が速いというのは、みんなが知っている。打つ方はまだアレ(弱いの意)だけど、ある部分でずばぬけているわけです。甲斐だって、一芸に秀でていた。強肩、スローイングがあったんですよ。千賀も、お化けフォークでしょ。セールスポイントを持っている人が(1軍に)上がってくるんです。全体、平均で80点の人より、片方は60点でも、一方が90点の方がいいんですよ。
それを、獲ろうと提案するスカウトがいるわけです。一つで95点という選手を獲るというのがスカウトの力であり、決断力なんです。ドラフト1位の選手は、スカウトの力は関係ないよ。あれは、くじ運ですから(笑)。ドラフトされるような選手は、みんなの目に触れている。ウチのスカウトは、選手を見る目の幅が広いんです。知られていないけど、これだけの伸びしろがある選手を見つけられるか。スカウトの腕の見せ所ですよ。
育成で入ってくる人たちが「俺、育成だから」と、そういう思いを持たなくてよくなったんですよ。「支配下に入れなかった」ではなく、上に上がれることを示せた選手がいる。それは、大きなことですよ。千賀なんて、その功労者ですよ。

「育成選手」とは

2020年(令和2年)2月1日付で球団から発表された「2020年ホークスメンバー表」によると、ソフトバンクには投手9、捕手3、内野手6、外野手6の計24人の「育成選手」が所属している。
ただその立場は、プロ野球球団の一員でありながら、実に曖昧な位置づけでもある。
「日本プロフェッショナル野球協約」には「日本プロ野球育成選手に関する規約」が定められているが、その第1条では「70名の年度連盟選手権試合に出場できる支配下選手の枠外の選手として、同選手権試合出場の可能な支配下選手登録をめざして、球団に所属して指導を受け野球技術等の一層の鍛錬向上を受ける選手」(一部抜粋)と記されている。
つまり、その規約で記されているように、事実上の〝半人前扱い〟ともいえるものだ。
そのルールを、列挙してみよう。

1軍の公式試合には、育成選手は出られない。
2軍の公式試合にも、育成選手は1球団1試合5人以内に限定。
育成選手として3シーズン在籍する間に、当該球団から支配下選手として契約されなかった場合には、自動的に自由契約になる。
最低参加報酬は年額240万円(※1軍最低年俸保証額は1600万円)
契約する際の支度金の標準額は300万円(※ドラフト指名の契約金上限は1億円)
一般社団法人日本野球機構の定める年金規定の対象者には該当しない。
日本プロ野球選手会には所属できない。

支配下選手と育成選手では、条件も、待遇も、何もかも違うのだ。
 
2005年(平成17年)に、プロ野球界が、改革の一手を打った。
育成選手選択会議を、初めて開催したのだ。
スポーツの多様化、少子高齢化という社会状況も相まって、野球のプレーヤー人口の減少と、ファンの野球離れが危惧され始めていた頃だった。
その要因の一つとして挙げられたのが、プロ野球界に多くの逸材を供給する「人材プール」の役割を果たしていた社会人野球の衰退傾向だった。
日本経済の衰退。それに伴って「企業スポーツ」を抱える体力がなくなってきたのだ。
企業チームとして日本野球機構に登録されていたチーム数は、高度経済成長期には200以上を数えながら、いまや100を切ってしまい、ピーク時の3分の1程度だ。
プロに行けなくても、社会人のトップチームに行ければ、引退後も大企業で働くことができる。さらに、五輪にはアマ選手だけが出場していた時代には、その「安定」も相まっての魅力となり、プロ入りを拒否して、社会人に進む選手すらいたほどだった。
この「アマ球界のトップ」が、先細りし始めている。
トップの容積が小さくなれば、必然的に、アマ球界というピラミッドの裾野も縮小傾向に入ってしまう。つまり、野球を続けたくても、続けるための「場」が乏しくなっていく。
プロへ至る「道の細さ」は、プロ野球の魅力を失わせ、それがひいては、野球人口の減少にもつながっていく。
そうした悪循環を、何とかして食い止めなければならない。
球界全体で共有した危機感から「育成選手制度」が設けられたのだ。
70人枠の支配下選手に入れない選手にも、チャンスを与える。人件費を抑制すれば、各球団の負担が、それほど大きくない形で、育成枠を創ることができる。
それが、野球界の「育成の裾野」を広げることになる。
それでも、発足当時は心ない評判やウワサが飛び交った。
「そんな中途半端な選手を獲っても、しょうがない」
無名の公立高校であろうが、離島であろうが、ちょっとでも評判になったような選手だったら、プロのスカウト陣は漏れなくチェックしている。
市井の野球好き、マニアレベルの人たちが、高校野球を見に行って、逸材の動画を録画して、その場でツイッターやインスタグラムで発信できる時代だ。
耳寄りな情報は、瞬時に伝わる。スカウトが知らない選手を見つける方が難しいのだ。
いまや「隠し玉」は死語に近い。私も、記者としてよくこの言葉を使ったが、スカウト陣から「隠し玉、って書いた時点で、隠していないじゃない?」と笑われたものだ。
ドラフトで指名する選手は、精査を重ね、厳選に厳選を重ねた末での球団の決断だ。
育成は、その〝本指名以外の選手〟なのだ。
獲った選手は、選手1人あたり、食費など育成にかかるコストとして、年1000万はかかるといわれている。ドラフト本指名の選手でも、育成選手でも、入団すれば「一選手」として同じだけのコストがかかる。
単純計算で、育成3年間で3000万円。10人なら3億円。
育成選手を増やせば、コーチもスタッフも増やす必要が出てくる。
いくら年俸を抑えたところで、育成のコストは現状よりも大きくなる。その投資のリターン、つまり、選手はモノになるのか。
親会社から経営を任されたフロントが、そのコストを是とするだけの理由は、なかなか見当たらないのが現実だ。
ソフトバンクは、そのコストセンターというべき「育成」に投資してきたのだ。

王がいたから実現、発展した

支配下選手枠の上限は70人。2020年(令和2年)2月1日現在、ソフトバンクの支配下選手は66人。うち、1軍出場選手枠は29人と定められている。
単純計算でも、2軍選手は37人いることになる。
ここに、育成選手が上乗せされる。ソフトバンクなら、24人を足して61人だ。
ちなみに、2019年シーズンで、支配下選手と育成選手を足して、最小の71人だったのが、北海道日本ハムと東京ヤクルトの2球団だ。
大雑把にまとめてしまえば、ソフトバンクの1軍以外の選手数は、日本ハムとヤクルトの1球団分というわけだ。
1球団で、1軍と2軍。ソフトバンクは、1軍と「他球団分」
単純に計算しても、3軍の必要性が見えてくるともいえる。
若き選手たちの「持てる素質」を開花させるために、激しく競り合わせる。そうすることで、プロ意識が芽生える。そのための「場」を作らなければいけない。
だから「3軍」を創る――。
それが、王の描いた、育成の「グランドデザイン」でもあった。
その一大テーマを受けて、部下たちが動き出す。
新組織を立ち上げる。
既存の他部署や本社との折衝も繰り返し、必要な資金を調達し、人事面も整えていく。
こうした「実働」の部分は、部下たちが担う。
煎じ詰めていえば「カネは出すけど、口は出さない」というやり方だ。
古今東西、それがリーダー像の理想と言われている。
王は、3軍制を発足させるための、まさしく「後ろ盾」となるべき存在だったのだ。
 
彼らがやりやすいようにするのが、僕の仕事ですよ。工藤(公康)監督、スカウト。彼らがやりやすいようにするために、僕はいる。バックアップだね。
例えば、スカウトが選手のところへ行ったときに、そこ(ソフトバンク)に「王がいるよ」と言える。それがあるのと、ないのとでは、違うだろ? やりやすいようにね。
 
どんと、構えた存在――。
その表現に、3軍制を立ち上げた当時の編成育成部長・小林至も、育成の一大拠点「HAWKSベースボールパーク筑後」の場所の選定から完成まで導いた責任者で、3年連続日本一を担ったゼネラルマネジャー・三笠杉彦も、3軍制発足に際して、千賀滉大や甲斐拓也といった、当初は指名リスト外だった無名の選手を発掘した当時のスカウト部長・小川一夫も、誰もが私の示した〝想定図〟に、うなずいてくれた。
王がいたから、3軍制が実現した。
王がいたから、3軍制が発展した。
しかし、王は決して「俺が考えたんだ」「俺が作ったんだ」とは言わない。
それが「サーバント・リーダーシップ」の極意でもある。
 
今、名前が出た人が動いてくれて、どんどん発展していった。そういうことが必要だったんだよ。ドラフト制には限度がある。ドラフト7位とか8位で獲るより、育成という形で獲る方が、より本格的に、徹底して鍛えられる。本人も這い上がろう、早く支配下にという気持ちが、早く出る。選手もその気になる。球団も思い切って指導しやすい。徹底指導ができるんですよ。這い上がりたい。鍛えたい。両方の利害が、一致するんですね。
2軍でも、プロだという意識が出る。でも、支配下じゃないと、プロ意識というのはそこまで自然に出てこない。まず、追いつけ、追い越せ。練習することでしか上がれない。それは、指導する方にはやりやすいんです。2軍にいる選手より前向きというのかな。育成出身から支配下。はっきり言ったら、アメリカンドリーム的だよね。育成からベストナインに選ばれるなんて、千賀とか甲斐とかそうでしょ。牧原もレギュラーでしょ。
我々は、そういうことをやって、大変よかったと思う。そういう考えが、球団や野球界全体に、広げられたからね。

「選手は、安住させちゃダメ」

努力の人。
それが、王の代名詞だ。投球のタイミングに合わせて、右足を高く上げる「一本足打法」という、前例のないバッティングフォームで、世界記録の868本の本塁打を放った。
唯一無二のオリジナリティにあふれた、自らの〝揺るぎない型〟を築き上げるため、王はひたすらにバットを振り続けた。
モノクロの写真で、王が「一本足打法」から日本刀を振り下ろし、天井から吊るした紙の短冊を真っ二つにしているシーンがある。
王の積み重ねた努力が、半端ではないことを物語っている。
自宅には、素振り用の部屋を設置し、その畳がすり減るまで振り続けたという。遠征先の宿舎で、他の選手たちが外出しているのに、王はひたすら素振りを繰り返していた。
猛練習で、頂点の座に駆け上がった。
そうした「伝説」の持ち主だからこそ、その言葉には重みがある。
栄光への道のりは、楽ではないことを知っているからだ。
 
選手は、安住させちゃダメなんですよ。常に競い合わせる。危機感を感じない選手じゃ、ダメなんです。タイトルを取った選手でも、危機感がある。今年も、これくらいやれるのだろうか。上に行くほど、自然に危機感が生まれる。ファームの中間あたりで、そこそこの生活もできて、世間の人に「どこそこのプロ野球選手だ」という扱いも受ける。でも、何年かしたら、契約解除されちゃうんだ。
じっとしてたら、ダメなんだ。危機感を、常に持たせる。素質があるから、プロの世界に入ってきているんだから、それを磨かせないと。監督やコーチは、示唆はしますよ。でも磨くのは、本人なんだよ。
本人を、その気にさせる。それが育成の制度で、一番優れた部分ですよ。ウチは、弱いところから這い上がってきたんだ。もっと鍛える場が必要だと。野球界っていうのは、すごく競争が激しい世界だからね。
 
1995年(平成7年)
王が、福岡ダイエーホークスの監督に就任した。
ホークスは、とにかく弱かった。王の監督就任直前の1994年(平成6年)まで、17年連続Bクラス。王の就任後も、3年連続Bクラスのままだった。
20年連続Bクラス。うち、最下位も8度。それこそ「負け犬根性」が染みついていた。
チームを変える。体質を変えなければ、強くなれない。
そのために、ダイエーの総帥・中内㓛が招聘したのが、根本陸夫だった。
西武の黄金期を築き上げたその手腕は「球界の寝業師」と呼ばれていた。野球界のみならず、日本中に張り巡らしたネットワークで逸材たちを発掘し、そのコネクションで、数々のあっと言わせるトレードも仕掛けてきた。
その根本が、監督として王を招き入れた。
昭和のプロ野球は、王貞治と長嶋茂雄の「ON」が牽引してきた。その「二大スーパースター」の一人である王を、パ・リーグの、しかも弱小球団に引っ張ってくる。
「長男は家を継げるが、次男は継げない。巨人の長男は長嶋、ワンちゃんは次男だ」
根本の口説き文句に、王は長い逡巡の末にうなずいた。
東の長嶋、西の王。
長嶋巨人と王ダイエーの「ON決戦」を実現させる。その話題性ももちろんだが、巨人に勝つ、球界の盟主に対抗するという大目的を根本は掲げ、それを公言し続けた。
そのために、チームを強化する。
目的があって、そのための手段を一つ一つ、クリアしていく。
根本の組織論は、実に明確だった。
王が率いたダイエーは、初優勝まで5年かかった。
初の「ON決戦」は、王の就任6年目となる2000年(平成12年)のことだった。しかし、巨人に敗れた。まだ、巨人には勝てない。
常勝軍団を創る。
負けず嫌いの王にとって、巨人は最大の目標であり、古巣を倒すことが夢でもあった。
そのためには、もっと、選手をたくましく育てなければならない。
王が、現役引退直後に執筆した自叙伝『回想 〝助選手〟の実戦的人生考』(勁文社・1982年)の中に「自覚」という章がある。
少々長くなるが、王が強調する「危機感」の源泉ともいうべき、その経験を述べた部分を抜粋してみたい。

プロ入り一年が過ぎて、十一月四日の日だったと思う。打率一割六分一厘、ホームラン七本というひどい成績だったが、それほどのショックはなかった。というのも、少しぐらい成績が悪くても、他に一塁を守る人がいない。レギュラーの座が安泰ならば、楽しいオフ生活を味わおうではないかと、暢気に構えていた。そんなある朝のことである。二日酔いの寝呆け眼でスポーツ紙をひろげてみたら『早大のスラッガー・木次、巨人入り』という大きな活字が、いきなり目に飛び込んできたのだ。私はいっぺんに目が醒めてしまった。六大学きっての強打者木次(文夫)さんが巨人軍に入ってくるなどとは、その日まで私は一度も考えたことがなかったからだ。
これは大変なことになるッ! 私は新聞を放りだして立ち上がってしまった。もし木次さんにファーストを取られるようなことにでもなったら、私はベンチの控えの選手になってしまう。そんなことになったら大変だ。巨人軍では私の方が一年先輩だとはいえ、向こうには大学四年のキャリアがある。これは正直言って脅威だった。いい気になって酒など飲んでいられないぞ! と私は思った。 (232ページより)

王がいた当時の巨人軍。それは、イコール、無敵のチームだった。
1965年(昭和40年)から9年連続日本一。それでも、有望新人を獲り続けた。
絶対的なレギュラーがいるのに、それでも獲る。
巨人軍は、レギュラー選手に常にライバルをぶつけ、反発心を生み、危機感をあおることで、競争を激化させてきた。
それが、選手の心と体をさらにたくましくさせ、プロ意識の向上にもつながっていく。
そうした〝ウエットな部分〟を、ことさら敬遠する風潮が、今の時代にあるのは決して否定しない。しかし、高い素質を持ったきら星たちが毎年のように入ってくる弱肉強食のプロの世界で、何が最後に、その「差」をつけるのか。
それは、執念だったり、必死さだったりするのではないだろうか。
最後の最後に、踏ん張れるのか。負けてたまるかと、その思いを行動に変えられるのか。
選手たちが、そう思う「環境」を創る。
「やれ」と言うのではない。
やらなきゃ、負ける。そう思わせる状況を創り出す。
世界の本塁打王、レジェンドと呼ばれる男が、若き日に抱いた〝恐怖感〟こそが、育成を強化する、つまり「3軍制」の構想を抱いた、その原点でもあるのだ。
 
我々の世界は、競い合わないとダメなんですよ。
何が怖いかと言えば、監督じゃコーチじゃないんですよ。ライバルが怖いんです。危機感を常に持たないといけない。下から突き上げられる危機感。今年よかったから、また来年も楽に行けるということは、絶対ない。競わせることなんです。
 
ソフトバンクに先んじて、3軍制の役割ともいえる「第2の2軍」を展開しようとしていた巨人は、その推進者でもあった球団代表の清武英利が、当時の球団オーナー・渡邉恒雄との対立から、公に異を唱えることになる「清武の乱」が引き金となり、2011年(平成23年)オフに退団。すると、途端に「第2の2軍」のプロジェクトがストップした。
2011年にはソフトバンクよりも6人多い23人の育成選手を抱えていた巨人は、その2年後、一気に13人にまで減らしてしまう。
まさしく前任者否定。これもビジネス界、そして野球界での「常」でもある。
ただ巨人も、2016年(平成28年)から再び、3軍制を採用している。
令和という新時代の幕開け。その日本シリーズを戦ったのは、3軍制で若手選手を鍛え上げるソフトバンクと巨人。2000年(平成12年)に王ダイエーと長嶋巨人との間で繰り広げられた「ON決戦」以来、19年ぶりの日本シリーズでの対決だ。
王は球団会長、長嶋は終身名誉監督。立場こそ変わったが、2度目の「ON決戦」
王は、その2球団での戦いは「育成」という観点から、大きな意味があると捉えている。
 
支配下の下に、育成を作ってやっている。その2チームが、日本シリーズに出てきているんだ。やっていないチームからしたら「自分たちもそれをやらないといけない」と思うのか、これが「たまたま」だと考えるのか。どう捉えるかなんですよ。
制度がある以上、使わないとね。お金もかかりますよ。施設も造らないといけない。でもチームというのは、リーグ優勝、そして日本一になるのが目標ですよ。だったら、使える制度をいかに有効に使うかでしょう。選手の意識は、明らかに変わるからね。
 
勝つために、いい選手を発掘し、育てる。
そのためのシステムと、鍛える場を作る。それが「3軍制」の最大の狙いでもある。
王と、その思いを共有したのが、小林至という存在だった。
868本の本塁打を放った王と、わずか2年のプロ生活で一度も1軍のマウンドに立てなかった小林。プロでの実績は、天と地ほどの差がある。しかし、改革への思いは同じだった。
育成部門を、強化しなければならない――。
現役時代の王は、あれだけの本塁打を放ちながらも、毎年のように、新たな競争相手をぶつけられた。小林は、実力不足もあったとはいえ、2軍ですら登板機会をもらえなかったという不完全燃焼の思いを、ずっと抱き続けてきた。
2人の「育成部門の拡充」という思いへの「源」は、明らかに違う。しかし、プロ野球選手だったからこその「経験」が、その「礎(いしずえ)」にある。
「プロ野球選手だったんだから、君がやりなさい」
小林は、王にそう励まされたことを、今も忘れていない。
「編成」と「育成」の機能を一緒にした「編成育成部」という新部署の立ち上げに伴い、小林がその責任者になった。

「俺をうまく使えばいいんだよ」

王が「和」の人なら、小林は「戦」の人ともいえるだろう。
誰もが、尊敬の念を持って、王に接する。
小林は、他との衝突をいとわない。理論も、行動力も、説得力も高い。
その分、敵も多い。しかし、何かを始めるときに、その〝突破役〟は不可欠だ。
少々の摩擦を、王は咎めたりしない。
あらゆる横やりが入ったときにも、王は小林にこう言って笑ったという。
「心配するな。骨は拾ってやるから」
 
王のダイエー監督就任に際し、根本陸夫の命を受け、その交渉役を務めたのが、ダイエーで球団代表を務め、後に千葉ロッテでは球団社長、オリックスでも球団本部長と、各球団で要職を歴任した瀬戸山隆三だった。
瀬戸山は、球団における「王の存在」の重要性を、誰よりも知り尽くしている。
「オーソライズした人が、誰か一人でもいれば、周りはごちゃごちゃと、忖度なんかすることがないですからね」
根本のもとで、プロ野球ビジネスを学んだときにも、同じ図式で事は動いたという。
「ダイエーでも、困ったときには『根本さんの了解を得ています』という。そういうのはあるよね。そうすると、カネを出す側だって『根本が言ってるなら出すわ』ということになるわけですよ。『王さんが』となれば、孫(正義オーナー)さんにしても、そうでしょう。
どの組織でも新しいことを始めるとき、何が成功に導くといえば、それは人事ですよ。根本さんにしても、王さんにしても、それなりの守備範囲と見識を持って、前向きに野球界のことを常に考えられている。そういう人がいないと、できないですよね。リスクを回避、そういうことだけをして、いい球団作りはできないでしょうから」
王は、己の「役割」と「位置づけ」を熟知していた。
だからこそ、王は小林に何度となく、こう告げたという。
 
「俺をうまく使えばいいんだよ」――。
 
王は、多忙を極めていた。
来たるべき東京五輪へ向け、野球界の、いや、日本のスポーツ界を代表する「レジェンド」として、王の知見や経験は、あらゆる局面で必要とされていた。
2020年(令和2年)1月7日。
新たなるシーズンの幕開けとなる、ソフトバンクの球団事務所開き。
ソフトバンクの本拠地・ヤフオクドーム(当時)内のメーンエントランスに、球団関係者や地元マスコミの関係者が、ずらりと顔をそろえた。
鏡割りを行う球団幹部の中心に、王が立っていた。
その「仕事始め」の当日も、王のスケジュールは、それこそ分刻みだった。
「老骨にむち打って、頑張っていますよ」
そう笑いながら、会長室横の応接室で、私のインタビューに答えてくれた。
「本になるんだって? いい本になるように頑張って」
王の監督番になったのは、日本シリーズで初の「ON決戦」となった2000年(平成12年)のことだった。それでも、王と一対一で向かい合う取材は、番記者生活の中でも、数えるほどしかない。
貴重な20分間。その前後にも、他社の取材がびっちりと詰め込まれていた。
ましてや「3軍制」という、ピンポイントでのテーマアップだ。この機会を逃せば、王に改めて、育成に関して、腰を据えて聞くチャンスなど、なかなか作れないだろう。
緊張感の隠せないインタビュアーに激励の言葉をかけてくれた上で、こちらが必死にメモを取る手の動きを見ながら、言葉を止めたり、間を置いたりしてくれた。
王の気遣いに感謝しながら、準備した質問を、必死にぶつけさせてもらった。
 
今、高校野球、大学野球、ノンプロ(社会人のこと)をやっている人に、夢を与えると思うよ。チャレンジしようと。今、アマ野球、社会人が狭まっている。独立リーグが成り立っているのも、そうなんだろうけど、第一線の若い選手が、夢を持って、いずれはプロ野球に行ってやろうと思っている。育成があるから「道」がある。そこだけで全然違う。
育成が、やっと定着してきたよね。選手の意識も変えた。下から、追い抜く人が出てくるわけですよ。今まで、上を見て諦めていた人だっていただろうけど、ここでうろうろしているわけにはいかないと思うようになる。その相乗効果が出てきていますよ。
 
チームの強化はもちろんだ。しかし、それだけではない。
王は常に、球界全体の発展を願っている。
だからこそ、ソフトバンクが、そのフロントランナーになる――。
王の描いた「3軍制」という「大きな絵」が形になる軌跡を、これから追っていきたい。 

(第1章に続く)




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