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「現状維持という名の衰退」。既得権益に守られる日本は、失敗も成功もしない国

私も都心で暮らしていたころは、過疎地域の活性化は正論だと考えていた。過疎地域の発展は地域住民の幸せにつながると信じていた。そうした思い込みのようなものが、過疎地域での暮らしを通して少しずつ変わっていった。なぜなら、そこには変わらないことを望む人びとの姿があった。何一つ変わることなく、どこにも飛び立たず、廃れ、寂れ、衰えていくことを望む人びとの姿があった。地域の活性化が叫ばれている昨今の時局を鑑みて、そのような過疎地域の人たちについての研究を進め、過疎地域の活性化は本当に必要なのか、今一度考えてみたかった。(本文より)

過疎地域に12年住んだ著者が、現地での調査やインタビューをもとに、過疎地域の〝本音と建前〟を鋭く描き出した問題作です。発売を機に、本文の一部を公開いたします。

たくさんの違和感

過疎地域での暮らしは私にたくさんの違和感を与えてくれた。それは貧困地域や発展途上地域のような社会であり、イレギュラーが苦手な社会であり、過疎地クオリティーな社会であり、スローモーな社会であり、イメージされた社会であり、スタートが遅れる社会であり、変化を嫌う社会であり、清く正しく美しい社会であり、もやもやした社会であり、情感に価値を置く社会であり、ぐるぐると空回りした社会であり、ブラック企業が標準の社会だった。その他にも、何々でなければならない的な押し付けや、既得権益にしがみつく人びとや、お互いに足を引っ張り合う人びとの姿があった。それにより、過疎地域では現状維持という名のゆるやかな後退が進んでいた。人口が減り、廃屋が増えて、土地が荒れている。

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こうした現実は、私が暮らしている過疎地域に限ったことではなく、日本全国の過疎地域で起こっていた。たとえば、その廃屋や土地に資産価値がないため相続人は相続放棄をしていた。たとえ相続したとしても、もてあましてその処理に困っていた。地方自治体は固定資産税の税収が欲しいので、有効な対策を打つことなく、そうした現実を放置していた。

地域活性化事業といえば、公園をつくる程度の発想しかなかった。それらの公園は有効活用されることなく、膨大な維持費がかかっていた。それにもかかわらず、同じような公園を繰り返しつくっていた。生産性のない公園を繰り返しつくる理由は、清く正しく美しくといった過疎地域の理念に合致するからである。

また、運動場や体育館、キャンプ場といった施設もたくさんつくっていた。これらの施設の収益がどれくらいあるのか調べたところ、光熱費に届くか、届かないくらいの収益しかなかった。人件費や修繕費については、その七割を地方交付税、三割を地方自治体の借金で埋め合わせていた。同じような施設が市内に三つ四つあるため、地方自治体は一つにまとめたいと考えているが、地域住民の反対が根強く、まとめられないとのことだった。

地方自治体は、地域住民の需要にあまるそれらの施設を有効活用する手段として、スポーツ合宿などの誘致を積極的に行っているが、近隣の地方自治体も同じような施設をつくっているため、お互いに誘致合戦となり、つぶし合っている状態だった。

また、古民家の再生や、廃駅や廃線の再利用なども地域活性化事業として定番になっていた。しかし、その効果は限定的であり、生産性のある継続的な仕組みになっていない。それにもかかわらず、そうした地域活性化事業が評価されて、「全国過疎地域自立促進賞」「地域活性化大賞」「地域再生大賞」「地域創造大賞」「地方創生大臣賞」「地域貢献大賞」等々、よく分からない賞をもらっていた。そのよく分からない賞を選考しているのは官僚であり、都心で暮らしている者だった。子どもがのびのびと暮らす様子や、高齢者が微笑んでいる理想郷を描き、そのイメージポスターを都心の広告代理店が補助金を使ってつくる。これも一つの補助金事業である。

若者を呼び込む策といえば、「魅力のある地場産業での就職斡旋」や、「自然に囲まれた住宅を安く提供」といった清く正しく美しいものばかりだった。そのような目先のニンジンでは、活力ある若者の心はうずかないのである。若者が持つ活力の源は、よい意味でも悪い意味でもヤバイことにある。「ちょっとヤバイ匂いのするモノ」や「ちょっとあぶない香りのするモノ」に、活力ある若者は心を奪われる。だからこそ、活力ある若者は刺激を求めて過疎地域を去っていた。

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マスメディアといえば、好感度や企業イメージの低下を恐れて、過疎地域への批判をタブー化していた。マスメディアの仕事は情報提供にあるため、過疎地域を批判して、その後の取材を拒否されたら困る。おのずと自主規制をかけて、突っ込んだ話題に触れないようにしていた。

これは為政者も同じだった。過疎地域を賛美し、「けなげに生きる人びと」といったイメージをつくる。このとき、過疎地域を下手に批判しようものなら各方面から誹謗中傷されて足をすくわれる。その誹謗中傷というのは、過疎地域への批判そのものを誹謗中傷する場合もあれば、些細な言葉尻を捕らえて誹謗中傷し、批判そのものが間違っているとする場合もある。とにかく各方面から誹謗中傷されるのである。そして、そうした誹謗中傷を面白がる者がたくさんいる。

知識文化人と呼ばれる者たちも同じだった。イベントや講演会などで食費や移動費、宿泊費の接待を受けたうえで、高額のギャラをもらっている。過疎地域の人たちは著名人が大好きなのでチヤホヤもされる。おのずと過疎地域を批判できなくなり、次の仕事につなげる目的もあり、その上辺だけを見て過疎地域を褒め称える。だからといって、その過疎地域で暮らすことは決してない。

中央政府の官僚といえば、自らの既得権益を守るために必死になっていた。道州制が進まない要因として、官僚の激しい抵抗があった。どの省庁も不要な出先機関を地方につくっており、それが官僚の仕事をつくりだす道具になっているわけだが、その既得権益を守るために、「地方の人びとに行政を任せるのは、その能力からして不可能」と主張している。そして、それがある一定の説得力を持ってしまっている。

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過疎地域の産業といえば、そのほとんどが補助金で支えられている。補助金とは、中央政府や地方自治体などが政策を掲げて行う給付である。一定の募集期間が設けられており、それに応募することで採択される。採択権限のある行政機関としがらみを持つことで便宜を図ってもらえる。

たとえば、地方紙に「地元特産品を使った食品を製造している○○会社の純利益は五百万円であり、素晴らしい成果を上げている」といった記載がされていても、補助金が五千万円程投入されているので実際は四千五百万円の赤字になる。「観光業の○○会社は純利益一千万円で地域に貢献している」といった記載がされていても、補助金が七千万円程投入されているので実際は六千万円の赤字になる。

このように補助金事業者は、雇用を確保する名目から毎年多額の補助金をもらっている。これといった業績を上げなくても、地方交付税や国県支出金で確実に利益が出るのである。過疎地域には、そうした補助金ビジネスがしっかり根付いており、いかにして権威者を持ち上げて、いかにして現状維持を図るかが大切だった。

その持ち上げられている権威者は、その地域でのみ暮らしてきた者であり、エスカレーター式に偉くなっていた。過疎地域は企業の数が少なく、行政をつかさどる者も少ないため、地盤さえあれば簡単に偉くなれる。三代目、四代目といった血縁による継承が一般的であり、その視野はとても狭く、しがらみにまみれている。しかもその権威者たちは高齢になっても引退しないのである。他にやることがないといった理由で、後継ぎがいてもその権威を握り続けていた。

たとえば、市議会議員にIT設備の改善を申し立てても馬の耳に念仏に終わる。IT技術についての知識がないので、よく分からないことに手を出して、議会で質問されたら回答に窮するというのがその理由だった。すべてにおいてこのような状態であり、令和の時代になっても昭和の時代が続いていた。

繰り返すが、都心なら上には上がいて、もっと上へ上へといった気持ちになる。それが過疎地域だと、上がいないので権威を握ったとたん守りに入る。そうした様子を目の前で見せられたら、せっかくやってきたヨソ者やバカ者も、呆れて去っていく。

過疎地域の人びとといえば、地域に閉じこもり、吸うべき空気を読み合っていた。一般とは違う主張をすると、「とんでもない」といった具合に叱られるため、それを恐れてありきたりで無難な落とし所を探る。絆や協調の言葉を短絡的に使う者がいるが、強い絆や強い協調のあるところには往々にして強い束縛がある。それは個人の自由を踏みにじり、個人の価値観を否定し、個人の主体性を喪失させる。

過疎地域の人たちの大好きな言葉に、夢や希望がある。夢は寝てみるもので、希望は漠然と考えるものである。それらは偶然に得られるものであり、やってきてほしいとか、やってきたらよいなと考えながら、ひたすら運が巡ってくるのを待っている。それにより過疎地域は、現状維持という名のゆるやかな後退が進んでいた。

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「何もしない」という生き方

私はいつもこう思う。

過疎地域の人びとは自分から積極的に仕掛けてみてはどうだろう。大志や目標を持って現状を打開してみてはどうだろう。影響を受ける側ではなく、影響を与える側になってみてはどうだろう。そして、マスメディアは過疎地域の現実を正しく伝えてみてはどうだろう。為政者は道州制の導入を積極的に検討してみてはどうだろう。官僚は日本国のために既得権益を捨ててはどうだろう。そのように考え方を改めてもらえないだろうか。なんとか前進してもらえないだろうか。しかし考えれば考えるほど、それらを変えられる仕組みになっていない。過疎地域の変革は構造的に無理なのである。

過疎地域には「補助金で楽に仕事ができているのだから競争原理を持ち込むな」といった考え方が根付いている。建前では「地域活性化を望んでいる」と言っていても、本音では「余計なことはしてくれるな」と考えていた。チャレンジする者の足を引っ張り、チャレンジに失敗した者を激しく非難していた。失敗を非難されれば心が萎縮してしまう。目標に向かってチャレンジする気力がえる。その結果として、何もしなくなる。安心安全を得る最大の手段は、何もしないことだった。何もしなければ非難されなくなる。そのような生き方が染みついたとき、失敗はしないが成功もしなくなる。

道州制は議論さえもろくに進んでおらず、マスメディアもろくに取り上げなくなった。誠に奇妙な話なのだが、私たちの社会には物事を停滞させることで既得権益を守る手法がある。そして、それがある一定の説得力を持っている。

それならそれで、人間の住まない土地を増やして、自然を動植物に返してあげたらどうだろう。過疎地域には虫のうごめく様子がある。動物の営みや生死を直視できる自然がある。それらは素晴らしく、思わず心が深呼吸してしまう。過疎地域で暮らすようになって改めて自然の偉大さを感じている。つまり、自然を扱う一部の研究者が過疎地域で暮らし、その他の人間は都市にまとまって暮らす――。これこそが、現代人のやるべき自然への配慮ではないだろうか。人間が日本列島の津々浦々まで住む必要があるのか。

たとえば、九州において福岡市は人口増加が続いている。九州の人びとは福岡市に集まっている。このまま放っておけば過疎地域はいずれ消える。中央政府の重い負担となっている過疎地域が消えることで税金の使い道も広がる。国家を運営していくうえで効率を考えるなら、過疎地域で人が暮らさないようにするべきだろう。Uターン政策やJターン政策、Iターン政策を今すぐにでも止めるべきだろう。過疎地にはびこっている補助金ビジネスを今すぐにでもなくすべきだろう。過疎地域はどんどん寂れて消えていくのがベストである。

しかし、これを主張すれば各方面から袋叩きに遭う。現状維持という名のゆるやかな後退こそが、叩かれずに済む唯一の着地点だった。建前と本音を上手く使い分けて、「地域活性化を望んでいる」と主張する必要があった。結局のところ、過疎地域の人びとにとっての地域活性化は建前であり、本音では現状維持という名のゆるやかな後退を望んでいるのである。

目次

第一部 過疎地域批判――現状維持という名のゆるやかな後退
【第一章】過疎地域のよくある事例
【第二章】過疎地域のよくある問題
【第三章】過疎地域批判
第二部 過疎地域分析――過疎地域の活性化は本当に必要なのか
【第一章】 地域の活性化は本当に正しいのか
【第二章】 過疎地域とは何か
【第三章】 地域活性化の事例調査
【第四章】 過疎地域の現地調査
【第五章】 田舎のいやらしさにおける考察

著者プロフィール

花房尚作(はなふさしょうさく)
1970年生まれ。SHOSAKU事務所代表。1級ファイナンシャルプランニング技能士、CFP® 、宅地建物取引士、管理業務主任者、マンション管理士。演出家として戯曲やシナリオを執筆し、東京都新宿区にて舞台公演を行う。また、米国(ボストン)に二年間在住し、海外40カ国(180都市)を周遊。現在は放送大学大学院にて文化人類学を研究中。さらに外資系損害保険会社やハウスメーカーでの業務経験を活かし、FP相談も行っている。多業種に手を伸ばし、まとまりに欠けるものの、それがウリでもある。著書に『価値観の多様性はなぜ認められないのか』(日本橋出版)がある。

ヨルダン・ペトラ

著者がイスラーム世界を旅したのはアラブの春と呼ばれる動乱の直前だった。トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプトの六カ国を巡った。(写真はヨルダンのペトラ)

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