SF作家としての萩尾望都①――SF評論家たちが軒並み絶賛した『11人いる!』の凄さとは…|長山靖生
SFブームに先駆けた『11人いる!』
1975年。SF少女漫画史におけるこの年の注目作は、何といっても『11人いる!』でした。
まず強調しておきたいのは『11人いる!』が1975年の作品だということ。
つまり劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(1977) や『未知との遭遇』(同、日本公開は翌78)や『スター・ウォーズ』(同、日本公開は翌78)より前で、SFブームに乗った作品ではなく、その先駆けだったという点です。
もっとも、『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ版はすでにありました。『11人いる!』では、背景や宇宙船メカニックのデザインは自身でしたものの、メカを手伝えるアシスタントが身近にいなかったため、以前から親しかった松本零士にアシスタント紹介を頼んでいます。
米沢嘉博『戦後SFマンガ史』には、74、75年の項では少女漫画作品への言及はなく、75年で取り上げたのは、やはり『11人いる!』です。
米沢の紹介にもあるように、『11人いる!』の舞台は遠未来の宇宙。人類がワープ航法や反重力推進装置を発明して宇宙へ進出してからも、かなり時を経ています。
人類はいくつもの星系に植民しながら広がり、やがて宇宙人とのファーストコンタクトを経て、テラ(地球連邦と51の植民惑星との総合政府)として知的宇宙人たちからなる星間連盟にも加盟し、さらなる発展を目指しているところです。
現代の宇宙飛行士も驚く、細部の設定
『11人いる!』では、テラからの受験生タダの他、サバ、セグル、ロタなど、より有力な星系からの受験生らが登場、それぞれの異文化(というか異なる生命・身体構造など)が少しずつ語られていくあたりも、SF的にはとても魅力で、細部の構想、設定がきちんとしていました。
たとえば作中、宇宙空間での船外活動では、宇宙服に付いている推進用具を調整しながら移動しています。
発表から40年後の現在、宇宙服は実際にそうなっており、宇宙飛行士の山崎直子は〈まさにまったく同じです。これを想像で描かれたというのはすごいですね〉(対談、『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界』ビジネス社、2020 収録)と驚いています。
その一方、受験生の中に女性がいることに男たちが驚く場面があることは、女性の社会進出がまだ一般的ではなかった当時の社会認識を反映していました。
小松左京も手塚治虫も絶賛――科学的に計算の行き届いた描写と表現力
彼ら宇宙大学受験生が最終テストをサバイバルする「外部とのコンタクト不可能な宇宙船(白号)」では、アクシデントから船内で感染症が発生、また恒星に引き寄せられて危険になったために居住区の一部を爆破し、その衝撃を推進力として引力圏から逃れる場面があるのですが、その描写も科学的に計算が行き届いています。
じつは中盤辺りから、宇宙船・白号が居住空間を下(恒星向き)にして恒星に引き寄せられているのが気になりながら読んでいたので、そこの爆破という展開になった時、「伏線か!」と嬉しくなりました。
近年、萩尾が白号の軌道計算をきちんと数学的にしていたことも知り、唸(うな)ったものです。数学的でありながら、美しい宇宙。いや、数学的だからこそ、美しい宇宙!
小松左京は〈SF的な骨格の強さとストーリー性、そして表現力に驚いた〉(「モト様」『文藝別冊 総特集・萩尾望都』河出書房新社、2010)と回想し、手塚治虫は〈あなたのSFマンガについては、女性ファン、男性ファンを通じて、SFファンとミックスしてる〉〈SFファン=萩尾ファン、というのが多い〉〈『11人いる!』は、スペース・オペラとしての傑作だと思ってるんです〉と述べ、さらに〈『トーマの心臓』とか、有名なドラキュラの話『ポーの一族』なんていうのは、完全にニューウェーブに近い〉(対談「SFマンガについて語ろう」『別冊新評』41号、新評社、1977年7月)とも言っています。
ニューウェーブSFは、外宇宙から内宇宙――心理内奥や精神世界へと探究の対象を広げた作品です。つまり萩尾SFは内面探求の物語だとの指摘でした。
対等と共生、多様性の表現者としての萩尾望都
また当時は気付かなかったのですが、『11人いる!』は対等な関係性を探る物語でもありました。
それは萩尾望都の特徴であり、やがて佐藤史生や水樹和佳にも引き継がれる新たな男女関係・人間関係の模索表現でした。
少年漫画でも友情はドラマの要のひとつですが、そこにはおのずから主従関係にも似たリーダと支え手の役割分担があります。『巨人の星』の星飛雄馬と伴宙太はその典型。対等であるためには『あしたのジョー』の矢吹丈と力石徹のように、真っ白に燃え尽きて死ぬまで戦い続けねばならない。
男同士でそうなので、まして男女の真の対等など、80年代、90年代になっても少年漫画ではギャグ以外には存在しなかった。
少女漫画でも主流はやはり男女役割分担型恋愛。それはいわゆる少年愛物でも20世紀には同様でした。対等ではなく主と従がある関係。
その固定概念を静かに自然に、しかし決然として破り始めたのが萩尾望都でした。
この作品は科学設定にうるさいSFマニアにも熱く支持され、毎年夏に開催されるSF大会などでその場にいる人数を数えて、何人いても「11人いる!」と言うのがしばらく流行りました。私たちの世代は今もやるかも。
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以上、光文社新書『萩尾望都がいる』(長山靖生著)より一部を抜粋して公開いたしました。全国の書店・オンライン書店にて好評発売中です。電子版もあります。
著者プロフィール
長山靖生(ながやまやすお)
1962年茨城県生まれ。評論家。歯学博士。鶴見大学歯学部卒業。歯科医の傍ら執筆活動を行う。主に明治から戦前までの文芸作品や科学者などの著作を、新たな視点で読み直す論評を一貫して行っている。1996年『偽史冒険世界』(筑摩書房、後にちくま文庫)で第10回大衆文学研究賞受賞。2010年『日本SF精神史』(河出ブックス)で第41回星雲賞、第31回日本SF大賞を受賞。2019年『日本SF精神史【完全版】』(河出書房新社)で第72回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)受賞。主な著書に『「人間嫌い」の言い分』『不勉強が身にしみる』『恥ずかしながら、詩歌が好きです』(以上、光文社新書)、『鷗外のオカルト、漱石の科学』(新潮社)、『「吾輩は猫である」の謎』(文春新書)、『千里眼事件』(平凡社新書)など多数。