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【最終回】サッカースカウト、日本へ帰る|サッカースカウトが見る現場目線のフットボール

お知らせ

この連載をもとにした書籍『スカウト目線の現代サッカー事情』が2024年2月15日に発売されます!書下ろしも含めて大幅な加筆修正を行いました。ぜひチェックしてみてください!

イングランドのプロクラブでサッカースカウトとして活動する田丸雄己(@scoutyuki)さん。
現場目線でフットボールの今を伝えるこの連載もついに最終回。田丸さんがロンドンでのキャリアを経て、日本へ帰国することを決意した経緯を振り返ります。

波乱のラストマッチ

ノースロンドンからさらに北へと電車で30分ほど行くと、ヒッチンと呼ばれる小さな街がある。その街をホームタウンとするその名もヒッチン・タウンFCは創設なんと1865年! クラブのバッジは黄色と薄緑のカラーに鳥のマーク。チャンピオンシップのノリッジと瓜二つだ。この現在7部クラブでプレーするヒッチンが、ご近所クラブであり今シーズンからプレミアリーグに昇格したルートン・タウンとプレシーズンマッチを戦うことになり、スカウトに行くこととなった。ところが到着すると、受付の女性が「ストーク・シティからスカウトリクエストは届いてないよ」と言う。上司に伝えるとリクエストを忘れていて、チケットは後から立替精算でかまわないとのこと。しかも受付でチームシートをもらうと、ターゲットにしていた3選手全員がスタメンじゃないどころかベンチ外。イングランド最後のスカウティングは波乱の幕開けだった。

それでも収穫はあった。まず7部のヒッチンでプレーしている右ウイングがプレミアリーグに昇格した相手の左サイドバックをキリキリ舞いにしている。最初の25分で7〜8回、1対1でぶっちぎっている。しかしどうやらエネルギーを前半に使い果たしたようだ。後半はトボトボ歩いていただけで、途中でベンチへと下がった。一方、1ヶ月後にプレミアリーグ初戦が待ち構えていたルートンはユース出身の選手が躍動した。試合はルートンが危なげなく勝利し、幕を閉じた。こうしてイングランドでのスカウトとして最後の試合視察を終えたのだった。

2019年の夏にイングランドに渡ってから丸4年。大学と大学院ではフットボールを学術的に学び、現場ではスカウトとして動き回った。留学開始当初からの予定帳を見返すと、スカウトとして視察した試合は566試合にのぼる。映像で見た試合を含めるとその倍以上になるだろう。ロンドン内とロンドン周辺をホームタウンとする、上は1部から下は10部のクラブまで、スカウトとして全てのスタジアムへと何度も足を運んだ。いつしか、業界関係者が行き先をその地名で指すように(日本テレビを汐留、TBSを赤坂と呼ぶイメージ)、筆者もスタジアム名ではなく地名を呼ぶようになった。渡英初年度の手帳には25歳までにUEFA Bの指導者ライセンスを獲るという目標が書いてあるが、もはやコーチングさえしていない。4年経つと人間の目標が変わるのは自然なことかもしれないが、コーチからスカウトへと夢が変わったのは単純に自分の移り気な性格だけが理由ではない。このフットボールの母国が持つスカウト文化の魅力がそうさせた。

ロンドンを囲むM25と言われる環状の国道に包まれたエリア、そしてその周辺には多種多様なフットボールクラブがこれでもかと顔を連ねる。そこでは大の大人たちがフットボールプレイヤーの情報をまるで秘宝発掘への手がかりかのように扱う、一見すると異様な光景があった。まるで探偵や記者のように、人間の頭の中にしか存在し得ない情報を掴み取る。フットボールへの愛情を超えて、コミットする。いつの間にか、なぜそれまでスカウトのことを知らなかったんだろうと思うほどに憧れは強まっていた。1人でピッチからピッチへと飛び回り、様々な手法で選手を追う。そんな単独行動が多く、なおかつミステリアスなスカウトたちのコミュニティへ自分も入っていきたい。そう思うようになった。そして実際にその末端に関わらせてもらうことができた。非常に充実した4年間だったと言える。

後悔は一つ。「ロンドンをホームタウンとするクラブでスカウトとして仕事をすること」は成し遂げられなかった(チェルシーでの活動はインターン)。最初の所属クラブとなったマンスフィールドタウンは今でもたまに場所を間違えるし、マザーウェルはそもそもスコットランドのクラブ。それにストーク・シティもロンドンから電車で2時間20分かかる。振り返ると、ロンドンのクラブとはことごとく縁がなかった。ウィンブルドンは書類で落ち、ボランティアのスカウトになれるチャンスがあったウェストハムはコロナでその話が消え去り、インターン後のチェルシーの面接では圧倒的ホームの環境なのに落とされ、最後まで縁がなかった。この夢はまたの機会に取っておく。

さらばロンドン、いざ日本へ

2023年の6月頭にシーズンが終わり、筆者は夏に大学院を卒業し、同時にストークのスカウトとしての2シーズン目を終えた。大学院を卒業したことや結婚したこと、あと1年で30代に突入することなど様々なタイミングが重なり、自らのキャリアについて再考することとなった。これからどうするか。どうなっていくか。スカウトから違う分野に興味が移ることはなさそうで、スカウトを続けたい意思は固かった。

問題は場所である。大学院を終了すると取得できる2年間の就労可能なビザに切り替えてパートタイムでスカウトをイングランドで続けながら、フルタイムの仕事を探す。これも一つの手だ。以前は選ばれることのない一般公募を受けまくるだけの確率の低い就活だったが、段々と知り合いが話を持ちかけてくれる機会が増えた。前の上司であるTJがオファーしてくれたチェルシー女子トップチームのフルタイムスカウト、前のボスのハンフリーが持ってきてくれたクリスタル・パレスのスカウトなど、2023‐2024シーズンに向けてありがたいことに数件のお仕事のお話をいただいた。

とはいえ、正直、丸4シーズンスカウトとしてロンドンエリアを走り回り、隅々まで見尽くした感もあった。まだまだスカウトとして半人前以下なので、スカウティングの全てを知り尽くしているわけではない。そして元プロ選手でもなく、コネクションも限られている筆者が一つの地域に活動場所を限定すると、その後の選択肢が狭まる。クラブがスカウトを探す時、特定の地域にスペシャルなコネクションを持っていることやその地域のフットボールシーンを把握していることが求められる。それが「ロンドン」だけでは狭すぎると感じたのだ。

また、生々しい話をすると、ロンドン地域のクラブでスカウトとしてフルタイムまで登り詰めることは、その競争倍率が高すぎるためほぼ不可能だと感じた。数千人がボランティアやパートタイムですでに働いており、その多くが年に10個空くかどうかわからないフルタイムのポジションを狙っている。これからそこへ新規参入する若者を含めると、とんでもない倍率となる。その採用争いに、ロンドンという一つの地域しか知らず、日本にもコネクションがなく、スカウト環境について明るくないため日本人という強みを活かすこともできない筆者が引っかかることはおそらく難しいだろうと、少し引いた目線で自分を見て思った。

それ以上に、違う場所でスカウトとして活動したいと筆者を突き動かした気持ちがある。それは紛れもない「未知なるタレントと遭遇したい欲」だった。

ロンドンで行われる育成年代の試合のなかにプレミアリーグインターナショナルカップと呼ばれる大会がある。プレミアリーグU21の数チームが欧州圏のU21と対戦するトーナメントだ。クリスタル・パレスとPSG(パリ・サンジェルマン)、フルハムとPSV、アーセナルとディナモ・ザグレブなど、若手選手好きには垂涎物の試合が目白押しの大会である。この大会の醍醐味の一つが、欧州で輝く、自分の目が届いていないスターたちの台頭をお目にかかれること。育成年代は画像やテキストで情報は発信されているもののフルマッチが映像で配信されることは少なく、また現地で見る機会も少ないため情報量が限定されている。そんな中でスカウト仲間から「PSGの連中は見たことないレベルのプレーだぞ」との噂が流れ、その噂が頭の中で膨れ上がり神秘的な印象を持って試合へとおもむいた。

実際に試合を見ると、イングランドで育成された選手たちとはまた違う体の使い方や選手の特徴、チームのプレースタイルがあり、イングランドの強豪クラブをバッタバッタとなぎ倒していく。普段はロンドンという狭いエリアで試合を見ている筆者にとって、目の前で新たなハイレベルを体感できる機会は、広い視野を持たせてくれる意味で重要だった。こんな体験を繰り返していくうちに、視点が徐々に英国外へと向くようになった。ロンドンだけに限らず世界中でタレントを探す仕事をしたいと思ったのだ。

そう感じ始めてから日本へとアプローチをかけた。まずは筆者が過去にお世話になり、普段からメッセージのやり取りやズームをさせてもらっているクラブに連絡を取ったが、シーズン途中でタイミングが悪いことや、相手の求めるスカウト像とは違ったため、残念ながらポジションを得ることはできなかった。仕事にはつながらなかったが、日本でのスカウト経験がなく、イングランドから帰ってくる筆者をクラブに推薦するというリスクを取ってくれた以前の上司には大変感謝をしている。

次に思い浮かんだのはコールドメール的なやり方だ。イングランド時代にはプレミアリーグからリーグ2(4部)までの全クラブ、そしてブンデスリーガのクラブに履歴書とメッセージとスカウティング資料を封筒にこめて送ったことがある。だがこれは非効率的すぎるのと、各クラブへのリスペクトが欠けている。そのため今回この手段はやめた。

こうなったら自分をこれまで幾度となく救ってくれたソーシャルメディアに頼るしかないと思い立ち、日本サッカー界で名前とクラブ名を公表してソーシャルメディアを使用している方々に連絡をとった。Zoomや対面のアポイントメントを取りつけてもらい、自分を売り込む場所を作っていただいた。案外とツイッターやインスタグラムのダイレクトメッセージは見てもらえるもので、7クラブの方とお話しする機会を設けていただいた。その全てが仕事につながったわけではないが、シーズン中の忙しい時期に筆者のために時間を作ってくれた様々なクラブのスタッフの方々にはお礼を言いたい。昔テレビで見ていたような人々に自分の存在を認識していただいただけでも光栄だった。

そして幸運なことに、ソーシャルメディアでつながったとあるクラブにスカウトとしての試用期間を設けてもらい、一緒に試合を見たり、お酒を飲んだり、移動中の車内でフットボール談義をして時間を一緒に過ごし、まるでクラブの一員かのように扱ってもらった。最終的にそのクラブからフルタイムでオファーをいただいた。こういった成り行きで23年8月から日本のクラブでスカウトとして活動をさせてもらっている。

日本でのスカウトはロンドンとはまた違う魅力が広がっている。まず、クラブの監督やコーチと話す機会が増えた。イングランドでは基本的にスカウトは試合を見てパフォーマンスをチェックするだけで、クラブとのコンタクトは意思決定者が行っていた。一方、日本ではスカウトも積極的にチームのコーチングスタッフと会話をする。これにより、選手の内面や生活の規律、人間としての成長など試合を見るだけではわかりづらい部分も知ることができる。このコミュニケーションによって視野が一気に広がった。

また、日本には関東や関西など特定のエリアに強いチームが多くあるとはいえど、イギリスにおけるロンドンほどの一極集中はない。特に高校年代では関東だけでなく、東北や九州、中国地方など全国にタレントが散らばっている。全国各地にタレントが潜んでいることに、たまらなく興奮する。このように、日本に帰ってきてからも新しいタレントと邂逅する旅から毎日生き甲斐をもらっている。

スカウティングの変化はフットボールの「外」から始まる

今まで書いた原稿を読み返すと、改めてスカウティングはフットボールの領域を超えた社会的、文化的かつ複合的なアクティビティであり、フットボール界だけで完結しないことが認識できた。これが顕著に把握できたことは、年代別代表まで含めた代表選手の6割が外国にルーツを持つイングランドならではだ。イギリスのEU脱退や労働ビザの緩和、ロシアのウクライナ侵攻など社会情勢が選手発掘の傾向にも色濃く反映された。また、テクノロジーの発展も選手情報が世界中に流れるきっかけとなった。今ではコロンビアの2部でプレーする16歳のスーパープレーを地球の反対側である東京の電車内でチェックできる。オンラインのコミュニケーションツールで昼夜問わず連絡を取り合い、激しい獲得競争に拍車がかかり、また選手の売り込み先も自分が動ける範囲に限定する必要はなくなった。やはり、スカウティングを大幅に揺さぶるのはフットボール界の内側よりも、外側の出来事なのかもしれない。

加えて、スカウティング界の大きな流れとして、個人に任されていたタレント発掘業務にもテクノロジーが導入され、意思決定のあり方を変え始めている。組織的スカウティングが始まり、個人や一つの情報源に依存しないホリスティックな戦略的タレント発掘&獲得が繰り広げられている。昔ながらのやり方を踏襲しつつ、新しいイノベーションを積極的に取り入れ、自分たちの血肉と化しているのだ。こうしたサイクルが回るスピードも早い。この連載を開始して1年にも満たないが、過去の記事を見返すとすでに修正するべき点が目につく。あえてその時点でのログとして残しておくが、それだけスカウティング界の変化スピードは早い。

今後の展望も少し書いておきたい。連載当初からスカウトを知ってもらうことを目標に書いていたが、実は最近ツイッターで「スカウトに興味があるのですが……」と学生からダイレクトメッセージをもらう機会が少しずつ増えた。さらに、連載を通じて他業種や他業界で活躍されている方々とつながることも多くなった。読んでいただいていることも嬉しいが、それ以上にスカウトの存在に以前よりも興味を持ってくれている人が増えたように思えて、それが嬉しい。

筆者がこれからやりたいことの一つは、以前も書いたが次世代スカウトの育成だ。今の若い世代を見ると、使用できるテクノロジースキルの幅や学術的知識、戦術や技術への傾倒は筆者を含めた今までの世代をゆうに凌駕する。そんな彼ら彼女らに、そのほんの少しのエネルギーをスカウティング分野に注いで欲しいのだ。

また、新しい目標としてはオープンなスカウティングのイノベーショングループのような存在を作りたい。選手発掘から獲得までのプロセスはまだまだ足りないことだらけだ。専門性が世界的に乏しい領域が存在したり、実証が行われていない情報に基づいた意思決定が残っていたり、情報集約の手法などに(自身を含めて)課題が残る。それを解決するにはフットボール界に限らず、他の分野で活躍している人たちに興味を持ってもらい、オープンに策を練り上げていくことが必要だ。スカウティング×何かを推し進めていきたい。

謝辞

最後になりますが、スカウトという生業を多くの方々に紹介する機会を筆者にくれた光文社新書の皆様、そして特に怪しさ満点な自分にダイレクトメッセージをくれた高橋恒星さんに感謝を示したい。「スカウトする側だった自分が初めてスカウトされた」という今後も心に残るであろう体験をくれたこと、文章で思いや記憶を残す方法を教えてくれたことなど、数えきれないほど勉強させていただきました。本当にありがとうございました。

ということで本書はこれで終わり。ここまでお読みいただきありがとうございました。スカウティングという世界をお楽しみいただけたでしょうか? まだまだ語られていない部分、僕にはカバーできていない部分があります。そこは皆さんにぜひスカウトになって体験していただきたいです。

“Basically, everyone is a scout.”

アーセナルのアカデミーダイレクター、ペア・メルテザッカーのこの言葉にあるように、選手に対して意見を持てば誰だってスカウトなのかもしれません。

僕のタレントを探す旅はまだまだ続きます。いつかスタンドで皆さんとお会いできた時はあなたの地域の選手の話を聞かせてください。それでは。

書き手:田丸雄己(たまるゆうき)
1994年生まれ。高校卒業後、イギリスに短期留学した後、Jリーグクラブやサッカーコンサルティング会社での勤務を経験。その後、イギリス、ロンドンにあるセント・メアリーズ大学に進学。在学中にイングランド・プレミアリーグのチェルシーのアカデミーでスカウトのインターンを経験したのち、イングランド2部のストーク・シティとスコットランド1部のマザーウェルでスカウトとして活動。ロンドンエリア、Jリーグのスカウトを担当。23年夏に日本へ帰国し、Jリーグクラブのスカウトを務める。

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