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哲学できないビジネスパーソンは絶対に生き残れない 。『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』全文公開①

こんにちは。光文社新書の永林です。この記事を開いてくださっているあなたは、なんとなく将来を憂うビジネスパーソンでしょうか。哲学に少しだけ興味を持っている学生さんやケアワーカーの皆様でしょうか。光文社新書1月の新刊『ヘーゲル哲学に学ぶ 考え抜く力』は、混沌の時代を生きるビジネスパーソンや未来のビジネスパーソンにこそ手に取っていただきたい、実践的哲学書です。その難解さゆえに敬遠されがちなヘーゲル哲学の神髄を、新進気鋭のヘーゲル研究者・川瀬和也氏が卑近な例や平易な言い回しに還元し、哲学の基礎知識のない読者にもわかるよう軽やかに解き明かしていきます。note記事では「はじめに」を全文公開。ちょっと長いので、前後編に分けて掲載します。

◆はじめに 哲学を学んで何の役に立つのか?


 いま、静かな「哲学ブーム」が起こっている。

 書店のビジネス書コーナーに、哲学に関する本がやけに増えている。しかもそれらの本には、『使える哲学』『武器になる哲学』といった、「難解で役に立たない」という哲学のイメージを打ち砕くようなタイトルがつけられている。単に高尚なお勉強として哲学を学ぶのではなく、ビジネスの現場で役立てられるようなヒントを哲学から引き出そうという関心が高まっている。

 必ずしもビジネスの枠にとらわれない、「生き方」全般のヒントをくれるものとしての哲学への関心も、いっそう高まっているように感じられる。『超訳 ニーチェの言葉』という書籍が、一種の自己啓発本としてヒットしたのも記憶に新しい。『ハローキティのニーチェ』など、キャラクターと哲学者・哲学書を組み合わせて解説するシリーズや、哲学をマンガで解説する書籍なども増えている。これまでの哲学書の読者層とは違った人たちにまで、哲学が求められるようになっているということだろう。

 テレビでも、さすがに民放ではあまり多くないが、NHKでは哲学をテーマにした番組が以前に増して多く放送されるようになっている。伊集院光のナビゲートでヒット番組となった「100分de名著」では、しばしば哲学書が取り上げられている。マルクス・ガブリエルのような最近の若い哲学者を特集した番組もしばしば放送される。また、少し古くなるが、二〇一〇年の「ハーバード白熱教室」では、マイケル・サンデルという哲学者による正義についての講義が放送され、社会現象にも近い盛り上がりを見せた。

社会の混迷と哲学

 哲学への関心の高まりは、世界が先の見えない混沌とした時代に突入しつつあることと無関係ではないだろう。

 二〇二〇年代になり、日経平均株価が一時的に三万円を回復してもなお、「失われた三十年」から日本が抜け出したという実感を持つ者は少ない。東日本大震災や相次ぐ水害、新型コロナウイルスのパンデミックなど、増え続ける天災もまた、社会全体の混迷に拍車をかけている。国際関係に目を向けてみても、中国が政治的・経済的に存在感を増す中で、日本は特に難しい舵取りを迫られている。アメリカでは社会の分断がしばしば指摘され、二〇二〇年の大統領選挙では、「分断から団結へ」が、勝利したバイデン陣営のキャッチフレーズとなった。ヨーロッパ、東南アジア、中東、アフリカ、南アメリカ等、世界のどこに目を向けても、政情が安定している地域を探す方が難しいほどである。

 混沌とした社会の中で、哲学という「そもそも論」に立ち返ろうとする流れは必然でもあるだろう。これまで通用していたやり方が通用しなくなったとき、私たちは、より根本に立ち戻って思考することを求められる。これはビジネスであろうと、私生活であろうと変わらない。こうしたことが、現在の「哲学ブーム」の背景にある。

社会をよくするための哲学

 混迷を深める世界の中で、ポジティブに社会を変えていこうとする流れがあることも、現代の特徴であろう。国家・企業・個人に環境問題や人道上の問題などへの対応を促す「SDGs」(=持続可能な開発目標)という言葉は、ビジネスシーンのみならず、人々の日常生活にも浸透しつつある。

「脱炭素社会」への移行は、各国で政策の柱となっている。気候変動への対応を求める環境活動家、グレタ・トゥーンベリの名前も、メディアで一躍有名となった。ガソリン車から電気自動車(EV)への移行も強力に推進され、ガソリン車の新車販売を規制・禁止しようとする動きも広まっている。代表的な電気自動車メーカーであるテスラの創業者イーロン・マスクは、次世代のカリスマ経営者として、ビジネスの分野でも注目を集めている。動物福祉(アニマル・ウェルフェア)を重視する動きも加速しており、植物性のタンパク質から作られた「大豆ミート」等とも言われる「代替肉」が市場に流通し始めている。環境問題や社会問題に、適切なガバナンスを通じて積極的に取り組む企業に資金を集めることを目的とした、「ESG投資」や「エシカル投資」という考え方も登場している。「エシカル」とはethical、すなわち「倫理的」という意味である。

 哲学・倫理学も、こうした社会の流れと深く関わっている。気候変動や動物福祉の問題は、古来、倫理学のテーマであった「正義」の問題と結びつく。気候変動は、現在の世代と、我々の子孫にあたる未来世代の間の公平・公正をどのように考えるかという問題でもある。動物福祉は、人間以外の動物に対する倫理的配慮をどう考えるかという問題に関わる。

 また、AIやビッグデータの活用など、新たな技術を社会の中に実装していく際には、技術的な問題だけでなく、様々な倫理的問題が生じる。例えば、ビッグデータを活用する際に、個人のプライバシーが脅かされないようにするためには、どのような配慮が必要か、といったことが問題になる。このような倫理的・法的・社会的課題は、ELSI(Ethical, Legal and Social Issues、エルシー)と総称され、研究機関や企業において、これらの課題に配慮することが求められるようになっている。

 SDGsやELSIに関わる問題を解決していくためには、社会に生きる一人一人がこれらを自分自身の問題として受け止めることが必要だ。そして、そのためにも、一人一人に、哲学・倫理学の教養が求められる時代が到来している。こうした、未来をよくするための積極的な取り組みが進んでいることも、昨今の「哲学ブーム」の背景にある。

哲学で磨けるビジネススキル

 哲学・倫理学は、激変する社会に対応し、それを改善するための教養として重視されているだけではない。イノベーションを引き起こし、社会の閉塞感を打開するブレイクスルーをもたらすような、個々人のビジネススキルとも、哲学・倫理学は深く関わっている。

 イノベーションを引き起こすためには、「アナロジー思考」が重要だとしばしば言われる。アナロジー思考とは、一見すると無関係に思えるものの間に構造的な類比関係(アナロジー)を見出す思考法のことである。この思考法によって全く新たな発想がもたらされ、イノベーションやブレイクスルーが引き起こされる。

 哲学を学ぶことは、このアナロジー思考を磨くために役立つ。哲学という学問の目標を一言で言えば、森羅万象についてその本質を捉えることである。哲学の研究対象は、道徳、科学、歴史、宗教から、人間の心理、社会、国家、あるいはより抽象的な「認識そのもの」や「存在そのもの」に至るまで、ありとあらゆるものにわたっている。これらを通覧し、その本質的な構造を見出そうとする哲学の営みは、「究極のアナロジー思考」と言えるのではないだろうか。必ずしも哲学を専門的に研究するつもりのない方々にとっても、哲学を学ぶことは、アナロジー思考を鍛えることにつながるのである。

「アンラーン(Unlearn)」と哲学

 哲学はまたしばしば、「常識を疑う学問」だと言われる。このイメージはステレオタイプ的ではあるものの、あながち間違いとも言い切れない。常識的とされているような見解に対して、「どのような前提からそのようなことが言えるのか?」「その前提は本当に正しいのか?」といったことを問い返すことは、哲学の基本だからである。

 このような「そもそも論」は、ビジネスのミーティングにおいてはしばしば御法度であると言われる。大学で哲学を教えていると自己紹介すると、哲学者が社会不適合者であるかのような偏見をぶつけられることも残念ながら時々あるが、この偏見も、「そもそも論」という哲学の特徴と結びついているのだろう。

 しかし、「そもそも論」は常に悪いわけではない。悪いのは、TPOをわきまえずに常に「そもそも論」ばかり話すことである。場面によっては、「そもそも論」こそが求められることもある。哲学研究はそのような場面の最たるものであるが、ビジネスや教育のシーンにおいても、「そもそも論」が重視されることもある。近年しばしば重要性が指摘される「アンラーン(Unlearn)」という考え方は、このことと深く関わっている。

「アンラーン」とカタカナで書かれたり、「学びほぐし」と訳されたりするこの言葉は、「学び」を意味する「ラーン(learn)」と、それを否定する「アン(un-)」から成っている。これは、自分がそれまでに学んできた前提をいったん忘れて、新たにゼロから学び直すつもりで人の話を聞いたり、本を読んだりすることを指す。凝り固まった思考の枠組みをいったん取り払うことで、自分自身の思考を解放することがアンラーンである。このアンラーンのプロセスは、全く新たな考え方を受け入れて成長するために必要な、新たなビジネススキルとして、近年よく言及されるようになっている。

 アンラーンは、前提を疑い検証する「そもそも論」としての哲学研究においても必須のものである。例えば現代哲学において、人の「心」を人工知能によって再現することはできるのか、という問題がしばしば問われる。この問いに取り組む際には、「機械で心を作れるわけがない」という固定観念や、あるいは逆に、「心は脳と同じであり、機械でも作れるに決まっている」といった固定観念をいったん「オフ」にして、そもそも自分や他者がどのような前提のもとに思考しているかを考えることが求められる。

 このような哲学探究のプロセスは、ビジネスや教育の場面におけるアンラーンのプロセスと重なる。例えばスマートフォンの登場は、「携帯電話」についてのそれまでの常識を打ち破るものであった。世界中の人々が、通話やメールによる「連絡手段」としてのイメージを「アンラーン」し、インターネット接続やタスク・スケジュールの管理、オンラインゲーム等に活用できる「情報端末」という新たなイメージに移行することを求められた。技術革新のスピードが上がれば上がるほど、このようなことが至る所で生じるようになっている。スムーズな「アンラーン」によって、技術や社会の変化に対応するスキルも、哲学を学ぶことで磨けるはずである。
(はじめに全文公開②に続く)

後編はこちら 👇※1月23日からお読みいただけます。

■若手哲学者によるトークイベント決定! 

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さらに1月29日には川瀬和也氏×長門裕介氏による「哲学とビジネスのつなぎ方」の対談イベントが。

どちらも、今大注目の若手哲学者による実践的哲学トーク。ぜひご参加くださいませ。

■著者プロフィール

川瀬和也/一九八六年、宮崎県生まれ。宮崎公立大学人文学部准教授。二〇〇九年、東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒業。二〇一四年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はヘーゲル哲学、行為の哲学。東京大学大学総合教育研究センター特任研究員、徳島大学総合教育センター助教などを経て現職。日本ヘーゲル学会理事。著書に『全体論と一元論――ヘーゲル哲学体系の核心』(晃洋書房)、『ヘーゲルと現代思想』(同、共著)などがある。二〇一七年、論文「ヘーゲル『大論理学』における絶対的理念と哲学の方法」(『哲学』第六十八号)にて日本哲学会若手研究者奨励賞受賞。

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