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カマラの人生を決定づけた母の存在―米副大統領カマラ・ハリス氏自伝『私たちの真実』書評

光文社新書編集部の三宅です。

この記事では、『私たちの真実』の訳者の一人である安藤貴子さんに、本書の読みどころや翻訳裏話をご執筆いただきました。

この書評では、お母さんの存在に焦点を当てていますが、実は彼女はシングルマザーでもあるのですね。移民であることも含め、いくつもの困難を乗り越えて、カマラと妹のマヤを育てあげたのです。

カマラの人生を決定づけた母の存在

 カマラ・ハリスといえば、大統領候補指名争いの討論会ではジョー・バイデン前副大統領を舌鋒鋭く責め立て、上院委員会の公聴会ではトランプ政権の高官や連邦最高裁判事候補を厳しく追及して核心に切り込み、副大統領就任が決まったときの演説では力強く堂々と人々に語りかける姿が印象的だった。

 そんなハリスの生き方に大きな影響を与えたのが、本書の随所に登場する母のシャマラ・ゴパランだ。この人がとにかく強者なのである。19歳でインドの大学を卒業すると、1958年に単身アメリカに渡り、25歳でハリスを産んだその年に博士号を取得。ベビーカーにハリスを乗せて、公民権運動のデモ行進に連れて行っていたというのだから驚く。「何がほしいの?」と聞かれ、幼子のハリスが「じゆー!(Fweedom!)」と答えたのも、むべなるかな。学校で起きた残念な出来事を報告する娘に、シャマラは共感するでも慰めるでもなく、「それで、あなたは何をしたの?」と問いかけた。自分の力で行動を起こし、自分より大きな何かのために闘う人になりなさいと教えるために。

 母の教えに導かれるように、ハリスは声なき人々の代弁者となることを目指した。性暴力や住宅ローン詐欺の被害者はもとより、大量収監政策の犠牲者、LGBTQ、書類なき移民、内戦や虐待を逃れてやってくる亡命者といった人々のための奮闘が、本書には余すところなく盛り込まれている。ハリスのさまざまな闘いの物語からは、もちろんその行動力や意志の強さ、野心までもがよく伝わってくるが、弱者に対する彼女のまなざしは一貫して優しい。

 一方で、夫であるダグ(ダグラス・クレイグ・エムホフ)との出会いから結婚、そしてダグの二人の子どもたちにまつわるエピソード(第4章、第5章)からは、闘う法律家、政治家とは別の「人間カマラ・ハリス」の顔が見えてくる。

 そして、第8章に書かれているアメリカの現状――「住宅、医療、育児、教育など、あらゆるコストが昔よりもはるかに高くつくようになった。その一方で、賃金は何十年も前から変わらず低いままだ」――には、日本の現在と行く末を重ね合わせないではいられない。「生活苦に陥ったアメリカ人の物語」は、明日の日本人の物語かもしれないからだ。

 先日、友人から「この本の翻訳作業の何が大変だったか」と聞かれ、ふり返っても何も頭に浮かんでこず、「あまり大変じゃなかった」などと答えてしまった。いやいや、書籍の翻訳は(少なくとも私にとっては)苦労の連続で、大変でなかった作品などひとつもないし、本書とてもちろん例外ではない。それなのに、どうしてあんなことを口走ってしまったのだろうか。思うにその理由は、原書『The Truths We Hold』のおもしろさに尽きる。それは、訳出やリサーチといった一連の作業の苦しさを差し引いても余りあるほどで、読み進めていくのがとても楽しかった。読者のみなさんにとって『私たちの真実』がそんな一冊になってくれたら、この本を世に送り出すために尽力したチームのひとりとして、これほどうれしいことはない。

安藤貴子(あんどう たかこ)
早稲田大学教育学部卒。訳書に 『つきあいが苦手な人のためのネットワーク術』(CCCメディアハウス)、『ミーティングのデザイン』(ビー・エヌ・エヌ新社)、 『ロケット科学者の思考法』(サンマーク出版)など。

こちらの記事で『私たちの真実』の「はじめに」と目次を読むことができます。


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