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思い出の名高座③ 立川志らくの『中村仲蔵』(2)―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

90年代、低迷する落語界にあって立川志の輔は着々とファンを増やしていき「落語というエンターテインメントの可能性」を広げていったが、同じ立川流の立川志らくもまた「現代に生きる古典落語の可能性」を広げていた。『21世紀落語史』の中では、「21世紀の志らく」について詳しく触れることができなかったが、実は21世紀にも志らくは進化し続けていた。今回はその中で2009年にネタ下ろしした『中村仲蔵』について当時の日記を辿って記しておきたい。志らくの『中村仲蔵』はこの年、三段階の進化を遂げている。

1回目はこちら。

(2)2009年5月3日(再演)

有楽町よみうりホールにて「立川流特選会<第一部>志らく・談笑二人会」。前半で談笑が『黄金餅』を演じ、貧乏のどん底であえぐ人々の悲惨さ、「この地獄から抜け出るためなら何でもする」という人間の業を見事に描いた。後半は志らくの『中村仲蔵』である。3月の銀座ブロッサムでの初演以来の再演だ。

稲荷町から叩き上げ、中通りになっても仲蔵は毎度「申し上げます」の役ばかり。ある日、花道から出てきて四代目市川團十郎に「申し上げます」と言ったまま、後が出てこない。咄嗟の機転で團十郎の許に寄っていき、耳元で「親方、台詞を忘れました」と囁いた。後で團十郎の楽屋を訪ねて詫びた仲蔵に團十郎、「ああ、お前か。すぐに判ったぜ。ははは、あれはウケたよ、思わず笑いそうになった。いい度胸してやがる。だが稽古不足だな。うちに来ねぇか? 内職なんぞしねぇで芸に専念できる」 怒鳴りつけられるかとビクビクしていた仲蔵だが、叱られるどころか名人團十郎にうちに来いとまで言われたのだった。

「毎日通うのも大変だからうちに居候しろ」と言われた仲蔵、四代目團十郎の許で修行する。後に五代目團十郎となる五歳違いの倅と仲蔵は気が合い、二人して芸に精進する。「芸キチガイ」とまで言われるようになった仲蔵のことを、團十郎は「俺はあいつが好きなんだな」と言った。「俺の耳元で『親方、台詞忘れました』って言ったとき、可愛い顔をしていた……。あいつ以外、舞台の上で役者を可愛いと思ったことはない」

相中に出世した仲蔵は『鎌髭』に出演。團十郎が不死身の六部、その首を狙う隠密が仲蔵だ。初日の舞台が終わると、團十郎は弟子の團六を呼んで訊ねた。「鎌を引かれたとき、俺がグッと睨んで見得を切ると、客がワーッと誉めた。それは判るんだが、その後、しばらく間を外してまたウワーッと声が上がった。あれは何だ?」「あれは仲蔵さんが、上から親方を不思議そうに覗き込んだんです」 團六は仲蔵に「親方しくじったよ。余計なことはやめたほうがいいよ」と忠告。仲蔵がその忠告に従って二日目には覗き込まずに普通に演ると、團十郎は仲蔵を楽屋に呼んで理由を訊いた。

「昨日、あんなにウケたのに、何で今日は演らなかった? お客様が喜んでくださってるんだ。やるがいいじゃねぇか」
「出すぎた真似をして親方の見せ場を取っちゃ失礼だと」
「ふざけるな! 俺を誰だと思ってる! オメェみたいな半端な役者が何言いやがる、俺は團十郎だ!」

一喝した團十郎は、仲蔵に芝居の心得を説く。「段取りが入った、台詞が入った……それだけの芝居を見せられて客は満足するか? 相手の役者が戸惑ったらオメェの勝ちだ。芝居は生きてる。色々考えてやれ! 相手に喰われたら喰い返せ! 芝居なんて、肩の力を抜いてやるもんだ。所詮は芝居なんだ。肩の力を抜いて、頭で考える。俺もお前を喰うつもりでやる。悔しかったら俺を喰っちまえ!」

團十郎は「創意工夫が大事だ」ということを説いたのだった。その教えを忠実に守った仲蔵は大きく成長し、どんどん人気が出た。相中まで出世したのは團十郎の後押しだ。しかし、もう團十郎の後押しは要らなかった。客が認めて仲蔵は名題になったのである。稲荷町の出としては異例の出世だ。仲蔵の師匠、中村傳九郎の涙を見た團十郎は言う。「その涙はまだ取っておいてやってくれ。あいつは名題で終わるやつじゃない。芝居を引っくり返すやつだ。俺は歳が歳だから、見れねぇかもしれないが……」

正月の芝居、仲蔵は『曽我』で工藤祐経を演るに当たり、狐の面を最初から被って出てくるという演出を考えた。だが立作者の金井三笑は「首からぶら下げて出てきて、後で被るほうがいい」と見当違いな指示を出す。ここで志らくは「桃太郎侍が首からお面ぶら下げて出てきたら変でしょう」と解説。仲蔵は三笑を無視して大いにウケを取った。面白くないのは金井三笑。恨みを込めて『仮名手本忠臣蔵』で仲蔵に五段目の斧定九郎の一役を割り振った。「こんな役は名題のやる役じゃない」と断れば増長していると言われるし、引き受ければ恥知らずと言われる、追い詰められた仲蔵……。

しかし、ここで仲蔵は團十郎の教えを思い出した。「創意工夫」である。とはいえ「おーい、とっつぁーん」と「五十両……」、これしか台詞が無い役でどう創意工夫をするべきか。妙見様に願掛けをして満願の日、通り雨を避けようと入った蕎麦屋で仲蔵は年頃三十二、三のビショ濡れの浪人に出遭う。「これだ! この形だ!」 斧定九郎は落ちぶれたとはいえ家老の倅、了見は山賊でも身なりまで山賊になる必要はないのだと仲蔵は閃いた。

仲蔵の女房は長唄三味線の名人杵屋喜三郎の娘。仲蔵夫婦はとても仲がよかった。『忠臣蔵』初日の前夜、仲蔵が定九郎のアイディアについて意見を求めると、「いいと思います。凄いと思います」と即答。「そうか、ありがとう。だが、良い悪いを決めるのはお客様だ。失敗したら大阪へ行って修行のやり直しだ。苦労かけると思うが……」「私、役者の女房ですもの、お前さんはお前さんの信じるとおりに突き進んで……こう言ったら私、貞女?」(笑) 前回はここでシリアスな台詞に入っていったが、今回は「やっぱりやめて! 普通に保守的にやって! 大阪に行ったら大阪弁になっちゃう!」と女房がダダをこね、「その晩は夫婦喧嘩でした」と地で語る。

仲蔵の斬新な演出はあまりに素晴らしすぎて、意表を突かれた観客は水を打ったようにシーンと静まり返り、何の声も掛からない。やり損なったと思った仲蔵。しかし「こうなりゃ大阪へ行きゃいいや、やるだけのことはやろう」と思った途端、肩の力が抜けて、ちゃんと自分の芝居を続けることが出来た。唯一の台詞、「五十両……」

鉄砲で撃たれた定九郎が血を流す演出は、この時初めて仲蔵が考案したもので、生まれて初めて「血を吐いて死ぬ定九郎」を観た客は「うわわわぁ! 血! 血!」と驚愕の声を上げ、仲蔵の耳にはそれが笑われたように聞こえてしまった。定九郎があまりに衝撃的なので、勘平が出てきて何を言っても、何をやっても全然ダメ。首に掛かった紐を引っ張られ、血を流して恨みの目で起き上がる定九郎に驚いた観客はまたしても「ウワーッ!」と言葉にならない声をあげ、それが仲蔵の耳には罵声に聞こえた。

楽屋に引き上げた仲蔵。役者仲間も何と言って誉めていいのか判らない。誤解したまま帰った仲蔵、女房に「やり損なった」と報告する。「私はいいと思ったんだけど、時代がついてこなかったのね。大阪へ行ってもいいけど大阪人にはならないでね! もう忘れて、お酒でも飲んで……」「ダメ」「どうして?」「また夢になるといけネェ」「ベロベロになっちゃえ!」(笑)

表へ出ると、ちょうど芝居がハネて、帰ってくる客が大勢歩いてくる。「今日の定九郎……」「大した役者だな」と絶賛する人々の声が、仲蔵には「大したことねえ」と聞こえる。だが、江戸橋の手前の床屋の前を通った仲蔵に聞こえてきたのは、「今日の定九郎は凄かった!」という声だ。「定九郎? ははあ、オメェは芝居観すぎだよ。落語でもそう、観すぎると何がいいのか判らなくなって、上手いのより地味なのがよくなったり」「違うよ! 血を吐くんだよ!」「血? 舌かんだのか?」(笑)

「じっちゃん、じっちゃんから定九郎のこと言ってやってくれよ」「栄屋はたいした役者だ。今までは、名題にもなって相中のやる定九郎なんぞをやるのか、意地汚いヤツだと思っていたが、そうじゃなかった、今初めて判った、これで謎解きが出来たよ。さすがは栄屋だ」「へえ、じっちゃんは辛口で有名な『町内の井筒監督』って言われてるのに珍しいね」「栄屋は名人だ、あの定九郎を見なきゃ江戸っ子じゃねぇ!」

「ありがてぇなあ、たった二人でもわかってくれた。そうだ、これをカカァに教えてやろう」と家に戻る。「嬉しい! よかったね! お酒飲む?」「いや、また夢になるといけねぇ……これを夢にしたくねぇ」 そこに團六が。「師匠が呼んでるよ。怒ってるよ!」 慌てて傳九郎の許へ駆けつける仲蔵。「おお仲蔵! 五段目、見たよ。あれはどうした?」 小言だと思い込んだ仲蔵は何も言えない。「この脇差は紀州様から頂いたものだ、我が家の家宝だ」と差し出す傳九郎。「……これで死ねってナゾですか」「何?」「確かにやり損なった……でもたった二人だけ、誉めてくれた人がいたんです」と涙を流す仲蔵。

「何を言ってるんだ仲蔵、皆さんが誉めてくださってるんだぞ。大変な評判だ。皆、お前の定九郎を観たいって……明日から大変だぞ。勧進元も、この芝居は何日続くか判らないほどだって」
「……じゃあ……?」
「ああ、役者仲間もお前の話で持ちきりだ。いいか仲蔵、これから何十年経とうが、この国に芝居がある限り、五段目は今日お前がこしらえた型でやるようになるんだ。私は嬉しくてしょうがない。お前を弟子に持って幸せだ。褒美の脇差を受け取んな。それにしても、さっきは妙だったな、お前その刀をどうするつもりだった?」
「はい、四段目で判官が、六段目では勘平が腹を切りますから、五段目でも定九郎が腹を切ろうと思いました」

全体的には前回とほぼ同じであるとはいえ、微妙に変化した部分もある。「志らく落語」としての『中村仲蔵』は進化の途中にあると言えそうだ。

3回目につづく


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