見出し画像

2000本安打を達成した坂本勇人のキャリアを振り返る

熱烈な巨人ファンで、多くの野球マニアや選手たちからフォローされるゴジキさん(@godziki_55)が巨人軍を徹底分析。今回は、通算2000本安打を達成した坂本勇人選手のキャリアを振り返るとともに、今後のキャリアの展望と課題について考察します。

巨人入団、高卒2年目でのレギュラー獲得から主力への台頭(2007年〜2012年)

坂本勇人はルーキーイヤーに二軍で77試合に出場して打率.268 5本 28打点の成績を残し、一軍では9月の中日戦でプロ初安打初打点となる決勝タイムリーを放ち、鮮烈なデビューを果たした。

2年目のシーズンは、松井秀喜以来となる10代での開幕スタメンを勝ち取っただけでなく、その後もこれまで巨人軍の遊撃手だった二岡智宏からレギュラーを奪い、巨人軍の正遊撃手として一気にのし上がり、リーグ優勝に貢献した。

さらに、3年目には規定打席に到達した上で、高卒3年目以内では史上11人目となる3割を達成。初のベストナインを獲得するなど、リーグ優勝と日本一に大きく貢献した。続く4年目も1番打者としてフル出場して、高卒4年目以内では史上8人目となる30本塁打を達成した。

6年目のシーズンでは最多安打を獲得し、日本シリーズでも打率.360を記録して3年目の2009年以来となる再びのリーグ優勝と日本一に貢献し、アジアシリーズでもMVPを獲得した。

坂本はこのようにキャリアの序盤から華々しい活躍を見せ、若手から中堅に差し掛かる頃には同世代だけではなく、球界を代表するレベルの選手になっていた。

打撃面では苦しんだが守備のポテンシャルが開花した中堅時代(2013年〜2015年)

ところが2013年から2015年は、打撃面で苦しむ時期となった。

2013年は第3回WBCの日本代表にも選出され、シーズン序盤は上々のスタートを切った。シーズン規定打席に到達した時点では打率3割を記録していたが、WBCに合わせた調整の早さなどが影響して、最終的には打率.265に終わった。優勝決定後は疲労の影響などからスタメン落ちも経験し、ポストシーズンでも不振に終わった。
その後の2014年、2015年のシーズンも、打率は3割を切る形となり、物足らない結果に終わった。とはいえその中でも、2014年は開幕戦で通算100号と5月には史上277人目の1000本安打、9月に1000試合出場、10月に100盗塁を達成した。

打撃面はなかなか振るわなかった一方、この時期には守備力の向上が見られた。2012年のシーズン前の自主トレで坂本は、当時東京ヤクルトスワローズに在籍していた宮本慎也に弟子入り。この自主トレで確実性のある送球や正しい捕球の体勢、正確なスローイングなど守備の基礎を身につけていき、練習を重ねていった。

さらに、2014年にはこれもまた球界屈指の名手である井端弘和が中日から巨人に移籍し、守備に対するスローイングの間の作り方などを助言されるなど、名手のプレーを間近で見ることやアドバイスをもらうことにより、守備のレベルは着実に向上していった。入団当初から光っていた広い守備範囲に加え、2014年あたりからは堅実な捕球や正確性のあるスローイングも自分のモノにして、守備面も大きく成長していった。

一般的に守備の確実性の高さとして参考にされるデータである守備率でも、2015年は.982でセリーグ1位となった。2017年には失策数がキャリア初の一桁を記録し、守備率.987でまたもセリーグ1位に輝いた。プレーをその眼で見てももちろんのことだが、数字という側面から見ても、若手の頃に比べて捕球や送球の確実性がついたと思われる。

2015年のプレミア12では、日本代表の遊撃手として最優秀守備選手を受賞した。このようなタイトルを受賞したことで選手としても「箔」がつき、一般的なファンからの印象も以前とは変わり、「守備も上手い遊撃手」のイメージになっていったのではないだろうか。

セリーグの遊撃手史上初となる首位打者獲得からキャリアハイ到来(2016年〜2018年)

打撃が良くも悪くも「まとまって」しまっていた坂本に転機が訪れたのは、おそらく2015年に開催されたプレミア12だろう。このプレミア12では、ヤクルトの山田哲人や横浜DeNA(当時)の筒香嘉智からアドバイスを積極的にもらっていた。
これによって打撃スタイルに幅が広がり、2016年からはリーグのみならず球界でもトップクラスの打撃成績を残すようになった。

2016年のシーズンからは、重心を低く沈み込むようなフォームに改良し、低調だった打撃が一気に開眼された。その結果、打率はキャリアハイとなる.344を記録してセリーグの遊撃手として史上初の首位打者を獲得。さらに、出塁率も.433を記録して最高出塁率にも輝いた。守備では、初のゴールデングラブ賞も獲得した。

2017年は、自身2度目となるWBCの日本代表に選出されて、打率.417を記録。さらに、広島の菊池涼介と二遊間を組んで歴代の代表でもトップレベルのセンターラインを築き、ベスト4に大きく貢献した。シーズンはWBCの疲れなどで3割をきったものの、1500安打達成や2年連続となるゴールデングラブ賞を獲得した。

2018年は、怪我で約1ヶ月の離脱があったものの、通算1500出場はもちろんのこと、遊撃手としては史上初の2度目の打率.340以上を記録した。結果的にはキャリアハイを更新する打率.345を記録してベストナインを獲得した。

遊撃手で史上初の3割40本塁打を達成してMVPに輝く(2019年)

2019年のシーズンは、40本塁打をはじめ打点、長打率もキャリアハイを更新。2番打者ながらも「パワーフォルム型」として、歴代の遊撃手の中でもトップクラスの活躍を見せた。

坂本の打撃スタイルを見てみると、2019年のシーズンは自らの引き出しの手札を増やすような形で「バレル」を目指したことがうかがえる。開幕からシーズン終盤まで再現性を高めた形で、パワーフォルム型のスタイルで長打を積極的に狙っていき、横浜DeNAのソトとシーズン終盤まで本塁打王争いを繰り広げた。

キャリア通算200本塁打達成や初となる2年連続の3割到達はもちろんだが、セリーグ新記録となる開幕戦からの36試合連続出塁など数々の実績を残したが、なんといっても素晴らしいのは球界史上初となる遊撃手としての3割40本塁打達成だろう。
チームの5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、文句なしのセリーグMVPに輝いた。

開幕序盤は苦しみながらも2000本安打を達成(2020年)

史上最年少の2000本安打達成者でもある榎本喜八の31歳7カ月の記録を52年ぶりに更新する可能性も注目されていた今シーズンだったが、新型コロナウイルスの影響で開幕が延期になったため、開幕の時点でそれはほぼ不可能な状態となった。

そして6月から開幕した今季、序盤3ヶ月は低迷し、最も厳しい時期は2割前半の打率を記録していた。だが、9月からは同じく不調だった丸佳浩や岡本和真と共に復調し始めて、チームを勢いづけた。坂本自身は、9月、10月と月間打率3割を超え、首位を走るチームをバットで引っ張るのはもちろんのこと、自身の2000本安打に近づいていった。そして、シーズン最終盤に史上53人目の2000本安打を達成した。

今シーズンは調整不足の中、開幕当初からの不調があったものの、ここまで調子を上げていく実力は超一流そのものだったと言えよう。

投手や局面によって見られた高等技術

技術面では、2019年のシーズンから足の上げ方を従来のように大きく上げたりすり足にしたり二段階にしたりと、その打席の対戦投手やタイミングによって変えている場面がしばしば見られた。
このようにタイミングを工夫するのは、ソフトバンクの柳田悠岐やこの年パリーグ首位打者になった森友哉も行なっている、ハイレベルな打撃技術のひとつである。
さらには、打席によってグリップの持ち方も変え、指一本分開ける姿もしばしば見られた。このテクニックはソフトバンクの松田宣浩が実践しており、坂本に直々にアドバイスをしたのは村田修一コーチだそうだ。 

また派手な打撃成績に隠れがちだが、2019年は2014年以来のシーズンフル出場も果たし、キャプテン就任後初のリーグ優勝に大きく貢献をした。 

このような活躍ぶりを見ても、坂本勇人という選手は遊撃手という括りを超えて歴代屈指の選手になったと言える。

打者としての今後のキャリアと課題は?

2019年のシーズンに2番打者として優勝に大きく貢献したが、この2番打者としての資質に関しては、プレミア12で日本代表の2番打者を経験したことが大きかっただろう。

この年開花した「パワーフォルム型」はもちろんのこと、2016、2018年のシーズンや2017年WBCのような率を残す打撃スタイルも可能であるし、ランナーを置いた場面や試合展開によっては意図的に右打ちなどをするなど、臨機応変に対応できる選手にもなった。

今後の課題をあげるとすれば、苦手の夏場をどう乗り越えていくか、そして打撃スタイルの変化からの確立である。

来年以降、従来のフルシーズンに戻っていくと仮定した場合、夏場に関しては若手の頃から弱く、毎年のように打撃の調子が下降する傾向が見られるので何とかしたい。それが顕著にあらわれたのが、2013年である。規定打席到達時点では打率.303を記録していたが、最終的な打率は.265にまで低下した。また2017年のシーズンも7月は打率.352と調子が良かったものの、8月は打率.221と急下降。9、10月も打率.208となり、最終的に3割を切る形となった。

原因としては、坂本自身が夏場に弱いのはもちろん、コンディションが低下していくことによって下半身に粘りがなくなることだろう。
特に、WBCなどの国際大会出場による疲労もありうるケースなので、それを改善していくには、5月~6月ぐらいの段階で疲労等を含めコンディションを考慮した上で休ませることも必要だ。

とはいえ、疲労を原因とした調子の低下やコンディションの回復という課題は、2019年や2020年のシーズン、プレミア12で克服しつつある場面も見られた。たとえば2019年のシーズンを見ると、疲労により交流戦で不調に陥ったが、交流戦明けまでの移動日期間に調子を持ち直した。その後のCS〜日本シリーズやプレミア12の大会序盤でも疲労から不調に陥ったが、大会中の移動日や控えに回る試合があったことから、大会終盤のメキシコ戦や韓国戦では本来の打撃を見せることができた。こうやって、調子やコンディションの持ち直し方を上手く調整していくことによって今後のキャリアでの成績も大きく変わっていくだろう。

その他には、脚力も衰え始めたので打撃重視のプレースタイルに変えて確立していく点も重要だ。脚力の低下はもちろん年齢的な衰えもあるが、近年は怪我や故障も増えてきていることも要因だろう。
一つ具体的な例を挙げると、盗塁数は2017年のシーズンを最後にここ3年のシーズンの数字が一桁にまで落ち着き始めている。
このような状態であるため、今後はいつか、遊撃手としてキャリアを積むことが限界となるシーズンが来ると思われる。
仮に一塁手や外野手などにコンバートをされるなら2019年のように「バレル」の再現性を高めて、長打力のある打撃スタイルを確立させていくのがベターだと考える。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!