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イタリア人オタク精神科医が提唱する「アニメ療法」|パントー・フランチェスコ

編集部の高橋です。光文社新書は2022年12月の新刊として『アニメ療法』を出版しました(「アニメセラピー」と読みます)。本書はイタリア出身の"オタク精神科医"であるパントー・フランチェスコさんが、精神医療の一種である「物語療法」を日本のアニメコンテンツに応用した新たな「アニメ療法」を提案する、スリリングな一冊です。
刊行に際しまして本書の「まえがき」と「目次」を掲載します。是非ご覧ください!
※編集部注:「まえがき」を読めばわかっていただけるかと思いますが、
"オタク精神科医"はキャッチコピーとして付けているのではなく、パントーさんはガチのアニメオタクです。

まえがき

アニメ療法とは何か?

本書のタイトルである「アニメ療法」。これは一体何だろうか?
好奇心を抱く人もいれば、不審に感じる人もいるかもしれない。まずは少しだけ、この本を執筆した経緯、そもそもアニメ療法を思いつき、開発するに至ったきっかけを語りたい。

筆者は日本文化を研究するイタリア出身の精神科医であり、現在は日本の病院に勤めている。そして、子供の頃から日本のアニメやゲームなどのいわゆる「オタクカルチャー」に接してきて、自分自身が救われた体験がある。

ポケモンをボールに収めて、絆の旅に出た。セーラームーンと一緒に凛々しいヒーローに変身して、スーパーパワーで弱者を救った。『犬夜叉』を見て戦国時代へタイムスリップして、自分自身の二面性を受け入れられるようになった。『地球少女アルジュナ』で生死の意味、自然と愛の不可解さを知った。『CLANNAD AFTER STORY』のキャラクターと一緒に、家族の絆に気づいて泣いた。『東京マグニチュード8・0』で自然の残忍さと、儚 い絆の強さを感じた。『魔法少女まどか☆マギカ』で無慈悲の宿命の中でも美しい光があることを目撃した。この世にはカッコ悪い自分しかいないと思った時に『ゼルダの伝説』のリンクになって勇ましく剣を振り回し、己の存在を叫んだ。

こうした経験から、筆者は日本のポップカルチャーの秘める力を知った。そして精神医学の道に進んで研究を重ねれば重ねるほど、「物語」が精神的なサポートをできること、日本の文化財産とも言えるアニメやゲームに大きなヒントがあることを強く感じるようになった。きちんとした効果検証をした上で、臨床現場にも導入できるのではないかと考えたのだ。

厚生労働省のデータによると、日本の15〜34歳の死因第1位が自殺となっている。これはG7の中でも日本のみである。周りに助けてくれる人がいなくて相談できず、精神科へは怖くて行けないと思い悩み、「心のアンバランス」を解決できなくて苦しむ若者は、目に見えないだけで至るところに存在する。心のケアが今の世の中で大きな課題であることは、誰もがわかっているだろう。

アニメ、ゲーム、漫画、小説……こうしたストーリーを語るフィクション(創作された物語)は精神科学と臨床心理学において、どのような役割・居場所があるのか。エンターテインメントによる心のケアは可能なのか。これが筆者の探求している「問い」である。この問いに答えるために、筆者は若者の心をケアするエンターテインメントという新しいコンセプトを提唱したい。それが本書のタイトルである「アニメ療法」なのだ。

アニメやゲームに拒否反応を示す人もいるかもしれない。特にゲームには、依存を助長するような側面があることは事実だ。2019年5月、世界保健機関(WHO)は「ゲーム障害」を新たな疾病に認定した。ゲーム障害はその名の通り、日常生活に支障が出るほどゲームに時間を費やし、依存することと定義される。

ただ、近年は様々なタイプのゲームが出ていることもあり、ネガティブなイメージは弱まっている。ゲームは孤立や依存ではなく、自己啓蒙や社交を伴う活動だと捉えられるようになった。また、マーケティングなどの領域でも人の行動を促す「ゲーミフィケーション」の手法が盛んに取り入れられている。2011年にはニュージーランドが国家プロジェクトとして、認知行動療法(CBT)に基づくロールプレイングゲーム(RPG)「SPARX」を開発した。ニュージーランドもまた若者の高い自殺率が課題だったが、軽度のうつ病を治療できるこのゲームは従来のゲームに伴うイメージを覆し、国連やユネスコによる賞も受賞した(ゲームの詳細は本書の第15章で紹介している)。

アニメ療法を思いついたきっかけ

心をケアする新世代型エンターテインメント。その実現のためにはまず、物語作品の鑑賞を科学的な観点から理解する必要がある。私たちは物語を鑑賞する時、内容の理解だけでなく、感情反応をはじめとした様々な体験をする。こうした体験はひっくるめて「物語への没入」と呼ばれる。キャラクターやストーリーに対して感情移入できるからこそ私たちの態度や信念は変化するし、鑑賞後の喜びや楽しみも高まる。このことはすでに研究で立証されている。

筆者が「アニメ療法」を考えついた理由は、日本アニメのオリジナリティにある。子供の頃はただ日本のアニメが好きで見ていたが、大人になって本格的に調べ始めたら、日本のアニメは西洋のアニメと比較して独特な雰囲気を持つこと、映像のクオリティが高いこと、作品数が多いことなどの特徴に気づいた。

日本のアニメーションの歴史において特に重要な位置を占めるのが、1963年に放送開始された『鉄腕アトム』だ。この作品が一つの契機となり、1963年には年間わずか7作だったのが、2019年には200作前後が放送されるまでに至った。時代を追うにつれてアニメーション制作の幅も広がり、様々な表現が模索されてきた。

それを踏まえると、西洋のアニメは質、量ともに比べ物にならない。何よりも、西洋の文化では厳密には「アニメ」はない。主たるものは「cartoons」(子供向けの描写が中心)だ。日本のアニメーションが西洋のそれと異なるのは、込み入った物語や描写の深み、強いコンプレックスを抱えたキャラクターにある。熱心な親日家ではなくても日本アニメが好きだという大人が海外に多くいるのは、そうした理由もあるだろう。昨今では配信サービスなどの発展で各国言語への吹き替えや字幕が増えたことで、どの国、どの言語でも日本アニメに触れることができる。

筆者もやはり、日本アニメを単なる娯楽の一種として楽しんだだけではない。思春期の心理的成長において、アニメキャラクターとの感情的な関わりが大きな役割を持ったと自覚している。この経験から日本文化を知りたくなったし、アニメーションは娯楽を超えて自分の気持ちを、他者の気持ちを知るための術になり得るのではないかと考えるようになった。

物語が持つ力

物語の理論は古来、多くの哲学者や心理学者に論じられてきた。古代ギリシャ人は石ころで作られた劇場で生の演劇を鑑賞し、ストーリーに感動を覚えた。哲学者のアリストテレスはこうした感動体験を精神的な浄化、「カタルシス」と命名した。劇の鑑賞が哀れみや恐れの感情を呼び起こしたり、精神にポジティブな効果をもたらしたりすることは当時から理解されていたのだ。

また現代心理学では「物語療法」(narrative therapy:ナラティブセラピー)という方法があり、ここでも物語鑑賞の効果が示唆されている。10年ほど前から科学的実証性のある理論が現れ始めており、中でも筆者の目を引いたのが「感情移入理論」(narrative transportation theory)である。この理論では、観客は物語を経験することで感情的・認知的な変化を成し遂げるが、それはストーリーとキャラクターに対する感情移入があるからこそだと提唱されている。

欧米の精神療法の現場では物語療法が活用されている。患者の人生のストーリーの再構築を目指すカウンセリング法だ。日本でも浸透しつつあるが、カウンセリングにおいてはまだ幅広く使われていない印象がある。

またゲイリー・ソロモンというアメリカの心理学者が開発した、映画をカウンセリング現場に導入する「映画療法」(cinema therapy:シネマセラピー)という方法もある。クライアント(患者)の悩みにふさわしい映画を「処方」し、患者はその映画を見て、次のカウンセリングの際にセラピスト・医師と一緒に映画のストーリー、登場人物の悩みや葛藤などをディスカッションする。自己啓発、自己効力感、不安の感情の緩和などが報告されているが、正確なデータを提供できる臨床研究が少なく、効果はまだ完全には立証されていない。

日本のアニメをベースにするセラピーは、これらの手法と何が違い、どのような利点があるのだろうか?
私たちは健康でない状態であれば、当たり前だが治療を受ける必要性を感じる。しかし、治療を継続するには努力と強い意思が欠かせない。治療を大事ではないと思ったり、面倒になったりしてやめてしまったことのある人もいるだろう。医師あるいはセラピストの指示に従い、正しい行動に準じることを医学専門用語では「コンプライアンス」というが、患者のコンプライアンス(=治療を継続する意思)を高めることは大きな課題である。

この時、つらくないし億劫でもない気軽に受けられる治療が、もっと言えば楽しい治療があれば、私たちは治療を受けやすくなる。現在の多くの治療は健康を取り戻すことが第一義であり、楽しさは脇に置かれている。健康を取り戻せる限りはその過程がつらく、つまらないものでも仕方ないとされている。まさに「良薬は口に苦し」である。腫瘍を取り除くような治療であれば、それも当然かもしれない。しかし、精神や心を治療する上で楽しくない方法を取ることは望ましくない。心の病気には様々な因子が関わるが、患者の気分も大きな比重を占める。言い変えると、楽しくないとコンプライアンスを保つのが難しいのだ。

だから筆者はアニメ療法というプレイフルでカジュアルな治療を提案したい。娯楽の側面を持ちつつ、治療としても機能する方法があれば最高ではないだろうか。特にデジタルネイティブである若年層にはこうした精神療法がもってこいだろう。

なお、筆者がいう「アニメ療法」で想定する作品は、正確にはアニメに限らない。対象は日本製のゲームや漫画、小説などの物語作品にまで及ぶ。共通項は、架空のストーリー、キャラクターによって語られる作品であること、そして「(日本)アニメ的」な世界観や設定を有することである。「(日本)アニメ的」が具体的に何を指しているかは、本書を追っていけばご理解いただけると思う。

例を挙げると、2020年9月に配信開始され現在大ヒットしている『原神』(Genshin Impact)というオンラインゲームは、HoYoverseという中国の会社が制作している。ただ、特に欧米では日本製のゲームと勘違いされることが多い。実は、原神の制作者は日本のゲーム、アニメ文化に感化されてゲーム会社を立ち上げたオタクであり、彼らのモットーはtech otakus save the world(ITオタクは世界を救う)だ。こういった経緯があるため、『原神』のストーリーやキャラクター設定は日本のオタクカルチャーに深く影響された仕上がりとなっている。

すなわち、このような作品も「アニメ療法」を語る上での対象になると言える。重要なのは「アニメ」という形態ではなく、それが持つストーリーやキャラクターなどの意味付けなのだ。ちなみに、欧米では『原神』のようなゲームは「アニメ風ゲーム」(anime game)と呼ばれている。

本書の構成

最後に、本書の構成を説明したい。
本書は大きく三つのパートに分かれている。第1部は娯楽として、また治癒としてのアニメーションの由来や意味、現在の使われ方を分析する。第2部では、映画や物語が持つ心理的な効果を説明する。心理学の臨床研究において示唆されている効果、感情移入や感情的刺激に誘発される心理的な効果に関しても紹介したい。そして第3部では、アニメを用いた療法の具体的な提案を行う。現在の日本、世界の医療界で実現可能なものにするための道のり、期待できる効果、この療法のターゲットについても論じる。

物語作品が人の感情を動かすプロセスを図でまとめたので見てほしい。これは、『アニメ療法』の大まかなイメージをつかむための全体像である。様々な用語・概念が登場しているが、章を追うごとに一つずつ解説していくので、個々の言葉の意味やそれらの結びつきがまだわからなくても安心していただきたい。

少しだけ結論を先取りすると、心をケアする作品を作る際には、ストーリー、キャラクター、審美表現における感情移入効果を高める必要がある。鑑賞者が作品に没入して感情移入が成立すれば、アニメ療法が可能となる。逆に認知的処理が主となり、過剰な評価、批判が生じるとアニメ療法のプロセスは妨げられる。

ちなみに、本書の表紙に描かれているイラストは「未来の少年」だ。物語を鑑賞することでスーパーパワーを身に纏い、心と身体を「変身」させている。アニメやゲームの画面越しに、こうした大いなる自己変容ができる時代は来るのだろうか。アニメとゲームを鑑賞するだけで、元気になれる。そんな世界は、そんな物語はあり得るのだろうか?
これから筆者と一緒に考えてみよう。

目次

第1部 「娯楽」と「治癒」としてのアニメーション
 第1章 アニメーションの誕生と本質
 第2章 日本と西洋のアニメは何が違うのか
 第3章 アニメは何のために存在するのか
 第4章 アニメは娯楽以外の意味を持つか
 第5章 アニメという「表現」の長所

第2部 アニメ療法の基盤となる科学的根拠
 第6章 アニメがもたらす様々な効用
 第7章 映画療法が示唆する効果
 第8章 物語療法が示唆する効果
 第9章 認知的説得と感情的説得
 第10章 メディアの影響力
 第11章 その他の物語療法

第3部 アニメ療法を構築する道のり
 第12章 アニメ療法の必要性と立ち位置
 第13章 アニメ療法の一般理論
 第14章 アニメ療法の臨床的・非臨床的なセッティング
 第15章 アニメ療法の実現可能性と今後のステップ

あとがき
参考文献

著者プロフィール

イタリア、シチリア島出身。ローマのサクロ・クオーレ・カトリック大学医学部卒業。ジェメッリ総合病院を経てイタリアの医師免許を得てから来日し、日本の医師免許を取得。筑波大学大学院博士号取得(医学)。慶應義塾大学病院の精神・神経科教室に入局し、現在は複数の医療機関にて精神科医として臨床している。
文化医学、社会精神医学、人類学に興味を持っており、日本の文化の一つと言えるオタクカルチャーを生かし、世界中の若者のメンタルヘルスを支援するツールの開発を目指す。今後は社会評論、アニメ療法に基づいた娯楽作品(アニメ、ゲーム、漫画など)の開発に注力する予定。
Twitter @PantoFrancesco

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