偶然の出会い|神田桂一『旅がなくなる。』第1回
インターネット・スマホ・SNSの普及で本来の意味での旅は失われた。そこにあるのはただの移動にすぎない。あるいは純粋な意味での観光である。
予兆はあった。2010年代初頭からだろうか。海外のゲストハウスのラウンジで、みんなノートパソコンに向かって、一向に喋ろうとしないのである。ノートパソコンで何をしているのかというと、宿の予約、次の行き先の情報収集やメッセンジャーアプリでのチャットなどである。
本来、そういうものは、未知のものであった。未知だからこそ、刺激的であり、それが旅の醍醐味であった。宿は、飛び込みで値段を聞いて高ければ値段の交渉をし、納得が行った上で宿泊する(それが例えボラれていたとしても)。先に情報収集してしまったらただ単にその情報をなぞるだけの旅になる。それは旅ではなく観光旅行である。そこにはなんのハプニングもない。予定調和が存在するだけである。メッセンジャーアプリで友人とチャットするのもいいが、目の前の未知の旅人と話してみると多くの発見をすることもある。そこには様々な人生が存在し、自分の人生を見つめ直すことができるだろう。ときには旅の道連れになることもある。一生の友達ができることだってある。
そういう経験が、インターネット・スマホ・SNSの普及で一切失われた。さらに言えば、SNSの普及で、記憶より記録という風潮が加速された。僕らは写真を撮るために旅に出ているのではない。本当に大切な思い出は、記憶に刻み込まれる。記録に固執するあまり、体験がおざなりになってしまう。体験がおざなりになると、記憶に刻み込まれない。残るのは、虚しい画像データだけである。それでは本末転倒も甚だしい。
僕は、本来の旅にあった「偶然」のコミュニケーションがどうすれば、現代の旅に復活するのか、考えているが、答えはまだ出ていない。スマホを投げ捨てて、旅に出るしかない。しかし、自分だけではどうしようもない。
そう言えば、昔、エジプトに滞在していたとき、シリアのアレッポでアレッポ石鹸を仕入れて日本で高く売るんだと意気込んでシリアに向かっていった旅人とたくさん遭遇したが、今ではメルカリで相場が簡単にわかってしまう。便利は便利だが、実に夢のない話だ。
こんなこともあった。
高校時代の友人がインドに転勤になった。デリーの近郊にあるグルガオンという新興都市だ。IT企業群が集まる都市として有名だ。
じつは僕もこの街に行ったことがある。まったくの偶然だ。2007年、僕は休暇を利用してインド旅行に出かけた。LCCなんて当時はないから、一番安い中華系の航空会社を使っても14万円くらいした。成田発、北京経由、ニューデリー行き。
北京での乗り継ぎでひとりの中国人の青年と出会った。僕が読んでいた小説を不思議そうに眺めながら、それを書いている作家は誰だい?と話しかけてきたのだ。僕が読んでいた本は、舞城王太郎だった。
向こうは英語が堪能で、僕は英語が苦手だ。彼の話を必死に聞き取り、質問を投げた。
彼はJACKと名乗った。中国の天津生まれで天津大学を卒業したあと、中国のIT企業・華為(ファーウェイ)に就職した技術者で、年齢は26歳。メガネをかけていて、細身の体。見た目は日本人とあまり変わらない。インドにある支社で3ヶ月間開発を行うためにムンバイに行く予定だが、その前にデリーで打ち合わせがあるためにこの飛行機に乗ったということだった。
年齢も比較的近かったのでなんとなく波長があった。とりとめのない話を続けていると「今日のホテルはどこなんだ?」と彼が聞いて来た。僕はホテルは決めてない。デリーの街に出てから適当に探すと答えると、凄くびっくりしたようだった。
「それは危ないよ。よかったら、僕の社宅に部屋がひとつ空きがある。そこに泊まればいい」と彼は言った。
僕は渡りに船と快諾し、深夜の空港につくと、路上で寝ているインド人をかき分け、彼を迎えに来ている社用車が止まっている場所まで向かった。
インドの最大の難関は空港を出ることとよく言われる。タクシーが目的地に連れて行ってくれないのだ。夜中に旅行代理店に連れて行かれ、契約しないとここで下ろすと脅されるパターン。そんな話も聞いていたので、ラッキーだと思いながら、僕は車に乗った。車から外を眺める。もやっとした熱気で街の灯がぼやけて見える。
そうして、40分ほど車を走らせてついた場所が、グルガオンの一角にあるマンションだった。警備員のいる門を通り中に入る。
僕はファーウェイの社宅の一室に泊まらせてもらうことになった。冷房はなかった。蚊帳がベッドに吊るされていた。マンションに5人以上はいたと思う。有名な企業なのに、そこまで豪華じゃないことにびっくりした。僕だけ、個室で申し訳ないなと思いながらも、自分の部屋にいることはなく、夜通し、JACKの部屋で色々と語り合った。それは、とても今インドにいるとは思えないような、和やかな時間だった。初日からこんなにうまくいっていいのだろうか。あとからとてつもなくひどい目に会うのではないか。まるで舞城の小説のトリックにハマっているようだった。
こんな出会いも、インターネット時代の宿予約がデフォルトの今では、ありえないだろう。今考えると、旅にとっての幸福な期間は、アレッポ石鹸でたてた、泡のような日々であったのかもしれない。