物理学は歴史が面白い! 「万物の理論」を探し続ける2500年の物語|冨島佑允
何かと計算や公式の多い物理学。熱力学のエントロピーに躓いて、波動でsin, cos, tanを用いた計算に頭を抱えた覚えがあるのではないでしょうか。「他と比べて物理学は苦手だ(だった)」という人も少なくないのでは——。もしそうであるなら、まずはその歴史、つまりは「物理学史」から始めてみるのはいかがでしょう。世界の法則を解き明かそうと試行錯誤を重ねた天才たちのドラマを知れば、物理学は途端に面白くなります。光文社新書4月刊、冨島佑允さんの『物理学の野望』では、そんな2500年の歴史を一気に解説。ここでは発売を記念して、「プロローグ」を公開いたします。
物理学が最終的にどこを目指しているのか。
物理学が目指すもの
アリストテレス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン……。誰しも名前くらいは聞いたことがあるかと思いますが、具体的にどんなことをやった人で、何がすごいのかについては、いざ聞かれるとなかなか出てこないものです。こういった、学問の世界でトップクラスに有名な人たちは、多くが「物理学」の発展に貢献していて、だからこそ世界的な名声を得ています。
物理学は、自然界の法則を調べる学問です。例えば、重い鉄球と軽い鉄球を高いところから同時に落としたら、どちらが先に地面に到達するでしょうか。直感的には重い鉄球の方が先に到達しそうですが、確かめてみると、両方同時に到達することが分かります。自然界の法則は、人間の直感通りとは限りません。きちんと調べて、そのルールを解き明かしていく。それが物理学という学問です。
ニュートンやアインシュタインの名前を一躍有名にしたこの物理学、実はどんなものかについては、あまり知られていません。高校時代には物理学を習いますが、授業内容がイマイチ分からず、苦い挫折経験を味わったという人も少なくないのではないかと思います。
実際、高校物理の教科書には、導線の近くで磁石を動かすと電流が流れますだの、空に向かってボールを投げると放物線を描きますだの、「いきなりそんなこと言われても……何がすごいの?」と言いたくなるような内容が淡々と連なっているだけです。こうした「点」としての事実は、物理学の歴史(物理学史)をたどると一本の線としてつながり、ニュートンやアインシュタインが本当は何をしたかったのか、その途方もない野望が見えてきますが、多くの場合、高校ではそこまで教えてくれないのです。
物理学が目指しているのは「万物の理論」を生み出すことです。「万物の理論」とは、全ての自然現象を説明できる究極の理論のことです。物理学においては、理論は全て数式で表現されますから、物理学が目指しているのは、世界の全てを説明する究極の数式を見つけることだとも言えます。ニュートンやアインシュタインの野望とは、まさにこれです。物理学史は、この世の全てを数式で説明してやろうという野望を持つ猛者たちが集い、苦労し、とんでもない間違いを犯し、それでも少しずつ前進していく過程です。
私も以前はCERN(欧州原子核研究機構)にて素粒子物理学の数理解析を専門とし、「万物の理論」に挑戦していたので、その困難さは痛いほど分かります。
立ちはだかる「魔王」
本書は、古代ギリシャから現代に至るまでの物理学の歴史(=物理学史)をたどっていく物語です。歴史の本と言えば、「○○○○年に×××が△△△をした」みたいな記述が並んでいると想像するかもしれませんが、本書では、そのような羅列的な書き方はしていません。それだと単なる年代記になって、物理学の本質がつかめないからです。
記録に残っている限りでは、最初に万物の理論を作ろうとしたのはアリストテレスです。しかし、彼が生み出し、その後2000年間にわたって信じられてきた理論体系は、真の意味での万物の理論からは程遠いものでした。それから多くの天才的な頭脳がその後も果敢にチャレンジしていきましたが、今でも人類が手にしているのは、この世界の一部分を説明できる理論のみです。そういった理論がいくつかあって、それらを組み合わせて使っています。つまり、物理学の世界を日本全体とするならば、今は群雄割拠の戦国時代で、この現象はこの理論の支配下、あの現象はあの理論の支配下というふうに、それぞれの現象が別々の理論で説明されているのです。
「複数の理論を組み合わせて現象を説明できるなら、それはそれでいいじゃない。万物の理論なんて不要じゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。例えば、私たちが普段使っている家電製品に流れる電気は、電磁気学という理論で説明されます。太陽や地球、銀河系といった宇宙規模の現象は、アインシュタインが確立した相対性理論によって説明されます。それぞれの理論できちんと説明できるなら、それはそれでいいような気もします。
しかし、これらの理論の守備範囲は厳密に決まっています。各理論の守備範囲を足し合わせると、自然界のほとんどの現象を説明できてしまうのですが、それでも全てはカバーしきれません。どの理論によっても説明できない自然現象が出てきてしまうのです。その自然現象とは、「ブラックホール」と「宇宙の始まり」です。
ブラックホールは、とてつもなく強力な重力で全てを飲み込む暗黒の天体ですが、そんなトンデモない天体が実在することが現在では確認されています。しかし、ブラックホールに吸い込まれた物体がどうなるかは、現在の人類が知っているどの理論を使ってもうまく説明できません。
また、現代科学の解釈では、誰か(神様など)が宇宙を創ったとは想定しないので、宇宙の誕生も立派な「自然現象」になります。そこで、宇宙がどうやって始まったかを計算により導き出そうとする試みがなされていますが、未だ十分な理解には至っていません。
「ブラックホール」と「宇宙の始まり」を説明する理論をそれぞれ作って、今までの理論に追加すればいいじゃないかと思うかもしれません。しかし、そのような方法ではうまくいかないことが分かっています。理由は非常に専門的なのですが、ざっくり言えば、現代物理学が自然界を解明するために用いてきた戦略が通用しないのです。レベル30の勇者がレベル99の魔王を倒せないのと同じく、今の物理学者たちの実力では、まだ太刀打ちできないということです。
つまり、宇宙の始まりやブラックホールなどの極限状況を説明するためには、全てを包含する「万物の理論」が必要なのです。そういった、究極レベルの自然現象まで説明できて初めて、物理学は完成するのです。レベル99の勇者がどんなレベルの魔物でも倒せるように、「万物の理論」の守備範囲は自然界全体、つまり全ての自然現象になるはずです。仮に、自然現象を(良い意味での)「手ごわい強敵」、自然現象を説明できることを「敵を倒して支配下に置く」と表現するなら、「ブラックホール」や「宇宙の始まり」は究極の自然現象であり、ラスボスの魔王と言えるでしょう。
様々な理論による分割統治の時代から、万物の理論による統一王国へと進んだ暁には、人類は世界の全てを理解し、宇宙の始まりですら数式で説明できるようになるはずです。人類の歴史そのものに明確なゴールはありませんが、物理学史には万物の理論という明確なゴールがあるのです。分割統治の現状では国力が足りなくて、魔王を倒すには至っていません。強大な国力を持つ統一王国を建設し、魔王ですら支配下に置くことが物理学の最終目標なのです。
「レベル上げ」の仕方
第1章からさっそく物理学史をたどる旅に出発しましょう。けれど、その前に準備として、科学を特徴づける「実証」と「還元主義」という考え方についておさらいしておきます。科学は、最初から今のような洗練された形で存在していたのではなく、先人の試行錯誤によって徐々に磨かれていったものです。この現在の洗練された姿を少し知っておけば、物理学史をたどる上で見通しが良くなります。
科学が生まれる以前の時代においても、人々の知的好奇心は今と変わらず旺盛で、世の中について色々と知りたがっていたことでしょう。古来、その要求に答えてきたのは神話の物語です。まだ科学が生まれていなかった時代には、自然現象は神々の御業だと思われていました。例えばギリシャ神話では、雷は最高神ゼウスの武器だとされています。また日本でも、タケミカヅチなどの雷神が祭られていました。そもそも、日本語の「かみなり」の語源は「神鳴り」と言われていて、神様が鳴らしていると思われていたのです。
神話による説明は非常に分かりやすく、同じ神話を共有している人たちの間では説得力もあります。自然現象が気まぐれで予測できないのは、神々が人間と同じように気分屋だから──。そう考えれば、厳しい自然に翻弄される状況にも納得がいきます。けれども、実際に神々を見たものは誰もいません。仮に、神を「見た」と主張する人がいても、他の人が同じように神を見ることができるわけではありません。つまり、客観的な証拠はないわけです。
一方で、現代科学は、神話とは全く違う説明の方法を取ります。「雷雲から雷が発生する」という現象を科学的に説明するとしましょう。研究者は、まず「雲の中にある小さな氷の粒がぶつかり合うことで静電気が生じ、それが地上に向かって雷として落ちてくる」という仮説を立てます。そして次に、研究者は観測気球でデータを集めて仮説の正しさを検証しようとするのです。
ここで、現代科学は雷雲を「氷の粒」というパーツに分解して説明していますが、このように、全体をパーツにわけて説明する考え方を「還元主義」といいます。また、仮説を鵜呑みにするのではなく、データを集めて仮説の検証もしていますが、客観的なデータに基づく「実証(=実験や観測などで理論の正しさを証明すること)」も科学では重要視されます。
〈科学の考え方〉
還元主義:パーツに分解して説明する
実 証:データを集めて説明の正しさを立証する
RPGゲームではモンスターを倒して経験値をかせぐことで、レベル上げをしていきますが、科学ではこの「還元主義」と「実証」を繰り返すことでレベル上げをしていくのです。
こうやってまとめると、当たり前のことのように思えるかもしれません。しかし、これを当たり前と思えるのは、私たちが科学全盛の現代に生きているからです。人類はこの当たり前にたどり着くまでに、とてつもなく長い時間をかけてきたのです。
本書では、この人類が「当たり前」に到達し、飛躍していく過程をたどっていきます。専門用語や難しい数式は極力使いません。やむを得ず専門用語が出てくる場合も、丁寧な解説を付していきます。
人生100年時代、社会人になっても定年を迎えても学びを続けていくのが当たり前な世の中になってきました。そんな時代にあっても、物理学を教養として身につけている人は、まだ珍しいのではないかと思います。本書を通じて〝一味違う教養〟を身につけてみるのはいかがでしょうか。ぜひ一緒に、レベル99への道のりをたどっていきましょう!
2500年にわたる物理学者たちの冒険マップ
目次
プロローグ
《第1章》身一つで「万物の理論」に挑んだ古代ギリシャの〝勇者〟たち
《第2章》〝天上〟分け目の戦い勃発! 天動説vs地動説
《第3章》天と地を統一したニュートンの大冒険!
《第4章》身近にいた3つの強敵! 不思議ダンジョンを攻略せよ
《第5章》常識や直感は通用しない! 量子力学と相対性理論の世界
エピローグ
より詳しい目次はこちらをどうぞ!
著者プロフィール
冨島佑允(とみしまゆうすけ)
1982年福岡県生まれ。京都大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科修了(素粒子物理学専攻)。MBA in Finance(一橋大学大学院)、CFA協会認定証券アナリスト。大学院時代は欧州原子核研究機構(CERN)で研究員として世界最大の素粒子実験プロジェクトに参加。修了後はメガバンクでクオンツ(金融に関する数理分析の専門職)として各種デリバティブや日本国債・日本株の運用を担当、ニューヨークのヘッジファンドを経て、2016年より保険会社の運用部門に勤務。著書に『数学独習法』(講談社現代新書)、『日常にひそむ うつくしい数学』(朝日新聞出版)などがある。