「終身雇用」崩壊の時代に、考えておきたい定年前後のライフプラン…新刊『定年いたしません!』まえがき全文公開|梅森浩一
はじめに――それは、ある日突然、やってきた
私は最近、「75歳になったら、もうこの世の中にはいない」という人生の予定を立てました。
じつはこの「予定」、私が40代の頃は「70歳が予定」でしたから、それに比べるとすでに5歳も延びたことになります。
私は、この「予定」や人生の行く先について、たびたび真剣に考えてきましたが、その都度、いろいろと詰めが甘いことに気がついていました。それと同時に、次のような自問自答も繰り返してきました。
「とはいえ、ただ長生きできるだけでも、自分の人生は幸せといえるのではないのか?」
この自分自身への問いかけに対して、私は即座に「その通り!」と答えたものでした。なぜなら、私は58歳の時に「初期の前立腺がん」に罹患した経験があり、その時すでに主治医に、自分の余命はどれだけなのか、質問をした経験があるからです。
その経験から、それ以降の私は、「自分の寿命」――つまりここでいう「予定」について、より一層真剣に考えるようになりました。
幸いにして、初期の段階で見つけることができた私のがんは、5年以上経った今なら「ほぼ寛解した」といえます。ですから、前述したように「生きているだけで幸せだ」と思うのは本音からなのです。
ただ悲しいことに、その後の私は、右目に網膜剥離の症状が出たり、それに伴う処置のために大学病院に手術入院をしたりと、「次はどんな重い病気にかかるのか?」と、内心ビクビクしながら生活しているのも事実です。
加えて、たとえば社会人になってすぐの頃ですが、左胸の肺がすべて潰れてしまう「自然気胸」という病気にかかり、それからも、「いちいち病名を挙げ始めたらキリがない」ほど、大小さまざまな病気に悩まされ続けた経緯があります。
そういった病歴と加齢から、ごく自然に「自分の予定(寿命)は、長くて70歳ぐらいまでだろうな……」と想像し、そこまで何とかなる蓄えがあればいいだろうと考え、呑気に生活してきたというのが実情です。
そんなある日のことです。やはり私にも「定年」はやってきたのです、しかもそれは、「ある日、かなり突然に」やってきたのです。
――えっ、「定年が突然やってきた」って、そんなの事前に分かっていたはずでしょう?だって、あなたは長年「人事部長」をやっていたはずなのに、おかしくないですか?
あなたが抱いた私へのその疑問は、もちろん自然なものといえます。ただし、その日(定年)が、まるで突然やってきたように感じたのは、次のような事情からなのです。
「その日が来ることは、もちろん頭では分かっていたのだが、長年わざと気づいていないフリをしてきた」。――その結果、あたかも「突然やってきた」かのような気分を、その日の私は実体験することになった、というわけです。
――ところで、その「気づいていないフリ」って、どういう意味なの?
現役バリバリの「あなた」なら、私の気持ちを少しは分かってもらえるかもしれません。(本書では、仮に中心読者〔あなた、みなさん〕として、30~40代のビジネスパーソンを設定します。とはいえ、50代以降の方々にも、またすでに定年した方にも、役立つ内容が含まれていることは間違いありません。)
つまり、毎日忙しく働いていると「この先の定年のことなんて、今の段階で真剣に考える暇がない」。そしてそのように振る舞い続けた結果、あたかも突然「その日」を迎えたかのように思える、ということです。
実際に、今30~40代の働き盛りのあなたにしてみれば、60~65歳という「かなり先のこと」を今のうちから真剣に考えることは、そうたやすいことではありません。
しかし、自分ごとであっても、その日が来るまでは「まるで他人事のよう」なその「定年」は、着実に私たちに近づいてきています。
とても大事な「自分ごと」であるにもかかわらず、まるで他人事のように振る舞ってきたのはなぜなのか、その理由を一言でいうならば、「現実を直視するのが怖かった」からだと、今の私ならはっきりと認めることができます。
「ああ、忙しい」と、もっともらしい言い訳をふりまきながら、「その日」が本当にやってくるまで「見ないフリ」「気づかないフリ」をし続けた結果、「突然その日がやってきた」となるわけです。
それは決して、私だけに起きたこととは思えません。あなたもきっと、これまで、やれ「忙しい」「今が大切」と、私と同じように「言い訳のオンパレード」を繰り出しながら、さまざまな現実から逃げてきたこともあったはずです。
私のように「突然その日がやってきた」とならないためにも、「あらかじめ知っておきたかった」ことや、「今からでも遅くないよね」といったアドバイスを、前述したように過去の自分の行ないを、心の底から後悔している私から、「今ならまだ間に合う」あなたに向けて上梓(じょうし)したのが、本書となります。
私の予定(寿命)をどう決めるか?
ちなみに、冒頭で私の「予定」(寿命)について触れましたが、その日を決めるにあたって、参考にさせていただいた一冊の本があるので、ここにご紹介しておきます。
それは、ドイツ文学者の故・池内紀先生の『すごいトシヨリBOOK――トシをとると楽しみがふえる』(毎日新聞出版)という本なのですが、その中で先生は、次のように話されています。
ここからヒントを得て決めたのが、冒頭でご紹介した「私の予定」なのです。
なお池内先生は、ご自身が予定した77歳の翌年にお亡くなりになっています。それは、いみじくも「ほぼ正確に言い当てた、自身の予定(寿命)」として、たとえそれが偶然だとしても、私の心に深く刻み込まれたのです。
「自分はいったい何歳まで生きるのだろうか?」という、どこまでいっても「決して正解が出ない命題」に、それこそ人は亡くなる日まで、悩まされ続けます。
そして、「その日」をいつと考えるかが、自身の「定年」や、その後に続く「老後」にまつわる諸問題に、大きく影響してきます。
つまり、正確な「死亡日」を知ることができない、そんな私たちが、どうやって「少しでも納得できる自分の予定の日」を定めるか、ここに多くのことが関わってきます。
多くの人が自身の「予定」の参考にするものに、いわゆる「平均寿命」があります。たとえば「男性は81・05歳」「女性は87・09歳」といったものです。この平均寿命ですが、「自分が0歳時における平均余命」を意味しますから、たとえば私のように「すでに66歳まで生きてきた男性」の余命とは、当然ズレが生まれます(資料1・資料2)。
ちなみに、私が生まれた昭和33年時点での平均余命は64・98歳でした(資料3)。ですから、すでにその歳を超えた66歳の私の場合は、いわゆる「そこそこ、長生きをしている男性」といえます。
ただこれは、あくまでも「平均値」でのお話ですから、不幸にしてその「平均まで到達しないケース」だってあるわけです。参考までにいうと、私の年齢の場合では、すでに約1割の同年齢の男性が亡くなっています(資料4)。
さて、私のこの先の人生は、絶えず「平均余命」のどちら側に転ぶのか(つまり平均以上に生きるのか、反対にそれ以下で終わるのか)、となります。私の「定年」である65歳に、その年齢での「平均余命」である19・44歳をプラスすることで、「約85歳というのが私にとっての予定」であることが分かります(資料1)。
これも、自分の「予定」を想定する際の一つの目安となりますし、それと同時に、「人生100年」といった文句は、この先の私にとって非現実的であることも分かります。
前述した池内先生の場合を考えてみても、男性の70歳時点における「平均余命」は15・56歳ですから、先生自らが定めた「予定」である77歳と比べてみると、結果として「予定される日は、平均余命のおよそ半分ぐらい」だったことが分かります。
私の場合も、実際の年齢に対する「平均余命の半数」を自らの「寿命」と想定した上で、その日を「予定」と考えてみるのも、一つのやり方かもしれません。
ちなみにこの「平均余命の半分」という考え方は、経済アナリストの森永卓郎さんが著書『長生き地獄――資産尽き、狂ったマネープランへの処方箋』(角川新書)の中で主張されている、「65歳の男性が平均余命を全うし、85歳まで到達する確率は53・2%」とする考え方にも、偶然なことに合致しています。
もしその考え方が、より現実的な想定方法だと仮定した場合、前述したように65歳男性の平均余命は19・44歳なわけですから、その半分ぐらいの10歳を、現在の年齢である65歳にプラスした75歳をもって私の「予定」と考えるのも妥当なのかと思えてきます。
悔いのない人生を送るための仕事とお金
さて少し話が長くなりましたが、それやこれや、いろいろなことを勘案した結果が、冒頭でご紹介した「私が75歳になったら、もうこの世の中にいない」と仮定した根拠なのです。
そうして自分の寿命の「予定」が立ったら、次の関心事は自然と、「その歳までを、どう過ごすか」に移ります。
確かに、この歳になってもまだ、「理想の一戸建てを建築する」に始まり、もっと美味しいものが食べたい、そうだ、あそこに行きたい、これが欲しいと、欲望は枯れるどころか、ますます湧き出ているというのが、正直な今の私の姿です。
当然、それらの、欲望というよりむしろ妄想と呼ぶべき数々が、自分の中で膨らめば膨らむほど、「先立つもの(お金)」がない現実に直面することになります。また、それと同時に、日々「深いため息」をつくようにもなりました。
この、私がこの世の中からいなくなる「予定」である75歳という年齢は、前述した経済アナリストの森永さんが主張する「生き残り確率」によると、まだ85・1%の確率で「生存している」のだそうです。
もしそれが、当たっているとするならば、私の「予定」である75歳の時点で「金融資産がゼロとなるような予定」を立てていたのでは、その後にかなりの可能性で「自己破産する」ことを意味します。
加えて、前述した森永さんの「生き残り確率(男性)」では、10ポイント以上ガクンと落ち、かつフィフティ・フィフティの確率になるのは85歳とのことですから、75歳から85歳までのどこかの時点で「予定」を迎えると考えて、経済的な準備を進めておく方が、より現実的であることにも気がつきます。
したがって、金融資産ゼロになるのを、「85歳まではなんとしても避ける」ことを目的とした、新たなファイナンシャル・プランニングをしてみました。その結果は、次のようなものです。
実際にはここから、この先20年間に私が受給を予定している厚生年金の約4800万円を差し引いた、残りの約1億円を「なんとか自助努力で確保する必要がある」ということが分かります。
しかもそれは、右の式に書いたように「現在の水準の80%(×0.8)」、つまりそれなりに倹約をする前提であることと、加齢に伴い「自然と活動レベルが低下する」ことを想定した係数を用いて計算した結果なのです。
これが、世間でいうところの「不足する2000万円問題」の、私バージョンにおける「不足する年金金額」となります。果たして月80万円(減額して64万円)の生活費、「高すぎる」と思われるでしょうか? いやいや、これが私の本音からきた現実の「生活費」なのですが、みなさんの「本音の金額」はいくらぐらいなのでしょうか?
ちなみに、「定年」した時点での私の手元現金の総額は、ほぼ2000万円程度でしたので、その「圧倒的な不足部分」を確保するために、選択肢として、次のような「二者択一」が考えられました。
私が出した結論は、②の方法、すなわち私は「定年」しないで、この先もずっと働き続ける(働き続けなければならない)、というものです。
もちろんそれが可能となるには、まず「就職先を見つける」ことが前提となりますし、何よりも「気力・体力が持続して充実していること」が必要です。
――でも、いったいそれをどうやって担保すればいいのか。そもそもそれって単なる「絵に描いた餅」に過ぎないのではないのか……。
はい、そうした問いもまた、これからの本格的な「ジョブ型」時代に、あらかじめ考えておくべき「キャリアプラン」と、いずれやってくる「定年」について、本書で触れておきたいと考える一つのきっかけとなった疑問といえます。
むろん、勤め先の会社の規模が大きく、関連会社や子会社が多い方の場合は、ひょっとしたら、「天下り」とはいいませんが、「転籍」「再雇用」の選択肢があるので、「自分の場合は特に心配ない」と思うかもしれません。また、事実その通りでしょう。
ただ、そんな恵まれた環境にいたとしても、これから迎える第二・第三の人生では、「もっと自分のやりたいことをしたい」と考える方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか? すると自然に、次のような問いが、ご自身の頭の中に浮かんできませんか?
――もうこれからは、できるだけ「悔いのない人生」を送りたい。でもどうしたら実現できるのだろうか?
この私にしても、これまで「後悔だらけの人生」を送ってきましたから、人様に偉そうなことは言えません。
正直に告白すれば、私は想像以上の「見栄っ張りの○ビ(マルビ)」(この意味は後述します)な性格の持ち主です。でも、そんな私からのアドバイスでも、少なくともいわゆる「反面教師」としてなら、十分にお役に立てる自信があります。
確かに私の「定年」にいたるまでのキャリアは、決して順風満帆なものではありませんでしたが、そんな私だからこそ語れることもあります。「定年しない!」と決めた私の、いったい、どこがどうお役に立てるのか。
さっそくご紹介を始めることにいたします。
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著者プロフィール
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