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ITに追いつけない司法―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史

3章⑥ なぜ今メタバースなのか?

光文社新書編集部の三宅です。

岡嶋裕史さんのメタバース連載の19回目。「1章 フォートナイトの衝撃」「2章 仮想現実の歴史」に続き、「3章 なぜ今メタバースなのか?」を数回に分けて掲載していきます。今回は3章の6回目です。なぜここに来て、メタバースということが言われ始めたのか? その背景を探っていきましょう。

メタバースはそもそも必要なのでしょうか? 人類に何らかの福音をもたらすものなのでしょうか? 3回に分けて解説していきます。

下記マガジンで、連載をプロローグから順に読めます。 

3章⑥ なぜ今メタバースなのか?

■メタバースはそもそも必要なのか? 人類にどのような福音をもたらすのか?②

ITに追いつけない司法

 正義の捉え方もそうだ。

 ポリティカルコレクトネス、あるいはポリティカリーコレクトの考え方はすっかり浸透した。現代社会で暮らしていて、一度もこれらに遭遇しない日はないだろう。正義が実行されるのは、とてもよいことだと思う。不正義より正義のほうがずっといい。

 でも、正義は劇薬である。特に価値観の多様化した社会では、誰かの正義は誰かの不正義であり、正義を実行する者はその正しさの安心感で、誰よりも残酷なことができるからである。

 最初から自分を不正義の側に立たせて鉄面皮でいられるほど人は強くない。ヒトラーも東條も自分の正義を疑わなかっただろう。正義はみんなが求めているが、慎重に扱わなければならないものでもある。

 ポリティカルコレクトネスの実運用では、それが軽くなっていると思うのだ。これにも、インターネットの勃興とその特性が関係している。

 民主主義の制度や、そこで何を正義とするかは時間をかけて形成されたが、人々が生活の軸足をインターネットやメタバースに移すと、この制度はあまり意味をなさなくなる。法律はいまだITに詳しくない。法律の知らないところで、ITのアーキテクチャが社会のしくみを作り上げ、新しい社会や新しい正義を、一部の人の意見だけで実装していく。

 たとえば、こんなことがあった。

 総務省は日本のセキュリティ施策の元締めである。総務省は頻発する情報漏洩事件を憂慮していた。そこで、通信の暗号化を含む施策の励行を訴えるが、なかなか広まらない。

 グーグルはこの問題を速やかに解決した。自らが開発し、世界最大のシェアを持つブラウザであるクロームに、暗号化通信していないサイトでは目立つ警告を表示する機能を実装したのである。

 これは効いた。どんなサイトであれ(アングラのサイトですら)、インターネットの覇者であるグーグルに、「危険なサイト」のお墨付きを食らうのは嫌だったのである。国家機関が口をすっぱくして勧告し是正できなかったことを、民間企業があっという間にやってのけた。しかも、一時は総務省のサイトを見に行くと警告が表示されたというおまけつきである。総務省の権威は地に落ちた。

 ソーシャルゲームのガチャは、その登場当初からずっと物議をかもしている。本当に書かれているとおりの確率で景品が出るのか。故意にしろ不作為にしろ、間違いはないのか。そして、実際に間違いは頻発するのである。その際の謝罪や補填の仕方は一様ではなく、中には無視を決め込む運営企業もある。一般の商取引であれば許されないであろうこうした振る舞いが是正できないのは、監督官庁にこれを調査し是正する能力が育っていないからである。

 正義もそうである。現状で、正義の定義は不明瞭だ。多様化した考え方のぶんだけ正義がある。正義と正義がぶつかったとき、譲ったり負けたりすると自分が不正義の側に立たされてしまうから、殴り合いや炎上に発展するののである。

 このとき、手っ取り早く勝利を収めたければ、多くの人に支持してもらえばいい。ネットワーク上のトラブルで、速やかに審判を下してくれる機関や権威はなく、そもそもそういう権威を否定する思想から生まれたのがインターネットである。そうした状況下では、多数の人に支持される正義が、よりもっともらしい正義として生き残れる。

 すると、正義の証明は動員ゲームになる。選挙の票が1票でも誤計算されたら大騒ぎになるが、SNSの「いいね!」という、いくらでもダブルカウントがきく不確かな数を根拠に民意が形成されていく。

 そこでは理屈の正しさよりは、わかりやすさが重要だ。よりシンプルで、より被害者の立場に立てるものがいい。それを高い発信力で拡散し続ければ、やがて正義を獲得することができるだろう。

 このとき、司法のしくみであれば、負けた側にも言い分があることや、罪を負わせるにしてもこの水準まで、ということを認定するが、不特定多数の動員ゲームで戦うネット上にこれらの定めはない。負けた方はどこまでも悪者で、罪をつぐなうにしても、いつまで、どのくらいやったらいいのかは、正義を主張した者の気分と裁量に委ねられる。

「言論によって士大夫を殺さず」は、すでに宋の時代に合意があった。現代に至る言論の自由の命脈である。しかし、現代は言論によって簡単に殺される。誰に言ったでもないつぶやきで刺され、価値規範や正義の基準が今とは違っていた過去の発言にまでその正義の刃は遡及適用される。(続く)

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