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92歳の米国人・伝説の撮り鉄が選んだ「私が好きな60年前の日本」

光文社新書で1年ぶりに続編が登場し、話題沸騰中の、昭和30年代の日本のカラー写真を集めた新刊『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本第1弾の新書(382枚)を遙かに超える、544枚の写真が掲載され、内容・ボリュームともにパワーアップしています。
著者のJ・ウォーリー・ヒギンズさんは、米国出身で、日本と日本の鉄道を愛するあまり、日本に移住してしまった、現在92歳の老紳士です。

ここでは、大好評の同書の中から、コラムの一部を特別公開します!

写真と文/J・ウォーリー・ヒギンズ


【コラム:私の好きな写真】

鉄道写真そのものとしての評価ではなく、私が今まで数十年撮ってきた写真の中で好きな写真、気に入っている写真を何枚か選んでみた。前作に入れたものの中にも、好きなものがたくさんあるのだが、今回初めて載せるものに絞った。セレクトした理由は個人的なものが多いが、理由とともにご紹介したい。

@_152 お気に入り 静岡 秋葉線

◇静岡鉄道秋葉線下山梨駅(静岡県)1960年1月2日
静岡県の遠州界隈は、まだ道路も整備されず、人々はほとんど車を持っていなかった。だから、袋井から北に抜ける電車は、様々な人の貴重な足だった。もちろん、この写真に写っているような、新年の晴れ着を着た若い女性たちにとってもだ。この写真の翌日、藤枝から袋井を結ぶ海岸線を通る軽便に乗って、相良まで出かけた。将来妻となる人の家族に会うために。私たちが結婚したのはこの写真から3カ月後の4月2日のことだった。


61.10.08 羽後交通 あぐりこ駅 羽後交通

◇あぐりこ駅(秋田県)1961年10月8日 
秋田県の湯沢から西馬音内(にしもない)、梺(ふもと)まで延びる羽後交通雄勝線の駅の一つがあぐりこ駅だ。この路線が通ったのは1928年のことなので、駅は見た目ほど古びてはいない。この地域は電力供給が十分とはいえず、電車の運行速度はゆっくりだった。だからこうしてちょっと離れた所まで行って写真を撮り、また同じ電車に乗るといったことも楽にできた。


58.06.20 モノレール東京モノレール2+

◇上野動物園(東京都台東区)1958年6月20日 
2両編成の上野モノレール。モノレールは当初、都電の代替として検討されていた。が、この東京で初めて敷設された小さなモノレールが、他の代替案、つまりは、モノレールではなく、地下鉄にした方がよいだろうという決定を促したのではないだろうか。


@_189横須賀市堀ノ内(京急・好きな写真)

◇横須賀市堀ノ内付近(神奈川県)1956年4月10日 
京急本線が横須賀堀ノ内付近を通過する。これは日本に着いて2週間目に撮った写真だ。ずっと天気が悪く、ようやく衣笠山公園のサクラ見物、そして私にとって人生初の日本の電車の写真を撮るべく町へ繰り出した時の一枚。


65.01.10玉電桜新町+

◇桜新町(東京都世田谷区)1965年1月10日 
この写真を撮った段階では、もうすぐ日本を離れることがわかっていた。妻も私もなんとかまた日本に戻って来たい(実際には1979年までその機会はなかったが、最終的には戻ってこられた)と思っていた。しかし、2019年においてこの東急玉川線(玉電)が10両編成の田園都市線になり、路面電車の線路は地下鉄になり、そしてこの駅を私自身が最寄り駅として使うようになるなんて、当時は想像もしなかった。


59.05.10宇治川沿いのおとぎ列車 宇治駅からダムに向けて河の東岸を走る

◇宇治川(京都府)1959年5月10日 
これは、全く予想もしない展開で見つけた電車だ。この日私は京阪電鉄の支線で京阪宇治駅に向かっていた。当初の計画では、いくつかお寺の庭などを見ながら京都にもどるはずだった。ところが、京阪宇治駅に着いてみると、聞いたこともない電車の標識があるではないか。標識は、川の北側を東へと続く歩道を示していた。道をたどっていくと、かつてダムを建設していた当時、土木工事の人たちを運ぶために作られた専用鉄道の始発点にたどり着いた。工事の人々を乗せていた6両編成の小さな電車は、10両になり、観光客用の「おとぎ電車」に姿を変えていたのだ。これは思いもかけぬ、楽しい春の一日の小旅行になった。この「バンビ号」とは別のデザインの「むかで号」と呼ばれる車両もあった。


@_168 鳥羽川Favorite白井さんと出会った写真

◇鳥羽川付近(岐阜県)1958年9月20日 
岐阜から高富に向かう名鉄高富線が鳥羽川付近を通る。この場所で写真を撮りたいと、実はこの3週間前に、一度この場所を訪れた。どんよりとした天気の日だった。行ってみると、近くにもう一人路面電車に向かってカメラを向けている人がいた。向こうから挨拶をしてくれたので、お互いに自己紹介などをした。彼は岐阜の路面電車の話をいろいろと聞かせてくれた。何を隠そう、これが長年の盟友白井昭さんとの出会いだった。その後彼は、名鉄のパノラマカーの企画・開発や、大井川鐵道に蒸気機関車を走らせ、一躍有名になる。その白井さんとの付き合いは、すでに60年以上続いている。


58.08.31 四条通軌道線の幅が違う+

◇京都市四条通(京都府)1958年8月31日 
初期の京都市電は、国鉄や私鉄の多くと同様、線路の幅が1067ミリだった。ところが、市電の数が増えてくると、京都市は線路の幅を1435ミリに変更し、当初1067ミリだった線路も敷設しなおしてしまった。しかし、10系統だけは、幅が拡張されずに残り、1961年に廃線となるまで1067ミリのまま走り続けた。10系統はほぼ堀川通に沿って走っていた。当時の10系統の車両は明治村や梅小路公園(京都)に保存されている。私の見た限りでは四条通のこのあたりでだけ、線路幅の違う路線が同じ場所を走っていた。そしてまた、線路の違う路面電車が通っているのは、日本でも他に例がなかったのではないかと思う。この写真は、後ろの煙がなかったら、もっと見栄えがよかったのではと思うと、残念ではある。


@_166お気に入り福岡

◇福岡市千代町付近(福岡県)1959年4月8日 
元々、この車両は、門司から小倉と八幡を通り折尾までの29.4キロという、路面電車からするとかなり長いルートを走っていた。後年、福岡市内線に移動し活躍するようになり、同型車は屋根の形状なども変わったが、102号は当初のままの格好で走っていた。

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ウォーリーさんのお気に入りの写真、お楽しみいただけましたでしょうか?
前作よりさらにパワーアップして発売された光文社新書『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』。当時を知る人も、知らない人も、たっぷり楽しめます。またご家族やご友人へのプレゼントにも、ぜひお買い求めください…! 
未読の方は、第1弾もおすすめです。


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