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【7位】ボブ・ディランの1曲―まったくの無名者として、転がる石みたいに

「ライク・ア・ローリング・ストーン」ボブ・ディラン(1965年7月/Columbia/米)

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※こちらは西ドイツ盤シングルのジャケットです

Genre: Folk Rock
Like a Rolling Stone - Bob Dylan (July. 65) Columbia, US
(Bob Dylan) Produced by Tom Wilson
(RS 1 / NME 49) 500 + 452 = 952

前書きでも記したとおり、〈ローリング・ストーン〉リストの1位は当曲だった。しかし〈NME〉のせいで(なんと、49位だ)この位置におさまった。さぞやアメリカ人はくやしいのではないか。今回のソースとなった2010年版リストだけじゃない、04年版のリストでも〈ローリング・ストーン〉はこれが1位だった。とにかくもう、この曲が「大好きなのだ」という意識が、米ロックの中心域には、脈々と流れ続けているに違いない。

その心境は、僕もわからなくもない。たとえば、コーラスの「How does it feel?(どんな気分がする?)」というリフレイン。思わず、いっしょに歌いたくなる。もちろん「Like a Rolling Stone」のところは、(そこがコンサート会場ならば)場内全員で大合唱に決まっている――という、この状態のなかに、当曲の「すごさ」の秘密が埋め込まれている。「魔術」と言い換えても、いいかもしれない。

なぜならば、これらの「合唱」パートではいつも、我々の胸中には、ポジティヴな感情が沸き上がっているはず、だからだ。しかし、これはとても不思議なことなのだ。当曲のスタート地点は「嫌な女を揶揄する」というものだったからだ。「ミス・ロンリー」と名付けられた女性、良家の出身で羽振りがよかったのに、いまや零落して哀れなものだ――と、まるで彼女を嘲笑するかのような辛辣さで、ディランは歌を進めていく。

だから前述の「How does it feel?」は、ざまあみやがれ的な罵倒語となっていても、文脈上はおかしくない。なのに……ご存じのとおり、聴き手である我々は、いつの間にか彼女の「内面に」感情的に肩入れするようになっている!のだ。まるで我がことのように。だから「Like a Rolling Stone」と歌うときには、もはや応援歌のごとしだ。「俺もあんたも(たぶんディランも)みんな根なし草の『ローリング・ストーン』なんだ!」という連帯感が、ディランのハーモニカに、アル・クーパーのオルガンに乗って、解き放たれていく……これが、当曲固有の「魔術」の仕上がりであり、おそらくはアメリカのロック・ファンが「この曲を好きで好きでしょうがない」理由のひとつだと僕は見る。

もちろんディランも、この「効果」には意識的で、だから最終パートのあたりでは謎解きというか、ガイドラインも示されている。「きみはいま透明だから、なにも隠すべき秘密なんてないんだよ」というところの「やさしさ」がそれだ。そして、彼のドキュメンタリー映画(05年、スコセッシ監督)のタイトルにもなったフレーズ「No direction home(家への帰路もなく)」が繰り返される。ロックに、フォークに、カウンターカルチャーに、あるいは芸術や文学というものに心惹かれ「故郷を離れて」魂の彷徨を繰り広げる、ビート世代以降の「精神の若者」全員へのはなむけのような1曲がこれなのだ。結果的に。

というのも、(やはり)創作開始時点では、あくまでも「嫌みが目的」だった様子だからだ。ノート何ページ分もあった当曲の詞の原型、その矛先には明確な標的(つまり「ミス・ロンリー」のモデル)があったのか、これはよく議論される。ディランとの短期間の恋愛関係から、「ファクトリー・ガール」としてアンディ・ウォーホルのミューズとなった、女優でモデルのイーディー・セジウィックではないか、というのが最も有力な説だ。ウォーホルとディランのあいだに確執もあった。「いかにも」彼が揶揄したくなりそうな相手ではある。

とはいえ「結果的に」いつも、聴き手の胸中には上記の回路が生じてくることになるのだから、嫌み目的としては、とても成功しているとは言えない。が、もちろん「それでもいい」のだ。すぐれた小説が「いろんな読み」を誘発するのと、まったく同じ理由で。

当曲はディランが明らかに「神懸っていた」1965年のど真ん中に、まずはシングルとして発表された。6分超という長さは当時シングル曲の常識外れであり、レーベルは発売を躊躇したのだが、蓋を開けてみるとビルボードHOT100では2位(ビートルズの「ヘルプ!」を抜けなかった)の大ヒットとなった。キャッシュボックスのTOP100チャートでは1位を記録したから、巷間「ディラン唯一のアメリカ1位ナンバー」と呼ばれることもある。全英は4位まで上昇した。そしてアルバム『ハイウェイ61リヴィジッテッド』(『教養としてのロック名盤ベスト100』では16位)にも収録された。

評価も上々で、批評家はもちろん、ライヴァルであるビートルズ含む第一線のアーティストのことごとくが「ショックを受けた」と口々に語った。音楽的革新性と、語り口の「自在性」の融合が、きわめて斬新だったからだ。そんな当曲の「ありかた」は、60年代後半のロック音楽シーンにおいてひとつの指針となり、「可能性の証明」ともなった。

(次回は6位の発表です。お楽しみに! 毎週金曜更新予定です)

※凡例:
●タイトル表記は、曲名、アーティスト名の順。括弧内は、オリジナル・シングル盤の発表年月、レーベル名、レーベルの所在国を記している。
●曲名については、英文の片仮名起こしを原則とする。とくによく知られている邦題がある場合は、本文中ではそれを優先的に記載する。
●「Genre」欄には、曲の傾向に近しいサブジャンル名を列記した。
●ソングライター名を英文の括弧内に、そのあとにプロデューサー名を記した。
●スコア欄について。「RS」=〈ローリング・ストーン〉のリストでの順位、「NME」は〈NME〉のリストでの順位。そこから計算されたスコアが「pt」であらわされている。
川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌「インザシティ」に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』(光文社新書)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki


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