【第26回】なぜ文部科学省は失敗を繰り返すのか?
■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、哲学者・高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!
「三流官庁」と呼ばれる文部科学省
もう25年前の話になるが、現在私の勤務する大学が新学科を設立した。正式には、当時4学科だった文学部を6学科に再編成する改組案を文部省に提出し、その申請は大学審議会に諮問された。その過程で新カリキュラム案が精査され、「新しい時代」に相応しい「情報文化論」・「論理的思考法」・「コミュニケーション論」の専門科目を設置する方がよいという答申があった。
これらの3科目は、まさに私が専門とする「論理学」から派生する応用科目であるため、私は本務校の新学科に招聘されることになった。つまり、もし当時の文科省が大学に新科目増設を勧めていなければ、私が移籍する機会も生じなかったわけで、実は私は、文科省に大いに感謝しているのである(笑)!
とはいえ、私事は別として、最近の文科省の混迷ぶりに対しては、危機意識を抱かざるをえない。とくに本年2021年1月に開始された「大学入学共通テスト」は、文科省の最終方針が右往左往して2019年末まで明確に定まらなかったため、受験生が大きな損害を被った。なぜそんなことになったのか?
本書の著者・青木栄一氏は、1973年生まれ。東京大学教育学部卒業後、同大学大学院教育学研究科修了。国立教育政策研究所研究員、兵庫教育大学准教授などを経て、現在は東北大学准教授。専門は教育行政学・公共政策学。『地方分権と教育行政』(勁草書房)や『教育の行政・政治・経営』(共著、放送大学教育振興会)などの著書がある。
さて、「文部科学省」は、2001年に当時の「文部省」と「科学技術庁」が統合して発足した。英語名称が「MEXT: Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology」であることからもわかるように、その管轄は国の「教育」・「文化」・「スポーツ」・「科学技術」の幅広く非常に重要な分野に及ぶ。
ところが、文科省の予算は年々減少し続け、発足時2001年度の6.6兆円が2019年度には5.5兆円にまで落ち込んでいる。この金額は2019年度予算総額101兆円の5.4%に過ぎず、防衛費の5.3兆円と同程度だ。少子化に伴い、義務教育費や国立大学法人運営費が減少したのが大きな理由だが、科学技術研究費の減額による学術研究の弱体化も懸念される。一方、高齢化が主な理由とはいえ、2019年度の社会保障費は32兆円にまで膨れ上がっている。
本書で最も驚かされたのは、文科省が霞が関で「三流官庁」と呼ばれているという指摘である。実際に、文科省の職員定員は、統合時の13万人から年々減少し続け、今では中央省庁1府12省庁で最低の2,126人になっている。7万人を超える財務省、5万人の法務省や3万人の厚生労働省などよりも圧倒的に少ない。環境省の3,113人よりも少人数で国の「文科」を担うのである!
この状況で、文科省が若者の「新しい時代に必要な力」を養うために立案したのが、「英語四技能(読む・書く・聞く・話す)試験」と「記述式問題」の導入を中核とする「大学入学共通テスト」だった。
しかし、実際の業務は試験も採点も外部委託という「民間に丸投げ」の計画だったため、試験の「公平性」や「中立性」に対して日本中から非難が殺到した。受験生の人生を左右する大学入試の記述問題を、大学生のアルバイトが採点する計画とは、信じ難い。そして2019年末、この計画は破綻した!
本書のハイライト
文科省を正面から扱う本書のような書籍を、研究者、しかも国立大学に籍を置く教育行政学の研究者が出版するのは、これまでなかったことである。本書の草稿段階ではどこか遠慮した書きぶりが目立った。不思議なもので、そうした遠慮は観察のレンズを曇らせていたようである。それに気づいてからは、ある種の覚悟のようなものすら胸に秘めた執筆作業であった(p. 279)。
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著者プロフィール
高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。