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【3位】ザ・ロネッツの1曲―スタジオの秘蹟へ、不磨のロゼッタ・ストーンに道筋を記して

「ビー・マイ・ベイビー」ザ・ロネッツ(1963年8月/Philles/米)

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※こちらはデンマーク盤シングルのジャケットです

Genre: Pop, R&B
Be My Baby - The Ronettes (Aug. 63) Philles, US
(Jeff Barry • Ellie Greenwich • Phil Spector) Produced by Phil Spector
(RS 9 / NME 22) 492 + 479 = 971

そして、この曲が入った。あのフィル・スペクターをして、一世一代の、あり得ないほどの達成を見た永遠の名曲が、これだ。ブライアン・ウィルソンは、当曲を初めてカー・ラジオで聴いた瞬間に「精神が刷新されてしまう」ほどの衝撃を受けたという。

当曲は、3人組ガール・グループであるザ・ロネッツのシングルとして発表され、ビルボードHOT100で2位のヒットとなった(キャッシュボックスTOP100では1位を獲った)。全英では4位まで上昇した。しかし数字で言うならば、その驚異的なエアプレイ回数を見るべきだ。米音楽実演権管理団体BMIによると、リリースされた63年以降、2016年までのあいだに、当曲はラジオやTVなどでおよそ390万回フィーチャーされた。ざっと計算して、17年間「連続して曲を流しっぱなし」にしたほどの量だ。だからありていに言って、まず間違いなく毎日毎日、アメリカのどこかで幾度も「ビー・マイ・ベイビー」はだれかに聴かれ続けていることになる。愛され続けている、ことになる。

という当曲は、スペクターがロネッツをプロデュースした初の作品だった。メンバーのなかでただひとり、のちに彼の妻「ロニー・スペクター」となるヴェロニカ・ベネットのみが録音に参加。あとは「スタジオの鬼(=スペクター)」の独壇場だった。彼の十八番「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」のお手本がこの曲だ、とよく言われる。

「ウォール・オブ・サウンド」とは、端的に言うと「音を詰め込む」ことだ。モノラル録音に仕上げることを前提に、とにかく多数の楽器を、たっぷりエコーを響かせながら録音して、そして「重ねる」。これがまるで「壁のように」なる。ロサンゼルスのゴールド・スター・スタジオにて、エンジニアのラリー・レヴィンとともに、スペクターはこの手法を完成させた。彼いわく「ロックンロールに対するワーグナー主義者的なアプローチだ。キッズのための小さなシンフォニーさ」とのことで、つまりは明確にロマン主義的であり、同時にまた、ファシスト的でもあった(スペクターはユダヤ人だったのだが)。

こうして構築された豊穣なる音響空間の只中を、ヴェロニカの甘い声がつらぬいていく。ハスキーで艶のある、つまり「肚が座って」いながらも愛らしい、そんな声質にて「私の恋人になってよ(Be my, be my baby)」と相手を口説く――そんな作りの歌だ。シンプルなれど「不要な箇所が一切ない」すさまじくよく出来た歌詞およびメロディは、ジェフ・バリーとエリー・グリニッチの腕利きコンビと、スペクターが共同で書いた。アレンジはジャック・ニッチェだった。

演奏にはもちろん、ザ・レッキング・クルーが召集された。なかでも決定的だったのが、ハル・ブレインによる冒頭のドラム・フレーズだ。ここだけでもう、常人ならば涙腺が決壊してもおかしくない。だから「このドラム」をコピーした楽曲だけでも、世に数えきれないほどある。なかには歴史に残る成功作もある。たとえばザ・フォー・シーズンズの「ラグ・ドール」(64年)も、ビリー・ジョエルの「セイ・グッドバイ・トゥ・ハリウッド」(76年)も、ザ・ジーザス&メリー・チェインの「ジャスト・ライク・ハニー」(85年)も、「冒頭のドラム」が、まったく同じだ。「まったく同じにする」ことで、聖典と呼ぶべき当曲への敬意を、それぞれが表しているからだ。そのほかジョン・レノンも、ジョージ・ハリスンも、ブルース・スプリングスティーンも、ロイ・ウッドも、日本の大滝詠一も、この時期の「スペクター仕事」から、計測不可能な大きな影響を受けている。

さらに当曲は、一見遠そうなジャンルにも影響を与えた。たとえば元祖パンク・ロッカーであるラモーンズのヴォーカリスト、ジョーイ・ラモーンは、ヴェロニカ(=ロニー)の熱烈なファンで、彼女のスタイルを吸収して(やれる範囲で)自分のそれを作り上げた。99年には彼女のミニ・アルバムをジョーイが共同プロデュース、そこでデュエットも果たした。一方ラモーンズとしては、スペクターにプロデュースしてもらったアルバム『エンド・オブ・センチュリー』(80年)にて、ロネッツの「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」をカヴァーしている。もっともスタジオ内は、スペクターが拳銃を持ち込み、クイック・ドローで抜いてはディー・ディー・ラモーンを脅迫するなど、大変だったらしいが。

ラモーンズの同作以降、スペクターの仕事ぶりは散発的なものとなる。03年2月には自宅前で女性を射殺した容疑で逮捕され、09年には禁錮19年の有罪判決が下り、カリフォルニア州立刑務所に収監。拘束下のまま、21年1月に病没した。13年には彼の人生を描いたドラマ『フィル・スペクター』が制作されていた。主演はアル・パチーノだった。

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(次回は2位の発表です。お楽しみに! 毎週金曜更新予定です)

※凡例:
●タイトル表記は、曲名、アーティスト名の順。括弧内は、オリジナル・シングル盤の発表年月、レーベル名、レーベルの所在国を記している。
●曲名については、英文の片仮名起こしを原則とする。とくによく知られている邦題がある場合は、本文中ではそれを優先的に記載する。
●「Genre」欄には、曲の傾向に近しいサブジャンル名を列記した。
●ソングライター名を英文の括弧内に、そのあとにプロデューサー名を記した。
●スコア欄について。「RS」=〈ローリング・ストーン〉のリストでの順位、「NME」は〈NME〉のリストでの順位。そこから計算されたスコアが「pt」であらわされている。
川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌「インザシティ」に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』(光文社新書)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki


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