ミッキーマウスのモデルはチャップリンだった――『ディズニーとチャップリン』大野裕之著
光文社新書編集部の三宅です。
映画、アニメ、テレビ、テーマパーク――今に続くエンタメビジネスをつくった二人、ウォルト・ディズニーとチャールズ・チャップリンの親密な関係を世界で初めて明らかにした研究書を刊行しました。
チャップリン研究者として著名な大野裕之さんの『ディズニーとチャップリン エンタメビジネスを生んだ巨人』がそれです。
チャップリンがミッキーに一輪の花をあげようとしているカバーイラストからして何やら意味深ですが、このイラストの秘密も本書で明かされます。
本記事では『ディズニーとチャップリン』よりプロローグと目次を掲載します。絶対に続きが読みたくなりますよ~。
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――ディズニーとチャーリー・チャップリンは、ハリウッドがこれまでに生んだ、たった二人の本物の天才だ。
(フランク・ラスキー、1964年 ※1)
――君はもっと伸びる。君の分野を完全に征服する時がかならず来る。だけど、君が自立を守っていくには、僕がやったようにしなきゃ。つまり、自分の作品の著作権は他人の手に渡しちゃだめだ。
(1930年代初頭に、ウォルト・ディズニーが初めてチャールズ・チャップリンに面会した時の、チャップリンからディズニーへの激励の言葉 ※2)
――「弟はチャーリー・チャップリンにとても魅了されていたので、弟自身がチャーリー・チャップリンだった」
(ウォルト・ディズニーの兄ロイの証言。1967年 ※3)
1 Frank Rasky, ‘80 Million a Year from Fantasy’ [“Star Weekly” (Toronto)、1964年11月14日、8‐11頁]。
2 ボブ・トマス著、玉置悦子・能登路雅子訳『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版』(講談社、2010年)、134‐5頁。
3 リチャード・ハブラーによるロイ・ディズニーへのインタビュー。1967年11月17日。ウォルト・ディズニー・アーカイヴス所蔵。
プロローグ
ウォルト・ディズニーにとって、12歳年上のチャールズ・チャップリンは、神様だった。小さい頃から彼に憧れ、彼の物真似コンテストの舞台にも立った。後年、ハリウッドに進出した時は、どうにかして彼に会えないものかと、チャップリン撮影所の前をうろうろ歩いてみたりもした。だが、駆け出しのアニメーターに、世界の喜劇王と出会うチャンスなどあるはずもなかった。
そんな彼が紆余曲折を経て、ミッキーマウスを世に送り出した後、長年待ち望んだ瞬間が訪れた。
チャップリンが、今目の前にいる――ディズニーは、それだけでも有頂天だったのに、思いがけず、「僕も君の作品のファンだよ」と言われた時の、彼の気持ちはいかばかりであっただろう。
ただし、チャップリンもだてに〈世界の喜劇王〉ではない。最初の面会で、自分の他にもう一人の天才が現れたことを見抜いた彼は、芸術上のアドヴァイスではなく、ビジネスについて冷徹かつ簡潔に助言を与えた。巻頭に引用した「自分の作品の著作権は他人の手に渡しちゃだめだ」の一言は、ウォルトの、ひいてはディズニー社のその後を決定づけることになる。
チョビ髭に山高帽のおなじみの扮装で、世界中を笑いと涙の渦に巻き込んだ不世出の喜劇王。
愛くるしいキャラクターで子供たちに喜びを与え、この世に夢の国を生み出したアニメーションの帝王。
ともに、唯一無二の天才にして、他とは比べることができない存在であることは言うまでもない。
二人が世に登場してから100年弱にわたる世界中の新聞記事を調べてみると、興味深いことがわかる。「チャールズ・チャップリン」ともっとも多く比較されている単語は、決して他のコメディアンではなく「ウォルト・ディズニー」であり、「ウォルト・ディズニー」ともっとも多く比較されているのは、他のアニメ監督ではなく「チャールズ・チャップリン」なのだ。すなわち、チャップリンとディズニー、この二人の天才に比較し得る存在は、彼ら自身だけなのだ。
しかし、意外なことに、映画が生んだ「たった二人の本物の天才」(フランク・ラスキー)についての比較研究は、これまで本格的になされてはいなかった。
まったく異なった環境で生まれ育った二人が、それぞれのジャンルを征服するまでのサクセス・ストーリーは、20世紀のエンターテインメントの歴史そのものとも言える。
あるいは、二人の対照的な思想信条や社会・戦争への視点は、激動の20世紀アメリカを立体的に捉えることのできる複眼のようでもある。
それにしても、「今、なぜ、ディズニーとチャップリン」なのか? 私たちは今、世界中で日常的にインターネットなどのメディアを介して動画を楽しみ、巨大なテーマパークで休日を過ごす。映画・アニメ・ゲームなどの多様なジャンルで、キャラクターを核とした、いわゆる「コンテンツ産業」が隆盛を極め、娯楽だけではなく政治や経済などの様々な局面でもイメージ・キャラクターが大きな役割を果たしている時代に生きている。そんな現代において、なぜ100年以上前に生まれた二人のことを取り上げるのか?
実のところ、チャップリンとディズニーこそ、今あげたような、21世紀という時代を彩るマルチメディアの巨大コンテンツ産業の発明者――つまり、「世界中で同じ映像」を楽しめるようにし、「イメージ・キャラクター」の概念を生み、そして「テーマパーク」を創った二人なのだ。
娯楽を芸術にし、コンテンツを産業にした二人を知ることは、私たちが生きる現代文明の出発点を深く理解し、来るべき未来のカルチャーの形を生み出すための、大きなヒントになるかもしれない。
だが、ここで結論めいたことへと急ぐのはやめておこう。
今から見ていくのは、人々に喜びを与えることに人生のすべてを捧げ、この世界を前よりも楽しい場所に変えてしまった二人の男の出会いと友情そして別れの話、二人の大いなる子供の冒険譚である。
目 次
プロローグ
第1章 チャーリーとウォルト
チャップリンの生い立ち/イギリスの舞台人チャップリンのアメリカ映画デビュー/永遠のキャラクター〈放浪紳士チャーリー〉の誕生/ウォルトの少年時代/チャップリンに憧れて/チャーリーのキャラクターの確立と第一次世界大戦/ディズニーと第一次大戦
第2章 キャラクターの権利の発明者チャップリン
映画の著作権――『カルメン』裁判/「偽チャップリン」たち/「偽チャップリン」禁止裁判と世界初のキャラクター・ビジネス/チャップリンの1920年代
第3章 ミッキーマウスの誕生 モデルはチャップリン
俳優から画家へ/初期アニメーションはチャップリンの後継者/パントマイムとアニメーションの強い親和性/ディズニー・アニメーションの原点/ハリウッドへ/「ディズニー・ブラザーズ社」設立/混乱する会社/『しあわせうさぎのオズワルド』/ミッキーマウスの誕生 モデルはチャップリン/トーキー「声の出るアニメーション」
第4章 放浪紳士チャーリーとミッキーマウス
――なぜ両者は世界的なアイコンとなったのか?
二人の天才の出会い/ミッキーマウスと放浪紳士チャーリーの共通点/ミッキーマウスこそサイレント喜劇の後継者/音楽の重要性――サイレント映画はサイレントではない/『シリー・シンフォニー』シリーズ/クリエイターとしてのチャップリンとディズニー/ユナイテッド・アーティスツでのディズニー――カラー化/『白雪姫』の挑戦/ビジネスマンとしての二人/兄シドニーの幻の「チャップリン・アニメーション計画」
第5章 戦争 二人の別れ
ファシズムの足音/チャップリンとファシズム/チャップリンの闘い/ミッキーマウスとドイツ/ディズニーの1930年代――ファンタジーへの逃避/ディズニーの「理想の家族」の矛盾/ストライキと組合潰し/チャップリンを陥れた国策スキャンダル/軍事工場化したディズニー・スタジオ/『殺人狂時代』/冷戦の密告者 ディズニー/「平和の煽動者」チャップリンのアメリカ追放
第6章 二人の巨人のレガシー
理想のアメリカ――ディズニーランド/理想のアメリカ――チャップリンのアメリカ批判/ディズニーとテレビ/ディズニーランドのオープン/チャップリンとテレビ/キャラクターの代表モデルとしてのチャーリーとミッキー/チャップリン キャラクター・ビジネス保守派/ディズニー キャラクター・ビジネス過激派/ディズニー帝国の「普遍性」/草の根チャップリンの多様性/チャップリンとディズニーの間に
エピローグ 二人が最後に見た夢
「ほぼ日の学校」で、同じテーマで授業もやられます。