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電車でイライラするのはなぜ?車内マナーの歴史をたどり、他人のふるまいが気になる理由と日本社会に迫る一冊。

「マナー違反」にイライラしたり、怒られたり……。
通勤・通学などで日常的に利用される電車の中は、ときに殺伐とした空間になることもあります。
不特定多数の人が集まる電車という空間には、お互いが不快な思いをしなように、列車が滞りなく運行できるように、車内マナーが共有されていますが、このマナーがどのように誕生し、変遷し、そして現代の私たちのイライラの原因になっているかを追った一冊が、6月19日(水)に発売となります。
『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』の著者の田中大介さん(日本女子大学教授)は、公共交通などの現代都市のインフラを社会学的に研究されており、本書では、日本の車内マナーをたどりながら、その先にある鉄道大国・日本の姿も示しています。
今回、本の出版を記念し、本書の「はじめに」を公開いたします。

はじめに、あるいはdeparture:
穏やかな電車に編み込まれたマナー

「バッグがあたってんだよ!」――突然、耳元で怒声がはじけた。休日であったため、それほど電車は混んでいなかったが、子どもを前に抱えておりリュックを背負ったままだった。後方のリュックにも注意をしていたが、すこし触れていたのだろう。「しまったな」と思ったが、それと同時に「これくらいのことでそんな風にいわなくても……」という反感もなかったわけではない。すぐにリュックを持ちかえてその場はすんだが、自分が悪いとはいえ、なにか割り切れない気持ちが降車駅まで続くことになる。

 それほどのことはなくとも、何年かに一度――ときにいいがかりのように思えることもあるが――睨まれたり、舌打ちをされたりしたこともあったように記憶している。私がだいぶぼんやりしているせいもあるが、大都市で電車通勤をしている読者の方にも経験があるのではないだろうか。逆に怒りや苛立ちを抱いた人もすくなくないかもしれない。新型コロナ禍以降、マスクの着用を含めて、さらに他者のふるまいに神経質になった人もいるだろう。

 とはいえ、一般的に日本の車内は静かで、安全とされる。たしかに周りをみてみれば、多くの人がモバイルメディアなどに目を落としている。読書、勉強、漫画、動画、ゲーム、親しい人との交流、あるいは仕事の連絡かもしれない。目をつぶっている人もいれば、あきらかにぐっすりと眠っている人もいる。ニューヨークの地下鉄であればもっと緊張感があるし、居眠りは避けたほうが賢明だろう。たとえば、在ニューヨーク日本国総領事館のHPには、地下鉄ではイヤホンを外し、携帯電話に集中しすぎず、周囲を警戒するようにという注意が掲載されている。そう考えれば、ラッシュアワーでなければ、日本の電車はおおむね穏やかな空間であり、乗客たちも思い思いの時間をつかのま過ごしているようにみえる。

 そんなとき個人的に思い出すのは、映画『千と千尋の神隠し』に出てくる電車のシーンである。自分のアイデンティティがゆらいでいる主人公はすこし不安そうで、周囲は半透明でグレーな幽霊的な存在として描かれている。互いに無関心を装っていることを表しているようにもみえる。だからこそ、どんなに人が近くにいても他人として放っておきながら、自分に集中することもできる。何者にもならなくてもよい、誰でもない存在でいれば、アイデンティティの社会的な重みからも解放される――静かな電車のシーンには、移動という中間領域におけるそんな不安と気楽さを感じることができる。私が電車のなかでぼんやりできるのも、そうした感覚を前提としているからだろう。

 けれども、冒頭のような出来事が発生すると、そんなまどろみはふいに打ち破られる。いつもとても静かなだけに、ちょっとしたことでもトラブルがおきると、余計にびっくりしてしまうということもあるだろう。そう考えると、電車の穏やかな――こういってよければ――やや弛緩したようなのんきな空気は、ふだんはあまり意識しないような、ある条件のもとで維持されているものであることがわかる。そして、すこしその条件を踏み外すと、突如として電車のなかは不機嫌な面持ちとなる。マナーという「縛り」が姿を現すのはそんな瞬間だろう。

「なんて行儀の悪さだ」、「あのふるまい、迷惑だな」、「なんであんなに怒るのか」、「もっと言い方があるだろう」……etc.。たとえば周りに聞いてみると、ショートメールの着信時に短い音が何回か鳴ったとき「音切れば?」と強めにいわれたとか、座席の前に立っていたら「つま先があたってるんだけど!」と座っている人にすごまれたとか、逆に混んでいる車内で本を広げている人を肘で押した、などなど。ときに大事になることもあるけれど、多くの場合、ひとつひとつは些細なことであり、そうした出来事もまれにおきるにすぎない。にもかかわらず、私たちはなぜ電車のなかのちょっとしたことでイライラしてしまうのだろうか。逆の立場からいえば、私たちはなぜこんなにも人をイラつかせてしまうのだろうか。

 一定の時間、大量の他者たちと狭い空間に閉じ込められれば、ストレスやフラストレーションもたまる。混雑した電車がもたらすリスクやコストとどのように付き合っていくか。大都市で電車通勤をしている人びとは、日々、そうしたことに向き合っている。とくに日本の大都市圏の通勤時間は世界的にみてかなり長いことで知られている。もちろん、大きくみれば、こうしたことは日本社会における都市構造と交通体系の問題だろう。しかし、そのような大きなシステムは急に変更できそうもない。電車通勤をやめるといっても、仕事や住居、収入や資産の都合で難しいことも多い。ままならぬ都市生活の都合によって選択された電車通勤――その苛立ちは、気の毒にも鉄道員がやり玉にあがることもあれば、身近な乗客のマナーに向けられることもある。穏やかな電車の風景にはりめぐらされているマナーという目にみえない気遣いの網の目。電車のなかで怒って、怒られて――本書ではそんな交通空間のコミュニケーションの歴史と現在を通して、現代日本における都市構造やその変容を考察してみたい。


 近年、Road Rageという粗暴な行為やあおり運転が話題になるように、自動車移動においても、こうした苛立ちや感情的な爆発は存在する。ただし自動車の場合、強力な動力機関をもつ車両をみずから操作することになる。そのため、そうした感情の起伏は運転者自身に大きなリスクやダメージを与えることになりかねない。一方で、車室はパーソナルスペースとして確保されており、運転手同士の距離は隔たっている。他の自動車とトラブルがおきて、相手と直接やりとりする場合、しかるべき場所に停車し、車内から出て近付かなければならないだろう。それだけでもだいぶ手間がかかるし、安全確保を怠れば事故のリスクも高くなる。だからこそ、大きな社会問題にもなる。

 このように自動車のリスクとダメージの発生は、運転者の技量にゆだねられる部分が大きい。そのため、自動車運転には厳格な制度と資格が設定されている。私たちは自動車を運転するために教習を受け、試験を通過し、免許を取得しなければならない。そのうえで道路交通法に則った運転が義務付けられ、違反には罰則が科されている。自分でそのスピードを操作できる自由さやパーソナルスペースの開放感はあるものの、運転の責任は軽くない。
 一方で、電車は運賃さえ払えば、基本的にはどんな人でも乗車できる。電車に乗るために免許・資格は必要ないし、運転は運転手に任されているから、身を任せて気楽な時間を過ごすことができる。その一方で、他者への気配りも欠かせない。実際、子どもから高齢者までさまざまな人びとが乗車しており、車内ではお互いのふるまいの機微も目に入りやすい。コミュニケーションも――あえてとろうと思えばだが――すぐにとれる距離にある。「公共交通」と表現されるように、そこは多様な人びとが直接的に対面する空間なのである。そのため、パブリックスペースにおけるコミュニケーションの仕方をなんとなく覚えていかなければならない。その意味で車内の秩序維持は、罰則をともなう法律よりも、マナーという規範に頼っている部分が大きい。ただし、マナーは変化することもあるし、その理解にばらつきがでてくることもある。冒頭のようなモヤモヤ、イライラが発生しやすく、大小さまざまないざこざやもめごとにつながりやすいのは、そのためでもある。

 たとえば、冒頭で私が怒られたように、近年の電車内ではリュックの前抱えのマナーが定着している。このマナーの広がりは、個別的な違和感が他者と共有され、事業者によって公式化し、規範として定着するプロセスをよく表している。
 20世紀後半にも荷物の持ち方に注意し、網棚にのせるよう指示する営団地下鉄(現・東京メトロ)のマナーポスターは存在していたが、問題はショルダーバッグであった。しかし、1998年になると、「腹立たしい〝リュック災害〟」という記事が出ている(『ダカーポ』1998年8月19日)。2000年に実施された日本民営鉄道協会による第1回「駅と電車内の迷惑行為ランキング」では、荷物の持ち方・置き方は第3位となっており、そのなかに「リュックは邪魔なので前にかかえるか、網棚にのせてほしい」という意見がある。ただし、2000年代を通じて、荷物に関する順位は次第に下がっていった。しかし、通勤スタイルのカジュアル化もあり、2016年になるとふたたび4位に上がり、2018年には1位となる。なかでも「背中や肩のリュックサック・ショルダーバッグ等」を迷惑と思う人が66・2%に上り、急激にマナーとして意識されていったことがわかる。リュックの扱いが東京メトロのマナーポスターに現れたのは2013年8月で、前抱えを推奨する表現になったのは2015年8月からであるから、そうしたキャンペーンの結果ともいえるだろう。

 このように、1990年代後半以降、混雑時のリュックが「迷惑」なものとして認識され、2000年代以降、リュックの前抱えのマナーが現れはじめ、2010年代になってそうしたマナーが推奨されるようになったと考えられる。したがって、リュックの前抱えは、通勤・通学時にリュックを使う人びとが増えたことにより現れ、定着した比較的新しいマナーといえるだろう。ただし、その後の東京メトロのポスターでは、前抱えというよりも、状況ごとに変化する持ち物のポジショニング一般に注意を促しており、網棚に置くことを推奨している。このように電車内におけるリュックのマナー上の位置はなかなか安定しない。しかし、その分、状況ごとに細やかに気にする必要があるものになっており、それゆえ互いのモヤモヤ、イライラの原因に
なりやすい。



 このような電車のなかの数々の不満や憤りは、その裏返しとして「本来ならこうすべきなのに」といった規範意識が存在していることを示している。そして、そうした苛立ちがくりかえされ、不満がたまっていくことによって「あるべき規範」が失われたと感じ、「最近、電車のマナーが悪くなった」と考える人もいるだろう。

 そこでもうひとつ注目したいのは、電車のマナーに関わる言説からみえる「日本社会」像である。とくに「あるべき規範」を前提とするマナーは、その時代ごとの「あるべき社会」像を表現している。「個人的なもの」にすぎない電車のなかの些細なモヤモヤ・イライラだが、それは「社会的なもの」という大きな広がりのなかで発生している。より正確にいえば、鉄道マナーに関するこまごまとした出来事は、なぜか「日本社会は劣化した」等の大きな語りをよびこみやすい。だとすれば、そこで参照される「あるべき社会」とはどのようなものなのだろうか。

 本書では、20世紀前半から21世紀にかけての日本社会において、具体的にどのような鉄道の規範――現在では「マナー」とよばれることが多いもの――が掲げられ、どのように「社会」に結び付けられてきたかについて分析する。これらの分析を通して、日本の大都市に生活する人びとがどのような公共交通の秩序を作り出し、そこで生きているのかを考えたい。それは日本の都市社会における自画像の系譜と現在を示すことにもなるだろう。
 第1章では、「社会の縮図」としての近代交通、日本の大都市の特徴、電車通勤の規範に関する社会学的な視点を整理しておきたい。ただし、この章はややかたくるしい内容になるため、飛ばしていただいてもかまわない。
 第2章では、鉄道における「規範の劣化」言説の歴史と現在を確認しながら、それをどのように評価できるかを鉄道治安や規範意識の視点から考察する。「規範の劣化」は事実とはいえないにもかかわらず、なぜずっとくりかえされてきたのかが問題となるだろう。
 第3章では、20世紀前半から半ばにかけて「交通道徳」や「エチケット」とよばれた鉄道の規範の内容と意味、およびそこで前提とされていた「社会」像がどのようなものであったのかを明らかにしたい。ここでは現在とは異なる「社会の縮図」像があったことを示すことになる。
 第4章では、20世紀後半に定着した「マナー」とよばれる鉄道の規範の内容と意味が、それ以前のものとどのように異なり、どのような「社会」像の変化をともなっていたかを確認する。とくにマナー論争が勃発することによってマナー感度が高まっていく様子を描いていく。
 第5章では、20世紀末から21世紀にかけての公共交通における秩序維持の現代的変容がいかなるものであったか考えたい。第1章・第2章は社会学的な視点・論点の整理で、第3章・第4章は時系列的な記述をともなう歴史社会学だが、この章は、それらをふまえて主題別に論じる現代社会論となる。とくにジェンダー秩序の変容や情報社会化によって車内空間がどのように再編成されていったかを考察する。
「おわりに」では、日本社会における公共交通の秩序維持と公共交通の国際比較を展望することでまとめとしたい。

 鉄道空間における規範の在り方と語られ方の歴史と現在を知りたい方は、やや内容の硬い第1章・第2章はとばして、第3章~第5章を読み進めていただきたい。

目次

第1章 「社会の縮図」としての鉄道
1・1 「社会の縮図」としての鉄道
1・2 通勤の基本構造と鉄道都市・東京
1・3 鉄道における規範の意味と役割

第2章 鉄道規範は劣化したのか?
2・1 「規範劣化」言説の戦後史
2・2 鉄道治安は悪化したのか?
2・3 「規範劣化」言説はなぜくりかえされるのか?

第3章 20世紀前半の車内規範:交通道徳の時代からエチケットの時代へ
3・1 戦前の車内空間のざわめき:永井荷風「深川の唄」から
3・2 戦中の車内規範とナショナリズム:家庭と隣組としての交通道徳
3・3 戦後の車内規範とデモクラシー:科学と市民としてのエチケット
3・4 通勤地獄の車内規範と都市問題:「物体」のあいだのテクニック

第4章 20世紀後半の車内規範:マナーの時代と規範感度の高度化
4・1 エチケットからマナーへ
4・2 マナーポスターの世相史:コミュニケーションを微調整するポスター
4・3 マナー論争の時代:国鉄民営化と消費者たちの秩序維持
4・4 高度化するマナー/不機嫌になる乗客

第5章 現代の車内規範:新しいモノの登場と再構築されるマナー
5・1 社会問題化する痴漢:女性の社会進出と車内空間のジェンダー秩序の再編
5・2 なぜ車内のケータイは迷惑なのか?:情報空間と現実空間のジレンマ
5・3 リスク化する車内空間:環境管理と規範意識のスパイラル
5・4 ユーモアとしての車内規範

著者プロフィール

田中大介(たなかだいすけ)

1978年生まれ。日本女子大学人間社会学部教授。慶應義塾大学文学部卒業、筑波大学大学院人文社会学科研究科修了。現代都市のインフラ(公共交通、消費空間、情報環境など)について社会学的に研究している。共編著に『ネットワークシティ』(北樹出版)、『ガールズ・アーバン・スタディーズ』(法律文化社)などがある。


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