ブラッド・ピットの右腕には……アメリカで最も敬愛されるムスリム詩人
衝突が続く現代社会に響くメッセージ
ムスリムの詩人の中に、アメリカ人が敬愛する人物がいます。イスラム神秘主義詩人ルーミー(1207〜1273年)です。彼は、現在のアフガニスタンのバルフで生まれました。
ルーミーは現在、アメリカではベストセラー詩人と言われるほどの人気があります。彼の作品には宗教の枠を超えた普遍精神や、他宗教に対する理解や寛容の心が貫かれていて、それが多くの共感を呼んでいるのです。
アメリカの俳優ブラッド・ピットの右腕にはルーミーの詩の一節がタトゥーとして彫られています。それはコールマン・バークスの英訳で「There exists a field, beyond all notions of right and wrong. I will meet you there.(正しさと誤りの概念を超えたところに野原がある。そこで君と会うだろう)」というものです。人間は互いの相違を乗り越えて寛容にならなければならないというメッセージがそこにはあります。
この詩に見られるように、ルーミーが説く普遍性は、個々の民族や宗教に限定されず、それらの相違や多様性を超えて広く人類に共通するものです。この詩も、諸宗教はその本源に目覚めれば、その多様性にもかかわらず共通の地盤に立って理解し合えることを強調しています。宗教や宗派、民族によって争いや衝突が続く現代の国際社会に対して、とても重たいメッセージをルーミーは伝えています。
ペルシア文学史上最大の神秘主義詩人
ルーミーのペルシア名はジャラール・アッディーン・ムハンマド・バルヒー。最後の「バルヒー」は生まれ故郷のバルフにちなみます。当時のモンゴル勢力による戦火を避けるため、家族は何年にもわたる放浪生活の末、最終的にアナトリアのコンヤ(現在のトルコの都市)に住み着きました。このコンヤは、かつて「ルーム(ギリシア人が住む地域)」と呼ばれていて、彼が最後に居住したところが「ルーム」だから「ルーミー」と呼ばれるようになりました。
ルーミーはペルシア文学史上最大の神秘主義詩人と言われています。多くのキリスト教徒の弟子たちもいました。ある日、ルーミーの説教に多くのキリスト教徒が感激して涙を流す様子を見て、あるムスリムはルーミーに「どうして異教徒があなたの話を理解できるのですか」と尋ねた。すると、ルーミーは「道はいろいろ違っても、行き着く先はただ一つ」と答えました。
ルーミーの作品には宗教の枠を超えた普遍精神や、他宗教に対する理解や寛容の心が貫かれています。イスラム思想史研究の竹下政孝氏は、これらはモーゼやイエスを預言者として認めることはもちろんのこと、他の各民族にも預言者が送られたと考え、これら多くの預言者の教えは、ムハンマドのもたらした教えと同じであると説くイスラムの原理に最も忠実なものと述べています。
イスラムは、このように寛容や次のコーランの節のように中庸の道を説くものであり、他宗教を攻撃し、また少数宗派に暴力をふるうのはイスラム本来の教えとは明らかに異なるものです。
現代におけるルーミーの重要性は、イスラム・フォビア(恐怖症)が見られる風潮の中で彼の詩作や著作を通じてイスラム世界の寛容な思想に触れることができ、イスラムが決して暴力的なイデオロギーでないことを知ることができます。
ふたつにみえて世界はひとつ
彼の詩集はアメリカではベストセラーになっています。スマートフォンのケースやシャワー・カーテン、クリスマス・ツリーのオーナメント、玄関マットなどにも彼の詩の一節は見られます。
ルーミーには次のような説話もあります。
ある将軍がルーミーや他のイスラム神秘主義者は神との合一とか、奇跡とか精神・空想上の事象にどうして自らを捧げるのかと尋ねられると、ルーミーは、将軍たちは大規模に戦い、死、流血を国と国の間の境界にもたらすことに身を捧げているが、領土を分ける境界(国境)ほどの空想はない。神秘主義のような宗教的霊感(=スピリチュアリティ)は少なくとも人を殺すことはないと答えたそうです。
インド系アメリカ人の作家ディーパック・チョプラは、1998年にルーミーの詩を著名な歌手や俳優が朗読したアルバム『愛の贈り物:ルーミーの愛の詩によって触発された音楽(A Gift of Love: Music Inspired by the Love Poems of Rumi)』をプロデュース。マドンナ、マーティン・シーン、デミ・ムーア、ゴールディ・ホーンなどが朗読しました。アメリカは軍事力でルーミーの生まれたアフガニスタンをついに征服できませんでしたが、ルーミーは愛の詩でアメリカを征服しました。