土門拳、森山大道、荒木経惟、杉本博司…日本を代表する写真家たちは何を語ってきたのか
東京工芸大学芸術学部写真学科教授であり、また自らも写真作品を発表する圓井義典氏は、このたび初の単著となる『「現代写真」の系譜』(光文社新書)を上梓しました。日本を代表する写真家たちの肉声をたよりに、国内外の芸術作品や論考などを参照しながら「現代写真」の系譜全体を解説します。本書を通して、写真家たちが何をもって「良い」写真としているのか、どうしてそのような判断をしているのか、1930年代に書かれたヴァルター・ベンヤミンの写真論などが、なぜいまだに議論の俎上にあがるのかといった、現代写真を一貫する時代や流行を超えた視点が明らかとなることでしょう。本書の刊行を機に、「はじめに」を公開いたします。
「現代写真」を読み解くガイド
美術館やギャラリーで目にする写真作品。それらに興味はあるけれど、何だか難しくて、どこをどうやって見れば良いのか分からない。
今から三十年ほど前、現代美術のギャラリーで私が「現代写真」とはじめて出会った頃の印象です。本書はその時の思いをもとにして、現代写真を読み解くきっかけを求めている方に分かりやすく、さらに学びを深めるためのガイドになることを期待して企画されました。
しかし、現代写真と言っても、それそのものを一口で言いあらわすことは容易ではありません。なぜならば、現代写真という営みそのものが少し長い物語となってしまうからです。
本書では、この物語をできるだけ平たく、できるだけエッセンスだけを絞りだすように工夫しました。
ところで写真と一口に言っても、私たちが目にすることのできるそれらは実際にはさまざまな目的があり、ジャンルがあるものです。たとえば、私たちにとって一番身近なプライヴェートな写真と言えば、日ごろのさまざまなことを写したスナップ写真、もしくは七五三や成人式といった晴れの日に、写真館で撮ってもらう記念写真などが思い浮かぶことでしょう。
さらにそれをほかの人に公開するものとして、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の写真があるでしょうし(本当のプライヴェートな写真とSNSで公開する写真とは、たいてい切り分けて考えていらっしゃるでしょう)、趣味の写真と言えば、鉄道写真や風景写真に加え、今ではコスプレ写真や聖地巡礼の写真などもごく身近な存在となりました。もうちょっとパブリックな目的をもつものとして、広告写真や報道写真などもあるでしょう。
このように、私たちはじつにさまざまなジャンルの写真に囲まれて暮らしていますが、これらの中に、いわゆる「現代写真」と呼ばれるジャンルがあります。私が本書で取り上げていこうと考えている対象は、今日の写真全般ではなくて、このかなり限定された特殊な写真たちです。
今日目にすることのできる写真であれば、それらはすべて「現代写真」と呼んでかまわないようにも思えます。しかしそうではなくて、ある限られた写真だけを「現代写真」と呼ぶのであれば、いったいそれらは何によってそのほかの写真たちと分け隔てられることになるのでしょう。おそらくそれは、「写真のこれまでの歴史へのまなざし」をもっているかどうかということです。
「現代写真」と呼ばれる表現を生み出してきた写真家たちのことを知れば、彼らの姿勢には必ずこのニュアンスが含まれていることに気がつくはずです。普段私たちが写真を撮ろうとしてファインダーやモニターを見ながら気にすることは、その都度の目的によって異なるでしょうし、そのたびに「写真のこれまでの歴史とはどのようなものだったか」と思い巡らすことはめったにないと思います。ところが、ある写真家たちはまさにそのことをつねに意識して、今の時代にふさわしいアイデアを実現しようと、そこに何らかの彼らなりのアレンジを加えるべく活動していると言えるでしょう。
ですから、特殊な写真とも言える現代写真を前にしたその時に、読者の皆さまが写真の歴史を踏まえて写真家の取り組みに想像力をふくらませることができるようになれば、それぞれの写真家の姿も今までよりもずっと身近に感じられるようになるはずです。
写真は終わったかもしれない
たとえば、荒木経惟(一九四〇年─)は次のように言います。ちなみに彼は戦後日本を代表する、そして今日でも話題に事欠かない写真家の一人です。
写真は終わったかもしれないと思ったね。(……)「終わった」っていったのは、世の中がデジタルに行っちゃって、わたしたちの世代が思っていた写真という表現がもう終わっちゃったって意味なんだよ。
ただ、これは悲しむことじゃないかもしれない。そういう新しい時代が来たということで、写真新世紀が目指したものは、本当はこれなのかもしれない。
(荒木経惟「審査会レポート」、『写真新世紀誌 第二十三号』、キヤノン、二〇〇八年)
おおっと、いきなりの写真の終焉宣言です。これは、荒木が二十年近くにわたって審査を続けてきた若手写真家の登竜門、「写真新世紀」という写真コンテストの中で語られたものです。そこに何千点と応募されてくる、彼からすれば息子や孫のような世代がつくる写真作品を見て、写真表現がここにきて大きく変化していることを実感したのでしょう(ちなみに、彼はこのように語った翌年を最後に同コンテストの審査から離れました)。
この荒木の発言のうちに、現代写真という姿勢、すなわち「写真のこれまでの歴史へのまなざし」を端的に見て取ることができると思います。
では、荒木の言う「わたしたちの世代が思っていた写真」とはいったい何なのでしょうか。それが終わったと言うのはいったいどういうことのなのでしょう。荒木の世代の写真表現と彼からすると息子や孫のような世代の写真表現とは何が違うのでしょうか。ここに現代写真の過去と現在、そして未来を考える上での重要なヒントがあります。以後、本書ではこの対比を念頭に置いて話を進めてみたいと思います。
本書の構成は次のようにしました。
まずは、荒木の世代が思っていた写真、すなわち「戦後(一九四五年以後)の写真界における写真表現」がどこから来てどういうものだったのかを確認します。そのために、本書では二十世紀前半の報道写真の成立からはじめます。キーワードは「ニュー・ドキュメンタリー」です。
第一章から第三章では、報道写真からニュー・ドキュメンタリーがいかにして派生していったのかを確認します。時代で言えば、一九三〇年代から一九七〇年代が主な舞台です。
続く第四章と第五章では、先走って言えば、戦後の写真界の写真表現とは別のものである「戦後の美術界における写真表現」を確認します。キーワードは「二流メディアからの成り上がり」です。主に一九七〇年代から一九八〇年代が舞台となります。
写真界にその時々で流通する一般的な価値観があるように、美術界には美術界でその時々に流通する一般的な価値観があります。一九七〇年代以前の一般的な美術の価値観からすると、写真表現はあくまでも絵画や彫刻というメディアによる表現の下に位置づけられた「二流メディアによる表現」だったわけです。ところがこの時代ににわかに写真表現に注目があつまり、とうとう絵画や彫刻による表現と肩を並べるまでに評価が高まっていきます。そのさまを確認します。
そして第六章と終章では、一九九〇年代以降の状況をそれ以前の二つの写真の歴史、つまり「戦後の写真界における写真表現」と「戦後の美術界における写真表現」とを照らし合わせながら確認し、最後にアメリカの美学者アーサー・ダントー(一九二四年─二〇一三年)の芸術終焉論と、日本の美学者小田部胤久(一九五八年─)によるそれへの反論を参照しながら、これからの写真について考えてみたいと思います。
また、すべての章において、それぞれの時代を代表する写真家の作品と言葉をたよりに、同時代のほかの写真家や美術作家、思潮や時代背景も参照しながら、彼らがどのような写真論や写真観を築いていったのかを明らかにします。そのことにより、当時の一般的な写真観と、それに対する彼らの写真論や写真観の意義とがより一層具体的に理解できることでしょう。
では、新しい写真表現に出会ったその時に、今までであれば気がつかなかったことに気がつくために、先人たちが何を模索し、語ってきたのかを見ていくことにしましょう。
目次
【第一章】土門拳と植田正治
【第二章】東松照明と森山大道
【第三章】荒木経惟と須田一政
【第四章】杉本博司とマルセル・デュシャン
【第五章】佐藤時啓と森村泰昌
【第六章】畠山直哉と九〇年代以降
【終 章】オルタナティブなまなざし
著者プロフィール
圓井義典(まるいよしのり)
1973年大阪府生まれ、東京都および群馬県在住。東京工芸大学芸術学部写真学科教授。専門は写真制作、写真表現史、写真論。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業、東京綜合写真専門学校研究科修了。展覧会に「天象(アパリシオン)」(個展、PGI、2020年)、「沖縄・プリズム 1872-2008」(グループ展、東京国立近代美術館、08年)ほか。『さあ、写真をはじめよう 写真の教科書』(共著、インプレス、16年)など、写真やアートにかかわる論文やエッセイを多数執筆。