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ホンダの原付が欧米で「創発的戦略」という経営理論に昇華されるまで|岩尾俊兵 vol.2

10月18日(水)に光文社新書より発売された『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(岩尾俊兵)。「ティール組織」「オープン・イノベーション」など最先端と思われがちな経営理論が実は戦後日本では当たり前のように実践されていたことを示すとともに、なぜ今の日本ではそうした知見が受け継がれていないのか、過度な欧米信仰に偏ってしまった要因を明らかにする一冊です。
中身が気になる方のために、序章~第6章から選りすぐりの箇所をピックアップしてお届け。
今回は第2章から、世界を席巻したホンダの原付ブームがアメリカにおいていかに経営学の理論にまで落とし込まれていったのか。このエピソードを通じて、日本の弱みである「コンセプト化」の流れを概観します。

ホンダの原付が「創発的戦略」に昇華されるまで

 1959年、日本が敗戦から立ち直り高度経済成長期に突入してしばらく経った頃のことだ。当時、アメリカのバイク市場のシェアは約半分がイギリス企業によって占められている状態だった。しかし、それから1966年までの数年間で、またたく間にホンダがイギリス企業を追い落とし、なんと一社単独でアメリカバイク市場の60%超のシェアを占めるようになった。

 いったいホンダはどんな魔法を使ったというのか。
 イギリス政府がそんな疑問を持つのも当然だった。イギリスの国益にも影響することだからだ。そこで、イギリス政府はすぐにボストン・コンサルティング・グループに調査を依頼した。

 その結果、1975年に報告された調査結果の内容は「ホンダは見事な海外進出戦略を立てたからイギリス企業に勝てたのだ」というものだった。
 それまで、アメリカのバイク市場では、もともと若干ガラの悪い人たちが乗りこなす大型のバイクが主流製品であった。ホンダはそこに、普通の学生や女性といった人たちが安価な移動手段として使用する、小型バイク市場というニッチを見つけたというのだ。さらに、そのニッチ市場をスーパーカブという新製品によって攻めつつ、生産台数を増やし、経験曲線効果によってコスト優位を得たという。
 成長性の高いニッチ市場を発見し、独自の製品でニッチ市場を独占し、シェアを増加させ、量産効果・規模の経済でコストを下げる。まさに経営戦略の教科書に出てきそうなお手本のような経営だったというわけである。実際に、ホンダの事例は当時のアメリカのビジネススクールのケーススタディに取り上げられることが多かったといわれる。

 しかし、スタンフォード大学のリチャード・パスカル教授は、この説明に疑問を持った。そして、ホンダのアメリカ市場進出の責任者たちに対してあらためてインタビュー調査をおこなったのである。

 丹念な調査によって判明したのは、実はホンダのアメリカ市場進出の現場で起こっていたことは、BCGによる説明とは正反対という事実だった。
 ホンダのアメリカ市場進出計画は、実際には、「日本でバイクが売れるようになったのなら、次は本場アメリカに進出すべきだ」といった程度のものだった。ようするに明確な戦略目標はなかったという。
 ホンダが市場に投入した製品も、当初は主流の大型のバイクだった。しかし、大型のバイクはイギリス系バイクメーカーや、アメリカ企業であるハーレーダビッドソンなどに勝てず、次に投入した中型バイクもふるわなかった。そもそも商品が売れる時機を逸してアメリカ市場に参入したという事情もあった。
 そんな中にあって、ホンダの営業部隊が移動に使っていた小型の原付であるスーパーカブを売ってほしいという販売店が現れたのだ。

 ただし、ホンダの戦略のすべてが行き当たりばったりだったわけではない。
 ホンダの戦略はBCGの分析のように、事前合理的に緻密に組み立てられたものではなかった。しかし、一度小型バイク市場というニッチを発見してからは、ホンダはこのニッチ市場でのシェア獲得と市場そのものの拡大のために、次々と合理的な施策を打ち出したのである。

 まず、ホンダは販売員にスーツとネクタイを着用するよう求めた。これまでの薄暗くて怖い店主によるバイク販売のイメージを一新するためだ。そして、広告もバイク専門誌だけでなく『LIFE』誌など一般消費者が読むような雑誌に掲載した。その広告も、ファミリーや学生、主婦などが通勤や買い物などさまざまなシーンでスーパーカブを乗りこなす様子を絵や写真で表現したものだった。さらに、そこに「You meet the nicest people on a HONDA(意訳:素敵な人たちはみんなホンダに乗っている)」というキャッチコピーがついた。売上が伸びるにつれて、経験曲線効果によって、価格競争力も付随してきた。
 こうしてホンダはこれまでバイクに乗ることがなかった層に訴求していき、当初ニッチ市場だった小型バイク市場を独占し、市場そのものを拡大することができたのである。その結果が、わずか7年ほどでアメリカのバイク市場の過半数のシェアを得るという大成功だった。

 パスカル教授によるホンダの事例研究は、マギル大学のヘンリー・ミンツバーグ教授によって、「創発的戦略」「クラフト戦略」といった概念でとらえ直された。
 これまで、経営戦略というと、典型的には経営企画部の情報収集を基にして、トップマネジメントが事前合理的に練り上げるものだとされてきた。それに対してミンツバーグ教授は、実際のトップマネジメントの仕事は、机に向かって沈思黙考するようなものではないと指摘した。トップマネジメント層は、さまざまな打ち合わせや会合に細切れで参加する必要があり、じっくりと思索にふけるほど暇ではないというのだ。

 ホンダの海外進出戦略もまた、日々の試行錯誤の仕事に忙殺されながら生まれた。チャンスをつかんだらそのたびに頭を使って戦略を練り、市場からフィードバックをもらって戦略を修正するというものだった。すなわち、仕事の中から生まれてくる、創発してくる、経営戦略だったのである。
 現在、創発的戦略は世界の経営実務界および学界からも受け入れられている。
 それどころか、戦略策定プロセスや戦略実行プロセスに関しての研究は、現在では事前合理的な戦略の研究以上に盛んに研究されているといえるほどだ。

目次

著者プロフィール

慶應義塾大学商学部准教授。平成元年佐賀県生まれ。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了。東京大学史上初の博士(経営学)を授与され、2022年より現職。組織学会評議員、日本生産管理学会理事を歴任。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞、第37回組織学会高宮賞、第22回日本生産管理学会賞、第4回表現者賞等受賞。主な著書に『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)、『Ambidextrous Global Strategy in the Era of Digital Transformation』(分担執筆、Springer)ほか。

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