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「持続可能な観光」を築くにはどうすればよいのか?|箱谷真司

編集部の高橋です。光文社新書は10月の新刊として『観光立国・日本』を出版しました。本書は箱谷真司さん(朝日新聞記者)が日本の観光産業の現在地と未来像を取材した一冊です。
コロナ禍により訪日外国人が99%減少してしまった観光業は具体的にどれほどの打撃を受けたのか、インバウンド受け入れの本格再開後はどのような展望があるのか。観光公害対策やDX、SDGsといったなど多角的な視点から今後のヒントを探ります。
刊行に際しまして箱谷さんの執筆後記と、本書の「はじめに」「目次」を掲載します。是非ご覧ください!

執筆後記

10月11日。水際対策が大幅に緩和され、国が旅行代を補助する「全国旅行支援」も始まりました。
「訪日客は平日に来てくれる人も多いので、期待は大きい」(土産物店主)「国内外からの問い合わせが急増中。コロナとの共存を世間が認め始めている」(旅館経営者)
「4月に開業したが、最近になって初めて外国人の予約が入った」(民泊経営者)
新聞記者の筆者(31)が関西各地で取材をすると、期待や喜びの声が上がりました。
2年以上に渡って苦境に立たされた観光業が、復興に向けて動き出します。観光業は日本経済にとって、重要な産業に成長しました。2019年の訪日客の消費額は、4・8兆円に上りました。
一方で、コロナ前は観光客が人気観光地に偏りすぎたり、騒音や渋滞を引き起こしたりする課題もありました。
「持続可能な観光」を築くには、どうすれば良いのでしょうか?
観光は多くの人にとって、「身近な産業」だと思います。地域の自然や住民の生活風景でさえも、「観光資源」になるからです。家族や友人と定期的に旅に出る人も少なくないでしょう。観光業の動向は、日々の生活に密接にかかわっています。
本書では、観光の最前線で働く人たちの挑戦や葛藤について紹介し、コロナ後の観光のあり方を考えます。
「現場の声」をたくさん盛り込むことを意識して書きました。
書店などで手に取っていただけると幸いです。

はじめに――観光現場の挑戦と葛藤――

2022年7月上旬、大阪市の繁華街・ミナミ。
 週末の昼過ぎにまちを歩くと、人気のたこ焼き店や串カツ店の前では10人以上が列をつくっていた。製菓会社・江崎グリコの名物看板(縦20メートル、横10メートル)の近くでは、若者らが写真を撮り合ったりかき氷を食べたりしていた。
 劇場の前には「お笑いライブ、どうですか」と呼び込みをする女性の姿があった。「ツアー参加者の方、道の端に寄っていただいて良いでしょうか」。旅行会社の名前が書かれた旗を持ったスタッフは、数十人の日本人観光客を引き連れていた。アーケード商店街に入ると、2025年大阪・関西万博をPRする旗が目にとまった。
「大阪に新しいエンターテイメントを」
 まちを東西に流れる道頓堀川の川沿いには、そんな言葉を記した横断幕が並ぶ。カジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致に名乗りを上げたMGMリゾーツ・インターナショナル(米国)の日本法人が掲げたものだ。
「ウイルスの終息祈願」「ミナミの回復祈願」と書かれた提灯もつるされていた。

政府は1カ月前の6月上旬、観光目的のインバウンド(訪日外国人客)の受け入れを2年2カ月ぶりに再開した。許可したのは、旅行会社などが手配するパッケージツアー(添乗員付き)のみ。入国者数の制限もあるので外国人はまだ少ないが、まちは徐々ににぎわいを取り戻している。7月中旬から新型コロナウイルスの感染者数が急増し、大阪府は不要不急の外出を控えるよう高齢者に求めたが、全世代への一律の行動制限はなかった。万博に向けた準備やIR誘致など、大阪の未来を左右するような動きも活発になっている。

コロナの感染が広がる前、ミナミには中国や韓国などからの訪日客が殺到した。量販店で家電や化粧品を買い込む「爆買い」が社会現象になり、大企業の東京移転などで活力の低下が続いた大阪のまちに光が差した。
 だが、コロナ禍で状況は一変した。
 2020年に日本国内でもコロナの感染者が増え始め、未知のウイルスへの危機感が広がった。4月には政府がすべての都道府県に「緊急事態宣言」を出し、外出の自粛を求めた。感染につながる「3密」(密閉・密集・密接)を避ける動きが広がり、多くの飲食店や劇場が休業した。水際対策が強化され、訪日客が前年4月比で99%減るという未曽有(みぞう)の事態になった。
 特に深刻な打撃を受けたのが、対面でのビジネスを基本とする観光業だった。先が見えないなか、事業を続けるべきなのか。事業者の選択は分かれた。
「コロナ禍が、ここまで長く続くとは思いませんでした。悲惨な状況のなかで何をどうすべきか、ずっと頭を悩ませてきました」
 ミナミで道頓堀ホテル(115室)など4つのホテルを経営する企業の橋本明元専務は、そう振り返る。
 4ホテルはコロナ前、宿泊客の9割以上が訪日客だった。中国や韓国など、アジアから来る人が大半を占めた。たこ焼きづくりや着付け体験といった、日本の文化を無料で楽しめるサービスを提供し、人気を集めていた。
 訪日客依存の反動は大きかった。コロナ禍になって国内客を呼び込もうとしても、うまくいかない。売り上げは9割減が続いた。約8億円の手元資金があったが、毎月2000万円ずつなくなったという。
 企業が従業員に支払う休業手当の一部を国が負担する「雇用調整助成金」の特例措置などを活用し、約200人の雇用は維持できた。
 一方で、仕事がなければ従業員のモチベーションは保てない。雇用調整助成金をもらうなら、社会に対して何らかの貢献をすべきだ。橋本さんはそんな思いで、従業員を巻き込みながらボランティア活動に力を入れてきた。
 ホテルの周りでは毎朝、ごみ拾いを続けた。従業員が使わなくなった服などを売るバザーを開き、すべての収益を病院に寄付したこともある。近くの飲食店や美容室のメニュー表などを英語、中国語、韓国語に訳す作業を無料で請け負った。コロナ後を見据えれば、サービスを多言語で伝える準備をするのは重要だと考えたからだ。
「外国人なんか来ないやろ!」。そう怒鳴られたこともあったが、地域を回り続けて50店舗以上から翻訳を任された。
 ビジネスでも、新たな試みを続けてきた。大学生の合宿や企業研修などの需要を見込んでホテルの「1棟貸し」をしたり、料理の宅配を始めたり。日本人の宿泊客を増やそうと、2022年4月からは「気軽にできるサプライズ」に力を入れる。宿泊客の家族らがホテルのウェブサイトからメッセージを打ち込むと、その文章を印刷した手紙が客室に届く。風船やメッセージ板などで客室を飾ることもできる。20代の若者から人気という。
 コロナ禍のなかでも挑戦をしたことで、事業の幅は広がった。料理の宅配や「気軽にできるサプライズ」は、これからも続ける考えだ。
「コロナ禍を通じて、会社としては強くなったと思います。インバウンドは日本経済にとっても絶対に大事だと思いますが、100%いなくなることは想定してこなかった。日本人の集客もできる仕組みを考える機会になったので、何十年か先には、『コロナを経験して良かった』と思える時が来るかもしれませんね」
 韓国やシンガポールからの宿泊客の予約も入り始めているという。

道頓堀ホテルから北東へ約700メートル。ホテルザフラッグ心斎橋(162室)は2022年7月、約2年ぶりに営業を再開した。
 ホテルを経営する信田光晴社長は「インバウンドの個人旅行が秋か冬に戻るのではないかと思い、準備もかねてホテルをあけました」と話す。
 信田さんは不動産業などを営んでいたが、道頓堀ホテルの橋本さんからホテル経営の魅力について聞き、2018年にホテルザフラッグ心斎橋を開いた。
 ミナミはアジアからの訪日客が多かったが、信田さんは欧州、米国、オーストラリアから来る人たちの需要を取り込んだ。コロナ前、宿泊客の出身地は55%が欧米豪、35%がアジア、10%が日本だった。フロントで働くすべての従業員が英語を話し、宿泊者にオススメの飲食店を紹介。体調がすぐれなければ、病院にも付き添った。接客をあえて「非効率化」し、ほかのホテルとの差別化を図ったという。
 そんな手厚いサービスが評判を呼び、2019年には世界最大級の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」が選ぶ「外国人に人気の日本のホテルランキング」で7位に輝いた。
 だがコロナの感染拡大で、逆風に見舞われる。
 2020年1月の時点で、「コロナ禍は最低1年、長ければ2~3年は続く」と感じたという。ホテル経営の痛手を抑えるため、2020年3月から休業した。コロナ禍でホテルをあけていれば、2~3倍の手元資金を失う見込みだったという。医療従事者を受け入れた時期が1カ月ほどあったが、それ以外はホテルを閉めた。
 休業している間、コロナ後の戦略について考え続けてきた。
 ホテルが再開した後は、欧米でよく売られる野菜の「ケール」を取り入れたサラダなどを朝食で提供し、ほかのホテルと差別化。客室に飲み水のペットボトルを置くのをやめ、給水ボトルを貸し出したり無料で配ったりして浄水器から水をくんでもらう仕組みに変えた。環境への意識が高い欧米からの宿泊客の支持が得られると考えたという。
 コロナ前はホテル不足がさけばれた時期もあったが、訪日客の需要を見込んだ開発が進み、供給量が一気に増えた。「コロナ後は、安売りをするホテルは生き残れないと思います。付加価値を高めて、寝ること以外の『泊まる意味』を提供できるようにしたい」
 信田さんはそう考えている。

コロナ禍で2年以上にわたって苦境に立たされた観光業が、コロナ後に向かって動き出している。「訪日客数は、大阪・関西万博が開かれる2025年にはコロナ前の水準に戻るだろう」(鉄道会社幹部)という見方も強い。感染者数が急増する時期もあるが、経済・社会の立て直しと感染対策の両立を図る「ウィズコロナ」の流れが加速している。
「観光立国」に向けた歩みが、再び始まりつつある。政府は2022年9月上旬から水際対策をさらに緩和し、添乗員を伴わないパッケージツアーも受け入れ始めた。
 コロナ前は訪日客が増え続け、観光業は日本経済を支える重要な産業になった。2019年の訪日客の消費額は4・8兆円に上った。つまり観光業は、4・8兆円の「外貨」を稼いだことになる。財務省の貿易統計によると、主要品目別の輸出額では自動車(12・0兆円)がトップで、半導体等電子部品(4・0兆円)、自動車の部分品(3・6兆円)が続いている。観光業は宿泊、交通、飲食など裾野が広い「総合産業」なので単純には比較できないが、多くの外貨を獲得したことは間違いない。
 低迷が続く地域経済にとっても、観光業への期待は大きい。高度経済成長期には雇用を生むために大企業の工場を誘致する地域が多かったが、工場の海外移転や「ものづくり」産業の衰退が続いた。そんななか、観光業は古民家、お祭りなど地域に「すでにある資産」を生かして収益を生むことができる。
 日本の人口減や少子高齢化は、とどまる気配がない。生産年齢人口は減る一方で、社会保障費は膨らむ。このままでは、日本がどんどん貧しくなる。
 そんな状況を踏まえても、「稼げる産業」を未来に残すことは大切だ。筆者はその力が、観光業にあると考えている。

一方で、コロナ前には課題も浮き彫りになった。
 京都などの一部の観光地に訪日客らが集まり、ごみのポイ捨てや交通渋滞といった「観光公害」(オーバーツーリズム)が深刻化した。京都の財界関係者からは「コロナ前の状況にそのまま戻るのは危険だ」という声も聞いた。
 観光立国をめざす以上、「経済的利益」と「社会的損失」のバランスを考えることは欠かせない。その視点がなければ、地域の協力・理解を得ながら観光業を発展させることが難しくなるからだ。
 また日本全体では訪日客が増えた一方で、有名観光地ではない地域を訪れる人は依然として少なかった。人を呼び込めても、十分に稼ぐ仕組みが整っていない地域も目立った。その課題に向き合うことも、今後は求められる。
 では、どうすれば良いのか?
 本書では、観光の最前線で働く人たちの挑戦や葛藤を伝えることで、コロナ後を考える「材料」を提示できればと思っている。「現場の声」を聞いてたどり着いた筆者なりの考えも盛り込んでいる。
 観光に携わる人たちをおもな読者に想定しているが、仕事や学業で関わりがなくても、家族や友人と定期的に旅行へ行く人は多いだろう。観光関係者の思いを知ることで、旅先での「見える景色」や振る舞いが変わるかもしれない。
 本書がより良い日本経済・社会を考えるために少しでも役に立てれば、嬉しく思う。

筆者は、おもに経済分野の取材をする新聞記者だ。
 コロナの感染拡大が始まった2020年は東京で働いており、外出自粛の影響で苦境に立たされた企業の資金繰りを取材した。倒産したホテルや菓子メーカーの経営者も取材した。2021年に大阪へ移り、ホテル、旅館、鉄道、バス、通訳案内士、大阪・関西万博、IRなどの記事を書いている。
 取材の蓄積を生かし、本書は5つの章で構成している。第1章ではコロナ禍で苦境に陥った経営者や働き手の声を伝え、コロナ前の観光業の状況について統計データを交えて振り返る。それを踏まえて、筆者がコロナ後の観光業を考えるために重要だと思う視点を示し、第2~第5章で掘り下げていく。

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著者プロフィール

箱谷真司(はこたにしんじ)
1991年、奈良県生まれ。2014年に神戸大学法学部を卒業し、朝日新聞社に記者職で入社。北海道報道センター、水戸総局を経て、18年から東京本社経済部。新型コロナウイルスの感染拡大で苦境に陥った企業の資金繰りを取材した。21年に大阪本社経済部へ移り、ホテル、旅館、鉄道、バス、通訳案内士、大阪•関西万博、カジノを含む統合型リゾート(IR)などの記事を書いた。22年9月からネットワーク報道本部に所属し、大阪府庁を担当している。

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