資本主義が「ロックの名曲」を育てた――7分でわかる、名曲とランキング・チャートとの関係
好評連載中の川崎大助さんの『教養としてのロック名曲100』ですが、カウントダウンが50位に到達したところで、特別コラムをお送りします。サブスクの浸透で、アルバムとシングルという概念も薄れつつありますが、両者はどういう関係にあったのでしょうか? そして、ランキング・チャートの意味とは?
シングル盤は「斬り込み隊長」
ヒットしさえすれば、売れれば「名曲」の称号を得られるわけではない。また逆に「名曲」との評価が高ければ、すなわちヒットとなるわけでもない。にもかかわらず、商業的成功と名曲としての世評とのあいだには、切っても切れない、深い関係性がある。
こうした観点から、当連載で僕は、各曲の解説をする際に、シングル盤としてのセールス状況、チャート・アクションの実績などを、なるべく盛り込むようにした。アルバム編の『教養としてのロック名盤ベスト100』では、この点はそれほど重視しなかった。「アルバム」と「曲」には、それぞれの特質の違いがあるからだ。
たとえば人は、こんな行動をとる。「シングルが気に入ったから、アルバムを買う」。もっと言えば「気に入っていたシングルの曲がいくつか入っているから、アルバムを買う」――これらは普通に「よくあること」だ。その逆に、こっちはよほど熱心なファンかマニアでなければ「ない」例だろう。「アルバムがよかったから、シングルのほうも買う」というのは……。
つまりシングル盤とは、斬り込み隊長なのだ。市場経済という戦場に、「1曲の強さ」だけを武器に単騎乗り込んでいく。そして自力で「生きる場所」を確保することが、任務の第一だ。ここで獲得された領地ないしは「安全地帯」において、落ち着いて発表されるものが「アルバム」となる。戦国時代的な比喩で続けると、本陣だ。
つまり曲とは、ソングとは、チューンとは、「どこまで行っても」商業的な実績による評価から無縁ではいられないという宿命を背負うのだ。アルバムならば「売れなかったが、内容はとても高く評価された1枚」というのは、よくある。同様の「曲」というのも、もちろん無数にあると言えばあるのだが、しかしそれらは「レアグルーヴ」など、また別の尺度からの評価とならざるを得ない。「斬り込みに失敗した曲、求められた役割を果たせなかった曲」なのだけれども、というただし書きが付与された上で。
ポップ・ソングとは、とくにシングル盤に収録されたそれは「売れてなんぼ」の前提で世に送り出されるものなのだ。ゆえに、そこである程度の票を稼げないようだと「質的にも、さほどのものではない」という烙印を押されたにも等しい状態となるわけだ。
この過酷な現実と「その向こう側」について、本稿で論じてみたい。つまり資本主義と「名曲」との関係だ。20世紀型の資本主義があったからこそ、ポップ・ソングは、いやポピュラー音楽は、大きく発展していった――という事実から、まずは振り返ってみよう。
売れないものに価値はない
20世紀の資本主義とは、すなわち大量生産と大量消費を、前提および終極の目標とするものだ。19世紀のイギリスが産業革命によって下地を作り、第一次、二次大戦を経てバトンを手渡されたアメリカが主役となって、とてつもない規模で発展させ、ほぼ完成の域にまで至らせた。巷間よく言われる「地球1コだけでは足りないほどの」資源消費構造というやつだ。
この大きな構造の片隅に、ポップ・ソングは「商品」としてかかわっていた。20世紀のアメリカで、つまり、資本主義を推進していく超大排気量エンジンの上で誕生し、商品として流通していくことによって、世に広く認められていったわけだ。言い換えると、「商業主義」こそがロック・ソングを花開かせていった土壌にほかならない。ゆえに第一義的には「売れないものに価値はない」となる。
身も蓋もないこのテーゼは「すべての」ポップ・ソングの上に長い影を落としていた。たとえば、いかなる左翼思想のロック・ソングがそこにあったとしても、なかなか完全には、商業性と無縁でいられるものではない。一例として「物々交換でどんどん広がっていくロック」というのは――少なくとも、これまでの歴史のなかでは――存在しなかった。あくまでも「大量に複製し、広く流通させる」という経済モデルか、その亜種のみだけが、ポップ・ソングの「乗りもの」となったわけだ。
といった宿命ゆえ、「ヒット・チャート」の動向が重要視された。業界人だけではなく、多くのファンもこれを気にした。なにが今週の「1位なのか」。「いま売れているのは、どんな傾向の曲なのか」。「新しい動きは、あるのか」――そんな、まるでマーケティング・リサーチ担当者みたいな興味のありかたを、いち音楽ファンまでもがごく普通に抱くようになったのが「ロックンロール登場以降」の世界における音楽生活の一端だった。
つまり「音楽そのもの」への関心と、「音楽を聴かせるためにパッケージングした商品」の売れ行きや人気度への関心が、ほぼイコールとみなしてもいい時代だったわけだ。あるいは後者のほうが「より大きく、世間の耳目を集めていた」のかもしれない。なによりも優先すべきは「売れ行きや人気度」のほうだという風潮だった、のかもしれない。
こうした傾向の先駆けにして、方向性を決定づけたと評すべきメディアが〈ビルボード〉だ。同紙が全米のポピュラー・ソング・ランキングを掲載し始めたのは1936年。そしてロックンロールの嵐吹き荒れる58年、ついにHOT100チャートが登場する。これはシングルの売り上げおよび、ラジオでのエアプレイ回数なども集計した「人気曲の総合的指標となるチャート」だった。
そして70年、運命のラジオ番組「アメリカン・TOP40(AT40)」が登場する。ビルボードHOT100の40位から1位までを、DJのケイシー・ケイサムがカウントダウン形式で紹介する3時間番組で、これが、爆発的に当たった。同種の趣向でヒット曲を紹介するプログラムが、このあと無数に、世界中の各地で、いつまでも無限に増殖していく。日本のTV番組『ザ・ベストテン』も、もちろん僕のこの連載も(『教養としてのロック名盤ベスト100』のほうも)カウントダウン形式だというだけで、明らかに「AT40」の影響下にある。曾孫か玄孫ぐらいだろうか。
ランキングされた「ヒット曲」を、カウントダウン形式で追う――とにかくこれが、聴き手を引きつけたのだ。以下の症状がまず「TOP40ファン」に特有のものだった。
いろんな曲のアップ・アンド・ダウンを、まるで競馬を見ているかのように、釘づけになって毎週「追っかける」。「圏外から赤丸急上昇」なんて曲があったならば「チェックしなきゃ!」なんて、まるで急き立てられているみたいに、興奮する。「今週の1位」の曲を知らないと、自分が「遅れている」ような気分になる……。
なにから「遅れる」のか? それは「流行」からだ。日々刻々と変化していく時代相の反映として、若者向け文化の流行がある。そしてそれは(なぜか)「商品の動向」から知らねばならない、というルールによって、あらかじめ縛り上げられていた。
50年代のアメリカで、ティーンエイジャーという新しい種類の人類が、いや「マーケット」が発見されたと同時に、彼ら彼女らとポップ音楽は、ひとつ、こんな構造にて資本主義社会に見事に「巻き込まれて」いったわけだ。
もっとも「ヒット・チャートなんて興味ないよ」という人は、いつの時代も一定数いる。僕自身、そんなことを口走りたがるような気質だった。10代のころから、新譜よりも多い数の旧譜を聴いていたし、メジャー・ヒットよりも、アンダーグラウンドで先鋭的なものをより好んでいた――とはいえ、こうした態度の奥のほうをじっくりと観察してみると「商業主義と無縁ではない」要素はやはり濃厚にあった。この場合は、反動だ。「ヒット・チャートにあるような曲」への反発、というやつだ。「アバの最新ヒットはいい曲かもしれない。でも売れすぎて、どこででも流れていて嫌になる。自分でお金を払うならニュー・エイジ・ステッパーズの新作だ!」というような、行動原理だ。
逆にたとえば、こんな人は世にほとんど「いない」はずだ。ひとかどのロック・ファンやポップ・ファンなのに「世の中に音楽のヒット・チャートがあるなんて、知らなかったよ」なんていう人は――。
つまり「ほとんどみんなが」なんらかの形で振り回されている、わけだ。ヒット・チャートというものに。あたかも我々全員が「貨幣」から完全に自由にはなれないのと同様に。
音楽そのものは、当初から「無料」だった
ただし、この厳格そうな構造にも「抜け道」はあった。というか、制度設計上の「穴」があった。僕が当連載の前書きで記した「曲とは、無料で聞き流すものだ」という大前提がそれだ。しかもなんとこの「穴」は、「ポップ音楽がレコードとして商品になる」という構造が固まった時代の当初からずっと、一貫して存在し続けていた。
たとえばそれは、ラジオから流れてきた曲を「無料で」聴けることだった。だれかがお金を入れたジュークボックスから流れてきた曲を、その場にいたほかの人々が、ごく自然に「無料で」共有できる、ことだった――当たり前に、これらはまったくもって「合法」だ。なぜならばこの場合は「再生されている曲そのもの」が、レコード盤という「商品」の宣伝媒体となっているという意味を帯びていたからだ。曲を無料で聴かせることが、「その曲を収録した」シングル盤やアルバムの購買意欲をかきたてるという戦略において、なによりも効果的な手段だと考えられていたから、このような事態が出来した。よく考えてみなくとも、これは大いなる倒錯といえば、倒錯だったのだが。
ともあれこうした理由から「AT40」は構想されたし、だからこそヒットもした。商品の中身の「あり得ないほどの無償提供」が、受けたわけだ。「ヒット商品の紹介」をドラマチックにやる、という行為には、ごく当たり前に「商品の宣伝」という意味はあった。しかし聴き手にとっては「ヒットした商品の『受ける要素』」を、次から次へと「無料体験」させてもらえることにほかならなかったわけだ。まるで試食させすぎのデパ地下食品街みたいに。
要するに商品ではなく「そのなかに入っているもの」にこそ、用があったのだ。聴き手はずっと。本当はずっと。
レコード盤に対するフェティッシュな感情、あるいは所有欲。そうしたものを抱く人も、もちろん少なくはなかっただろう。しかし最も重要なのは、当たり前だが、「盤のなかに刻み込まれている」音楽そのものだ。作り手ですら、どうしてそうなったのかよくわからない(場合も少なくない)ほどの達成があったような「歌や演奏」へと、自らの心を同期させてみることが、なによりも大事なことだったのだ――。
だから僕はこんなふうに解釈している。資本主義社会を象徴すべき、最たる例のひとつとして(若者向けの、流行の消費財として)送り出された「商品」だったはずのポップ音楽の「盤」から、じつは聴き手の少なくない層が「未来へのヒント」を嗅ぎ取っていたに違いない、と。20世紀特有の消費型資本主義社会を「超え得る」世界を実現させられるかもしれない、そんなヒントだ。
その一端は、インターネットを利用した、音楽のストリーミング・サーヴィスという形で、すでに見事に実現している。基本的に複製は不要だし、資源の消費も極力少ない。「中身にのみ用がある」ことを知りつくしていて、さらには「どんな方法を使ってでも、いい音楽を、いい曲を、とにかく沢山、浴びるように聴き続けたい!」という貪欲さ、焼けつくような強烈な欲求を持った人々の熱意が、その総意が、この文化史的大ジャンプを成功させたのだと僕は考えている。
そしてこの跳躍の際も、最大の突破口となったのは「曲」だった。名曲の、ひとつひとつの魅力が、輝きが、新しい枠組みをも招来し得たのだ。たとえば「プレイリスト」の一部として。たとえば「ミックステープ」のなかの1曲として。当初は正規アルバムの収録曲として発表されたものであろうとも、そのくびきから軽々と離れて、自由に、闊達に、未踏の地平にて遊び続けている。「未知の世界」へと挑み続けている。
ちょうどこの状態は、19世紀のイギリスにいたカール・マルクスが、産業革命の本場で『資本論』を書き上げたときの様子とも、アナロジーとして一脈通じる。労働者階級の誕生と、それらの生命の限界までの酷使を経たとしてもなお「いずれ、かならず自壊せざるを得ない」システムの興隆を目の当たりにしたマルクスの覚醒と「もっと聴きたい!」と叫んだポップ・ファンの真情は、ほんのすこしだけ似ていた、のかもしれない。
こうした精神活動の一種、表象形態のひとつが、聴き手による「曲のランキング」や「アルバムのランキング」なのだ。ヒット・チャートではない形を指向することで、資本主義のメカニズムから「できるかぎり自由になる」ための試みが、これだ。ときに(いや、かなり「しばしば」)偏向した批評者たちの主観や哲学にもとづいて作成されたランキングとはつまり、消費者の側、受け手の側の手によるランキングにて「名曲」を再定義してみよう、という動きにほかならない。だから資本主義への、「すでにある世界」への、「川下からの反逆」という意味を自動的に持つ。〈ローリング・ストーン〉と〈NME〉も、そのことを多少ならずとも意識しつつやっているに違いない。
ときにサンプリングなどという盗作まがい、海賊行為まがいのおこないすら脚光を浴びる。あるいは、そうした行為の連続こそが「未来を切り開いていく」ことも多い――つまりそれほどまでにも、ポップ音楽というものは「くせもの」なのだ。一筋縄では、全然いかない。だからこそポップ音楽は、ロックは、資本主義のなかから生まれながらも「それを超えていこう」とする芸術形態の代表的なひとつとなり得る、のかもしれない。その最終段階にきわめて近い部分を、我々はいま目撃しようとしている。
(次回は本連載に戻り、49位の発表です。毎週火曜・金曜更新予定です)
川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌「インザシティ」に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』(光文社新書)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki