もしかしたら井上真央と結婚するかもしれないよと(笑)。|中森明夫、新刊を語る。
作家でアイドル評論家の中森明夫さんが、小説を上梓した。タイトルの『青い秋』は、50代の終わりを迎えた中森さん自身の今を指す。
人生は収穫期を迎えた秋のはずなのに、ずっと青いままだという。本書は私小説だが、主題は「私」ではなく時代だ。
上京し、フリーライターとして仕事を始めた「青い春」。新人類の旗手として持ち上げられ、「おたく」を命名し、15歳の後藤久美子と16歳の宮沢りえを両脇に記念写真を撮った「青い夏」。
昭和から平成に続くキラキラ、ギラギラとした時間が甦る――。
インタビュー・文/今泉愛子
撮影/永峰拓也
——本のカバー写真は、篠山紀信さんの撮影です。
中森 篠山さんと朝の六本木を歩きながら、いろんなお店がなくなったね、(六本木に事務所があった)トモさん(長友啓典。グラフィックデザイナー)も亡くなっちゃったね、といった話をしながら撮ってもらいました。
90年代に篠山さんと行ったお店も、ほぼなくなってしまいましたね。
――登場人物も亡くなった方が多いですね。
中森 若い頃はどんどん、どんどん経験値が増えていって、友人も知人も物も増えていくんですけど、ある年齢を越えると今度は、減っていくんです。なくなったものに気づいていく。街を歩いても、若い頃は新しいお店が目についたんですけど、今はなくなってしまったことに気づく。
六本木だとWAVE(オーディオ・ビジュアルの複合ショップ・ビル)がなくなって、青山ブックセンターがなくなって、六本木ヒルズが建っている。いろんなことが残像みたいに見えてきて、それを小説で再現するのがいいんじゃないかなと。
なくなったものには、思い出があるし、物語がある。スマホの連絡先も、亡くなった人の電話番号やメールアドレスってなかなか消せない。電話がかかってくるわけがないし、かけることもできないんだけど、消してしまうと関係性が終わる気がしてね。
その亡くなった人たちの記憶を物語の中に組み込んでいます。ちょうど平成から令和に変わったタイミングもあって、終わった時代、消えた人に対するレクイエムとか挽歌といった様相を帯びました。
――最後の一篇、「彼女の地平線」はようやく中森さん自身の恋愛の話です。
中森 僕はこれまであまり恋愛体験を書いたことがなくて、ゲイ疑惑があってね。いや、別にそう思われてもいいんですけど、ただ、私小説は恋愛が基本ですから。
もちろん全てが事実ではなく、あくまで小説=フィクション。「地平線」とは、真っ平らな彼女の胸のことです。普通、男はおっぱいの大きい子が好きだと言われる。それは要するに母性への憧憬です。その憧れがやがて自分も家族を持って、子どもを育てよう、ということになる。
だけど、胸の真っ平らな彼女を選ぶというのは、自分は、家族を持ち、母なるものに回帰しないことの表れでもあったのか、と書いていて思いました。自分と同類で、成長していないように見える彼女の地平線のような胸に最後の帰るべき場所を見つけていたのかなと。
『青い秋』所収「彼女の地平線」の直筆原稿。
中森は今でも手書きで原稿を執筆する。
コクヨの原稿用紙に、シャープペンシルで一字一字マス目を埋めていく。
――中森さんは今後結婚のご予定はないんですか。
中森 よく言うんです。このあと急に、もしかしたら井上真央と結婚するかもしれないよと(笑)。まあ、冗談ですが、これ、誰の名前を出すか、微妙なところですね。宮﨑あおいも北川景子も結婚しちゃったし。
――「いつも海を見ていた」は、少年時代のことが書かれています。
中森 僕の田舎は三重県の伊勢志摩なんです。家が酒屋で、親父も尋常小学校出ですから、家に本もあまりなかったし、小説の類はほとんどなかったんです。東京の高校に進学するために15歳で上京して、家出して転がり込んでたのが千葉の知り合いのアパートなんです。10歳上の建築士の方の部屋なんですけど、ものすごい読書家だった。文学と哲学書が山ほどあって、半年ぐらいの間に僕も片っ端から読みました。それが最初の爆発的な読書体験。45年ぐらい前のことですが、今でもあの本棚の夢を見ます。
ただ、小説を読むのはすごく好きだったのですが、書くという発想にはあんまりならなかった。
————ライターになった経緯は「おたく命名記」に書かれている。
中森 20歳の時に高円寺の街を歩いてて、大学生風の青年に声を掛けられて、道を訊かれたのがきっかけです。本の情報誌のマップを作る仕事をしていると言って、いろいろ教えてあげたら「編集部に遊びにきてください」と言われた。そこから始まった。
それからもう来年で40年ですからね。小説を読むのは好きだったんですけど、注文があって原稿を書く仕事をずっとしていました。
――創作とか芸術活動ではなく、仕事として書いていたと。
中森 そうそう。依頼があって、締切がある原稿。まさに仕事ですよね。小説的なものもいくつか書いたんですけど。
――小説一本でいこうという気持ちにはならなかったんですか。
中森 ならなかったですね、まったく。あと、小説を書くのは、時間がかかるんです。コラムだったらすぐ書けるんだけど。僕はこうやってしゃべるのが好きで、人を会うのが好きだから、家で原稿を書いていると、むちゃくちゃ鬱々としてきます。口下手な人のほうが向いてるんじゃないかな。
――これからも小説を書きますか。
中森 書きます。小説は時間はかかるけど、お金はかからない。もし生まれ変わったら映画監督をやりたいと思うんですが、映画はお金がかかるじゃないですか。小説は一人でできるし、年を取ってもできる。スポーツだとそうはいかないですよね。
――これからは、作家生活を送ると。
中森 もう10年前ぐらいに始めておくべきだった(笑)。でも、まだこれから60代ですからなんとかやれるんじゃないかな。小説で書きたいことはいっぱいありますよ。
僕は「小説家」になりたいわけじゃないんです。たしかに、若い頃は、「小説家」ってどうだろうと。サブカルライターだと思われて、ナメられてきたので、作家扱いされるのもありかなって。まず小説を書いて作家として認められて、文学賞でも取ったら着物でも着ようかなと(笑)。冗談ですけどね。
でも、今はもうそれはない。ただ、「小説」を書きたいんです。
————『青い秋』はその第一歩になりました。
中森 僕はこれまでやってきたことがけっこう多い。アイドル評論家、作家、コラムニストと言いながら、実際には何をやってるのかわからない人ですね。なにかの専門家でもない。大学の先生でもない。単行本をそんなにたくさん出しているわけでもない。
でも、この『青い秋』を読んでもらったら僕がどういう人間なのかがわかるでしょう?
そういう本になったのはうれしいですね。自分の人生のことも書いたし、仕事のことも書いたし、父のことも恋愛のことも書きました。これまでのことのありったけを入れた。
僕はアイドル評論家と言われるくらいだから、分析脳なんです。このアイドルが売れている理由はこうだ、今、このグループが流行っている背景はこうだ、ということを考え続けてきた。でも、小説を書くときはなるべく分析はやめるようにしています。物語自身の声に耳を澄ます。
もちろん読者を面白がらせてやろうとは考えますけど。
————小説にはどんな魅力があるんでしょう。
中森 どうして小説を書きたいのか、「小説を書く」ことが目的じゃないんです。手段なんです。小説「を」書きたいのではなく、小説「で」書きたい。小説を使って、世界を体現したいということです。
4年前に三島由紀夫賞候補になった『アナーキー・イン・ザ・JP』は、100年前のアナーキスト、大杉栄が現代の少年の脳内に取り憑くという内容で、もし映画にしたらむちゃくちゃ制作費がかかる。でも小説というメディアならお金はかからないし、一人でできる。
――『アナーキー・イン・ザ・JP』は映画でも見てみたいですけど、SF超大作になりそうです。
中森 でしょう。漫画家たちのトキワ荘グループっているじゃないですか。手塚治虫さんを慕って、石ノ森章太郎や赤塚不二夫、藤子不二雄らがトキワ荘という椎名町のアパートに集まった。彼らはみんな映画が大好きで、本当なら映画がやりたかったくらいだけど、当時の日本では難しかった。だから映画的な手法で漫画を描いた。彼らは漫画で、映画的な表現を目指したんだと思うんです。
だから日本の漫画はものすごく発達した。とてつもなく進化した。
一方、今の漫画家は、漫画を読んで漫画を描いています。絵はむちゃくちゃうまくなってるんだけど、世界観があんまり広がらない気がするんです。
トキワ荘の漫画家たちが「映画」を漫画でやろうとしたように、僕は小説でもっといろんなことがやりたい。小説を使って何かを書きたい。小説「で」書きたいんです。
『青い秋』は、小説という形で、失われた時間や場所や人を再現しました。こんな時代に、こんな人たちがいたんだ、と。懐かしさという感情は、ものすごく心の深い部分を刺激してくれるから重要なんでしょうね。
――取材当日、ここには書ききれなかったネタもたくさん披露してくれた中森さん。確かに中森さんの語りはめっぽう面白いのですが、そこに味わい深さを加えたのが『青い秋』です。ぜひ読んでください。
中森明夫さん渾身の私小説『青い秋』は、全国書店にて絶賛発売中です。
又吉直樹さん、川村元気さん、絶賛!
「エピソードが全て凄まじい。
街を這いつくばったから見えた景色。
それでも降参せずに遊び続けたからこそ見えた風景。」
又吉直樹(芸人、芥川賞作家)
「昭和、平成から令和へ。
ひとりの男の記憶を辿ると、そこには東京にかつて在ったもの、
失われたもの、新しく生まれようとしている何かが見えてくる。」
川村元気(映画プロデューサー、小説家)
青春には続きがある。
人生後半、「青い秋」のせつない季節だ――。
かつて〈おたく〉を命名し、〈新人類の旗手〉と呼ばれた。人気アイドルや国民的カメラマンらと、時代を並走した。フリーライター・中野秋夫。もうすぐ還暦で、自らの残り時間も見えてきた。人生の「秋」に差し掛かり、思い出すのは、昭和/平成の「青春」時代のことだ。
自殺してしまった伝説のアイドル、〈新人類〉と呼ばれたあの時代、国民的美少女と迷デザイナー、入水した保守論壇のドン、そして、〈おたく〉誕生秘話――。
東京に生きる、クリエイター、若者、アイドル、浮遊人種……それぞれの青春、それぞれの人生を丹念に紡いだ渾身の私小説。