難しいだけじゃない! 「東大世界史」で気づかされる歴史を読み解く新たな視点
暗記だけでは解けない東大世界史。緻密な論理が詰まった問題文は「読解力」がなければ読み解けず、時には具体的な事柄を抽象化して考える「思考力」も求めてきます。しかし、難しいだけではないのも東大世界史。答えを導く途中では、歴史を読み解く新たな視点に気づかせ、現代社会の出来事が深く歴史に根差していることを改めて教えてくれます。
光文社新書6月刊『夢中になる東大世界史』では、そんな東大の過去問約40年分から選りすぐりの15問をピックアップ。問題に挑む登場人物たちとともに、ナポレオンの時代から現代までの世界の歩みを俯瞰していきます。本記事ではその中から出版を記念して、一章分をまるっと全文公開。パクス・ブリタニカの時代を見つめ直す問題を紹介します。
登場人物
宮下:世界史講師 京子:女子高校生、映画研究部所属。
東大で頻出の「帝国主義」に関する問題
下の問題は一見すると、暗記した知識を列挙するだけの問題に見える。だが、答案が完成すると、19世紀の国際情勢が実に鮮明に浮き彫りになり、やはり帝国主義の時代の新しい景色が見えるのである。
「実は日本以外のほぼ全ての国が植民地化された経験をもっていることを私たちは忘れがちです。けれども、現在の多様な世界を理解するためには知っておく必要がありますね。19世紀はヨーロッパ諸国がアジア・アフリカを征服した帝国主義の時代です。そして、その中心にいたのがイギリスです。19世紀という帝国主義の時代を理解しているかは、イギリスによるパクス・ブリタニカを理解しているか、といえます」
宮下がプリントを配り終えると、生徒たちは一斉に問題文を読み始めた。東大に頻出の「帝国主義」に関する問題である。
問題(2008年)
1871年から73年にかけて、岩倉具視を特命全権大使とする日本政府の使節団は、合衆国とヨーロッパ諸国を歴訪し、アジアの海港都市に寄航しながら帰国した。その記録『米欧回覧実記』のうち、イギリスにあてられた巻は、「この連邦王国の……形成、位置、広狭、および人口はほとんどわが邦と相比較す。ゆえにこの国の人は、日本を東洋の英国と言う。しかれども営業力をもって論ずれば、隔たりもはなはだし」と述べている。その帰路、アジア各地の人々の状態をみた著者は、「ここに感慨すること少なからず」と記している。(引用は久米邦武『米欧回覧実記』による。現代的表記に改めた所もある。)
世界の諸地域はこのころ重要な転機にあった。世界史が大きなうねりをみせた1850年ころから70年代までの間に、日本をふくむ諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ、また対抗したのかについて、解答欄(イ)に18行以内で論述しなさい。その際に、以下の9つの語句を必ず一度は用い、その語句に下線を付しなさい。
インド大反乱 クリミア戦争 江華島事件 総理衙門 第1回万国博覧会 日米修好通商条約 ビスマルク ミドハト憲法 綿花プランテーション
※1行は30字。また、解答では下線を付す代わりに該当語句を太字にした。
「時間」と「空間」の制限を見逃さない
「この問題は、いくつの国について論じるかが重要になります。そこに注意してやってみてください。構成メモができた人から挙手してもらおうかな」
宮下は教室全体を見ながら言った。問題文とは「制限」である。問題文は答案に書くべきことを様々な観点から制限してくる。歴史は「時間」と「空間」で構成するものであるから、基本的にはその2つの観点での制限となる。この問題では、時間の制限として「1850年ころから70年代までの間」とあり、空間の制限としては「諸地域」とある。そして、事象としての制限は、パクス・ブリタニカにどう「組み込まれ」、どう「対抗」したのか、である。
京子は時間の制限を念頭におきつつも、空間と事象を中心に構成メモの表を書いた。「困難は分割せよ」とはデカルトの言葉である。540字の困難も、書くべき地域ごとに分割していけば負担を軽くすることができる。例えば、6地域と仮定した場合、12マスができる。1マスにつき45字だ。だいぶ気が楽になる。
(これは解けそうね)
京子は指定語句が示す地域をスラスラと整理していく。しかし、ひと通り書き終えたところで、困惑して手が止まった。やはり東大は一筋縄ではいかなそうだ。
・インド大反乱 → インド(ムガル帝国)
・クリミア戦争 → トルコ(オスマン帝国)?
・江華島事件 → 朝鮮(李氏朝鮮)か日本?
・総理衙門 → 中国(清朝)
・第1回万国博覧会 → イギリス
・日米修好通商条約 → 日本?
・ビスマルク → ドイツ?
・ミドハト憲法 → トルコ(オスマン帝国)?
・綿花プランテーション → インド(ムガル帝国)
「第1回万国博覧会」はイギリスの発展という文脈で書けばよいだろう。しかし、問題文にある「パクス・ブリタニカに組み込まれ、また対抗した」というのは、「イギリスに征服され、それに対して反乱を起こした」という程度に受け取ると、指定語句を見る限り、その解釈にすんなりと見合う単語は「インド大反乱」と「総理衙門」くらいであった。イギリスはインドに進出するなかで綿花プランテーションを普及させた。そのなかで起きたのがインド大反乱である(図表1)。そして、イギリスは中国(清朝)にアヘン戦争とアロー戦争をしかけ、その結果、清朝に外交事務官庁「総理衙門」を設置させ、対等外交を強要した。
図表1 インド大反乱
京子は、少なくとも、書くべき事象は「イギリスに征服され、それに対して反乱を起こした」ことだけではないということを理解した。
(じゃあ、何を書けばいいの……?)
京子は改めて問題文に目を向けた。一度、一定の角度で読んでしまった文章を、別な角度で読み直すというのは非常に難しい。が、解けそうで解けない苛立ちのなかで、京子は糸口を見つけた。
「パクス・ブリタニカに組み込まれる」とはどういうことか
(日本をふくむ諸地域が……)
問題文をよく読めば「諸地域」のなかには日本が含まれている。しかし、周知の通り日本は征服されてはいないし、無論のこと支配に対する反乱も起こしていない。それでも、問題文は日本も「パクス・ブリタニカに組み込まれ、また対抗した」としている。
京子は気を取り直してもう一度問題文を読み直した。序文には岩倉具視の欧米視察の様子(図表2)が書かれている。そして指定語句には「日米修好通商条約」があった。日本は日米修好通商条約と同じ内容の不平等条約を、イギリス・フランス・オランダ・ロシアとも締結(安政の五カ国条約)、欧米の自由貿易体制に組み込まれ、欧米に有利な条件を強要されていった。これを受けて岩倉具視は、不平等条約の改正交渉のために欧米に向かったのだった。帰国したのちは、欧米で見聞したことをもとに改革を進め、憲法の制定に尽力している。指定語句には「江華島事件」もある。日本は、改革を進めながらも、欧米のまねごとを始め、対外進出を試みた。事件をきっかけに朝鮮を開国させ、それは日清戦争や日露戦争、ひいては韓国併合へとつながっていく。
図表2 岩倉使節団
(そうか、組み込まれる話も対抗する話もけっこう広い意味なんだ。征服と反乱だけではないのね。欧米の秩序に組み込まれること自体がパクス・ブリタニカに「組み込まれ」ることを意味するし、改革〈憲法の制定〉や対外進出もパクス・ブリタニカへの「対抗」としていいんだ)
京子は色々なことに気づいた。パクス・ブリタニカに「組み込まれ」る話には、植民地化や保護国化といった政治的な従属だけではなく、経済的な従属も含まれるのだ。つまり、自由貿易体制へ組み込まれていくことである。そして「対抗」も、反乱という軍事的なものだけではない。改革という政治的なものも含まれるということだ。憲法の制定や議会の設置など、要するにイギリスに追いつかんとする行為の全般を指すのだ。であるならば、西アジアのトルコ(オスマン帝国)や東アジアの中国(清朝)に関しての問題は解決する。トルコ(オスマン帝国)はクリミア戦争でロシアの攻撃を受けながらイギリスの支援を受けて従属を強めたが、イギリスと同じように近代国家であることを示すためにミドハト憲法を制定するなど、政治改革を行って対抗した。中国(清朝)も、アヘン戦争・アロー戦争でイギリスに敗北して総理衙門と呼ばれる初の外交事務官庁を設置して開国させられた一方で、洋務運動を展開して西洋の軍事技術を取り入れる軍事改革を行うことで対抗した。インドに加え、日本、そしてトルコや中国、アジアの4つの地域に関しては書くべきことが整理できた。
だが、まだ指定語句には欧米に関連すると思しきものが残っている。ドイツとアメリカはどのように考えればよいのだろうか。
帝国主義国による帝国主義国への抵抗
(ドイツとアメリカがパクス・ブリタニカに組み込まれ、対抗……? 帝国主義国が帝国主義国に組み込まれて対抗って……)
京子はこれまでの授業の内容を思い出し、単語を思い浮かべては消すという作業を繰り返した。けれども納得のできる答えは思いつかない。
ここで宮下は全体にアナウンスした。
「いき詰まったら問題文ですよ。迷ったりしたら必ず問題文に戻りましょう」
他にも悩んでいた生徒がいたのだろう。アドバイスを聞いて京子は問題文に目を向けた。
(1850年ころから70年代まで……70年代?)
京子が何に引っかかったのか、おわかりだろうか。70年代のアメリカで何が起きていたか。京子は、これまで特に気にとめていなかった時間の制限から扉をこじ開けたのである。
(第2次産業革命の時期だ。……そうか、確かにイギリスは圧倒的な工業力と生産力をもっていた、だから自由貿易の世界では絶対に負けない。それは欧米諸国が相手でもだ。けれども、イギリスの経済力に対してドイツもアメリカも保護貿易を行うことで対抗したじゃないか! だからこそ自国の産業を成長させることに成功して、第2次産業革命ではドイツとアメリカが主役になり、イギリスを工業力において追い抜いていったんだった!)
京子は興奮してドイツとアメリカの項目を付け加えた。ドイツはビスマルクのもとで60年代後半から統一を進め、71年に統一を達成、その後は保護貿易を展開して産業を育成した。アメリカもリンカーンのもとで60年代前半に南北戦争を展開、統一を実現した。その後は保護貿易を展開して、やはり産業を育成した。
これで書くべき地域と事象は出そろった。京子は正解に大きく近づいていた。彼女は一気に構成メモ(図表3)の表を書き上げてペンを置き、宮下に見てもらうために手を挙げた。顔を上げると宮下は赤ペンをもって近づいてきていた。
図表3 パクス・ブリタニカに組み込まれ、対抗した国々(京子の途中の構成メモ)
だが、彼女は1つ重要な国を忘れている。日本、インド、トルコや中国、そしてドイツとアメリカ、けれども、実はあと1つある。それも、帝国主義の時代にイギリスと対立した国としては最も有名な国だ。そんな国を書かないわけにはいかないが、対抗の主体として欧米を発想することも容易ではないため、思いつかなかったのである。
忘れてはいけないもう1つの国
宮下は生徒が確信をもって手を挙げた時の表情が好きだった。京子の解答に目を通したところ、ほぼ正解に近い。
「けど、惜しいな。あと1つ必要な国がある。それもヨーロッパだ」
生徒が自力で解答に辿り着けるように、生徒の頭と解答の間にある絶妙な用語をヒントとして与える、これは教師にとって重要な技術だ。一方の京子は悔しかった。絶対に正解だと思っていたからだ。逆に言えば、東大はやはりそう簡単ではないのだ。あと1つ。宮下は狭い教室のなかを歩きながら誰にともなく言った。
「帝国主義時代にイギリスに対抗した国……イギリスと対立した国だよ……?」
京子は自分に言われていることはわかったが、心のなかでは反射的に「そう言われても……」とつぶやいていた。だが、逆に問題文からではない宮下からの言葉は、固定観念なく問いを問いとしてとらえることができた。
(ロシアか)
帝国主義時代にイギリスと対立したヨーロッパの国といえばロシアしかない。なぜ気づかなかったんだろう。イギリスとロシアの対立はこの時代の固定された周知の関係だ。
(なるほど、クリミア戦争はロシアに関する指定語句だったのか)
京子は過ちに気がついた。「クリミア戦争」をなんとなくトルコに関する語句として使用していたが、ロシアで使用することもできる。ロシアは、クリミア戦争でイギリスに敗北したのち、改革として農奴解放を行って近代政治の根幹である自由・平等の実現に手をつけた。これも確かにイギリスに追いつかんとする行為だ。京子は急いで構成メモ(図表4)をまとめあげて、顔を上げた。宮下は満足した表情でこちらを見ていた。
図表4 最後のピースはロシア(京子の最終的な構成メモ)
近代化の徒競走
「うん、正解。じゃあ文章にしましょう」
京子はホッとしながら原稿用紙を受け取った。京子は、改めて構成メモの表を見たところ、この時代の様子が映像として浮かび上がっていることに気づいた。それは徒競走のようなものだった(図表5)。先頭を走るイギリスは市民革命という政治的近代化をいち早く済ませ(イギリス革命)、そして産業革命によって経済的近代化もいち早く終わらせた。パクス・ブリタニカではその国力を世界に誇示した。後を追う国の動きは様々である。
・ドイツ :経済的に対抗
・アメリカ :経済的に対抗
・日本 :政治的近代化で対抗(成功)
・ロシア :政治的近代化で対抗(失敗)
・オスマン帝国 :政治的近代化で対抗(失敗)
・中国 :軍事的近代化で対抗(失敗)
・インド :反乱で対抗(失敗)
図表5 パクス・ブリタニカは近代化の徒競走
欧米諸国のうち、ドイツとアメリカは、イギリスの自由貿易に対して保護貿易で防御するとともに、国内産業を育成して工業化することに成功した。既に政治的近代化は済ませているので、経済的に対抗したのである。欧米諸国のなかでは遅れていたロシアは、クリミア戦争に敗北したのちに農奴解放などの改革を行った。欧米諸国の一員であるにもかかわらず、ようやく政治的近代化を始めたということだ。
アジアのなかでは先進国の日本は、明治維新を成功させ、欧米諸国にならって対外進出を始めた。アジアのなかで唯一、政治的近代化を成功させたのである。このちょうど同じぐらいの位置にいるロシアとは日露戦争で激突、日本が勝利することになる。
さて、トルコ(オスマン帝国)はミドハト憲法を制定して改革を行ったが、露土戦争で停止、政治的近代化は失敗に終わった。それに次ぐ中国(清朝)は洋務運動で対抗した。これは政治的近代化を伴わない軍事的近代化であり、誤った方向で立て直しを進めている。アジアのなかでも近代化が遅れていたインドは反乱という最も単純な抵抗を行っていた。
この問題は、帝国主義の時代、先頭を走るイギリスに対して、世界各国がどのような位置にいて、その位置に応じてどのような対抗をしたか、を浮き彫りにさせる問題だったのである。イギリスを先頭として、徒競走のように各国が追っているのが浮かび上がるではないか。
京子は、原稿用紙に文章を書き始めた。
解答
イギリスは第1回万国博覧会を開催して「世界の工場」として力を示す一方、自由貿易を掲げて対外進出を行った。インドでは綿花プランテーションが普及してイギリスへの従属が強まっており、インド大反乱を引き起こした。しかし、鎮圧されたのちにイギリスの直接統治へ移行した。清朝は、アロー戦争に敗北することで対等外交の世界に組み込まれ、総理衙門を設置する一方、欧米に対抗するため、西洋の技術を導入する洋務運動と呼ばれる軍事改革を推進したが、政治改革を伴わなかったため失敗した。オスマン帝国は、クリミア戦争に苦しみながらも、ミドハト憲法を制定して政治改革を行ったが、露土戦争で停止され挫折した。日本は開国後に日米修好通商条約を結び、自由貿易体制に組み込まれたが、明治政府成立後は明治維新によって政治改革を成功させた。さらに、江華島事件を機に朝鮮を開国させ、対外進出を開始した。欧米では、クリミア戦争でイギリスに敗北したロシアが農奴解放を行ったが、中途半端なものに終わった。一方、統一を達成したドイツは、ビスマルクが保護関税法を定め、工業力でイギリスへの対抗を開始した。アメリカも南北戦争で統一を実現すると、北部を中心に保護関税政策をとり、ドイツとともに工業化に成功、第2次産業革命の中心国となった。(540字)
※以下、光文社新書『夢中になる東大世界史』より第3章を抜粋し、再編集して掲載いたしました。
目次
はじめに
第1部 国際社会の成立
第1章:革命によって国家は生まれた
第2章:アメリカとラテンアメリカ諸国の差異
第3章:イギリスを中心に展開された「侵略と抵抗」
第4章:「抵抗」する中華世界
第5章:「抵抗」の中心にはあの国がいた
第6章:技術革新に支えられた「抵抗」
第7章:民衆と指導者たちの国際体験
第2部 国際社会の発展
第8章:戦争の助長と抑制
第9章:世界大戦は世界を変えた
第10章:「帝国」の終わり
第11章:戦争の苦悩と惨禍・平和の解放と希求
第3部 国際社会に残る問題とこれから
第12章:冷戦で分断された国々
第13章:植民地主義の遺産
第14章:経験なきアジア
第15章:女性の闘い
おわりに
著者プロフィール
福村国春(ふくむらくにはる)
1983年生まれ。慶應義塾大学文学部人文社会学科卒業。東洋史学専攻。のちにもう一度、同学部に編入し、美学美術史学を専攻。専門は世紀末芸術。在学中から世界史の講師として教鞭をとり、卒業後は都内に歴史専門の大学受験塾「史塾」を設立。私立高校の学生を中心に指導を行っている。また、執筆や企業での講演活動も行っており、著書に『歴史の見方がわかる世界史入門』『中国の見方がわかる中国史入門』(以上、ベレ出版)がある。