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「事業」としてアートに投資することは世界の「当たり前」である|上坂真人

アート作品を「買う」人の数が極めて少ない、地域の芸術祭に地元の人が参加しない、そして何より、アートを絡めた事業がビジネス界に根付いていない。アートを産業として捉えてみた時、日本は残念ながら世界から周回遅れと言っていいほど活用が遅れています。
とはいっても、どうやって自社の事業に組み込むか、何から手を付ければいいのか、参考になる情報がないためサッパリわかりません。
2023年6月に発売された光文社新書『世界視点で読む 企業戦略とアート』ではそうしたビジネスパーソンの役に立つデータと事例と理屈を紹介しています。刊行を記念して、本書のまえがきを公開します。

まえがき

本書を手に取ったビジネスパーソンにお尋ねします。アート作品を購入されことはありますか? 購入経験者は少ないだろうと推察します。

この本は、アートをビジネスツールとして活用することに気づき始めた企業人に向けて書いたものです。皆さんの中にはもしかしたら作品の購入はおろか、美術館にほとんど行かないという方さえいらっしゃるかもしれませんが、もちろんそうした方もウェルカムです。企業でスポーツや音楽を活用した事業の担当者が、実際にそのスポーツや音楽を経験していない、関心がないことはありますよね。それと同じです。ちなみに、本書は近年流行の〝ビジネスパーソンへのアートシンキングのすすめ〟とは何の関係もありません。

私自身も、13年前までは、美術館には行くけれども作品を購入するなんて考えたこともない、典型的な日本人アートファンでした。しかし、それが大きく変わった、「買う」楽しさを知らされたのは、2011年のことです。

私はそれまで「朝日ジャーナル」「日経マイクロデバイス」「日経デザイン」など出版業界の広告現場の第一線を経て、「BRUTUS」「GINZA」「VOGUE」「GQ」「ELLE」といった成長途上のメディアのビジネスディレクターとして、企業との新しい関係を模索し、試行錯誤を続けていました。しかし既存メディアの限界を感じ、新しいメディアの形を求めて、広告写真の制作や販売事業を行う株式会社アマナに入ったのが、2011年でした。

すると、アマナの代表取締役社長でフォトグラファー出身でもある進藤博信さんから、「アーティストをもう少し良い環境にするために、アートを買う人を増やす。要するにアートのあるライフスタイルを提案して実現したいんだよ」というミッションを下されました。そして、「まずは世界を見てこい」と言われ、毎年11月にパリで開催される、アートフォトでは世界最高のアートフェアである「パリフォト」(*1)へ行くことになったのです。アマナという会社の性質上、私にとってのアートの世界への入り口は「アートフォト」でした。したがってこの新書で取り上げる事例にもアートフォトが多いのですが、「フォト」といっても、皆さんの想像を超えるであろうアート性を持っていて、最高取引金額は「億」単位です。

*1 パリフォト(PARIS PHOTO) 毎年11月にフランスのパリで開催される世界最大級の写真フェア。世界各国から写真・映像作品を扱うギャラリーや出版社が出展し、来場者は例年5万人以上。

少し脱線しますが、この本を読み進める上で重要な「アートフェア」と「アートフェス」の違いをお伝えしておきます。「アートフェア」は、いくつものギャラリーが集まって、作品を展示販売する取引の場です。一方、「アートフェス」は、アートフェスティバル=芸術祭の略で、さまざまなジャンルの芸術が屋内、屋外を使って展示、披露される催しで、販売は伴わないイベントです。2年に一度イタリアで開催されるヴェネチア・ビエンナーレ(*2)、5年に一度ドイツのカッセルで開催されるドクメンタ(*3)、10年に一度ドイツのミュンスターで開催されるミュンスター彫刻プロジェクト(*4)が世界の3大芸術祭と言われています。パリフォトは「アートフェア」ですから、取引金額の話に至るわけですね。

*2 ヴェネチア・ビエンナーレ(Biennale di Venezia) イタリアのヴェネチアで開催される国際現代美術展。1895年に発足し、世界で最も長い歴史を誇る。2年に一度、奇数年に、6月頃から11月頃まで開催されている。万国博覧会やオリンピックのように国が出展単位となっており、参加各国はヴェネチア市内のメイン会場にパビリオンを構えて国家代表アーティストの展示を行う。なお、ビエンナーレには美術部門だけではなく映画、建築、音楽、演劇、舞踊部門がある。

*3 ドクメンタ(documenta) ドイツ・カッセルで1955年以来、5年に一度行われる国際現代美術展。ナチス政権によって芸術を破壊した国というドイツの負のイメージを払拭する目的も兼ねて始まった。毎回チーフキュレーターが選ばれ世界情勢や時代背景を考慮したテーマを掲げるため、アートを通して世界に何を訴えられるかという要素が強く出ている。

*4 ミュンスター彫刻プロジェクト(Skulptur Projekte Münster) ドイツ・ミュンスターで10年に一度開催される彫刻展。1977年から始まり、ミュンスターの街全体を活用した大規模な屋外彫刻展へと発展。公共空間と芸術作品の関係がテーマで、芸術家が事前に町に滞在し、市民と議論を重ねた上で作品と設置場所のアイデアを出し、作品を制作・設置する。

「そんなの知っていて当然だ」「いまさら何を言ってるんだ」と感じる読者もいると思います。でも、私自身がこの世界に入った時は大混乱に陥りましたし、日々お会いするビジネスパーソンの中にもご存知ない方はかなりいらっしゃいます。

話をパリフォトに戻します。パリのグラン・パレという1900年のパリ万国博覧会のために建てられた大規模な展示会場に入った途端、大げさではなく私の人生が変わりました。日本のアートフェアでは少しも感じたことのない、憧れのライフスタイルがそこにはありました。素敵な空間に集う150のギャラリーと、作品の前で腕を組み、語り合い、行ったり来たりして、作品を購入していく人々。それも、金持ち然とした人々ではありません。後でわかったのは、プライベートジェットで来るような富裕層は、初日のさらに前日のVIPデーに訪れるということ。私が初めて足を踏み入れたこの日は、世界のアートファンはもちろん、多くのパリ市民たちが会場に集っていました。同じ時期、パリの街にはアートフォトを販売する空間であふれています。

こうしてアートの世界に魅せられた翌年、アマナとしてパリフォトに出展し、私もその担当となりました。ここからは当事者ですから、売らねばなりません。そこで事務局の話を聞くと、そこには大きなビジネスが存在していることがわかりました。

運営は、ビジネスの世界でも大規模イベントを仕切ることで有名な企業「リード エグジビション」。そして、現在もパリフォトのオフィシャルパートナーを務めるJPモルガンが膨大な資金を支払ってトップクライアントになっています。すると初日には、JPモルガンに招待された顧客しか入れないのです。この意味がわかるでしょうか? つまり、他の人より先にパリフォトの会場に行って作品を買うためには、JPモルガンに口座を持つ必要があるのです。アートがビジネスになることの一例です。

またこの年は、JPモルガン以外にジョルジオ アルマーニやBMWなどの企業が協賛し、センスある富裕層のリストとイメージを獲得するためのビジネスをしていました。VIPしか入れないカフェがあり、会場の前にはBMWの車が20台以上並び、VIPチケットを保有する人を送迎してくれます。

こうして、アートと、それをしたたかにビジネスにする企業へと関心を持つようになった私は、アマナで「IMA」という、アートを絡めたプロジェクトを起ち上げました。アーティストの招聘や、企業ブランドに応じたイベントの提案・運営といった事業です。その後も、現代アートに関するプラットフォームを創設したり、アートフォトを購入できるギャラリーを作ったり、アートをどうやって具体的なビジネスへと落とし込むことができるか10年以上試行錯誤してきました。

こうした経験のさなか、私が身をもって感じたのは、日本にはアートを「ビジネス」「事業」にする発想自体が決定的に欠けているということです。さらには、根拠となる事例やデータといった情報も、ほとんど海外のものしかありませんでした。

先ほどご紹介したJPモルガンやBMWなどのビジネスは、仕組み自体は非常にシンプルです。でも、こんな単純なビジネスが、なぜか日本ではいまだに成立していません。アートフェアに協賛する企業は増えましたが、協賛金の金額はあまりにも少なく、また補助金頼りの側面が強く、会場の雰囲気や魅力も世界とは全く異なります。そこは「憧れ」を抱く空間ではありません。巻頭にアートフェアのレストランの写真をご紹介しましたが、日本のアートフェアとはあまりに違う光景です。

残念ながら、アートマーケットにおいては、日本は世界を知らない「江戸時代」です。しかし時代の必然で、明治維新は必ずやってきます。今の日本は、アートといえば政府の補助金頼みです。政府主導のライフスタイルの変化なんて気持ち悪いと思いませんか? 私は、企業主導で時代を変えたいと思っています。だから私はこの新書の中に、あなたが属する「藩」=会社を説得するための、理屈と数字と世界における常識を用意しました。

第1章では、世界ではごく普通のアートのある生活を、第2章では、世界の企業とアートとの代表的な例を提示し、第3章と第4章ではそれに比して残念な日本のアート産業の現状とともに、芽生えてきたたくさんの新しい動きをご紹介します。そして、第5章ではアートと教育、第6章ではアートと地方について、世界と比較するとともに、私論を展開します。
とはいえ、私は楽観主義者です。アートのある素敵な生活をご紹介し、最後の第7章では、それに向けての企業への具体的なご提案をして締めくくります。

本書を手に取ったビジネスパーソンの方々へ。お読みになった後は、岩倉使節団さながらに世界のアートシーンに出掛けて見聞を広め、楽しみ、エネルギーをつけ、試行錯誤をして悩みながら、「藩主」=社長を説得してください。まずは、世界を真似してみましょう。皆さんと一緒に、アートで日本をもう少し素敵にすることが私の願いです。

目 次

【巻頭フォトギャラリー】
まえがき 3

第1章 世界におけるアートのある日常 17
1・1 アートマーケットの起点・金融機関 19
1・2 資金調達専任スタッフのいる美術館 24
1・3 デートコースとしてのギャラリー、アートフェア 29
1・4 カフェのあるオークションハウス 34
1・5 世界の富裕層はアートコレクター 37
1・6 アートを語る小学生、アートを論ずる美大生 39
1・7 アートのある日常 41

第2章 世界の企業にとってのアートとビジネス 53
2・1 企業がアートに関わる日常 55
2・2 収支レポートをWEB公開する著名美術館 66
2・3 アートフェアに競って協賛する企業 69
2・4 アートアワードに見るアートシーンの格差 74
2・5 ラグジュアリーブランドとアートの関係 77

第3章 日本のアートマーケット 89
3・1 美術館に行く人世界1位、マーケットシェアは「1%」 90
3・2 日本の富裕層がアートを買わない理由 95
3・3 個人がアートを買おうと思った時の現実 99
3・4 日本のアートフェアの現状 103
3・5 アートビジネスの前に立ちはだかる問題 108
3・6 アートの世界に乗り出した企業 112

「東京現代」は日本のアートマーケットを変える黒船になるか
──マグナス・レンフリュー氏インタビュー 123

第4章 企業が変え始めた、日本におけるアートの価値 133
4・1 「買う」という言葉を避ける業界人と行政機関 135
4・2 数字、学習機会、住宅面積の不足とメディアの不在 138
4・3 日本企業の新しい動き 140
4・4 街づくりとアート 146
4・5 アートが街から住宅へ、オフィスへ、市民へ 159
4・6 広がるアートへのチャレンジ 175

「経済指標としてのアート指数」が実現する日本のアートマーケットの未来
──石井陽子氏・武井昭仁氏(株式会社QUICK)×上坂真人鼎談 193

第5章 全ての原点、教育 221
5・1 「描かせる」日本、「語る」世界 223
5・2 正反対な日本と海外の美術課程のカリキュラム 225
5・3 オランダの教育に見る、アートからの学び 232
5・4 美術館のアート・エデュケーション 235
5・5 教育に踏み込む世界のオークションハウスとギャラリー 241
5・6 民間企業がアート教育をリードする未来図 248

第6章 日本におけるアートと地方の関係 255
6・1 アートが「過疎の町」を「住みたい町」に変えた東川町 256
6・2 フランスで出合った素敵なアートフォトの町 262
6・3 海外のアートフェスをお手本にした御代田で学んだこと 266
6・4 地方の芸術祭と町の日常 269
6・5 前橋がアートの街になる日 279

アートのある生活──アートコレクターインタビュー
① コレクションの前提にあるのは、生活の中で楽しむこと─清水明子さん
② 株式同様、同時代での優位性や将来性などを分析する─藤岡岳哉さん
③ 自邸に飾るアート作品は、別の世界への入り口─石井佳子さん

第7章 アートのある素敵な日本 313
7・1 変化とともに、過去を忘れる日本 315
7・2 アートの事業化を考え始めた企業への提案 317
7・3 維新に向けて 324

あとがき 327

【巻末資料1】世界の主要アートマーケットレポート12
【巻末資料2】世界視点のある日本のギャラリー
【巻末資料3】世界・日本の主なアートフェス/フェア
【巻末資料4】著名博物館・美術館のメンバーシップ特典一覧(抜粋)

イベントのおしらせ

7月3日(月)18:30より、本書の著者の上坂真人さんが紀伊國屋書店新宿本店にてトークイベントに登壇されます。無料で観覧できますので、ぜひお越しください。


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