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「嘘ツアー」へようこそ|辛酸なめ子

フェイクニュースで心がすさむ日々

 嘘だらけの世の中、ネットではフェイクニュースが入り乱れ、油断しているとつい信じてしまいそうになります。

 例えば、世界中の人が邪推して陰謀論に翻弄されたのが、イギリスのキャサリン妃の一件。腹部の手術後、世間に姿を見せなくなり、加工した家族写真を発表したキャサリン妃を巡り、様々な噂が飛び交いました。実は夫のウィリウム皇太子がチョルモンドリー侯爵夫人サラ・ローズ・ハンブリーと不倫して、キャサリン妃が怒って出て行ったとか、メーガンさんに呪いをかけられているとか、キャサリン妃とよく似た影武者の女性が登場した、など。キャサリン妃を心配するあまり、信じてしまいそうでした。

 その後、キャサリン妃は、写真の加工を謝罪したり、がんの闘病中であることを公表したり、大変な状況なのに真摯な対応を見せていました。イギリス王室はこのところ受難続きで、同じくがんで闘病中のチャールズ国王の死亡説も流れました。6月にはお元気な姿で、ウィットに富んだスピーチで天皇皇后両陛下を歓待してくださっていて安堵しました。

 日本でもフェイクニュースが相次ぎ、有名ミュージシャンが女子アナと不倫した、という話題はしばらくXのトレンド首位になり、一晩ですごい勢いで拡散していました。有名人やセレブに対する日頃抱いていた嫉妬や羨望が、確証バイアスを強めて、ネガティブな情報と結びつけたくなってしまうのでしょうか。デマを拡散された身にとってはたまったものではありません。

 SNSには常にフェイクと思われる説が渦巻いていて、Xを流し見るだけでも「月は人工物なので位置が不自然に移動する」「ニコニコ動画はアメリカに潰された」といった内容のものがありました。

 SNSといえば、有名人を騙った「SNS型投資詐欺」もありました。私も以前、前澤友作氏がイーロン・マスクに肩車されている写真が掲載されたあやしい投資サイトをクリックしてしまったことがあります。心が殺伐として不安になるようなフェイクニュースばかりです。

すべてが「嘘」のツアーへ

 もっと楽しくて無害なフェイクニュースはないのかと思い、話題のイベントに申し込んでみました。それは「嘘のツアー」。内容はというと、なんとツアーガイドが嘘の情報で浅草の街を案内してくれる、というもの。24年3月頃に始まると、満席が続くほどの人気で増便。3020円を振込み、当日を楽しみに待ちました。

 浅草の待ち合せ場所に行くと、ツアーガイドとスタッフの男女の周りに、一見普通の老若男女が15人ほど集まってきました。中には一般人ではなさそうな浴衣の美女などもいましたが、史跡ツアーの参加者といっても違和感ない雰囲気のメンツ。シニア世代の女性も何人か参加していて、マニアックなツアーに対する感度が高くて素晴らしいです。

 全員集合すると、「私たちは街を独自の視点で巡り歩いていくっていうツアーを行っております。今回の嘘のツアーもそのうちの1つです。浅草の有名観光エリアをガイドするツアーなんですが、内容がほとんど嘘です」と、スタッフの方から、あらかじめ全て嘘だという説明がありました。最初から嘘だとわかると安心感がありますが、逆に嘘のハードルが上がりそうです。半端な嘘、狙いすぎた嘘はつけません。絶妙な嘘を期待してしまいます。

浅草にスフィンクス

 まず、参加者同士の軽い自己紹介タイムがあったのですが、それぞれ嘘の名前を言う、という流れに。ふだん嘘をつき慣れていないので、「田中です」とありがちな名字で嘘の自己紹介をしただけでもドキドキしました。いっぽう、ポッチャリしたメガネの中年男性が「綾野剛です」とか言って軽く笑いを取っていました。参加者も嘘のセンスが求められます。嘘の名前を語ることで、少し嘘をつくハードルが下がりました。

「今回は金色のオブジェがあるのでパターン152、他のパターンでは、あのオブジェがスフィンクスだったり自由の女神像だったりすることがあります」と、大手ビールメーカーのビルに設置されたフィリップ・スタルクの金色のオブジェを指して解説する、ツアーガイドの松澤氏。SFっぽい世界観に引き込まれます。参加者はイヤホンを渡され、列から少しはぐれても耳元で嘘のガイドが聴けるようになっています。

 雷門の方に向かいながらも、浅草の成り立ちなどについてとめどなく嘘が流れてきます。「この世には『落とし士』と呼ばれる人がいて、あれ? と思うような落とし物は『落とし士』の仕事です」そんな夢のある作り話も聞こえてきました。参加者も、道中変わった落とし物を見つけたら写真に撮っておいて、あとで見せ合うそうです。受動的に嘘を楽しむだけでなく、能動的に嘘を考えたり発信する、嘘のワークショップ的な一面もあるツアーです。

知られざる嘘職人の世界

 途中、仲見世の脇で集合したところで、松澤氏によって、浅草にちなんだ小説『失踪前夜』の文庫本が紹介されました。表紙もそれらしくデザインされていますが、この小説も嘘で、本を開くとページが真っ白ですが、参加者はそれぞれ本をパラパラ見て感想を求められました。「心が清らかな人しか文字が読めないという、かなり変わった手法で印刷されてます」と、松澤氏。

 最初に手渡されたので「浅草のことがいっぱい出てきて興味深いです」と適当に言ったら「一瞬でそこまで読み解けましたか」と驚かれました。嘘でも気分良いです。続く人たちも「心が洗われました」などと嘘のコメント。「1人目の方が読めるかどうかで全体の読める率が変わってきます」とのことで、はからずも嘘がつきやすい空気を作ってしまったようです。

 ちなみにこの文庫本のデザインは、実在しない本のブックカバーを作り続けている方の作品だそうです。他にも、このツアーには嘘のCMソングを作る人、嘘のコンピニ袋をデザインしいている人などの作品が登場。嘘カルチャーはディープな方々の間で盛り上がっているようです。江戸時代に捏造されたフェイク史「椿つばもんじょ」のように、後世、このツアーの嘘コンテンツも本物と混じって見分けがつかなくなっているかもしれません。

いい嘘、わるい嘘

 一行は浅草の地下の、雰囲気がある飲食街へ。何カ所か周りながら、ここでも「回転寿司の回る速度は、森の中を歩く鹿の速度と同じで狩猟本能を刺激するんです」といった嘘の豆知識が。フェイクニュースの殺伐とした嘘に比べて平和な嘘は心を穏やかにします。

 油断していたら唐突に始まる大喜利タイム。ツアー中何度か浅草にまつわるクイズが出され、参加者は嘘で答える、という瞬発力や発想力が試される機会です。たとえば「でんぼういんの鉄剣には『ハエは、はえ~』というダジャレが刻まれています。日本最古のダジャレは、何で、どこに書かれていたでしょう?」という質問がされて、輪になっている参加者の中から思い付いた人が答えるのですが、浴衣の美女が「キトラ古墳に『トラが来た』」という言葉が刻まれています」と、真顔で即答していて驚きました。

 また別の参加者も「埼玉の古墳は布団のように四角い形をしているのですが、布団が吹っ飛んだ、というダジャレにちなんでいます」「縄文時代に、土器がドキドキする」などと口々に答えて、何も思い付かない私は焦燥感に駆られました。創造的な嘘がつけるスキルが鍛えられます。

 ツアーの内容は嘘でも、歩きながら、知らなかったお店を発見したり、気付かなかったモニュメントの存在を知ったり、浅草に少し詳しくなれます。休日でかなり混んでいましたが、歩いている間、イヤホンで嘘トークに集中しているので、混雑もそんなに気にならなかったです。

 途中、嘘のクッキーを割って皆で食べる時間もあり、嘘で結ばれた者同士、不思議な連帯感がありました。90分のツアーはあっという間でした。気付いたのは、現代人は嘘でも情報をインプットし続けることで快感を得られる、ということ。嘘を聴いている間は、暑さも人ごみも不思議と辛くなかったです。一定のトーンで耳元で語られる嘘は、大人のおとぎ話のようで耳に心地よかったです。就寝前に親が読み聴かせてくれた物語を思い起こしました。良い嘘には、安眠や癒しの効果がありそうです。フェイクニュースにハマってしまう人も、心のどこかで幼い頃に夢中になった物語を求めているのかもしれません……。インナーチャイルドが喜ぶような嘘をついたり、つかれたりしていきたいです。

今回の言葉

悪い嘘は人を心配で不眠にし、良い嘘は人を安眠に導きます

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