デジタルオリジナルに使われるNFT―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史
2章⑦ 仮想現実の歴史
光文社新書編集部の三宅です。
岡嶋裕史さんのメタバース連載の11回目。「1章 フォートナイトの衝撃」に続き、「2章 仮想現実の歴史」を数回に分けて掲載中です。仮想現実(≒メタバース)の歴史をたどることで、メタバースへの理解を深めていきましょう。
前回のアイドルの話からNFTへ進みます。
下記マガジンで、連載をプロローグから順に読めます。
デジタルなのにオリジナル
変な表現である。デジタル技術はオリジナルとコピーの境界を曖昧にすると、すでに述べた。コピーの品質はオリジナルと同等であり、コピーを作成するための費用も無視できるほどだ。半世紀も前にボードリヤールらが予言していたことである。
そこではオリジナルとコピーに差異はない。だからオリジナルに価値はなく、アイドルのCDは売れないと論じた。そのデジタルな世界において、オリジナルとは妙な話だ。自分がオリジナルと信じて疑わないWordで作った日記ファイルだって、生成の過程でレジスタやメインメモリ、ストレージのキャッシュなど何回ものコピーを経て、ハードディスクやUSBメモリに収まっている。
だが、そのデジタルデータにオリジナルの刻印を押そうとする運動がある。まだちゃんとした名前がないので、私はデジタルオリジナルと呼んでいる。
デジタルオリジナルでは、本来オリジナルとコピーの差がないデジタルデータを見分けるために、ブロックチェーン技術が使われることが多い。ビットコインでおなじみの技術である。この技術にはきちんと名前がついていて、NFT(Nonfungible Tokens:非代替性トークン)という。
ブロックチェーン技術の説明は長くなるので他書に譲るとして(岡嶋裕史『ブロックチェーン』講談社、2019)、さしあたっては「これを使うと確かにこのデータの所有権はこの人にあるのだと確認できる」ことをおさえていただければ十分だ(ただし、デジタルデータの所有権に法的な裏付けがあるわけではないので、その点には注意が必要である)。
シェアリングエコノミーの隆盛が謳われるが、人々の所有欲はデジタルの世界でも相変わらず強いのだ。ソシャゲのガチャに熱狂すると、「いくらでもコピーできる絵を所有することにお金を払うのか?」と笑われるが、あれはなかなか当たらない本物を持つことに希少価値がある。ガチャを笑う一般の人がNFTに大枚をはたくのも同じことだ。
NFTでは本物であることの証明にブロックチェーンが使われているが、ソシャゲガチャはゲームメーカーのシステムに依存しているわけだ。「ガチャが本当に公平に行われているのか?」は定期的に問題提起されたりインシデントが起こったりしているので、上手に実装すればNFTに優位性があるかもしれない。
であれば、デジタルデータを高値で売ることができる。重ねて言うが、人は代替がきかないオリジナルにはお金を払うのである。
これまでどんなものが買われたのか?
ジャック・ドーシーのツイートが買われた。ドーシーはグーグルのセルゲイ・ブリンや、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグに比べたら知名度が低いが、有名人である。ツイッターの創業者で、変わり者として知られ、あまり表舞台に出てこない。競りに出されたのは、その彼が投稿した世界最初のツイートだ。
作り手が、そのサービスの最初の利用者になることは、ままある。ビットコインでも、最初に振り出されたビットコインの送信者は考案者のサトシ・ナカモトだった。
しかしまあ、微妙なコンテンツではある。いくら著名人が書いたもので、著名なサービスの最初の一歩となったとはいえ、たかがツイートである。特にひねった内容でもない。” just setting up my twttr”と素っ気なく書かれている。しかし、落札者はこれに290万ドルの値をつけた。
他にも絵画やトレーディングカード、キャラクタ、動画、写真などが売買の対象になっている。日本に関わりが深いところでも、アーティストの村上隆がNFTアートへの参入を発表して、後に撤回したり、タレントの明日花キララが(おそらくはトレーディングカードでの)NFT参入を発表するなど、活発な動きが続いている。
うがった見方をすれば、機構の有益性やユニークさで評価されるものの、現実の社会に実装しようとすると意外に使いどころが難しいブロックチェーン技術を、なんとか形にしようとした試みであると言えなくもない。
だが、ここで重要なのは、実際にそこで売買が行われている事実である。人は理念だおれのものに大金を投じたりしない。実際に価値を感じるからお金を出すのである。
いまのところ、それは自己満足に近いかもしれない。ブロックチェーンの技術は、それがオリジナルであることを証明してくれるが、コピーを防ぐ技術ではない。コピーはされるのだ。あちらにもこちらにもコピーはある。しかし、実はオリジナルを持っているのは自分なのだと愉悦することができる。
今のところはそれだけであって、仮に「俺様が所有している、あの著名人のあのツイート」を他の人が引用したからといって、それを追跡して料金を徴収するしくみはない。コレクションを展示する美術館を作ったところで、誰も足を運んだりアクセスしたりすることはないだろう。データ自体は別の場所にもコピーが存在し、見ることができるのだ。
だが、もしも、デジタルデータのオリジナリティ証明と使用料徴収のシステムが確立すれば、ツイッターにおけるパクツイや、ユーチューブの他人のアセットを無断借用した動画も使用料を支払うようになるのかもしれない。(続く)
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