見出し画像

人とつながるために必要な3つのこと。それは「考えて、準備して、練習する」ことです。

光文社新書

勝浦雅彦著『つながるための言葉 「伝わらない」は当たり前』本文公開

光文社新書編集部では、新書以外の書籍――ビジネス書、翻訳書、エッセイ、小説、絵本、児童書、コミックなども刊行しています。それは、50代以上男性という、新書の主要購買層とは重ならない企画を読者に届けるためであり、より多様な読者の方々とつながりたいという強い思いがあるためです。

そうしたラインナップに、また強力な一冊が加わりました。電通のコピーライターである勝浦雅彦さんが著した『つながるための言葉 「伝わらない」は当たり前』がそれです。

電通のコピーライターというと、皆さんの頭にはある種の共通したイメージが浮かぶかもしれません。ここではあえて言語化しませんが、そう、そういうことです。しかし、勝浦さんの経歴は、そうしたイメージを真っ向から覆すものです。以下、著者略歴の前半部を引用します。

勝浦雅彦(かつうらまさひこ)
(株)電通 コピーライター・クリエーティブディレクター
法政大在学中に、シンボル校舎「ボアソナード・タワー」の命名者になり、学長表彰を受ける。新入社員時代に役員に直訴して、営業からクリエーティブに転局。まったく芽が出ず部署をクビになるが、東京を飛び出し不屈の精神でコピーを書き続ける。ある時「なぜ、人はつながりたいのか」に気
づき、運命が好転。約10年間の非正規雇用期間を「言葉」で乗り越え(株)電通入社。

はい。ここまでです。

最初は華々しいですね。「ボアソナード・タワー」は、中央線・総武線の市ヶ谷・飯田橋間に聳え立つ、あの立派な建物です。法大OB、在学生ならずとも、その存在はよくご存じでしょう。在学中にその命名者となったのですから、只者ではありません。前途洋々のはずでしたが……。

A ボアソナードタワー

ボアソナード・タワー

しかし、新卒で入社した広告代理店では芽が出ず(本人談)、コピーライターを続けるために、なんと会社を飛び出てしまいます。その後、紆余曲折を経て、長い非正規雇用も経験し、ようやく電通に中途採用されたのでした。

ちなみに、こちらがご本人です。

つながるための言葉著者写真 カバー表3に入る

勝浦雅彦

本書は、そんなユニークな経歴のコピーライターが、自らのノウハウを惜しげもなく披露したものです。ただ、それは皆さんに良いコピーを書いてもらうためではありません。日常の様々な場面で皆さんがより良く「つながる」ことを手助けするためです。

我々は生まれてから人生のあらゆる局面で人と出会い、濃淡はあれどつながり、死に至ります。そのつながりが上手くいけばいくほど、自分も相手も幸せな一生を送れるでしょう。抽象的に書きましたが、具体的には人間関係、恋愛、結婚、就職・転職、プレゼン・交渉などなど。今ではここにSNS上のつながりも含まれるかもしれません。

現在、世界中で、人種、民族、宗教、思想・信条、経済的・社会的格差が原因の分断が起きています。この分断をゼロにすることは不可能でしょう。本書のサブタイトルにあるように『「伝わらない」は当たり前』ですから。それでも、「考えて、準備して、練習して」つながろうとすることで、その分断のごくごく一部をなくせるかもしれません。

さて、能書きが長くなりましたが、本記事では本書序章の前半部分と目次を公開します。気に入ったら、ぜひ現物を手に取ってみてください!(光文社三宅)

こんなキャンペーンもやってます! どしどしご応募を!
勝浦さん、noteもやられています。

序章 
どうして言葉にしようとするのか。
それは誰かとつながりたいからだ

賢明に、そしてゆっくりと。
速く走るやつは転ぶ。
シェイクスピア

考えて、
準備して、
練習する。 

どうして、私の思いは伝わらないのか

 はじめまして。
 この本を手に取ったあなたは、どういう気持ちでその行動を起こしたのでしょうか。
 私は想像します。
 もしかしたら、あなたはとあるメーカーの営業職で、誠実で控えめな性格ゆえに「どうやったらもう少しうまくセールストークができるだろう」と考えている会社員かもしれません。
 あるいは、大好きな人に言うべき言葉が見つからず「言葉が足りない」と悩んでいる女子大生かもしれません。
 もしかしたら、コミュニケーションにまつわるあらゆる本を読み漁っている「言葉マニア」の方かもしれません。せっかく書面であっても、出会えたわけですからまずはこの出会いに感謝したいと思います。

 私は広告業界でずっと生きてきました。最初は営業職から始まり、コピーライターの名刺を持ってから15年ほどが経ちました。
 少しユニークな経歴としては、東京の会社から、ローカルの会社2社を経由して30代のほとんどを非正規雇用で過ごし、現在の組織にたどり着いています。
 コピーライターというのは言葉と身体が資本ですから、その2つがなんとか保てたおかげで今までやってこられています。

 コピーライターという仕事は、この宇宙に散らばった無数の情報を収集し、整理し、集約し、伝える仕事です。
 そこには、送り手の意志と、受け手を思いやる想像力が必要とされます。
 このスキルは、私が長らく仕事や大学の講義をしていく中で向き合ってきた、

「どうして、私の思いは伝わらないのか」
「もっと、言いたいことは別にあったはずなのに」
「気の利いたことを言いたいのに、自分はつまらない人間だ」

 といった人々の切実な叫びに対して、いくつかの処方箋のような役割を果たしてきました。本書はその経験をもとに書かれています。

 ただし、コピーライターになるための訓練をしてほしい、ということではありません。

 私たちはあらゆる思考を言葉で考えています(正確にいえば、「言葉にならないモヤモヤとした状態」は常に存在しますが、「モヤモヤとした状態であること」以外は言語化できないため、ここでは一旦置いておきます)。
 そして、人は常に誰かにわかってもらおうとしている存在であるといえます。それは自分のことを理解している他人が多ければ多いほど、生命の危機を回避できることが生存本能として自然に身についているからです。
 中国の戦国時代の遊説家、張儀はあらぬ疑いをかけられて袋叩きにあった際に、息も絶え絶えに「俺の舌はまだあるか」と周囲の人間に聞いたそうです。「舌さえあれば言葉を吐き出せる、俺はまだ出世できる」という強い意思表示ですね。

 コピーライターという仕事をしていると、「簡単に思いを言葉にできる人」「湯水のように言葉のアイディアが浮かんでくる雄弁な人」というイメージを持たれがちですが、少なくとも私はそうではありません。
 言語を専門的に学んだことはないですし、人前に出た時にものすごく雄弁なわけでもありません。仕事だけでなく、大学や社会人スクールでお話しさせていただく機会も多いのですが、アンケートなどを読むと、そこでの私はそれなりに話がうまい人、伝えることが上手な人、のように評価していただいているようです。
 ですが、もしその評価が正しいのだとしたら理由は簡単です。
「考えて、準備して、練習している」からです。
 逆にいえば、私は「準備していない、練習していない」ことに関しては話せません。
 もし、それができているとしたら意識的にせよ、無意識的にせよ、「考えて、準備して、練習している状態」が過去にあったということです。

 そんな面倒なことができるわけない、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも私たちが社会生活を営んでいるこの世界で人と話す、コミュニケーションをとる、という場やシチュエーションは限られています。
 ですから、「自分が言葉を使う状況」をイメージし、「準備して、練習する」ということをしっかりやっていけば、ひとことを言い表す力は必ず向上します。

 例えば、私が名乗っているコピーライターという職業はアート性の強い職業といわれていますが、私の経験からいえば正しく努力すれば並みのコピーライターにはほとんどの人がなれると思います。
 なぜなら、コピーライティングは、「伝えるべきことを、伝わりやすく伝える」という目的芸術だからです。
 ただしあくまで「並み」、です。そこから先はやはり「才能」「センス」というものが存在しています。プロ野球に喩(たと)えると(野球での比喩はおじさん化の証拠らしいですが)、誰でも「並み」のプロにはなれるが、スタープレイヤーになるのは至難の業(わざ)だということです。文章を書くのは、女の人を口説いたり楽器を演奏したりするのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的には持って生まれたもので決まります。
 この本は言葉のプロになりたい、という方も読んでくださっているとは思いますが、もっと日常や普段の仕事レベルで「もう少し向上したい」「もう少し思いをきちんと伝えられるようになりたい」という方にも響く内容を目指しました。
 スター選手も地道な筋トレや基礎練習、栄養摂取の先に、センスや才能をのせていくように、思いを言葉にしていくトレーニングも基礎が大事です。

 その先にあなたらしさ、が加わればもっと世界は広がると思いますが、まずは小さなことからコツコツと。

 くれぐれも世間に氾濫しているおかしな名前の言葉術や「できる!」「これだけ!」系の方法論には飛びつかないでくださいね。

私はいかにしてコピーライターを目指したか

「文章を書いて生きていく仕事がしたいと思っています」
 高3の10月。高校の進路面談で担任の先生にそう答えたのを覚えています。人付き合いがあまり得意ではなく、本が大好き。好きな小説や詩を教室の片隅で読みながら過ごす毎日。特に何かを書いているわけでもないけれど、それが自分の生きる道だと信じて疑わなかったのです。
「文章を書くなら、新聞記者になればいい」
「どうやったら、なれるんですか?」
「うーん、お前が人間を好きになることじゃないか」
「人間を……?」
「文章を書くってことは、人間を書くってことだからな」
 その意味がわからず、私は大学生となりマスコミ向けの勉強などを行っていたのですが、2つの転機が訪れました。

 一つは「電通クリエーティブ塾」(現・電通インターンシップ アイデアの学校)という電通がやっている広告クリエーティブの学校に入ることができたことです。
 先輩のすすめでなんとなく試験を受け、電通という会社が何をやっているかも知らない状態で通い始めた学校でしたが、ここでコピーライターという職業に私は出会いました。全国の広告業界志望の学生から30人が試験によって選抜される塾なのですが、電通の一線級の現役クリエーティブが講師となって、コピーライティングの基礎や、CM企画の実際を大学生に教えてくれるのです(当時はまだタグボートのみなさんが電通にいて、講師として教わることができました)。
 塾は半年ほどで卒業となりますが、終わる頃にはすっかり「コピーライターになりたい」と強く願うほどの刺激を受けてしまったのです。

 そしてもう一つは、通っている大学の校舎の名づけ親になったこと。母校である法政大学は、六大学の一校でありながら受験生からの印象度が弱く、通えば伝統はもちろん、面白い面が多々あるのにそれが伝わっておらず、日頃からもったいないと感じていました。
 ちょうど私が3年生になった頃、大学の教学改革の一環で、市ヶ谷にシンボルタワーが建設されることが発表されました。そしてその名称を在校生・OB・親・教職員から公募することになったのです。電通クリエーティブ塾のカリキュラムが終わり、何か目に見える成果を出したいと思っていた私はこれに飛びつきました。
 毎日講義が終わると図書館に通い、大学の歴史を調べ上げました。どんな人が関わり、どんな思いで大学は今日まで教えを紡ぎ、継がれてきたのか。それは今までなんとなく通っていた大学を知り、好きになっていく行為でもありました。最終的に数百の名称を考案し、応募にこぎつけました。

 そして幸運なことに私の案が採用され、「ボアソナード・タワー」が誕生したのです。

画像3

 早稲田大学の「大隈講堂」、明治大学の「リバティタワー」に比肩するこの新校舎は、大学創成期に活躍したボアソナード博士からその名称をいただいています。建学の精神を伝え、未来の学生へのメッセージがそこに込められています。タワーの竣工式・落成式にも呼んでいただき、当時の清成忠男総長から表彰状をいただくこともできました。
 その時私は「大学の内部改革をしたわけでも、建物を建てたわけでもないが、自分が死んでもなお残るものをつくることができた。こんな誇らしいことを仕事にできるコピーライターとはなんと幸せな職業だろうか」と感動し、これを一生の仕事にしようと決意したのでした。

 あの時高校の担任の先生が教えてくれた、
「文章を書いて生きていくためには、人間を好きになること」
 思い返せば素晴らしい教えでした。私はいつの間にか道を切り拓こうと必死になる中で、気づかぬうちにその一端に触れていたのです。

 好きになること、は才能ではなく、生きる姿勢です。否定しないこと、優しい眼差しで対象と向き合うこと。どんな人にも、モノにも、歴史があり、生まれてきた使命がある。それを知り、慈しむ。コピーライターでなくとも、あなたにもできるはずです。

私はいかにしてコピーライターになったか

 さて、これは何の写真でしょうか?

C 勝浦さん異動直訴

「勝浦雅彦、第一営業本部配属とする」

 その新卒配属の辞令を聞いた時、私は卒倒しそうになりました。クリエーティブ配属の夢があっさり消えた瞬間でした。面接でも、人事との懇談会でも、クリエーティブ志望をアピールしていた私は、配属が叶うものと信じ込んでいました。しかし、結果は残酷なものでした。私は多分生涯で初めて悔しくて泣きました。クリエーティブ以外の職種に興味のなかった私は営業でやっていける気がしませんでした。

 悲嘆にくれながら配属されたのは不動産関係のクライアントを担当している部署。新卒の私にはまったく縁も興味もない業種だったこともより先行きを不安なものにしました。
 のちに営業の部署に配属されたことが私を助けることになるのですが、当時の私は慣れないスーツ姿で先輩の仕事についていくのに必死でした。

 営業の仕事をしながらクリエーティブへの異動を狙おうと、学校に通い、宣伝会議賞という、アマチュアの広告賞としては日本最大の賞に応募を続けました(今、その賞の審査員をやらせていただいていることを考えると感慨深いものがあります)。

 ですが営業からクリエーティブへの異動はほぼ前例がなく、このまま時がズルズル過ぎていってしまうことに焦りを感じた私は、信頼できるトレーナーであるK先輩に、
「どうやったら、異動できるでしょうか?」
 と尋ねました。
「そりゃ、会社なんだから偉い人がいいと言えば異動できるよ」
「偉い人って誰ですか?」
「うーん、営業担当の専務だろうな。専務に言ってみたら?」

 先輩は多分、新人がそんなことできるわけがない、と冗談半分に私にアドバイスしたのです。しかし思い詰めていた私はそのまま専務室へと向かいました。ずっと書き留めていたコピーのファイルを持って専務室を訪ねると、
「君か、CR(クリエーティブ)に行きたがっている新人というのは。聞いているよ」
 と、温かく言葉をかけてくれました。そして、
「まずは3年、しっかり営業で足腰を鍛えなさい。そうしたらクリエーティブに出してあげよう」
 その言葉は本当に守られ、私は3年後に異動することになりました。専務はのちに社長になられましたが、御礼を言う機会がなく早逝されてしまったのが残念でなりません。

 さて、冒頭の質問の答えです。これは新人の私が専務室で、異動の直談判をしている写真です。先輩が「コイツ、ホントに行くのか」と面白がってこっそり写真を撮っていたようです。

 のちに会社を辞する時、「この時の気持ちを忘れるなよ」と写真をくれました。それは一生の財産となりました。

私はいかにして九州へ旅立ったか

 そんな私に大きな転機が訪れたのは、29歳の時でした。
 当時の私は、意気揚々とクリエーティブに異動したものの、3年が経ちまったく芽が出ていませんでした。面白い仕事を求めるあまり、目先の地味で骨が折れる作業とのギャップに苦しみ(結果的にその制作の筋肉量のようなものが、その後自分をずいぶん助けてくれるのですが)、諦めの感情が先に立つようになっていました。だんだんと会議では口数も少なくなり、質の高い企画を出すこともできず、情熱を失いつつありました。「自分はこんなもんじゃない、こんなはずじゃない」と言い聞かせながら会社に通う日々でした。

 そして3月の寒い朝、会社に着くと私は部長に呼び出されました。奥の会議室へ私を誘うその表情から、良くない予感しか伝わってきませんでした。
「再び営業に戻ってもらうことになったから」
 その言葉をすぐには飲み込めず、どこか遠いところで海鳴りが響くように聞いていました。

 そしてその日のうちに担当役員と局長に再び呼び出されました。が、それはどちらかといえば異動を命じた意味を一応伝える「アリバイ」のような場でした。会社の業績が下降気味だから営業要員を増やしたい。そんな趣旨でした。

 黙って俯いて聞いていた私はひとこと「これは、片道切符ですか?」と尋ねました。
 学生時代から憧れていたコピーライターの世界。その道が、閉ざされようとしている。それを受容できるのか。せめて何か希望のある言葉をもらえないか。
 そんな私に役員が少し面倒くさそうに言ったのが「まあ、いいじゃない。クビになったわけじゃないんだから」という言葉でした。信じられませんでした。これが人の上に立つ人間の言うことか。私の中で、何か細い糸のようなものが切れました。そして、一つだけ確かなことが、大きな確信となって現れてきました。

「やめてはいけない。今、コピーライターをやめてはいけない」

 その言葉をつぶやきながら、私はかつてお世話になった別の広告会社のHさんに電話をしていました。そしてこう告げました。

「会社を辞めようと思います。それはクリエーティブを続けるためです」

 電話口のHさんは私の事情を黙って聞いていました。

「それは、辛かったね。大丈夫? 僕の知っているツテを探してみよう。その代わり、勝浦くんに聞きたいことがある」
「はい、何でしょう」
「これから君が選ぶ道は、困難に満ちていると思う。今の会社にいれば業界では大手ではあるし、正社員として身分も保証されている。そこを飛び出すということはリスクを伴うがいいだろうか? 大手広告会社の社員でいたいのか? コピーライターでいたいのか? それをはっきりさせておかないと前には進めないんじゃないかな」
「コピーライターでありたいです」

 私は即答しました。とっくに答えは出ていたのに、わかっていたはずなのに、追い詰められて初めてこんなにも仕事を愛していたことに気づいたのでした。愚かなことです。
 電話口のHさんはわかった、と言うと電話を切りました。桜が咲く前の3月。私の人生が大きく動こうとしていた時でした。

 それから九州・福岡の会社にお世話になることになるのですが、そこに至るまでにとても印象的なエピソードがありました。
 まず九州のとても人のいい、制作者としても有名なIさんという部長が東京まで面談に来てくれ、渋谷でお茶を飲みながらじっくり話を聞いてくれました。

「僕は勝浦さんがいいと思うので、次は九州に来ていただけますか? そこで正式な面接をしますので」

 実はそれまで福岡には一度も行ったことがありませんでした。縁もゆかりもありません。飛行機に乗って初めて福岡に降り立ち、指定された面接の場所へ向かいました。
 夕方、もう日も暮れそうな頃に天神からほど近い赤坂駅に着くと、当時の局長と部長が改札で待っていてくれました。ぎこちなくスーツを着た私が、「じゃあ、行きましょうか」と連れていかれた場所は――なぜか居酒屋でした。
「おかしいな、今日は面接をしないのかな……」と考えながら、乾杯をし、お酒を飲みました。話す話題も「好きな女性のタイプは」とか「ワールドカップ、どこが優勝すると思う?」のようなものです。
 そしてその飲みは朝の3時頃まで続いたのです。私はお酒はそこそこ強いので、特に苦もなくお付き合いを続けました。そして終わり際に「じゃ、合格だから」と告げられたのです。

「えっ、合格? 僕の何を見たのですか。仕事の話、ほとんどしていませんでしたけど……」
「ああ、いいやつだし、お酒も強そうだから、福岡生活も問題ないでしょ。あ、一応、もう一回役員には会ってね」

 ポカンとした私を残して局長は去っていきました。この話を聞いて、みなさんはどう思うでしょうか。昭和の広告会社にありがちな、豪快な、あるいは緩いエピソードと思うでしょうか。私も当初はそう思っていました。

 実は、こののち数年経ってから「私を採用した本当の理由」を知ることになるのです。(序章公開終わり。続きは本書で)

目  次

序 章 どうして言葉にしようとするのか。それは誰かとつながりたいからだ 
どうして、私の思いは伝わらないのか 
私はいかにしてコピーライターを目指したか 
私はいかにしてコピーライターになったか 
私はいかにして九州へ旅立ったか 
私はいかにして「言葉」で生き延びてきたのか 
この本における5つの約束 

第一章 自分とは何者なのか 
自分とは何者なのか? 考えてみる 
STEP1 まず自分を徹底的に洗い出す「自分への質問状」 
STEP2 「ジョハリの窓(心理学モデル)」 
STEP3 「自分ウィキペディア」を書く 
〈第一章のまとめ〉 

第二章 言葉を使いこなすには 
言葉は矢印である 
言葉の型を知る 
語彙力をつける 
血肉にする 
100パーセント伝えようとしない 
〈第二章のまとめ〉 

第三章 愛について 
心に愛がなければどんな言葉も響かない 
キリスト教と仏教の愛について 
好きになる努力をする 
1 自分視点 
2 他人視点(憑依) 
愛を感じるコピー 
愛を言葉にする、ということ 
〈第三章のまとめ〉 

第四章 始まりの言葉――第一印象は、言葉で決まる 
「はじめに言葉ありき」の勘違い 
どうしようもなくみんなシャイなのだ 
相手の反応を期待しない 
第一印象は、最初のひとことでできている 
挨拶とは、何か 
挨拶とは、禅宗の教えに由来する言葉 
挨拶の言葉を考える 
「さあ、話そう」アイスブレイクのひとこと 
共通点と相違点 
自分を印象づけるひとこと 
思いは時に、技術を超える 
〈第四章のまとめ〉 

第五章 就活・転職のための言葉 
就活で、あなたの人生は決まったりしない 
自分の棚卸しからすべてが始まる 
3本柱&ギャップ理論 
1 就活を端的に言い表すと 
2 就活は相対評価である 
3 面接官と戦ってはいけない 
「3本柱&ギャップ理論」の解説 
冒頭のAくんのその後 
企業研究・OB訪問について 
志望動機 
答えのないステージで戦うために 
転職について 
〈第五章のまとめ〉 

第六章 ビジネスの言葉 
なぜ普段と違う言葉遣いが必要なのか 
プレゼンについて 
人前でのフリートーク、スピーチについて 
質問について 
質問は、百利あって一害なし 
謝罪の言葉 
ビジネス用語の本当の定義 
〈第六章のまとめ〉 

第七章 SNSの言葉――SNSは、ただのツールなのだ 
つながらないと不安な人たち 
デジタル上に生まれたもう一人の自分 
ツイッターは24時間営業の居酒屋である 
私はいかにしてSNSでつながってきたのか 
SNSは私たちを映す鏡である 
SNSはツールでしかない 
〈第七章のまとめ〉 

第八章 恋愛の言葉 
あなたの思いは、伝わりません 
1 愛を語る上で、恋を語らないわけにはいかなかったから 
2 よく恋愛相談をされるから 
3 恋愛をテーマに広告をつくってきたから 
あなたは私じゃない、私はあなたじゃない 
〈第八章のまとめ〉 

第九章 世界を良くする言葉 
人の「弱さ」と向き合い、言葉を紡ぎ出す 
差別に立ち向かう 
人間を救うのは、人間しかいない 
命を救う言葉 
名もなきひとことが、世界を変える 
〈第九章のまとめ〉 

第十章 今、必要な言葉 
一変した世界で 
私たちを襲った心ない言葉たち 
世界の歴史に学ぶ 
過去の日本に学ぶ 
阪神・淡路大震災の時 
ニュージーランドの警官に学ぶ 
住職の言葉に学ぶ 
糸井重里さんの言葉に学ぶ 
「矢面に立つ人」の言葉 
戻れないのではなく、戻らない 
〈第十章のまとめ〉 

終 章 世界はあなたの言葉を待っている 

おわりに感謝の言葉を 



みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!
この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
光文社新書

よろしければサポートをお願いいたします。もっと読んでいただけるコンテンツを発信できるように、取材費として大切に使わせていただきます!

光文社新書
光文社新書の公式noteです。2021年10月17日に創刊20周年を迎えました。光文社新書の新刊、イベント情報ほか、既刊本のご紹介や連載をアップしていきます。お気に入りの一冊について書いていただいたnoteを収録するマガジン「#私の光文社新書」では、随時投稿をお待ちしています!