【第10回】2週間だけ現れる砂漠の花畑|2つの砂漠(前編)
数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。今回からはアフリカ編。年に2週間だけ現れるという、砂漠の花畑へと向かいます。
ヌーの川渡りを求めて
二〇二三年八月、ジョージアでの取材が終わった後、帰国せずアフリカに渡る計画をしていた。日本からアフリカまで行こうとすれば中東で乗り継ぎをして三〇時間近くかかるが、ジョージアからだと直行便で五時間もあれば到着する。五時間だったら近所だ。せっかく近くまで来たのだからアフリカの野生動物たちの撮影もしたい。そう思いこの計画を思いついたのだ。
主な目的はマラ川を渡るヌーの大移動だった。ヌーはアフリカに生息するウシ科の動物で、嗅覚が鋭く、五〇キロメートル先の雨や餌の匂いも分かるという。一〇〇万頭以上のヌーたちは、タンザニアのセレンゲティ国立公園からケニアのマサイマラ自然保護区の間に広がる広大なサバンナを、一年かけて時計回りに移動しながら暮らしている。それは乾季と雨季が別れるこの地域では餌となる草が生える場所が季節によって変わることが理由だった。
七月から九月にかけてヌーはマサイマラ自然保護区を北上していく。アフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖に注ぐマラ川はケニア、タンザニアの国境沿いに流れるが、彼らはこの時期にこの川を渡らなければ、新鮮な餌のある場所までたどり着くことができない。総距離一六〇〇キロメートルにも及ぶ大移動の中で、いくつもの困難が立ちはだかるのだが、最大の難所はこのマラ川だと言われている。
急流な川を渡るだけでも大変で、溺死してしまう個体も少なくはない。しかも川辺にはライオン、川の中にはワニたちが、年に一度の大バーゲンセールと言わんばかりに舌舐めずりをしながらヌーたちを待ち構えている。厳しいサバンナでは、肉食動物たちにとってもこれほどの餌が一堂に会す機会はなかなか無いのだろう。残酷だと思うかもしれない。けど、これが自然であって、命なのだ。草木を食べるヌーたちを肉食動物たちが食べ、彼らの糞や死肉はやがて草木の栄養素となる。小学生のころ教科書で習った命の連鎖が広がる風景がそこにはある。
九月上旬に最大となるヌーの川渡りまで、まだ二週間ほど時間があった。ただ待っているだけではもったいないので、どこか行ける所はないかなと考えていると、古い記事を思い出した。普段は砂漠だが、八月中旬から下旬にかけて毎年二週間ほど一面の花畑になる場所が南アフリカにあるらしい。世界には数カ所、花畑になる砂漠があるということは知っていた。ただ、それは数年に一度だったり、一年のうち数週間だけしか現れない現象で、出会うことは非常に困難だとも思っていた。
そんな風景が近くにある(近くと言ってもヌーたちがいるケニアから南アフリカまでは四〇〇〇キロメートルもあったが、同じ大陸なら似たようなものだろうと僕の距離感覚もいよいよおかしくなってきた気がする)なら、こんな機会を逃す手はない。僕は急遽、ジョージアからケニアではなく、南アフリカ共和国のケープタウンに飛ぶことにした。
沙漠の花畑ができるわけ
南アフリカは一一年ぶりの訪問で、以前に来た時はアフリカ縦断のゴールとなる喜望峰を目指している時のことだった。ほぼアフリカの南端に位置するそこは見たこともない絶景が広がっていることもなく、どこにでもある岬だったが、感動は大きかった。厳しかったアフリカの旅の果てに喜望峰に立った時、かつてここを通ってインドへの海路を開いたヴァスコ・ダ・ガマもきっと同じ気持ちだったのではないかと妄想したのを覚えている。
その喜望峰を目指した時は南へ移動していったが、今回は北へ進路をとる。目指す砂漠はケープタウンから北へ五〇〇キロメートル離れたナミビアとの国境沿いにあった。空港でレンタカーを借りて走り出すと、すぐにアフリカで最大級の都市と言われるケープタウンの大きなビル群とその根本にあるスラム街が見えはじめた。貧富の差が激しい、ある意味でアフリカの都市らしい街並みを通りすぎ、しばらく走ると地平線の向こうまで一本の道がまっすぐ伸び、左右はずっと草原が広がるこれまた想像通りのアフリカが車窓から見えてきた。
赤茶けた大地をひたすら走っていく。途中で一度ガゾリンスタンドで休憩したが、後はもう走りっぱなしだった。国境まであと少しという街に着いた時にはもう夜だったので、安いモーテルでその日は一泊して、翌朝、目的の砂漠を訪れることにした。
砂漠と聞くとサラサラの砂ばかりの風景を想像するかもしれないが、実はそれは全体の一〇パーセントにしか過ぎない。実は地球に存在する九〇パーセントの砂漠は岩石砂漠といい、その名の通り、岩石で覆われた砂漠である。僕が今回、目指すナマクワランドもその一つで、砂の世界というより、火星を思わせるような荒涼な景色が広がる地域だった。ちなみにナマクワランドというのはナマ族の土地という意味である。
なぜそんな場所に花が咲くのか。南半球にある南アフリカは七月になると春を迎え、この地域にも少量ではあるが雨が降る。加えて、大西洋が生み出す霧が大地を濡らすと、子孫を残すという生きとし生ける全ての生物たちの本能にしたがって、植物たちはこのわずかなチャンスを逃すまいと一気に花を咲かせる。すぐに大地は乾き、元の乾燥地帯に戻るが、たった二週間という短い時間で花たちは種を土に落とす。花はあっという間に枯れしまうが、種はまた一年後に来る恵みの雨を信じて、じっと砂漠の上でその時を待ち続ける。彼らは途方もない年月をそんなサイクルを繰り返しながら命を紡いでいた。
千紫万紅の沙漠
翌朝、道路が濡れていた。雨が降ることが嬉しいなんてウユニ塩湖ぶりだな、なんて思いながら花が咲くという砂漠まで逸る気持ちを抑えながら車を走らせた。町を超え、少しすると赤茶けた大地と乾燥地域でよく見られる背の低い草がぽつぽつと見えはじめたが、まだそこに花はない。あれ? と思いながらさらに進んで行く。国立公園に入り、真っ直ぐ伸びる道をさらに奥まで行くと急に世界が色づいた。黄色やオレンジの花々が地面を覆い尽くし、ずっと向こうまで花畑が続いている。小さな鳥たちは花をついばみ、よく観察してみると花の下にはリスのようなかわいい小動物が隠れながら、こっちをじっと見つめていた。
そこからさらに進んでいくと、砂漠はよりカラフルになっていく。黄、オレンジ、白、ピンク、紫……三〇〇〇種類とも四〇〇〇種類とも言われる草花が地平線の向こうまでずっと続いている。ここが砂漠だなんていったい誰が信じるだろう。砂漠が一年のうちほんの一瞬だけ花畑に変わるなんて、あまりに出来すぎでまるでおとぎ話の世界ではないか。現地の人たちから「神々の花園」と呼ばれるのも納得する。
その神秘的な風景に圧倒されて最初は気が付かなかったが、すごくいい匂いがする。よく考えてみたら何百万、何千万、それ以上の植物たちた香りを放っているのだ。深く呼吸をすると、今、目の前にある風景が現実のものであることを急に認識した。こんなことははじめてだった。視覚だけでなく、嗅覚でも強烈な感動を生む風景。想像もできない風景を伝える、ということを生業にしていく上で新しいことを学べたことが嬉しかった。
時間が経つと、さらに花々は輝きはじめた。朝一番では下を向いていた花たちだったが、太陽が昇るとみんな一斉に太陽の方を向き、その光を全身で受けようとしている。花々が上を向いたことで世界の色はさらに鮮やかに、香りはより濃くなっていく。それはまさに生命の風景だった。何千万という植物たちが祖先を残すため、命を紡ぐために精一杯生きている。例え、たった二週間で散ってしまうとしても、また来年、花を咲かせるために。
僕がいたヒマラヤとはまるで真逆の風景だった。八〇〇〇メートル峰や世界最高峰のエベレストでは命の匂いが全くしなかった。バクテリアさえいない世界で遺体も腐らない死の世界だからこそ生きているということを強く感じていた。だが、ここは違う。命が溢れている。僕の人生でこれほどまでの生物をひとつの風景として視覚に入れたことは今までなかったかもしれない。
きっとこの風景を前にした時、人々は絵本の世界のような風景だからというだけで感動するわけではないと思う。砂漠という生きていくことに適さない過酷な環境で、力強く生きる花たちの姿に心が震えるのだ。僕もこうありたい、砂漠に咲く幻の花畑はひとりの人間として大切なことを僕に教えてくれている気がした。
著者プロフィール
1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。
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