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【第9回】名峰の頂から見えた景色|アマ・ダブラム(後編)

数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。第9回はアマ・ダブラム編最終章。頂上直下で一度は撤退を決めたものの、改めて名峰の頂へと挑みます。


下山中の思いがけない出来事

十月二十二日、ベースキャンプ。僕はテントの中で痛む脇腹を抑えながら、シュラフに潜り込んでいた。深く呼吸をする度に鈍痛が肋骨の辺りを襲ってくる。想定もしていなかったその出来事が起きたのは、撤退を決めた日のキャンプ3にまで遡る。

キャンプ3からの撤退を決めたからには、出来るだけ早く標高を下げる必要があった。標高六〇〇〇メートルの世界では、そこにいればいるだけで体力は奪われてしまう。吹き荒れる強風の中、ついさっき必死に登ってきたばかりの氷壁を力なく懸垂下降を繰り返した。

登山における事故のほとんどは下山中に起こる。登るのに体力も精神力も使い、集中力は欠け、思考は朧げになる。経験豊富な尊敬すべき多くの冒険家や登山家たちも、下山中に不幸な事故に遭い、怪我をしたり、亡くなったりしている。それはもちろん知っていたし、自分では気を付けて下山しているつもりだった。それでも、今になって思うとやはり疲れなのか、頂を諦めたからなのか、どこか集中力が欠けていたのかもしれない。

その時はキャンプ3から氷壁を降り続け、岩の壁まで辿り着いていた。この壁を降りれば、キャンプ2で休息ができる。夜中に出発したテントの姿はもう見えている。あそこまで行けば、熱いお茶を飲み、横になることも出来る。ぼんやりとそんなことを考えながら、今まで何度も繰り返してきたのと同じように懸垂下降を始めた。

何事もなく壁の半分ほどまで下った時、それは起きた。あまりにも急な出来事で、何が起こったのか全く分からなかったが、何かの拍子に一瞬両足が壁から離れてしまい、空中に体が浮いてしまったのだ。あっ、と思った時にはすでにロープに吊るされた体が風に流され、振り子のように横に振られていた。とっさに振られた方を見る。岩壁が迫ってきていることを理解した次の瞬間、僕の体は激しく岩に打ちつけられた。

鈍い痛みが脇腹を襲い、額から脂汗が流れる。どうやら肋骨付近から岩壁にぶつかってしまったようだ。もしかしたら肋骨一本くらいは折れているかもしれない。耐えられないほど痛かったが、いつまでも宙吊りのままいるわけにもいかず、歯を食いしばり、どうにか足が付く場所まで降りていった。

上で様子を見ていたシェルパが大丈夫かと聞いてくる。だめだ、と言うと本当にアマ・ダブラム挑戦が終わってしまう。もし天気が回復したらあと一回くらいチャンスがあるかもしれない。そう思った僕は、問題ない! と叫んだ。それだけで激しい痛みに襲われる。それでも、脇腹をかばいながら、僕は再び下山を始めた。

上手く呼吸が出来ない。標高六〇〇〇メートル付近のこんな場所で激しく動き、体は酸素を大量に欲しがっていた。だが、脇腹の痛みがそれを許さない。肋骨に負荷をかけないように深呼吸ではなく、細かく何度も空気を吸い、少しずつ肺に酸素をためていく。数メートル下がっては何度も呼吸をして、また下がっては呼吸をする。そんなことを繰り返しながらの下山は相当な時間が掛かってしまったが、今はこれしか方法がなく、一歩ずつ、本当に一歩ずつ壁を下りていった。

文字通り、死力を尽くしてキャンプ2に辿り着き、倒れるようにテントに潜り込んだ。その夜は、ほとんど寝ることが出来なかった。息を吸っても、咳をしても、お湯を飲んでも、何をしても肋骨が悲鳴をあげ、眠ることを許さない。それでも、明日中にベースキャンプまで降りなくてはいけない。もう食料も燃料もほとんど残っていなかった。

翌朝、キャンプ2からさらに岩壁を懸垂下降し、切り立った稜線を歩いていった。思いがけないことにある意味で怪我が功を奏していた。痛みがあるからこそ集中力を保てる。出来るだけ痛みのないように意識してしっかりと呼吸をし、一歩ずつ丁寧に歩いていく。もちろん、何をしても肋骨は痛いし、歩く速さはかなり遅いが、時間をかけながら、ゆっくりとキャンプ2からキャンプ1、そしてベースキャンプまで下っていった。

前回よりも2時間ほど多くかかったが、何とかベースキャンプまで戻り、キッチンシェルパが入れてくれた熱い紅茶を飲んでいると、自らの足で帰ってこられたことを実感し、ほんの少しだけ満たされている自分がいた。

最後の挑戦に向けて

ベースキャンプに着いて一日休息した後、チームで話して、二つのことを決めた。まず、もう一度だけ登頂に挑戦すること。文字通り満身創痍だったが、どうしても諦めることが出来ない。シェルパからは激しい反対があるだろう。そう思っていたが、この点に関してはあっさりと了承がおりた。四日後の十月二十八日、ここ数週間のうちで最も風が弱い日がやってくる、と予想が出ていた。ここにきて天が少し味方をしてくれている。早速、僕はこの日をサミットプッシュに当てるようにスケジュールを組み直した。ただ、これが本当に最後の挑戦。もしダメでも諦めることが条件だった。

もう一つはキャンプ3の設置。前回、僕はキャンプ2から直接頂上を目指したが、上部の壁を攻略するのに時間がかかりすぎた。午前中、時間が経つとともに風が強くなるアマ・ダブラムでは、それが命取りになる。キャンプ3を設置すれば、登山自体は一日多くかかるものの、サミットプッシュに費やす時間は短くなる。キャンプ3を夜中に出れば朝早くに登頂でき、昼過ぎには比較的安全なキャンプ2まで下りてこられる。だが、キャンプ3は雪崩の巣でもあるため、ほとんどの人は設置していなかった。四年前、大規模な雪崩がキャンプ3を襲い、そこにテントを張っていた隊が全滅するという事故があったのだ。そのため、少し躊躇していたが、僕の今の状況ではそれしか方法はない。最後には皆も納得してくれた。

そこから出発までは休養にあて、体を休めることに専念した。二〇〇〇メートルも下ってくると、流石に酸素が濃く、久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。もちろん肋骨はどうしよもなく痛むが、今ここで僕に出来るのは我慢することだけだった。

再び標高六〇〇〇メートルの世界へ

十月二十五日、いよいよ最後の挑戦がはじまった。泣いても笑ってもあと四日で全てが終わる。そう思うと、自然に気持ちが高まってくる。午前九時、もう何度登ったのか分からない取り付きの丘をゆっくりと登りはじめた。いつも通り二時間かけてハイキャンプまで歩き、いつもと同じ岩に座って熱いお茶を飲みながら、南西稜の先にそびえるアマ・ダブラムを眺めた。雲は多少あるが、風はなく、頂もよく見えている。これから行くルートを目で追い、キャンプ1まで高度を上げていく。

尾根まで上がってキャンプ1に到着。テントで休んでいると外が騒がしい。何事かと思ってテントから出ると、キャンプ1より少し下のところで別の登山隊の女性が血を流して倒れていた。落石にぶつかったらしく、シェルパたちが救護の要請を無線で飛ばしている。今、僕にできることは彼女の無事を祈るだけ。しばらくしてやって来た救援ヘリに乗せられ、彼女は夕空に消えていった。ここはそういう所なのだ。山を舐めている人もいない。経験を積んだクライマーたちが精一杯の力を尽くしても、命の危険がすぐそばにある。自然はそこに人がいるとかいないとか気にしない。ただそうあるのみ。だからこそ挑戦する価値があるし、美しい。

翌日はキャンプ2へと登っていく。激しいロッククライミングで呼吸は乱れ、肋骨も痛むが、黙々と先に進む。キャンプ2もすでに三度目だ。高度障害はほとんどなく、難所のイエロータワーもそれほど苦労はしなかったが、それでも空気は薄くなっているのはよく分かる。

前回から設置されたままのテントに入ると、すぐに氷を溶かして大量の水を作り、時間をかけて紅茶を一リットル飲んだ。午後になると次第に雲が増え始め、降りだしてきた。少しだけ不安がよぎるが、気にしても仕方ない。シュラフに潜り込むと、疲れていたのか、すぐに意識が遠くなっていった。

次に目を覚ましたのは、息苦しさが襲ってきた時だった。少しだけ頭が鈍く痛む。明らかに体に酸素が足りていない。どうやら一時間ほど眠っている間に、呼吸が浅くなってしまっていたようだ。再び標高六〇〇〇メートルの世界に戻ってきたな、そんなことを考えながらゆっくりと深呼吸を繰り返し、意識を回復させていく。

夕方、テントの外に出て、明日上がっていくアマ・ダブラムを眺める。改めて見ると、ものすごいルートだ。キャンプ3より上は頂上までほとんど座れる場所もなく、そのまま垂直の壁が続いている。ここまでも十分険しい道のりだったが、さらに厳しくなっていく。ここから先は別世界との境界線のように思えた。

キャンプ3で耐え忍ぶ

朝起きると快晴だった。暑かったが最初からダウンスーツを着込み、キャンプ3を目指す。どこまで続くか分からない岩壁を喘ぎながら登っていくが、撤退した前回よりも明らかに調子が良く、スピードも速い。肋骨の痛みにも慣れてきた。次第に岩は氷の壁に変わっていき、時々ピッケルを使いながら丁寧に進んでいった。

標高六三〇〇メートル、真っ白な氷壁と宇宙を抱えた濃紺の空のコントラストが美しい場所だった。迷路のような氷と雪の世界を登っていく。聞こえるのはザクッザクッというアイゼンが氷に食い込む音と自分の吐息だけだった。静寂に包まれ、とても気持ちのいいクライミングがここを六〇〇〇メートルの世界だということを一瞬だけ忘れさせる。

充実した時間を過ごしながらゆっくりと登り、キャンプ3に到着したのは午後一時頃だった。キャンプ2より上でテントを立てるスペースがあるのは唯一ここだけ。キャンプ3からそのまま垂直の壁が頂上まで伸びており、その頂は眩しい太陽の光を反射し、純白に輝いていた。

日が沈む頃、再び風が強くなってきた。雪煙が舞い、頂上は隠れて見えなくなってしまった。嫌な記憶が蘇ってきたが、そんな僕の気を知ってか知らずか、世界第六位のチョー・オユーが夕陽に染まり、その美しい姿が少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。

その日は夕食を午後六時にとって、七時前にはシュラフに入った。仮眠をとって、午前一時に起床。二時に出発すれば、六時頃すぎには登頂できるはずだ。

予定通り午前一時に起床。前回と同じように一時間かけて準備を進めた。バックパックの中も前と同じ。カメラの予備電池は暖かいダウンスーツの内ポケットに入れている。あとはアイゼンを履いて出発するだけだったが、風がテントを叩く音が想定よりも強かった。

ベースキャンプからの連絡によれば、あと一時間ほどで弱まってくるはずとのことだったので、しばらく待機することにした。やることもなくぼんやりしていると、良くないイメージだけが湧いてくる。このまま風が止まず、朝を迎えたらどうしよう。夕方にはキャンプ2に降りなくてはいけない。食料だってギリギリしかない。そうなったら本当にアタックを中止するしかない。早く止んでくれ。そんなことを祈りながらテントの中で出発の時を待ち続けた。

世界が光を帯びる中で

午前三時半。風の音は少し弱くなっている気がした。狭いテントの中で隣に座るシェルパに声をかける。

「行こう! チャンスだ!」

真っ暗な闇の中をロープとヘッドライトの光を頼りに氷の壁を登っていく。標高六五〇〇メートル。極端に薄くなった空気と見上げても先が見えない垂直の壁が、肺を握りしめるように押しつぶし、全く息が出来なくなる。五歩進んでは立ち止まる。五回呼吸をして、次はなんとか七歩は進もうとするけど、やっぱり五歩しか足が上がらない。足は鉛のように重く、アイゼンを壁に蹴り込むのにも一苦労だ。肋骨は咳き込むたびに響くように痛む。

氷点下二十五度にまで下がった気温は体を凍らせ、ついには動いているよりも止まっている時間の方が長くなっていた。これが生存限界を超えた世界。足を上げることはもちろん、一枚の写真を撮ることさえ困難な世界。どうして僕はこんなところに、そして、いったい何をしているんだろう。足を止めるとそんな事ばかり考えてしまう。

どれほど時間が過ぎただろう。氷の絶壁にしがみついたまま、振り返ると真っ暗だった世界が少しずつ光を帯び始めていた。東から昇る日が、ゆっくりと世界に色を付けていく。暗い夜が終わり、ヒマラヤに朝がやって来た。太陽はこんなにも暖かかったのか。凍った体を光が温め、少しずつ心も溶かしてくれる。半分意識のないままさらに歩き続けると、垂直だった壁も次第に緩やかになってきた。気が付けば遥か彼方に思えたその頂は、もう目の前にまで迫っている。

そして、十月二十八日、午前七時四十五分、僕はアマ・ダブラムの頂に立った。最後は這うように頂上に辿り着いた。先に着いていたチリンと固い握手を交わし、頂に立ってカメラを構えた。ヒマラヤ山脈がどこまでも広がっており、数えきれないほどの美しい神々の山々がたたずんでいる。雲ひとつない快晴。標高七〇〇〇メートル近い場所とは思えないほど穏やかな風が吹き、目の前には世界最高峰のエベレストがここよりも遥かに高い場所にそびえ立っている。

アマ・ダブラムに登ったところで何か貰えるわけではない。前人未到の記録を達成したわけでもないし、未踏峰を制覇したわけでもない。けど、自分では決して足を踏み入れることなど出来ないと思っていた未知の世界を自らの足で歩き、希薄な空気を吸い、体全身を使ってその世界を体感できたこと、そして、何よりもこの登頂で自分の可能性を広げられたことは写真家としてだけでなく、ひとりの人間として、大きな意味を持つのは間違いなかった。

僕はもっと遠くに、まだまだ見たことのない世界に行ける。そんな明るい希望を標高六八五六メートルの頂でひとり噛み締めていた。

著者プロフィール

1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。

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