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「両利きの経営」の最もわかりやすい例はトヨタ生産方式である|岩尾俊兵 vol.1

10月18日(水)に光文社新書より発売された『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(岩尾俊兵)。「ティール組織」「オープン・イノベーション」など最先端と思われがちな経営理論が実は戦後日本では当たり前のように実践されていたことを示すとともに、なぜ今の日本ではそうした知見が受け継がれていないのか、過度な欧米信仰に偏ってしまった要因を明らかにする一冊です。
中身が気になる方のために、序章~第6章から選りすぐりの箇所をピックアップしてお届け。今回は第1章から、近年ブームとなっている「両利きの経営」をめぐる誤解を解き明かします。

「両利きの経営」ブームの源流はどこに

 近年、両利きの経営という概念が流行している。
 2019年にはチャールズ・オライリー教授とマイケル・タッシュマン教授による『両利きの経営』(東洋経済新報社)の日本語訳が出版され、話題を呼んだ。

 ここで「両利き」とはAmbidexterityの日本語訳であり、両手利きとか二刀流などとも訳すことができる。では経営におけるAmbidexterityとは何と何の二刀流かといえば、それは既存の技術や知識などの活用(深化・深耕)と探索であるとされる。ようするに既存のビジネスでしっかりと稼ぐことと、新しいビジネスを始めたりイノベーションを引き起こしたりすることとを両立する経営という意味である。

 オライリー教授とタッシュマン教授によれば、この両利きの経営という概念は、言葉としては1976年のロバート・ダンカン教授による論考に源流があり(ただし、彼らがダンカン教授について触れるのは両利きの経営が市民権を獲得してしばらくしてからだ)、論理モデルとしてはジェームズ・マーチ名誉教授による「組織における探索と活用のシミュレーション」に源流があるという。こうした研究を概念としてまとめ上げたのがオライリー教授とタッシュマン教授だということである。

 なお、この「両利きの経営」に関しては、「よくある通常の研究のラベル張り替えのために使われているのではないか」という指摘も存在する。
 実は、両利きの経営の元となったジェームズ・マーチ名誉教授による1991年の研究論文や前述のオライリー教授とタッシュマン教授による1996年の論文の発表から10年ほどは、両利きの経営についての論文は活発には発表されてこなかったのである。

 ところが、ロンドン・ビジネス・スクールのジュリアン・バーキンショー教授が『Academy of Management Journal』誌にて、担当編集者から両利きの経営を応用した「文脈レベルの両利きの経営」というコンセプトを用いてはどうかとアドバイスされ、実際にその指示に従った論文が出版されたことをきっかけに、状況は変化した。

 この概念は経営学研究において使い勝手が良く、これ以降、まさに指数関数的に両利きの経営分野の論文が増え、ある種のブームになった側面もある。両利きの経営という概念が、研究のラベリングに非常に使い勝手が良かったというのも、両利きの経営ブームをけん引した要因の一つではあるだろう。

 こうしてブームとなった両利きの経営であるが、ときどき「日本企業は両利きの経営ができないからダメなのだ」という言説がきかれる。
 経営コンサルタント的にいえば、「そう、日本企業はダメなんだ。だから、私に高額な報酬を支払って、両利きの経営を学びなさい」ということになるだろう。

 しかし、一度立ち止まってよく考えていただきたい。
既存の技術や知識を活用しつつ、新しい技術や知識を探索したり、新しいビジネスを模索したりするというのは日本企業の得意技ではないだろうか。
 たとえば筆者が専門とする生産管理・品質管理分野でよく扱われるカイゼン活動を考えてみる。カイゼン活動は、世界でカイゼン(Kaizen)という単語が通じるくらい一般化した日本発の経営技術である。

 カイゼンは、普段の生産活動の中で、生産に関しての知識を蓄積し、さらにその知識に疑問を持つ機会を与えることで、生産やサービスのあり方を再考することを指す。QC七つ道具など、カイゼン活動の遂行に便利なツールも開発されている。
カイゼンは、一方面において既存の生産の知識を深化させている。しかし、その知の深化を「前提として」、新たな生産方法が探索される。そして、その結果として新車種の量産が既存の生産ラインを活用する形で安価に実現されたりする。

 たとえば、拙著『イノベーションを生む〝改善〟』(有斐閣)において描かれるような、ロボットが行き交い、1生産ラインで5~6車種の同時生産が可能な未来の生産ライン「変種変量ライン」も、きっかけはちょっとしたカイゼン活動であった。

 また、小川進『QRコードの奇跡』(東洋経済新報社)が詳細に報告しているように、世界を変えた日本発イノベーションである「QRコード」は、元はトヨタ自動車のサプライヤーであるデンソーがトヨタ生産方式で用いるカンバンを管理するために発明したもので、こちらもきっかけはカイゼン活動だった。
 既存の生産活動を実行しつつ、これを効率化させ、さらに工程や製品のイノベーションを起こす。まさに両利きの経営だと思われないだろうか。

 このように主張すると、「いやカイゼンとイノベーションは違う」とか「カイゼンは両利きの経営とは関係ない」という反応が返ってくることもある。では、両利きの経営の生みの親であるオライリー教授とタッシュマン教授はどう主張しているか、さっそく確認してみよう。
 実は彼らは、2013年に『Academy of Management Perspectives』誌に発表した論文の329頁において、トヨタ生産方式が両利きの経営の最も分かりやすい例(most visible illustration)だと述べているのである。
カイゼン活動において作業者が自動車を組み立てるという既存の知識の活用と、作業をより効率的なものに変化させるという知識の探索との両利きの経営をおこなっているというのだ。なお、彼らは、生産のフレキシビリティを向上させるのも知識の探索やイノベーションだとしているので、前述の「変種変量ライン」はまさにその好例である。


 もちろん「それは日本企業の中でも良い企業に限られる。大抵の日本企業はそんな先端的ではない」という反論はありうる。
 しかし、それはアメリカ企業も同じである。
 基本的に、見本とされている企業は、その本拠地が日本であろうとアメリカであろうと世界のどこか別の国であろうと、良い企業だから取り上げられたのである。

 そうだとすれば、日本にもアメリカにも(その他の国にも)優れた企業とそうでない企業とがあるのだから、どこかの国の企業から一方的に学ばなければいけないということにはならない。むしろ、自国の中に優れているとされた企業があるのなら、地理的にも言語的にも文化的にも距離の近い自国の企業から学んだ方が、効率がいい
 いずれにせよ日本企業の少なくとも一部は、既存の知識の深耕・深化と新しい知識の探索とをうまく両立させてきた。その意味では両利きの経営のお手本となるような企業もあるのである。
 それならば、両利きの経営を学ぶために最初に訪問すべきはアメリカ企業でもなければ、ましてやコンサルタントの綺麗なオフィスでもない。日本の製造現場なのである。
 古代東洋の知恵である『戦国策』でいえば「先ず隗より始めよ」である。
 この基本を忘れてしまうと、ほんの身近にある優れた手本が見えなくなってしまう。

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著者プロフィール

慶應義塾大学商学部准教授。平成元年佐賀県生まれ。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了。東京大学史上初の博士(経営学)を授与され、2022年より現職。組織学会評議員、日本生産管理学会理事を歴任。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞、第37回組織学会高宮賞、第22回日本生産管理学会賞、第4回表現者賞等受賞。主な著書に『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)、『Ambidextrous Global Strategy in the Era of Digital Transformation』(分担執筆、Springer)ほか。

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