見出し画像

なぜコネ入社を公言して復活させる企業がでてきたのか?

4章⑤ GAFAMのメタバースへの取り組み

光文社新書編集部の三宅です。

岡嶋裕史さんのメタバース連載の25回目。「1章 フォートナイトの衝撃」「2章 仮想現実の歴史」「3章 なぜ今メタバースなのか?」に続き、「4章 GAFAMのメタバースへの取り組み」を数回に分けて掲載していきます。今回はその5回目です。

ウェブ、SNS、情報端末などの覇者であるGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)はメタバースにどう取り組んでいくのか? 果たしてその勝者は? 各社の強み・弱みの分析に基づいて予想します。

今回からグーグルの動きを見ていきましょう。

※下記マガジンで、連載をプロローグから順に読めます。

4章⑤ GAFAMのメタバースへの取り組み

グーグル①――フラットであることはコストがかかる

 グーグルも自分のビジネスをメタバースに移行したい理由を持つ企業である。

 彼らの主要な収入源は、広告である。広告収入が100%近くを占めるフェイスブックに比べればバランスはよいものの、それでも7割を広告に頼っている。

画像1

 ウェブからSNSへ情報流通の移行がみられるとは言っても、ウェブは未だ莫大なトラフィック量を誇っており、サイバー空間へのゲートウェイであり続けている。ビジネス用途ではメッセージングであれ情報提供であれ、SNSよりウェブを選択する利用者もまだまだ多い。

 さらにはYouTubeを傘下に収めているので、テキストベースのコミュニケーションを嫌って動画へ流れる層もよく吸収できている。今のところ、彼らのビジネスは盤石に見える。

 しかし、フラットなインターネットが終焉を迎えつつあり、コミュニケーション上のフリクションを嫌った利用者がますますフィルターバブルの中に深く閉じこもるようになると、フラットなインターネットの覇者であるグーグルには面白いことばかりではない。

 ここに至るまでにも触れてきたことだが、「フラットなインターネット」がなぜ嫌気されるのか、腑に落ちない方はまだ多いと思う。世界中がつながることは良いことではないかと。

 たとえば、身近なところで就職の面接をすることを想像してみたらどうだろう。

 現在の就活シーンはフラットになった。少なくとも私が就活を経験した時代に比べれば、ずっとそうだ。どんな学校からでもエントリーシートは受け付けてくれるし、面接では親の職業や収入は聞いてはいけないことになっている。もちろん、コネ入社なんて論外だ。受験しに行く前の段階で、出自や紹介ですでに合格の可能性が失われていたら最悪である。

 いっぽうでフラットであることは、コストも要求する。企業はフラットな選考をするために時間と費用をかけるようになった。大量に送られてくるエントリーシートをより分けるのにも一苦労で、そこにAIを適用する企業が現れ始めたのも記憶に新しい。

 面接を受ける母集団が大きくなっているので優秀な人材が含まれている確率も上がっているはずだが、それをきちんと選ぶためのコストが跳ね上がっているのである。また、どれだけのコストをかけたとしても、面接や筆記試験のなかでそれを正確に評価するのは難しいため、自社業務への適合度が低い人を選抜してしまうリスクもある。

 学生の側も疲弊している。フラットな選抜によって、多くの会社が就活の選択肢に入ってきた。それまでは、そもそも受けられない会社があったので、自ずと選択肢は絞り込まれていたのだ。また、選抜の機会を均等化するため、多くの企業が複数回のエントリーポイントを設けている。すると、興味があって受験可能な企業は雪だるま式に増えていく。

 誰でも受験できるがゆえに、多くの人が同じ企業に応募し、競争は激化する。数十社からお祈りメールをもらって意気消沈する学生の姿はもはや初夏の風物詩だ。

 これも、理屈の上では幸せな状況のはずなのである。選択肢がたくさん与えられ、チャンスが複数ある社会は、いい社会のはずだ。私もそう思う。しかし、幸せなはずのプレイヤは、年々消耗の度合いを深めているように見える。

 事ここに至って、コネ入社を公言して復活させる企業も現れた。何を前時代的な、と私も思う。しかし、企業の言い分としては、選抜にかかるコストを抑えることができ、その能力や資質も紹介者によって保証されているこの形式にメリットがある、となる。

 大学別の選抜も同様だろう。極端な話、旧帝大と早慶からしか学生を取らない企業はある。潜在母数や人材の多様性を思えば、デメリットの大きそうな選抜だ。しかし、これらの学校に入るためには一定水準の学力や、努力を継続できる資質が必要と考えられるため、それをもって選抜プロセスの代替とするのである。たとえそれが大学入学時の、数年前の数値だったとしてもだ。

 デメリットも批判も多いこうした形態をとり続ける、あるいは復活させる企業があるということは、そこには利得があるのだろう。

 インターネットも同じことである。フラットであることはよいことだ。理屈の上ではそうなる。でも、そのフラットさが、自分にとって価値のない情報ばかりに囲まれる状況を生み、価値ある情報への到達コストを上げ、コミュニケーション上のフリクションを増大させる。

 それを昇華した先に到達できる高次元な活動があるのだろうが、そんなしんどいことをするよりは、好きな情報と価値観が似た仲間だけが見える、傷つかない居心地のよい空間を求めたくなるのが自然だろう。それがSNSであり、もっと先にメタバースがあるのである。(続く)

※こちらのマガジンで、本連載を最初から読めます。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!