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ゴーゴリ、プロコフィエフ...ロシア芸術に欠かせないウクライナ出身の芸術家たち|宮下規久朗

欲望の美術史』『美術の誘惑』『美術の力』『名画の生まれるとき』(いずれも光文社新書)でお馴染みの美術史家の宮下規久朗さん。その宮下さんによる新刊『名画の力』が発売されました。本書は、10年以上前から毎月『産経新聞』夕刊に連載している「欲望の美術史」の記事を中心に構成したもので、2021年9月から24年6月までのほぼ3年間の記事を中心に、別の媒体に載せた記事や新たに書き下ろした原稿を加えたものです。伝統の力から現代美術、美術館まで――。博覧強記の美術史家による、美術の魅力をより深く味わうための極上の美術史エッセイ。刊行を機に本文の一部を公開いたします。

知られざるウクライナの美術

ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから二年以上たったが、一向に終息する様子が見られない。近年これほど世界中が注視して非難した戦争はなかったが、皮肉なことにこれを機にウクライナという国が再認識されるようになった。私は、何度か行ったロシアで撮りためた写真と自分の頭を整理することを兼ねて、二〇二二年度の大学の講義のテーマをロシア・ウクライナ美術史にした。

ウクライナはロシアの原郷である。九世紀末ノルマン人がキエフに建国したキエフ・ルーシから派生したモスクワ大公国が後のロシアとなった。ウクライナは、モンゴル、ポーランド、リトアニアに支配され、十八世紀にはコサックによる独立国家が成立するものの、やがてロシアに組み込まれて小ロシアと呼ばれた。ロシア革命の混乱時に一時的に独立した以外はソ連に支配され、一九九一年のソ連崩壊後ようやく独立したのである。

ロシア美術史を概観すると、重要な美術家の多くがウクライナ出身であることに驚く。ロシアの国民的大画家レーピン、ロシア最大の風景画家アイヴァゾフスキー、最初に抽象絵画を描いたロシア・アヴァンギャルドの旗手マレーヴィチ、ロシア現代美術を代表するイリヤ・カバコフなど。美術だけでなく、文学のゴーゴリ、音楽のプロコフィエフなどウクライナ出身の芸術家は枚挙にいとまがない。

風景画家アルヒープ・クイーンジは、代表作《ドニエプル川の月夜》(図1・1)のように、ウクライナの景観美を表現して広く親しまれてきた。今回の戦争で、彼の故郷マリウポリは最大の激戦地となったが、劇場や病院とともにこの画家の美術館も爆撃を受けたという痛ましい報道があった。

図1・1 アルヒープ・クイーンジ《ドニエプルの月夜》
1880年 サンクトペテルブルク、国立ロシア美術館

ロシアの歴史も芸術もウクライナ抜きでは成立しないのだが、それもロシアがウクライナを手放したくない要因のひとつとなっている。しかし、前述の芸術家たちはほとんどがモスクワやペテルブルクで学んだり制作したりしたため、ロシアの芸術の一部として語られてきたのも当然であった。

「ウクライナの魂」と呼ばれる詩人・画家

しかし、ロシア芸術史にはあまり登場しない重要なウクライナ人芸術家がいる。「ウクライナの魂」と呼ばれる詩人・画家タラス・シェフチェンコである。彼はキエフ南方の村に農奴として生まれたが、絵の才能によって当時の大画家ブリューロフに認められ、画家となることができた。ウクライナの農民の風俗画を描く一方(《農民の家族》図1・2)、当時は文学に適していないとされたウクライナ語で詩集『コブザール』をはじめとする多くの詩を書き、ウクライナ民族運動の先駆となった。そのため迫害されて中央アジアに流刑になる。その詩は現在までウクライナ人に愛唱され、それに曲をつけた歌は今回のウクライナの戦地でもさかんに歌われて人々に勇気を与えている。

図1・2 タラス・シェフチェンコ《農民の家族》
1843年 キーウ、タラス・シェフチェンコ博物館

十八世紀初頭、ウクライナに個性的な彫刻家、ヨハン・ゲオルク・ピンゼルが現れた。出自も生年も不明で、この地方の領主ポトツキ家に仕え、リヴィウ東南のブチャチを中心に活動し、多くの聖堂の祭壇や外部に石や木彫の彫刻を遺した。それらは、激しい感情を表した表現主義的なものである。チェコやポーランドの彫刻の影響を受けたと思われるが、リヴィウに残る《嘆きの聖母》や《イサクの犠牲》(図1・3)などに顕著な、紙のように固く屈曲して翻る衣などのデフォルメや過剰な表現はまったく独自のものである。長らく忘れ去られていたが、二十世紀後半にウクライナの美術史家ボリス・ヴォズニツキによって再発見され、一九九一年のウクライナ独立以後、ますます評価されている。

図1・3 ヨハン・ピンゼル《イサクの犠牲》
リヴィウ、ピンゼル美術館

リヴィウの聖ユーラ大聖堂はバロック様式による東方典礼教会だが、そのファサードの尖塔にはピンゼルによる《竜を退治する聖ゲオルギウス》(図1・4)が見られる。この聖人は全体に比べて頭や手先が小さく、ビザンツやノヴゴロド派によく見られる同主題のイコンのような軽快さと躍動感に満ちている。ヴォズニツキらは、ピンゼル作品のこうしたデフォルメや様式的な衣文は、西洋のバロック様式と東方のビザンツ様式の混交したところから生まれたとした。現在も続くウクライナ戦争では、人々が教会に付属しているこうしたピンゼルの彫刻を梱包して攻撃から守ろうとしている姿が報道されて印象に残った。

図1・4 ヨハン・ピンゼル《竜を退治する聖ゲオルギウス》
リヴィウ、聖ユーラ大聖堂

目次

序 章 群像表現から見る人々の営み
第1章 伝統の力
第2章 巨匠たちの舞台
第3章 現代美術の奥行き
第4章 聖と俗を結ぶ
第5章 知られざる画家たち
第6章 美術における光
第7章 美術館と公共性

著者プロフィール

宮下規久朗(みやしたきくろう)
1963年愛知県名古屋市生まれ。美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院修了。『カラヴァッジョ――聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞などを受賞。他の著書に、『食べる西洋美術史』『ウォーホルの芸術』『美術の力』『名画の生まれるとき』(以上、光文社)、『モチーフで読む美術史』『日本の裸体芸術』『聖母の美術全史』(以上、筑摩書房)、『闇の美術史』『聖と俗』『ヴェネツィア』(以上、岩波書店)、『バロック美術』(中央公論新社)、『そのとき、西洋では』(小学館)など多数。

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