博士をもっと活用したほうがいい 特別対談 前野 ウルド 浩太郎(バッタ博士)×水月昭道(道くさ博士)
光文社新書編集部の三宅です。5月に刊行された『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』より、著者の水月昭道さんとバッタ博士こと前野ウルド浩太郎さんの対談を、note上で何回かに分けてお届けします。今回は第2回です。前野さんも、いわゆるポスドクでした。ご著書『バッタを倒しにアフリカへ』のオビには「科学冒険ノンフィクション」とありますが、隠れたテーマのひとつが、博士の就職問題です。非常にユーモラスに書かれていますが、「ポスドクってこんなに大変なんだ……」と戦慄した読者の方も多かったことでしょう。そんな前野さんをお招きして、博士号やポスドクの置かれた状況について、語っていただきました。
※この対談は、2017年9月に収録しました。
第1回はこちら。
道くさ博士とバッタ博士、高学歴ワーキングプア問題を語る②
お金の苦労
――博士号を取られてから、お金の面で一番苦労したのはどういうところですか。
水月 いろいろありますが、一番大変なのは、任期が切れる時ですね。それまで何とか飯が食えていたのに、食えなくなる瞬間が来るわけです。それは明確にある日――何年何月何日に来るとわかっている。その日が近づいてくる時のプレッシャーは半端なものではありません。
そもそも、任期付きの職に就いて給料をもらう前は、アルバイトで月一〇万円いくかいかないか程度のギリギリの生活をしていて、それが給料をもらうようになって少しゆとりが出る。ところが、ある日、任期の終わりが来て、アルバイト生活に戻らないといけない日が近づいてくる。そこに一番の苦しさがあるような気がします。
仏教的に言うと、持ってしまった故の苦しみだと思うんですよ。何も持たない時代だと、持たないのが当たり前なので、それでいいんですけどね。たまたま給料がもらえるようになると、前に比べて生活が楽になるから、これを手放したくないという思いが出てくるんですね。こういう環境だともっといい研究ができる。これ以上は望まないけれど、最低この線をキープしたいなと思うようになる。ところが、任期切れが来たら終わるんですね。
この任期というものは非常に残酷です。なぜ任期切れが来るのか、当事者には理解できない。制度として任期があるだけの話なんです。
僕らは、任期が終わったあとも大学から力を貸してくれと言われる。研究の第一線で活躍しているにもかかわらず、制度的にはある日突然任期切れが来る。そこで飯の種は諦めざるを得ないけれど、研究能力は生かしてくれと言われる。ただ働きで。そういう矛盾した環境に置かれるわけですが、自分の心は、お金をもらえなくても研究の環境にいたほうが満足するというジレンマがある。大学側も悪気はない。こういう制度だから、お金をあげなくとも博士人材が使えてしまうわけです。
だから、その搾取的構造をどう乗り越えていくか、そして次のポストにどういうふうにつなげていくかということが、ある時期から主目的として浮上してきます。そうすると、研究が荒れはじめるんですね。気持ちが荒れるので。
前野さんは、海外に行くことで、この問題をクリアしているように思います。日本にいると、生活のことを意識するでしょう。だけど、海外に行くと環境がガラッと変わり、そういう部分を直視しなくてもいい。なるようにしかならんという感じで開き直ることで、乗り越えているのかなという気がします。
前野 それはありますね。
――『バッタを倒しにアフリカへ』では、日本学術振興会の海外特別研究員の二年の任期が切れて、無収入になるというのがひとつの重要なポイントになっています。軽いタッチで書かれていますが、気持ち的にはかなりしんどかったですか。
前野 自分のなかではウケていました。ここまで全力を尽くして頑張ってきても、無収入かと。
――京都大学の「白眉プロジェクト」に合格し、首の皮一枚でつながりましたが、あまりにもギャンブルな世界ですよね。
前野 研究者を目指す全員が全員、危ない橋を渡っているわけではないと思いますが、私の場合、日本で需要のない「アフリカでバッタの研究をしたい」という夢を叶えるため、かけるものが「人生」になってしまい、一世一代の大博打になりました。自分が器用じゃないので、逃げ道を全然準備できていませんでした。これで行くしかないと思い、逃げ道を準備する余力とかもすべてつぎ込んで、一点突破を図ったんです。あれもこれもやっていたら、とてもじゃないけど、他のライバルたちにはかなわないと思っていたので。これでダメだったらドンマイと、自分にひと言声をかけて潔くやってやろうと思っていました。もし「白眉」に決まっていなかったら、どうしてたんですかね……。何かしらやっていたとは思いますが。
水月 前野さんには仏教者の生き方が重なりますね。一番共感できるのは、ダメならダメでしょうがないと、前向きに諦めていく姿勢です。普通、なかなかそういう心持ちにはなれないです。受からなかったら、「どうしてだろう」と執着が湧いてきて、そのことがまた苦しみになっていくんです。
自分が有名になってしまえ!
――前野さんは、自分の研究を多くの人に知ってもらいたいということで、まず自分自身のことを知ってもらうことを考えられた。そこで、ネットを活用して情報発信をするようになったわけですが、何か最初のヒントみたいなものはあったんですか。
前野 最初のきっかけは、アフリカに渡ってから、自分の安否確認と、現地の生活の様子を親とか友だちに紹介するためにブログをはじめたことですね。そこに知らない人たちがリアクションをしてくれるようになって、コメントをくれたりして、やり取りするのが面白くなってきたというのがありました。そうするうちに、自分が取り組んでいる研究の大切さ、重要性を日本で訴えなければ、いつまで経っても就職先はないだろうと思い、どんどん広げていきました。
個人レベルだけではなく、大学も国の研究所も、組織の名前や研究内容を国民にアピールしたいと思います。なので、自分自身が注目を浴びるようになれば、所属機関の名前も自動的に広まるだろうと。そのために、論文を一、二本書く代わりに、一年を費やして発信の実験をしてみたんです。
水月 正しい戦略だったと思います。ただ、一方でリスクがありますよね。研究以外のことで目立つと叩かれるというのが、アカデミアの世界では普通のことですので。そんな暇あったら研究しろとか言われますからね。僕も『高学歴ワーキングプア』が出て売れた時に、いろんな攻撃にあいました。同時にいろいろなところから声がかかるようになりましたが。
――若手の研究者の方は、ネットやSNSでの発信が上手ですよね。
前野 ほとんどの知り合いの研究者が個人のホームページを持って、業績や最近の活動をアップしていますね。
水月 逆に、そこから抜け出して注目を集めるのは非常に難しいですよね。一般の人はよほどのことがないと、研究者のホームページを見に来ないから。
――あと、若手の研究者にとっては、情報発信のひとつの方法として出版がありますよね。
前野 本を書くと「すごいな!」と言われますね。
――研究者の中で本の価値の位置づけというのは、どういうものでしょうか。
水月 研究者にとっては論文と研究書が中心です。一般書はリタイア寸前の人が書くものというイメージが根強いです。ただ、それはやはり上の世代の人の話であって、いまの中堅、若手にとってはアピールの場のひとつではないでしょうか。
あと、一般書を出版することで、自分の自信の裏支えになる部分が一本増えた感じがしませんか。研究は地道にやっていて、博士号も取れた。それは大きな支えで評価もされているけれど、仕事はなかなか決まらないし、給料もいつなくなるかわからない。そういう時に自著を出版したということは、もうひとつの自分の支えになってくる。
前野 本が売れたおかげで、バッタ問題を多くの方々に知っていただけてよかったです。「読書メーター」や「ブクログ」で読者の感想のコメントを見ると、「著者の活動を応援しています!」と言ってくださる方もおり、心の支えになっています。
博士をもっと使ったほうがいい
前野 企業などでは、博士は扱いにくいとされている風潮があるとネットなんかで見たことがあります。でも、自分はビジネスとはまったく関係ない出自で、プロモーションがある意味、成功して、うまい具合にいろいろな人たちに知ってもらえた。これは一例に過ぎませんが、博士は、どんな分野でもいろいろ工夫して掘り進めていくだけの能力を持っているので、もっと有効活用したらいいのになあと思っています。もったいないですよね。国民の血税で育ててきたのに。結局、お金がないという単純な理由で、研究を諦めてしまうことがあるので、もっと生活を支えられるような支援制度が充実したらいいなと思います。
水月 研究機関でも大学でも、人手はほしいわけですからね。雇えるものなら雇いたいけれど、予算がないから雇えない。できる人は目の前にいるのに雇えない。そのジレンマのなかで、お金は払えないけれど残ってもらえませんかと言われて残る人たちも出てくる。でもそのやり方はいつまでも続きませんよね。それを制度で支援するというのは必須です。研究の裾野が広がって、昔に比べて面白い人がいっぱい出てきていると思います。こういう厳しい状況で、若手研究者がこれだけの研究業績を持って、こんなに活躍している時代はこれまでなかったのでは。
――そうですね。一般企業でも、自分の専門分野に限らず、研究で培ってきた能力を生かせる場はもっとあるはずなんです。これは完全に日本の慣習や企業側の問題ですね。
水月 そうですね。博士号を取ってよかった点のひとつは、意外に潰しが利くスキルが身につくこと。けっこういろいろできるようになります。
あともうひとつ、僕が一番よかったと思うのは、どんな環境に身を置いても常に自然に問題を発見してしまうこと。で、問題を発見したら、どうやったら解決できるのか考えて、実行に移してしまう。そういう思考と行動のパターンが染みついているんですね。
(続く)