能力はどこまで「遺伝」の影響を受けるのか?|高橋昌一郎【第22回】
行動遺伝学が提起する「生き方」
1つの卵子と1つの精子が受精して1つの受精卵が生じる。この受精卵が細胞分裂を繰り返して子宮の中で1人のヒトになっていくわけだが、この細胞分裂の段階で、約0.3~0.4%の確率で受精卵が2つに分裂して2人のヒトとなる場合がある。この2人が「1卵性双生児」である。1卵性双生児は、同一の受精卵から生まれてくるため、同じ遺伝子情報を持ち、稀な例外を除き、性別も血液型も同じになる。瞳の色も髪の色も同じで、外見も「瓜二つ」で生まれてくる。
したがって、1卵性双生児は「生まれか育ちか」の議論に重要な役割を果たすことになる。というのは、1卵性双生児の2人は遺伝的に同じ「生まれ」だからである。同じ遺伝子情報の設計図から成長していく過程で、2人の置かれた環境や文化が相違していれば、この2人のパーソナリティや疾患に「育ち」がどのような影響を与えているのか、詳しく比較して研究できるわけである。
1卵性双生児のショーナとエレンは、生まれてすぐに異なる家庭の養子になった。2人が2歳半になった頃、養母にインタビューした記録がある。「ショーナには食習慣に問題があります。彼女は、何にでもシナモンをかけたがるのです。マッシュ・ポテトにもバナナにも……。シナモンをかけなければ、何も食べません。この娘は他には何も問題はないのですが、食事時だけは大変です」他方の養母は「エレンはよく食べますね」と言った。そして、少し間をおいて、「エレンは、シナモンさえかければ、何でも食べてくれるんですよ」と言った。この1卵性双生児の「シナモン嗜好」は、まさに遺伝的素質の発現と考えられる。
別の男性の1卵性双生児も、生まれてすぐに異なる家庭の養子になり、しかも異なる国で育った。2人が30歳になった時点で、どちらも几帳面な性格だった。2人とも身だしなみを整え、時間を正確に守り、常に手を洗って清潔にしていた。なぜきれい好きなのかを聞かれて、一人は「養母のおかげです。彼女はきれい好きで、家中を整理整頓していましたから」と言った。他方は「養母に対する反動でしょうね。彼女は、非常にだらしのない人でしたから」と言った。2人とも自分の遺伝的特性を「養母」という環境の理由にしているのが興味深い。
これらの事例が示すように「いかなる能力もパーソナリティも行動も遺伝の影響を受けている」という科学的事実が本書の著者・安藤寿康氏の出発点である。
アメリカの行動主義者ジョン・ワトソンは、「10人ほどの健康な乳児と独自の育児環境を私に与えてもらえたら、その子の才能、好み、傾向、能力、適性、祖先の人種などにいっさい関わりなく、医者、弁護士、芸術家、商人、物乞い、泥棒など、どんな専門家にも育てられる」と豪語したことで知られる。彼は、ヒトの行動は与えられた環境によって完全に決定されると考えていた(行動主義については拙著『感性の限界』(講談社現代新書)をご参照いただきたい)。
ところが安藤氏によれば、ワトソンのように「いかようにも教育できる」という極論も、逆に「すべては遺伝だから仕方がない」という極論も、どちらも間違っている。行動遺伝学が導くのは、「遺伝をこの世界で形にしてくれる」のが「教育」であり、「教育なしに遺伝は姿を現さない」という常識的な結論である。
本書で最も驚かされたのは、論理的推論や認知的情報を処理する脳の前頭葉・頭頂葉の遺伝率が90%であるのに対して、自己情報を司る帯状回・側頭葉の遺伝率が50%にすぎない点である。つまり、個人的な経験が作り上げる「自己」の半分は環境に依存するので、それを最大限に活かす「生き方」が重要になる!